この数式について、いつ見てもモヤモヤした違和感がぬぐえないので
実数や極限について、つらつら考えてみたことを残しておきます。
モチベーションとしては、直感による
を正当化した上で、実用的には
を使用するのが良いと納得するのが目的。
学力が上がれば考えが変わる可能性もありますが、それはご愛嬌ということで。
この記事は直感的なイメージを書き留めたものであって、まともな論理展開はできてないと思います。ご了承ください。
稚拙な議論でも「極限アレルギー」の同志のみなさんの参考になればと思います。
なお、
通常は
今回の議論では
僕なりの数のイメージをまとめておく。自然数から始まって、段々と拡張されてきた感じ。
自然数(和と積について閉じている)
この時点で、数の集合は四則演算について閉じたが
数直線が埋まらないことは知られていた。
穴を埋めるにはどうすれば良いか?
大学数学では「コーシー列」とか「デデキントの切断」というものを学ぶらしいが、
学のない僕には詳細は分からないので、それについては語らない。
聞きかじった内容を僕なりに解釈すると
「無限回の四則演算について集合が閉じるよう数を拡張する
(有限の値に収束しないものは考えない)」
ってことだと思う。
僕のイメージでは、
(収束する)無限回の四則演算を有限回で打ち切ったものがコーシー列をなす。
コーシー列は、数直線上で特定の点に限りなく近づいていく動点であり、
その先にある静止した点が実数という感じ。
そのイメージでいくと、無限大と無限小も動点である、と考えるのが良さそう。
その上で「収束する動点は、行先の静点と同一視しましょう」というのが
数学の主流な考え方なんだと思う。
最終的に得られた実数の集合は
「無限回を含む(有限の値に収束する)四則演算について閉じた、性質の良い集合」
であり、その要素は(無限)小数で一意に表せる。
先の議論における「静点と動点の同一視」に抵抗がある、というのが
僕を含む「極限アレルギー」の人の感覚なんだと思う。つまり
「
その世界観では
と書ける。これと
となるが、これも「
この議論から、無限小を含む体系では「同一の小数表記だが別物」という状況が存在することが分かる。
なんか扱い難そうだし、そもそも静点ではないので、これらは実数ではないと考える。
これは「
これを念頭に、初等的な次の議論を考察する。
とおくと
辺々の差から
よって
したがって
この議論をもとに無限小
であり
である。これをみると、上の議論では
「
という、雑な評価がなされていることが分かる。
簡単のために繰り上がりを考える必要のない小数について考える。
無限小
また、別の無限小
のように同じ小数表記をもつと考えられる(差は無限小なので)。
したがって「
このことから、
1つの小数表記に対して「実数とその無限小の近傍を含んだ集合」が対応する
と解釈することができる。
すると
ここまでくると、あとはお気持ちの問題で、
「
とするか、
無限小の差によって表記上の繰り上がりが生じる場合には
例外的に「実数と、その
よって厳密には
である
とするか
好みで決めれば良い気がしてきた。
直感的には下の方が好みだが、上の方が全体の整合性がとれる感じがするので
悩ましいところ。
重要なのは、極限としての実数なので、そこまで考慮すると上の方がスッキリするのかな。
以上の議論から
ただ、
「何か実数ではない量」では扱い難いので、できるだけ実数として扱いたい。
大抵の場合「何か実数ではない量」を「限りなく近い実数」で読み替えても問題ない。
よって
「限りなく実数
というのが極限の考え方である、と解釈すれば、
極限の議論も多少は受け入れ易くなるかも
今回の議論とは直接関係ないが、
数のイメージで、無限大は数直線上の動点と解釈したいという話をした。
動点の動き方によって色々な無限大が存在すると考えられる。
それらの
ゼータ関数と元の級数(発散するやつ)との関係を説明できる
みたいなことがあると面白いのにな、とか考える今日この頃
無限大と無限小を数とみなして「超実数」というものを定義した
超準解析という理論があるそうです。
いつか理解できたら良いな