TikZを利用できなかったため、一時的にすべての図式は画像で掲載しています。
圏論は数学の抽象的な構造を統一的に扱う道具であり、極限や余極限はその中核にある概念だ。しかし、射の集合を単なる「集合」として捉える通常の圏論の枠組みでは、時にこのモデルが物足りなくなる場面がある。もっと「豊かな」構造を射の間に考えたい——そんなときに登場するのが、豊穣圏(enriched category)だ。
豊穣圏では、射をモノイダル圏の対象として扱うことで、線形性や順序といった追加の構造を取り込むことができる。その中でも「weighted limit(重み付き極限)」は、豊穣圏の枠組みで極限を一般化した概念である。
weighted limitを定義できる豊穣圏論のベースとなるモノイダル圏は、とりわけ行儀の良いものになっている。
この記事では、より一般のモノイダル圏上の豊穣圏に対してweighted limitが定義できるかについて、Kan拡張や米田の補題の観点から考察し、その具体的な形を与えることを目標とする。
まず今回の前編にてモノイダル圏および豊穣圏の定義をおさらいし、行儀の良いモノイダル圏上の場合のweighted limitを紹介する。次に中編にて、米田の補題やKan拡張の定義から、一般のモノイダル圏でのweighted limitとしてどのような定義を採用すべきかを考察する。最後に後編にて、weighted limitの具体的な計算や、行儀の良いモノイダル圏上にて既存のweighted limitとどのような関係にあるかを観る。
まず、モノイダル圏論における基本事項について述べる。
圏$\mathfrak{M}$上のモノイダル構造(monoidal structure over a category $\mathfrak{M}$)とは、以下のデータからなる:
これらのデータは、以下の公理を満たす:
これらの組$(\mathfrak{M},\otimes,I,\alpha,\lambda,\rho)$をモノイダル圏(monoidal category)といい、$\mathfrak{M}$をこのモノイダル圏の下部圏(underlying category)という。
代表的なモノイダル構造として、圏論的直積をテンソル積とするものがある。このようなモノイダル圏は特にカルテシアン圏(cartesian category)と呼ばれており、以下のような例がある:
モノイダル圏$\mathfrak{M}$に対して、積$\otimes_{\mathfrak{M}}$を反転して得られるモノイダル圏を$\mathfrak{M}$の反転といい、$\mathfrak{M}^{\operatorname{rev}}$で表す。
圏$C$に対して、$C$上の自己函手のなす圏$\operatorname{End}C\coloneqq\operatorname{Func}(C,C)$は、函手の合成をテンソル積とし、恒等函手を単位対象としてモノイダル圏となるため、以後$\operatorname{End}C$にはこのようなモノイダル構造が備わっているとみなす。
モノイダル圏$\mathfrak{M},\mathfrak{N}$に対して、$\mathfrak{M}$から$\mathfrak{N}$へのlaxモノイダル函手(lax monoidal functor from $\mathfrak{M}$ to $\mathfrak{N}$)とは、以下のデータからなる:
これらのデータは以下の公理を満たす:
双対的に($\eta$と$\mu$の向きを逆にして)定義される関係をoplaxモノイダル函手(oplax monoidal functor)と呼ぶ。
特に、$\mu$が自然同型なとき正規モノイダル函手(normal monoidal functor)といい、$\eta$, $\mu$がともに同型なとき強モノイダル函手(strong monoidal functor)、$\eta$, $\mu$がともに恒等なとき厳格モノイダル函手(strict monoidal functor)という。
以後、単にモノイダル函手と言った場合はlaxモノイダル函手を指すものとする。
モノイダル函手$F,G\colon\mathfrak{M}\to\mathfrak{N}$に対して、$F$から$G$へのモノイダル自然変換(monoidal natural transformation from $F$ to $G$)とは、自然変換$\sigma\colon F\Rightarrow G$であって以下の図式がそれぞれ可換となる:
自然変換とモノイダル構造の両立
圏上のモノイダル構造は一意的ではない具体的な例として、可換環$R$上の加群のなす圏$\operatorname{Mod}R$上のモノイダル構造として以下の2つが挙げられる。
これらのモノイダル構造は、下部圏が圏同値だがモノイダル圏同値でない例である。
以下、$\mathfrak{M}$をモノイダル圏する。
$\mathfrak{M}$上の豊穣圏(category enriched over $\mathfrak{M}$)、あるいは単に$\mathfrak{M}$-圏($\mathfrak{M}$-category)とは、以下のデータからなる:
これらのデータは以下の公理をそれぞれ満たす:
豊穣圏$\mathcal{A}=(\operatorname{Ob}\mathcal{A},(\mathcal{A}(a,b):a,b\in\operatorname{Ob}\mathcal{A}),\operatorname{id}_{\bullet},\otimes_{\mathcal{A}})$に対して、$a\in\operatorname{Ob}\mathcal{A}$を$a\in\mathcal{A}$と表すこととする。
特に、$\mathfrak{M}$-圏の対象の集まりが特に集合となるとき、それは小さいといい、小さい$\mathfrak{M}$-圏を$\mathfrak{M}$-小圏という。
$\mathfrak{M}$-圏$\mathcal{A}$の対象$a,a^\prime\in\mathcal{A}$に対して、$\mathfrak{M}$の射$I\to\mathcal{A}(a,a^\prime)$を$a$から$a^\prime$への射として圏$\mathcal{A}_0$が定義できる。これを$\mathcal{A}$の下部圏と呼ぶこととする。
通常の圏論と同様に定まる$\mathfrak{M}$-圏$\mathcal{A}$の双対圏$\mathcal{A}^\mathsf{op}$は、$\mathfrak{M}^\mathsf{rev}$-圏となる。
$\mathfrak{M}$-圏$\mathcal{A},\mathcal{B}$に対して、$\mathcal{A}$から$\mathcal{B}$への豊穣函手(enriched functor from $\mathcal{A}$ to $\mathcal{B}$)、あるいは単に$\mathfrak{M}$-函手($\mathfrak{M}$-functor)とは、以下のデータからなる:
これらのデータは、以下の公理をそれぞれ満たす:
モノイダル圏(特にカルテシアン圏)の例として紹介した集合の圏$\mathsf{Set}$だが、$\mathsf{Set}$上の豊穣圏とは局所小圏のことであり、$\mathsf{Set}$-函手とは通常の圏の間の函手の定義に一致する。
$\mathcal{A}$, $\mathcal{B}$を$\mathfrak{M}$-圏、$F,G\colon\mathcal{A}\to\mathcal{B}$を$\mathfrak{M}$-函手とする。
このとき、$F$から$G$への豊穣自然変換(enriched natural transformation from $F$ to $G$)、あるいは単に$\mathfrak{M}$-自然変換$\theta\colon F\Rightarrow G$とは、$\mathfrak{M}$の射の族$(I\xrightarrow{\theta_a}\mathcal{B}(Fa,Ga))_{a\in\mathcal{A}}$であって、次の図式が可換となる:
射の族の自然性
$\mathfrak{M}$-圏$\mathcal{A}$から$\mathcal{B}$への$\mathfrak{M}$-函手とその間の$\mathfrak{M}$-自然変換のなす圏を、$\operatorname{Func}_\mathfrak{M}(\mathcal{A},\mathcal{B})$で表す。
特に、ベースとなるモノイダル圏が文脈から明らかな場合は、$\operatorname{Func}(\mathcal{A},\mathcal{B})$と略記する。
通常の圏論における極限・余極限は、対角函手の左随伴および右随伴として特徴づけられるが、一般のモノイダル圏上の豊穣圏論では、対角函手が標準的に定義できないため、別の定義を採用する必要がある。
ここで、通常の圏論における図式$F\colon J\to C$の極限$\lim F$は同型
これを一般のモノイダル圏$\mathfrak{M}$上で定義するために、次の課題を解決する必要がある:
函手$W\colon J\to\mathfrak{M}$とは? ($\mathfrak{M}$は一般に$\mathfrak{M}$-圏でないため、先の$\mathfrak{M}$-函手の定義は使えない)
函手圏$[J,\mathfrak{M}]$をどう定義すれば、適切に$[J,\mathfrak{M}](W,C(-,F))$の表現を考えられるか?
これらは、$\mathfrak{M}$を完備かつ余完備な対称閉モノイダル圏(complete and cocomplete closed symmetric monoidal category)とすれば解決する。
モノイダル圏$\mathfrak{M}$が対称閉であるとは、$a,b\in\mathfrak{M}$について自然な同型$\beta_{a,b}\colon a\otimes b\to b\otimes a$と、函手$[-,-]\colon\mathfrak{M}^\mathsf{op}\times\mathfrak{M}\to\mathfrak{M}$が備わっており、以下の公理をそれぞれ満たす:
以後、$\mathfrak{M}$を完備かつ余完備な対称閉モノイダル圏とする。
$[-,-]\colon\mathfrak{M}^\mathsf{op}\times\mathfrak{M}\to\mathfrak{M}$をHom函手として、$\mathfrak{M}自身が\mathfrak{M}$-圏となるため、以後これらは区別しないものとする。
通常の函手$C\to D$の函手圏$\operatorname{Func}(C,D)$のEndによる特徴づけ
これらから、$\mathfrak{M}$-圏におけるweighted limitは、次のように定義される。
$\mathfrak{M}$-函手$F\colon\mathcal{J}\to\mathcal{A}$に対して、$F$の$W\colon\mathcal{J}\to\mathfrak{M}$で重み付けられた極限(weighted limit over $F$ with $W$)を、$\mathfrak{M}$-函手$[\mathcal{J},\mathfrak{M}](W,\mathcal{A}(-,F))\colon\mathcal{A}^\mathsf{op}\to\mathfrak{M}$の表現として定義する。
すなわち、$a\in\mathcal{A}$について自然な同型
極限を用いた、各点右Kan拡張の具体的な結果について紹介する。
$\mathcal{J}$,$\mathcal{K}$,$\mathcal{L}$を$\mathfrak{M}$-圏とし、$F\colon\mathcal{J}\to\mathcal{K}$, $E\colon\mathcal{J}\to\mathcal{L}$を$\mathfrak{M}$-函手とする。$F$に沿った$E$の左Kan拡張(left Kan extension of $E$ along $F$)とは、$\mathfrak{M}$-函手$F^\dagger E\colon\mathcal{K}\to\mathcal{L}$と$\mathfrak{M}$-自然変換$\eta\colon E\Rightarrow(F^\dagger E)\circ F$の組$(F^\dagger E,\eta)$であって、以下の普遍性を満たすものである:
他方、$F$に沿った$E$の右Kan拡張(right Kan extension $E$ along $F$)とは、$\mathfrak{M}$-函手$F^\ddagger E\colon\mathcal{K}\to\mathcal{L}$と$\mathfrak{M}$-自然変換$\varepsilon\colon(F^\ddagger E)\circ F\Rightarrow E$の組$(F^\ddagger E,\varepsilon)$であって、以下の普遍性を満たすものである:
通常の圏論であれば、函手$D\xleftarrow{F}C\xrightarrow{E}U$について、$C$が小圏かつ$U$が余完備なとき、左Kan拡張$F^\dagger E$は各$d\in D$ごとに以下のように計算できる:
これらは各点Kan拡張と呼ばれる計算について、一般の豊穣圏においても、先に定義したweighted limitおよびweighted colimitにより、次のように計算できる:
$\mathfrak{M}$-函手$F\colon\mathcal{C}\to\mathcal{D}$, $E\colon\mathcal{C}\to\mathcal{V}$に対して、各点左Kan拡張$F^\dagger E$の定義より、$v\in\mathfrak{V}$について自然な同型