代数学を学んでいると,しばしば「普遍性(universality)」という概念に出くわします.最初のうちは自然に構成された代数的対象の一性質に過ぎないと思っていたのに,いつしか対象自体(の構成法)と普遍性との主従関係が逆転しているように感じられた方も多いのではないでしょうか.
少し専門的な代数学(群論でも環論でも)の本を読み始めると,しばらくのちに「普遍性(universality)」という概念と出会うことでしょう.ぼくの場合は可換環論でしたから,最初は剰余環の普遍性,続いて剰余加群の普遍性と出会いました.
ここまでは良かったのですが,問題は次にテンソル積の普遍性が現れたときでした.「これは何?」とぼくは思いました. テンソル積を作るのにも苦労したけれど/したのに,それが普遍性によって特徴づけられる(同型を除いて一意的に決定される)というのはどういうことなのか,今ひとつよくわかりませんでした.
試しに,剰余環,及び剰余加群の普遍性を書き下してみましょう.
$A$ を可換環,$I$ を$ A$ のイデアルとし,$p : A \to A/I$ を自然な全射とする.環準同型 $f : A \to B$ の核が $I$ を包む,すなわち $I$ の任意の要素を $0$ に写すならば,環準同型 $g : A/I \to B$ で $f = g \circ p$ を充たすものがただ1つ存在する.
$A$ を可換環,$M$ を $A$ 加群,$L$ を $M$ の $A$ 部分加群とし,$p : M \to M/L$ を自然な全射とする.$A$ 線型写像 $f : M \to N$ の核が $L$ を包む,すなわち $L$ の任意の要素を $0$ に写すならば,$A$ 線型写像 $g : M/L \to N$ で $f = g \circ p$ を充たすものがただ1つ存在する.
ここまでは「うん,そうだな」と素直に読めました.「剰余環/剰余加群とは何か」をしっかり認識していたからでした. また,$p$ や $f$ や $g$ が総て同じ種類の写像であったことも助かりました.それが,テンソル積の普遍性になると次のようになります.
$A$ を可換環,$M$,$N$ を $A$ 加群とし,$p : M \times N \to M \otimes N$ をテンソル積の構造射とする.任意の $A$ 双線形写像 $f : M \times N \to X$ に対し,$A$ 線型写像 $g : M \otimes N \to X$ で $f = g \circ p$ を充たすものがただ1つ存在する.
いきなり話が複雑になった感じがします. 直和や直積の普遍性も, 同様の複雑さがあるのかもしれません.
加えて, テンソル積の場合は構成法がわかりにくいというネックがあります.それなのに,普遍性のゆえに,テンソル積が(同型を除いて)一意的であることは形式的に導けてしまうのです.これはとても奇妙で,なんとも腑に落ちない体験でした.
このあたりの事情がすんなりと飲み込めるようになったのは,圏論という道具を日常的に使うようになった頃でした.圏論という道具は,今や数学全体を塗り替えんとする勢いで発展を遂げています.細かいことも高度なことも解らないへっぽこユーザーの一人ですが,ぼくの感じている圏論の発想を一言でまとめると「いかに振る舞うかが対象を特徴づける」となるでしょうか.
詳細はばっさり省きますが,圏は対象とその間の関係(射)からなります.そして圏論では, あらゆる性質が(他の対象との関係である)射によって記述されます. ここでは対象がどんな存在かはほとんど斟酌されません.
集合論(を基礎とする数学)が対象を中心とし, 写像を始めとする道具は対象の構造を調べるためにありました. 圏論ではこの主従関係が反転して, 対象自体の内部構造はさほど斟酌せず(場合によっては内部構造すら射によって再表現され得る), 対象同士の相互関係こそが主たる観察対象になるのです.
集合を基礎とする観点を「それは何か?」と表現するならば,圏を基礎とする観点は「それはどう振る舞うか?」と表せるかもしれません.
圏論的視点から考えると,普遍性の主張は各々の対象を圏論的に再定義していると言えます.つまり「斯様に振る舞うだろう」と期待される性質を(射を用いて)表現したのが普遍性と言えるのです.
このような定義法の利点をひとつ挙げるならば,(存在するとは限らないが)存在したら有力な概念を抽出できることでしょう.これは,存在の成否を棚上げして性質を論じる圏論的定義の強みです.
いかに素晴らしい概念でも, 存在しなければ意味は少ないかもしれません.しかしm,抽象的な概念になればなるほど,その構成には適切な方向感覚が必要になります.そのとき「何であるべきか」が予め明文化されていることはとても大切なことです.「何であるべきか」がわかっていれば,構成(存在証明)もさることながら,非存在をも断じることが可能になります.
存在しない可能性がある対象をどう特徴づければよいか.それはやはり「それが持つべき性質」に頼る他ありません.その有力な主張の1つが「普遍性」というわけです.