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ここは城跡の公園。木々が、桜が、そよぐ風に揺れるさまを見ていた。
脳内音楽はボカロ曲の鏡音リンの炉心融解、12年前震災とメルトダウンに呼応してか、ヘビロテして聴いていた。
真夜中の2時の丑三つ時から夜明け前がハイライト。夜闇の静けさを確認してから蠢き出す昼夜逆転のあの頃。
リビドーさんがこっち来てと両手を掴んで引き上げようとする。両足を引っ掴んで引き下げながらタナトスさんがおいでおいでする。
予め決められた物差しがあるプロクルーステースの寝台とは違って、宙ぶらりんに堪えながら、両手両足引っ張られて引き伸ばされるのは限界を設けられていないし、容赦もない。
下手すると牛裂きのような八つ裂きの刑でばらばらに引きちぎられる。
生還できるか否かの分かれ目は紙一重。
こんな状況下では色々な感情が渦巻くんだね。止まらない思索。時間を確保できた分、思考量も積み重なる。量が質的転換を促す。
今の知見はこれまでの積分。
人生の順逆の境涯は周期関数で描いている。
人生は微分だとお師匠さんの1人が語っていたのを受けて、微分して接線の傾きから瞬間風速的なニュアンスで今って上昇トレンド?下降トレンド?フラット?など明らかにしてトレンドに応じた対処をする。株とか投資も同じこと。
熱量も圧力も加速度的に反応を促進する。あまりに急カーブで指数関数的なグラフみたい。
水ジルコニウム反応式Zr+2H2O→ZrO2+2H2+600kJ/mol
なんて調べてしまうぐらいには関心が続いているというか好奇心旺盛。
なんだかんだなりふり構わず興味関心のままに無我夢中で生き延びてみた。
そしたら、ゆらぎが閾値を越えたのかリニアな(線形)成長からノンリニアエボリューションでも起こったみたいで、溝なのか虹の橋か知らないがぴょんと跨いでいた。所謂「低学歴の世界と高学歴の世界の溝」を跨いだときと似た越境感覚。
自分の中の何かがカチッと入って以来、力のベクトルや力のモーメントなど力のかかり方の妙なのか、いつのまにか、するりと切り抜けていた。
リビドーさんもタナトスさんもあれ、いつのまにか、いなくなったかな?
まあ、また会ったら「やあ、お久しぶり。その節はどうも」なんてご挨拶しそう。
いい意味で無敵の人だから、もうどっちでもいいんだ。
電光影裏(ようり)に春風を斬る。
朝日を浴びてぽかぽかしながら、そんな禅語を思い出していたら、無意識のうちに浮かべていた、はにかむような笑みは、アルカイックスマイルだなと感じた。
一言
・フーリエさんに感謝
儂の背景
学部で哲学→法務(法制度の立案・運用・修正)→IT(検索屋)
参考文献 法律家が数学者に助けを求める理由