群論をやったことある人は、一番自明な例として、次の群を見たことがあるでしょう。
群$G$が自明群であるとは、$G$が単位元のみからなるときをいう。
この自明群については、
自明群論研究会
において様々な研究がなされています。
本記事の目的は、自明群に関する次の結果を圏論の道具を用いることで証明できたので、それを紹介することです。
$G$を任意の群とする。このとき、$G$は自明群からの単射な準同型を持つ。
次の条件を満たす読者を想定しています。
この記事では以下の記号を用います。
圏と関手と随伴関手の定義を既知とします。本節では、主定理の証明に必要な概念を定義・導入し、随伴関手や前加法圏についての鍵となる性質を証明します。
圏$\CC$の対象$X \in \CC$が
次は後で主定理の証明に用いる重要な例です。
集合のなす圏を$Set$とします。このとき、空集合$\varnothing$は$Set$の始対象です。
この始対象と終対象について、随伴との次の関係がよく知られています。
$F \colon \CC \to \DD$を関手とし、$F$が左随伴であるとする、すなわち右随伴関手$G \colon \DD \to \CC$を持つとする。このとき$\CC$が始対象$0_\CC$を持つならば、$F(0_\CC)$は$\DD$の始対象である。双対的に、$\DD$が終対象$1_D$を持つならば、$G(1_\DD)$は$\CC$の終対象である。
随伴の練習問題です。始対象についてのみ示します(終対象については双対性より従います)。任意に$\DD$の対象$D$を取ります。このとき、随伴性から
$$
\DD(F(0_\CC),D) \cong \CC(0_\CC,G(D))
$$
という同型が成り立ちます。いま$0_\CC$は$\CC$の始対象でしたから、右辺は一元集合、よって左辺も一元集合です。
上の命題は、「左随伴関手は余極限を保つ」というより一般的な命題の特別な場合です。
また、本定理の証明の鍵になるのが次の始対象・終対象についての観察です。
圏$\CC$が始対象$0_\CC$を持ち、さらに$0_\CC$が終対象でもあるとする。このとき、任意の対象$X \in \CC$に対して唯一定まる射$i_X \colon 0_\CC \to X$はモノ射である。
2つの射$f,g \colon Y \rightrightarrows 0_\CC$が$i_X f = i_X g$を満たすとする。このとき$0_X$は終対象でもあることから、$\CC(Y,0_\CC)$は1元集合であり、よって$f=g$が成り立つ。ゆえに$i_X$はモノ射である。
実は本記事での証明では、前加法圏という概念と、$\Ab$が前加法圏であることを使います。
圏$\CC$が前加法圏であるとは、
であることをいう。
前加法圏を導入した一番の理由は次の命題です。
$\CC$を前加法圏とする。もし$\CC$が始対象$O$を持てば、自動的に$O$は$\CC$の終対象でもある。
まず$\CC(O,P)$を観察すると、$O$が始対象なのでこれは一元集合であり、$\CC$が前加法圏なことから$\CC(O,O)$はアーベル群としては単位元のみからなる自明群です。しかし圏の公理により恒等射$1_O$は$\CC(O,O)$の元なので、$1_O = 0$が成り立ちます。
次に任意の$C \in \CC$を取りましょう。このときに$\CC(C,O)$が一元集合なことを見ればよいです。まず前加法圏の定義により、$\CC(C,O)$にはアーベル群としての単位元が存在し、これを$0_{C,O}$と書きます。任意に$f\in \CC(C,O)$をとったとき、$f=0_{C,O}$を示します。
ここで前加法圏の分配性を使います。$1_O$がアーベル群$\CC(O,O)$の単位元だったことを思い出すと、次の等式が$\CC(C,O)$の中で成り立ちます。
$$
f = 1_O \circ f = (1_O + 1_O) \circ f = 1_O \circ f + 1_O \circ f = f + f
$$
よって、$\CC(C,O)$がアーベル群だったことから、$f = 0_{C,O}$が従います。
ようやく圏論からの準備が整いました。次の節でようやく主定理の証明ができます。
まずは、圏$Grp$と他の圏との間の随伴関手の存在を補題として示します。
$Grp$から$Set$への忘却関手は左随伴を持つ。具体的には、集合$X$に対し、$X$上の自由群$F(X)$を取ることで、忘却関手の左随伴$F \colon Set \to Grp$ができる。
自由群の構成やこの随伴性については面倒なので本記事では省きます。または随伴関手定理とかいうより強い道具で殴ることもできます(と思いますが詳しくないので嘘かもしれません)。
$\Ab$から$Grp$への忘却関手は左随伴を持つ。具体的には、群$G$に対して、その交換子群$[G,G]$による剰余$G/[G,G]$を対応させることでアーベル群ができ、この対応は忘却関手の左随伴関手$Grp \to \Ab$を定める
交換子群についての単なる練習問題だし飽きてきたので省略します。
さてようやく主定理の証明の本筋を述べることができます。
もう一度主定理を述べておきます。
任意の群$G$に対して、$G$は自明群からの単射な準同型を持つ。
いくつかのステップにわけて示す。
これを示すため、我々は補題5により左随伴関手$F \colon Set \to Grp$があったことを思い出します。いま$Set$は例1により始対象$\varnothing$を持ち、命題2により$F(\varnothing)$が$Grp$の始対象です。
一方、自由群についての通常の構成を思い出せば、$F(\varnothing)$は自明群となることが確認できます。よって(Step 1)が示されました。
(Step 1)の証明と同様、我々は補題6による左随伴$Grp \to \Ab$を持ちました。これにより(Step 1)を用いれば、自明群$G$を適当に選ぶと、$G/[G,G]$が$\Ab$の始対象となります。ここで自明群の剰余群は自明群であることが確認できるので、$G/[G,G]$も自明群です。故に自明群が$\Ab$の始対象でもあることが分かりました。
これは命題4と例2から従います。すなわち$\Ab$は前加法圏であり、自明群はその始対象だったので、命題4により終対象ともなります。
まず(Step 2)より自明群は$Grp$の始対象です。一方、我々は補題6により右随伴関手(=忘却関手)$\Ab \to Grp$を持ちました。よって(Step 3)から自明群が$\Ab$の終対象だったので、命題2(右随伴は終対象を保つ)より自明群の忘却関手による像、すなわち自明群は$Grp$の終対象です。
いま(Step 4)により$O$は圏$Grp$の始対象かつ終対象です。よって命題3がまさにこの主張を証明しています。
$Grp$でのモノ射$f \colon G \to H$を取ります。このとき、$f$の核と包含$\iota \colon \ker f \hookrightarrow G$が考えられます。すると$f \iota$は全ての元を単位元へ送るような写像です。よって、$\iota' \colon \ker f \to G$を「全ての元を単位元へ送る」ような写像とすると、$f \iota = f \iota'$が成り立ちます。ゆえにモノ射の条件から$\iota = \iota'$ですが、ここから$\iota$と$\iota'$との像を比較することで、$\ker f$が単位元しか含まないことが分かります。よって$f$は単射です。
まず(Step 5)により、$Grp$でのモノ射$\iota \colon O \hookrightarrow G$が取れました。一方(Step 6)により、この写像は集合論的に単射です。よって$\iota$は単射群準同型です。
以上で主定理をようやく証明することができました。
主定理のような、一見自明そうに見える定理の証明に、随伴関手や前加法圏や始(終)対象という圏論の道具、また自由群や交換子群などの群論的構成を用いるとは、少し驚きですね。
Mathlogにも、このような自明群研究の記事が他に書かれることを願っています。
この証明では、最初にGrothendieck宇宙を固定したため、任意の群については証明できていないという欠陥に気づきました。申し訳ありません。修正には、任意の群に対してそれを含むGrothendieck宇宙が取れればよいですが、これについては本記事ではGrothendieck宇宙についての次の公理を認めることとします:
「任意の集合に対して、それを含むGrothendieck宇宙が存在する」という公理をGrothendieck-Verdierの宇宙公理と呼ぶ。
この公理は、「任意の基数に対してそれより真に大きい強到達不能基数が存在する」という集合論の公理と同値であり、これはZFC上独立です。圏論をユーザーとして使っている人はこの公理を暗に認めている人が多い気がします。なので、本証明はZFCだけから主定理を証明してはいません。ZFCのみで主定理が証明できるかを考えることは今後の課題としたいと思います。
この長い証明を完成させたあとで、次のような主定理の別証があることに気が付きました。
群$G$について、その単位元$1 \in G$を考えると、包含$\{ 1 \} \hookrightarrow G$が求める単射準同型である。