この記事では三平方の定理をマニアックに解説します。
数式で語るというよりはむしろ,歴史的な視点や観点を中心に話を進めていきます。数学史を嗜む気持ちで読んでいただけると幸いです。
通常の公立中学校では中学3年生の最後の単元として習うもの。それが三平方の定理です。
直角三角形において,斜辺の長さを$c$,それ以外の2辺の長さを$a$,$b$とするとき,$$
\color{red}\bm{a^2+b^2=c^2}
$$
が成り立つ。
別名としてピタゴラスの定理と呼ばれることから,「ピタゴラス(BC5世紀ぐらい)が初めて発見したのでは?」という認識が広く知れ渡っているようですが,現在の解釈では,「ピタゴラスが発見したわけではない」と考えられています。
国際的には「ピタゴラスの定理(Pythagorean theorem)」が通常の読み方で,「三平方の定理」は日本独自の名称のようです。これは第2次世界大戦中に敵性語の使用が禁じられたため,文科省の指導を受けて末綱恕一が命名したとのことです。
それどころか,紀元前1800年ごろの文献(粘土板)にも,三平方の定理と関係のある記述がされていました。もしも古代の文献に,$$
6480^2+4961^2=8161^2
$$を示唆するような超ハイレベルな文章があったらどうしましょう!(フラグ)
ともかく,三平方の定理の歴史をたどることは大いに面白いと思い,僕なりの解釈も踏まえて解説をしていきます。
古代文明としては古代ギリシャ,古代バビロニア,古代エジプトあたりが挙げられます。いずれの文明でも測量や建築などの「幾何」に重きが置かれており,三平方の定理に関することはもちろん,円周率や求積問題についてもそれぞれの文明で考えられていました。余談ですが円周率についてはNHKの「チコちゃんに叱られる!」(2021年7月2日放映)でも話題になりましたね。Mathlogでは 「チコちゃんが叱られる!?〜「円周率がずっと続くのはなぜ?」における決定的誤謬〜」 にてチコちゃんが叱られています。
閑話休題。では三平方の定理に関する文献で最も古いものとされている文献は何でしょう? と言いますと,古代バビロニアの文献でPlimpton 322 と呼ばれる粘土板が発掘されております。
これが書かれた推定年代はBC1800年ごろと推定されており,ニューヨークの出版業者であるGeorge Arthur Plimptonが考古学者から購入したことで名付けられました。(1920年台初頭の頃のようです。)
流石に僕にはこれを解読する能はありませんので,先人たちの知恵をお借りします。英語でも構わないならば arxivの論文(参考文献[2]) を,日本語で説明されているものですと Wikipedia を参照しながら,改めて煎じてみます。
Plimpton 322は4列15行からなっており,以下のような表が書かれているとのことです。([]で囲った数字は欠損による解読不能であったり解読をよりしやすくするために,訳者が補った部分)
I | II | III | IV |
---|---|---|---|
[1 59 00] 15 | 1 59 | 2 49 | 1 |
[1 56 56] 58 14 56 15 | 56 07 | 3 12 1 | 2 |
[1 55 07] 41 15 33 45 | 1 16 41 | 1 50 49 | 3 |
[1] 5[3] 10 29 32 52 16 | 3 31 49 | 5 09 01 | 4 |
[1] 48 54 01 40 | 1 05 | 1 37 | 5 |
[1] 47 06 41 40 | 5 19 | 8 01 | [6] |
[1] 43 11 56 28 26 40 | 38 11 | 59 01 | 7 |
[1] 41 33 59 03 45 | 13 19 | 20 49 | 8 |
[1] 38 33 36 36 | 9 01 | 12 49 | 9 |
[1] 35 10 02 28 27 24 26 40 | 1 22 41 | 2 16 01 | 10 |
[1] 33 45 | 45 | 1 15 | 11 |
[1] 29 21 54 02 15 | 27 59 | 48 49 | 12 |
[1] 27 [00] 03 45 | 7 12 01 | 4 49 | 13 |
[1] 25 48 51 35 06 40 | 29 31 | 53 49 | 14 |
[1] 23 13 46 40 | 56 | 53 | [15] |
第4列目はさすがに良いとして,1~3列目の羅列は一体何なのでしょうか? もう少し迫っていきます。
なお,この記事では第1列目について触れません。興味があれば各々で調べてみてください。
バビロニア数学は60進法です。これを基に,2列目と3列目を解読していきましょう。まずは第1行2列目の$$
1\;\;59
$$
の部分です。これは$$
1\times 60+59=119
$$
と読み取ることが出来ます。同様に第2行2列目の$$
56\;\;07
$$
は,$$
56\times 60+7=3367
$$
と読み取れます。同様にして2列目と3列目を10進法に言い換えますと,次のようになります。
II | III |
---|---|
119 | 169 |
3367 | 4825 |
4601 | 6649 |
12709 | 18541 |
65 | 97 |
319 | 481 |
2291 | 3541 |
799 | 1249 |
481 | 769 |
4961 | 8161 |
45 | 75 |
1679 | 2929 |
161 | 289 |
1771 | 3229 |
56 | 106 |
さてこのように変換してみましたが,この表から三平方の定理の等式を導くことが出来ます!! 具体的には次の表のとおりです。
II | III | 付随する等式 |
---|---|---|
119 | 169 | $120^2+119^2=169^2$ |
3367 | 4825 | $3456^2+3367^2=4825^2$ |
4601 | 6649 | $4800^2+4601^2=6649^2$ |
12709 | 18541 | $13500^2+12709^2=18541^2$ |
65 | 97 | $72^2+65^2=97^2$ |
319 | 481 | $360^2+319^2=481^2$ |
2291 | 3541 | $2700^2+2291^2=3541^2$ |
799 | 1249 | $960^2+799^2=1249^2$ |
481 | 769 | $600^2+481^2=769^2$ |
4961 | 8161 | $6480^2+4961^2=8161^2$ |
45 | 75 | $60^2+45^2=75^2$ |
1679 | 2929 | $2400^2+1679^2=2929^2$ |
161 | 289 | $240^2+161^2=289^2$ |
1771 | 3229 | $2700^2+1771^2=3229^2$ |
56 | 106 | $90^2+56^2=106^2$ |
古代バビロニアの数学では$\bm{13500^2+12709^2=18541^2}$を分かっていたと言っても過言ではありません! そのようなことを暗示させてくれるのが,このPlimpton 322なわけです。
古代数学の凄さを,Plimpton 322の2列目,3列目から実感できたと思います。ですが元々,(三平方の定理が発見されていたとしても,)測量や建築のために使うためのものです。なぜこのような式が遺されているのでしょう。(複雑な等式を構築できるレシピがあった?) そもそもどうやって$13500^2+12709^2=18541^2$なんて高次元の数式を発見できたのでしょう。そのアンサーとしては色々なことが考えられ,その解釈は様々なようです。
2000年台初頭にアメリカの研究者Robsonは,「プリンプトン322の作者はプロの数学者でもアマチュアでもない。それよりもむしろ作者は教師で,プリンプトン322は練習用の課題であると思われる」という旨の研究報告(参考文献3,4)を提出し,アメリカ数学協会はこの研究に対して賞を与えています。またRobsonの研究では,$a^2+b^2=c^2$のような,いわば代数的な立場ではなく,その教師たちは幾何的な立場でこの${13500^2+12709^2=18541^2}$を眺めていたも主張しています。
また最近(2017年,参考文献5,アブストは【 ここから閲覧できます 】)の研究では,1列目から得られる値が三角比を示しているのでは? という研究結果もあります。(なおこれについてRobsonは,言語学的な見地から「それは時代錯誤が過ぎる」と否定しています。)
ここまででPlimpton 322が,古代バビロニアが如何にヤバいかを見ていきました。では別の文明である,古代エジプトではどうなのでしょうか? といいますとと,ピラミッドのような建築計画において,ひもを使って直角を作図していたようです。このあたりの話は 参考文献6 を参照ください。
2021年8月3日にとある発表がありました。(参考文献[6]) このarticle ではやはりPlimton 322が偉大であることに加えて,現在の研究としてSi.427と呼んでいる粘土板が三平方の定理に関連しているという報告がありました。
そのarticleによれば,Si.427は土地の面積計算のために作られた粘土板で,オモテ面には計算したい土地の概形が,裏面にはその計算の詳細が記載されているようです。
Si.427から分かることは,「図形の概形を描くために,$3:4:5$と$8:15:17$と$5:12:13$の三角形が直角三角形であることが使われている」ということです。しかし,それ以上のことは言っていません。 朝日新聞の記事 にも「最古の応用例」と書かれており,決して証明したことを述べたわけではないことに注意したいですね。(応用というより「逆の特別な例」って言葉が正確ですか。)
この記事では三平方の定理について,初期の初期から説明していきました。紀元前1800年ごろであっても,非常に高度な数学があったと思うと,古代文明は恐ろしいですね。。。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
「今さら三平方の定理を解説する②」は現在執筆中です。しばしお待ちください。ピタゴラス一派による証明とEuclidによる証明,及び既約ピタゴラス数が無数にあることを確認する予定です。