本記事(シリーズ)は,筆者による独自解釈が強めの記事です.参考文献を挙げるべしという指摘はごもっともですが,お応えできません.小説か随筆のようなものとしてお読みください.
また,筆者は非常に怠惰な人間であり,これまでに始めたブログ等は数知れず,しかし,今に至るまで続いているものは一つもありません.つまり,本シリーズはいつ終わるかわかりません.
以上のことをご理解いただいたうえでお読みください.
フランス史上の最重要年号と言っていいだろう.あるいは,
言うまでもなく,フランス革命が始まった年号である.
当時のフランスは財政的に破綻寸前の状況であった.聖職者や貴族のほとんどは,それを自力で解決しようとは考えず,平民への徴税をより過酷にすることで対応しようとした.それに反対した平民が,まともな統治をしてほしい(あるいは自分たちでそのような統治をしたい)と考えて始まったのがフランス革命である.
その後何十年かのフランス史は非常に濃密だが,それを語るには余白も足りず,場違いでもあり,そもそも私の知識も足りないので,やめておこう.
ここで注目したいのはフランス革命暦である.
フランス革命暦をかいつまんで説明すると,このようなものだ.
如何にも「理性的」という感じがする(「理性的」の解説は後ほど).
もしも人類が今の
よりも,随分とわかりやすいことだろう.
しかし我々には,この時間感覚が染みついてしまっているから,今さら変える気にはなれない.
その感覚は,当時も似たようなものだろう.現代社会ほど時計が普及していなかったとしても.
それにもかかわらず,どうしてフランス革命暦が採用されたのか?その答えを簡単に言えば,当時の特権階級(聖職者)に対する反発が大きかったからだ.
そもそも
話を戻して,フランス革命の根底には,聖職者や貴族の横暴を許すまじという精神が流れている.フランス革命暦が採用された当時(
しかしキリスト教と絶縁するといっても,キリストに代わって,人々は何を信じればよいのだろうか?
明治の日本のとある天才は「武士道」と答えるかもしれないが[2],フランスはさにあらず.
この時代のフランスに流れていた思想といえば,モンテスキュー,ヴォルテール,ルソーに代表される啓蒙思想だ.
当時の人々は,権威や伝統,キリスト教によって大きく制約を受けていた.それに対して,自分の行動や職業などを「理性的に」選択した方が,自分の人生をより豊かにすることができ,ひいては社会全体をより良く発展させられる,と考えるのが啓蒙思想・理性主義と呼ばれる考え方である.
もう少し端的に言えば,啓蒙とは,教会や貴族から都合よく搾取されるだけの人々を,その無知蒙昧な状態から解放することである.より具体的には「権威に服属するのではなく,理性的に世界を見て,知り,活動せよ」という思想だと言えよう.
ここまで述べたように,フランス革命暦は,理性主義の帰結の一つである.
しかし私は疑問に思う.当時革命暦を採用した人々は,なぜ
例えばだ.
ここまでの主張を端的にまとめると,こうだ.
当時の生活習慣を無視してまで進めた「理性主義」は,
この問いは言い換えれば「
現代的な価値観から言えば,
では,
では,フランス革命の当時の政府(ジャコバン派)は,どうして
答えはシンプルで,我々の両手の指が
文明ができるよりも遥か以前に,人類は,
そうすれば
我々にとって
とはいえ,これを「理性的」と呼んでいいか否かは別問題である.
私が思うに,もしもジャコバン派がもう少し理性的であれば,
一方で,もしジャコバン派が理性的の「極み」にあったとするならば,フランス国民に対して「
ただ,歴史を見れば結論は簡単だ.ジャコバン派は理性的ではない.気に食わない政敵をどんどこギロチン送りにして,最後は自分たちもギロチンにかけられているのだから.
理性的な人間が,あれだけの恐怖政治をして,「テロ」の語源になるような真似をするだろうか?[5]ここでは非常にシンプルに,ジャコバン派はアホだったと結論づけたい.
最後に,覚えておいてほしいことをまとめておく.
もし地球外生命体で,両手の指の本数が
注釈で記したアフォーダンス理論から考えて,彼らは自然に
それが良いのか悪いのかはさっぱりわからないが,そんな仮定を置いたSF小説があれば,見てみたい気もする.
ちなみに地球で言えばタコである.タコは動物の中でも知能が高い方だとよく知られている.
もしヒトが存在しなくて,タコが地球の覇者となることがあれば…….いや,タコは肉食だからそもそも人間のような文明発達をし得ないだろう.この妄想は却下だ.[6]