今回の目的は「有限表示な平坦加群は射影加群」という、平坦加群についてのちょっと有名な命題を、元を取らずにホモロジー代数的に(可換図式だけで)示すことです(MathlogでAMScdで可換図式が書けるようなので、そのテストも兼ねてます)。
通常はよく分かんない元をとったやり方でやられていて、正直証明を読んでも分かった気になりませんが、加群のtransposeという概念を使えば、概念的に見通しよく証明できます。
この証明方法は、関係ない本業を勉強しているときに思いついたもので、他で見たことのない証明ですが、誰か書いてあるのを知っていたら教えて下さい。
平坦加群・射影加群の定義を知っている、Homやテンソルの片側完全性を知っている、蛇の補題を知っている、関手の自然変換や自然同型を知っていれば十分です。
本記事では環とは可換と限らない環とします。なので左加群と右加群の区別がありますが、証明では残念ながら両方の加群を使います。可換環しか知らない方は、左や右を無視して読めば大丈夫です。
主定理を述べるのに必要な定義をまとめます。
$M$を環$A$上の左加群とする。このとき$M$が有限表示加群であるとは、次の完全列
\begin{CD}
P_1 @>>> P_0 @>>> M @>>> 0
\end{CD}
であって、$P_0$と$P_1$は有限生成射影加群であるようなものが取れるときをいう(これを$M$の有限表示と呼ぶ)。
また念の為確認しておくと、左$A$加群$M$が平坦であるとは、テンソル関手$(-) \otimes_A M$が右$A$加群の短完全列を保つようなものです(左右に注意)。
では早速主定理を確認しましょう。
$A$を任意の環、$M$を左$A$加群とする。このとき、次は同値である。
ここで、1ならば2は自明です(射影加群は平坦であり、また有限表示の定義により自明に有限生成射影加群は有限表示です)。よって問題は2ならば1です。これを元を取らずに証明することが本記事の目標です。
証明に必要ないくつかの道具を定義します。一番大事なものは、導入でも述べた加群のtransposeです。
まず紙面の節約のため、次の記号を導入します。
左$A$加群$M$について、右$A$加群$M^*$を
$$
M^* := \Hom_A(M,A)
$$
で定める。これは左$A$加群のなす圏から右$A$加群のなす圏への反変関手である。同様に右$A$加群に対しても同じ記号で$(-)^* := \Hom_A(-,A)$を用いる。
加群の左右がひっくり返ることに注意。ではtransposeは次のように定義されます。
$M$を有限表示左$A$加群とし、その有限表示を
\begin{CD}
P_1 @>>> P_0 @>>> M @>>> 0
\end{CD}
とする。このとき、上の図式を$(-)^* := \Hom_A(-,A)$で飛ばして右$A$加群の左完全列が得られるが、これを余核を伸ばして次が完全になるように$\Tr M$を定める。
\begin{CD}
0 @>>> M^* @>>> P_0^* @>>> P_1^* @>>> \Tr M @>>> 0
\end{CD}
この$\Tr M$を$M$のtransposeと呼ぶ。
この操作$\Tr$は加群圏上の関手にはならない(well-definedにならない)が、射影加群を潰した圏(安定圏)を考えることで、そこ上の関手と見ることができる。証明には用いないので詳しくは本記事の最後参照。
このtransposeという操作は、有限生成加群を扱う際にかなり便利で、いわゆる環の表現論(=加群を調べる分野)でよく用いられます。今回用いるのは、次の鍵となる補題です。
$M$を有限表示左$A$加群、また$X$を右$A$加群とする。このとき、アーベル群の完全列
\begin{CD}
0 @>>> \Hom_A(\Tr M,X) @>>> X \otimes_A P_1 @>>> X \otimes_A P_0 @>>> X \otimes_A M @>>> 0
\end{CD}
が得られる。またこの完全列は$X$について自然である。
$M$の有限表示
\begin{CD}
P_1 @>>> P_0 @>>> M @>>> 0
\end{CD}
をとると、$\Tr M$の定義により
\begin{CD}
0 @>>> M^* @>>> P_0^* @>>> P_1^* @>>> \Tr M @>>> 0
\end{CD}
が右$A$加群の短完全列である。よって右$A$加群$X$について、$\Hom_A(-,X)$で飛ばせば
\begin{CD}
0 @>>> \Hom_A(\Tr M,X) @>>> \Hom_A(P_1^*,X) @>>> \Hom_A(P_0^*,X)
\end{CD}
というアーベル群の完全列が得られる。ここで、次の補題により、有限生成射影的な左加群$P$について$\Hom_A(P^*,X) \cong X \otimes_A P$があるので、上の完全列の右2つをこれに置き換えて、
\begin{CD}
0 @>>> \Hom_A(\Tr M,X) @>>> X\otimes_A P_1 @>>> X\otimes_A P_0
\end{CD}
という完全列が得られるが、テンソルは右完全なので、一番右の射の余核は$X \otimes M$である。よって求める完全列が得られた。
投げた補題を書いておきます。
$P$を有限生成射影的な左$A$加群とすると、右加群$X$について自然な同型$X \otimes_A P \cong \Hom_A(P^*,X)$がある。
一般に左$A$加群$N$について、写像$X \otimes_A N \to \Hom_A(N^*,X)$が自然に簡単に定義できる。一応書くと、左の元$x \otimes n$が与えられると、準同型$N^* = \Hom_A(N,A) \to X$が、
$$
\Hom_A(N,A) \ni \varphi \mapsto x \cdot \varphi(n) \in X
$$
で定まる(これがテンソル積を経由することや右$A$加群の準同型になっていること、また自然性は略)。よって自然変換$X \otimes_A (-) \to \Hom_A((-)^*,X)$が定まるが、これは明らかに$A$を代入すれば両辺が$X$となり、同型である。よって$A$の有限直和やその直和因子を代入しても同型(自然変換は有限直和や直和因子と可換)であり、主張が示された。
この補題自体は単体でもよく使います。
さてようやく主定理の証明、つまり「$M$が平坦かつ有限表示ならば、$M$が射影的」を示すことができます。
$M$を平坦かつ有限表示な左$A$加群とし、右$A$加群$\Tr M$を考える。証明の流れは、「$M$が平坦有限表示$\imp$$\Tr M$が射影的$\imp$$M$が射影的」と示す。
ここが一番楽しいところである。射影性を示すため、任意の右$A$加群の短完全列
\begin{CD}
0 @>>> X @>>> Y @>>> Z @>>> 0
\end{CD}
を取る。このとき、補題2(鍵補題)と、射影加群は平坦なことから、次の大きい可換図式で各行列が完全なものが得られる:
\begin{CD} @. 0 @. 0 @. 0 @. \Tor_1^A(Z,M) = 0\\ @. @VVV @VVV @VVV @VVV \\ 0 @>>> \Hom_A(\Tr M,X) @>>> X \otimes_A P_1 @>>> X \otimes_A P_0 @>>> X \otimes_A M @>>> 0\\ @. @VVV @VVV @VVV @VVV\\ 0 @>>> \Hom_A(\Tr M,Y) @>>> Y \otimes_A P_1 @>>> Y \otimes_A P_0 @>>> Y \otimes_A M @>>> 0\\ @. @VVV @VVV @VVV @VVV\\ 0 @>>> \Hom_A(\Tr M,Z) @>>> Z \otimes_A P_1 @>>> Z \otimes_A P_0 @>>> Z \otimes_A M @>>> 0\\ @. @. @VVV @VVV @VVV \\ @. @. 0 @. 0 @. 0 \end{CD}
これに蛇の補題を適応できる(左下から右上に蛇が伸びる図)が、ここで$M$が平坦という仮定から、一番右上はゼロになので(Torは知らなければ無視してよい)、次の完全列が得られる:
\begin{CD}
0 @>>> \Hom_A(\Tr M, X) @>>> \Hom_A(\Tr M, Y) @>>> \Hom_A(\Tr M,Z ) @>>> 0
\end{CD}
これは$\Tr M$が射影的なことに他ならない!
ここのパートは、最後に述べる「$\Tr$が有限表示加群の安定圏の双対$\underline{\mod} A \simeq \underline{\mod} A^{op}$を与える」ことを認めれば、安定圏で$M \cong \Tr \Tr M = 0$となるので$M$が射影的、と示せます。がここでは安定圏の知識を仮定しないので、直接示すことにします。
$M$の有限表示
\begin{CD}
P_1 @>>> P_0 @>>> M @>>> 0
\end{CD}
をとると、$\Tr M$の定義により
\begin{CD}
P_0^* @>>> P_1^* @>>> \Tr M @>>> 0
\end{CD}
が完全となる。左の射の像をとって$\Omega \Tr M$とおき、これを短完全列と全射に分解しよう:
\begin{CD}
@. P_0^* @>>> P_1^* @>>> \Tr M @>>> 0 \\
@. @VVV @| @|\\
0 @>>> \Omega \Tr M @>>> P_1^* @>>> \Tr M @>>> 0\\
@. @VVV\\
@. 0
\end{CD}
今$\Tr M$が射影的だったので、右の全射$P_1^* \surj \Tr M$は分裂しており、すなわち下の短完全列は次の形の分裂短完全列と同型である:
\begin{CD}
0 @>>> Q @>>> Q \oplus \Tr M @>>> \Tr M @>>> 0
\end{CD}
すなわち$Q \cong \Omega \Tr M$も射影的なので、$P_0 \surj \Omega\Tr M$も分裂全射である。よって結局、上の可換図式は下の形となる(射は全て直和因子についての自然な包含や射影)
\begin{CD}
@. Q \oplus Q' @>>> Q \oplus \Tr M @>>> \Tr M @>>> 0 \\
@. @VVV @| @|\\
0 @>>> Q @>>> Q \oplus \Tr M @>>> \Tr M @>>> 0\\
@. @VVV\\
@. 0
\end{CD}
つまり、$\Tr M$の有限表示を与えていた射$P_0^* \to P_1^*$は、次のように行列表示される射と同型である:
$$
\begin{bmatrix}
1_Q & 0\\
0 & 0
\end{bmatrix}
\colon Q \oplus Q' \to Q \oplus \Tr M
$$
ここで、後でやる補題により$P \cong (P^*)^*$という、有限生成射影的左加群$P$について自然な同型があるので、の間の加法圏の反同値を与えるので、$P_0^* \to P_1^*$に$(-)^*$をすると元の$P_1 \to P_0$へ戻る。すなわち$P_1 \to P_0$は次の射と同型である:
$$
\begin{bmatrix}
1_{Q^*} & 0\\
0 & 0
\end{bmatrix}
\colon Q^* \oplus (\Tr M)^* \to Q^* \oplus (Q')^*
$$
この射の余核が$M$だが、上の表示によりそれは$(Q')^*$と同型、つまり射影加群となる。よって$M$が射影加群なことが示された。
可換図式を追っかけるだけの楽しい証明でしたね。投げていた補題を述べるだけ述べます。
有限生成射影的左$A$加群$P$に対し、同型$P \cong (P^*)^*$があり、この同型は$P$について自然である(これにより有限生成射影的左$A$加群のなす圏と、有限生成射影的右$A$加群のなす圏との反変同値が得られる)。
一般に左$A$加群$M$について自然な準同型$M \to (M^*)^*$がある(線形代数を思い出そう!)が、この自然変換に$A$を代入すると同型なので、$A$の有限直和やその直和因子を代入しても同型であることから従う。
加群のtransposeは便利です。
上で注意したように、$\Tr$は加群圏の間の関手とはなりません。が、射影安定圏$\underline{\mod} A$を考えることで、関手となり、しかも反変同値を与えます:
$$
\Tr \colon \underline{\mod} A \simeq \underline{\mod} A^{op} \colon \Tr
$$
ここで$\mod A$は有限表示加群のなす圏であり、$\underline{\mod} A$は「$\mod A$の射のうち、射影加群を経由する射で割った、加法圏のイデアル商」です。
この事実は多元環や可換環の表現論で非常に重要です。またこのtransposeにはAuslander-Bridger tranposeという名前がついており、現代の最先端の研究でも様々に応用され用いられています。
一番楽しかったところは蛇の補題を使ったところだと思います。これについては、自分は次の論文でこのテクニックを知りました:
H. Krause, A short proof for Auslander’s defect formula
この論文は、本記事で用いたものより一般的な状況で議論を行っていて、それを用いてAuslanderのdefect forumulaと呼ばれる有用な公式の短い証明を与えるものです。