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クラスの扱いについて

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初学者が調べた内容をまとめただけなので、間違いを含む可能性が大いにあります。ご注意ください。

ベーシック圏論3.2.

数学の多くの分野では、扱う対象を集めてひとまとまりと見做す方法として「集合」を用います。
しかし、稀に集合サイズでは収まらないような集まりについて考えたくなることがあります。そのために、クラスというものを考えたくなります。

集合ではないクラスの例として最も有名なものは、「集合全体の集まり」です。これが集合だとすると、(集合全体の集まり)$\in$(集合全体の集まり)となってしまい、(公理系次第ではあるのですが)色々と不都合なことが起こります。

圏論では、圏において対象の集まりや射の集まりが集合にならないことがあります。そして、これらが集合になるかどうかが重要になる場面があります。
そのため、圏で使われている集まり(クラス)のうち、どの部分が集合になっているかを表す用語があります。

小圏、局所小圏、本質的小圏

$\mathscr C$についての用語を以下のように定める。

  • $\mathscr C$の射全体の集まりが集合であるとき、$\mathscr C$小圏であるという。
  • $\mathscr C$の各対象$A,B \in \mathscr C$について、$\textrm{Hom}_{\mathscr C}(A,B)$が集合であるとき、$\mathscr C$局所小圏であるという。
  • $\mathscr C$と圏同値な小圏が存在するとき、$\mathscr C$本質的小圏であるという。

小圏であれば本質的小圏であり、更に本質的小圏ならば局所小圏になります。
また、各対象に対して恒等射が存在するので、対象の集まりが集合にならなければ射の集まりも集合にならず、従って小圏になりません。

小圏、局所小圏、本質的小圏の例
  • 対象が1つで射が恒等射の圏$\mathbb 1$は、明らかに小圏である。
  • 対象が集合全体のクラスで、どの対象間にも唯一の射をもつ圏は、$\mathbb 1$と圏同値なので本質的小圏である。しかし、対象の集まりが集合にならないので小圏ではない。
  • 集合の圏$\textrm{Set}$は、各対象$A,B$について$\textrm{Hom}_{\textrm{Set}}(A,B)$が集合になるため、局所小圏である。しかし、$\textrm{Set}$の骨格(濃度全体の圏など)が小圏にならず、従って$\textrm{Set}$は本質的小圏にはならない。
  • モノイドを圏とみなせることを用いて、対象が1つであり、全ての集合を射として持ち、射の合成を演算$\cup$によって定義すると、これは局所小圏にすらならない。

集合の圏$\textrm{Set}$は、濃度が異なるものが同型になり得ないので、濃度全体の集まりが集合となるほどに小さくないことから、本質的小圏にはなりません。
同様にして、群の圏$\textrm{Grp}$や位相空間の圏$\textrm{Top}$も、各($0$でない)濃度に対してその濃度を台集合にもつ群や位相空間が存在するので、これらの圏も本質的小圏にはなりません。

小圏全体の圏

全ての小圏を対象にもち、全ての小圏間の関手を射にもつ圏を$\textrm{Cat}$と表す。

小圏$C,D$間の関手$F$は、$\textrm{Mor}(C)$から$\textrm{Mor}(D)$への写像として決定づけられます。$\textrm{Mor}(C)$$\textrm{Mor}(D)$は集合なので、$\textrm{Hom}_\textrm{Cat}(C,D)$は集合となり、従って$\textrm{Cat}$は局所小圏にはなります。

集合論におけるクラスの扱い

通常、数学の議論をするにあたって、特に断りがなければ$ZFC$を公理とするのが慣例となっています。しかし、$ZFC$公理系は集合論であり、本来集合ではない集まりなどは扱えないはずです。
ここで改めて、集合論においてクラスはどう扱われているのかを考えましょう。

$ZFC$などにおけるクラス

例えば$ZFC$において、クラスは「対象」として存在しません。なので、クラスを「1つの集合についての文(論理式)」として、ややメタ的に扱う、という手法を取ります。
例えば、集合全体のクラスは、「文$x=x$を満たすような集合全体のクラス」なので、文$x=x$そのものを集合全体のクラスとして扱います。
無限集合全体のクラスは、「文『$\mathbb N$から$x$への単射が存在する』を満たすような集合全体のクラス」なので、文『$\mathbb N$から$x$への単射が存在する』そのものを無限集合全体のクラスとして扱います。

しかし、$ZFC$公理系の文では「任意の集合$x$について~」などは扱えますが、「任意の文$P$について~」のような文は扱えません。クラスは文そのものとみなしていたので、「任意のクラス$C$について~」のような文も扱えないことになります。
これの致命的な点として、例えば圏論で用いる「任意の(小圏とは限らない)圏について~」という文は、$ZFC$では扱えません。小圏でない圏については、例え全く同じ証明方法だとしても、厳密にはそれぞれ個別に証明を行う必要が出てきます。

また、この手法だとクラスは「集合の集まり」止まりであり、例えば「集合の集まり」の集まりはクラスではありません。なので、小圏でない圏の間の関手はクラスとして扱えますが、それらを集めた関手圏は$ZFC$では(対象としても文としても)扱えません。

$NBG$などにおけるクラス

集合論におけるクラスの扱いの1つの解決策として、集合とクラスまでを扱えるように集合論を拡張するという手法があります。このような集合論を二階集合論といい、具体例を挙げると$NBG$$MK$などの体系があります。
二階集合論ではクラスの量化ができるので、「任意のクラスについて~」のような文が扱えます。
しかし、依然として$NBG$などの二階集合論上では、クラスの集まりは1つの対象としては扱えません。

二階集合論でも、クラスについての文をクラスの集まりとみなす手法がとれます。しかし、この手法でクラスの集まりを扱うという手法はあまり用いられないようです。
また、仮にクラスの集まりも文として扱えたとして、結局もう一段階上のものが扱えません。例えば、「小さくない圏同士の関手圏」同士の関手圏などは扱えません。

$ZFCU$などにおける宇宙

クラスを扱うために、「基本的な集合操作に閉じた理想的な集合」の存在を課すことがあります。このような集合のうち有名なものとして、Grothendieck宇宙と呼ばれるものがあり、これの存在を仮定して集合論を行うことがあります。具体例を挙げると$ZFCU$$TG$などの体系があります。

$U$がGrothendieck宇宙ならば、$U$の元のみで$ZFC$などの集合論が展開できるので、疑似的に$U$の元のみを『集合』のように、$U$の部分集合のみを『クラス』のように扱うことができます。

改めて、$U$-圏というものを対象と射の集まりが$U$の部分集合($U$目線のクラス)になる圏とし、小圏や局所小圏の$U$上の類似物として$U$-小圏$U$-局所小圏を「$\mathscr C$の射全体の集まりが$U$の元($U$目線の集合)であるような$U$-圏」「$\mathscr C$の各対象$A,B \in \mathscr C$について、$\textrm{Hom}_{\mathscr C}(A,B)$$U$の元($U$目線の集合)であるような$U$-圏」として定義します。
すると、$U$-小圏とは限らない$U$-圏も集合なので、冪を取っても集合のままであり、結果として$U$-圏同士の関手圏や更にその関手圏も($U$-圏にはならないですが)小圏になります。

問題は、Grothendieck宇宙の存在を仮定すると、通常の数学である$ZFC$では示せないことも示せてしまうという点です。なので、Grothendieck宇宙を使って示した定理は、$ZFC$を公理とする場合は使ってはいけません。
(二階集合論の$NBG$はその点で少し特殊で、一階集合論でも表せる$NBG$の定理は、$ZF$の定理にもなることが知られています。)

まとめ

集合論のクラスの扱い方は、筆者が知る限りは主に以下の3つとなります。

  • $ZFC$などの一階集合論上で、厳密にはただの論理式として扱う。
  • $NBG$などの二階集合論上で、具体的な対象として扱う。
  • Grothendieck宇宙などの、1集合内で集合論が完結するような理想的な集合の存在を仮定する。

既に記した通り、いずれもメリットやデメリットがあります。

いずれの場合にも言えることとして、あくまでクラスは「集合の集まり」であり、「「集合の集まり」の集まり」などは基本的にクラスと呼びません。
Grothendieck宇宙を用いる手法ならこのようなものも対象として扱えはしますが、その場合もやはり「「$U$の元の集まり」の集まり」を$U$のクラスとは見做しません。

集合操作とクラス操作

数学でよく用いられる集合操作は、交叉、和集合、非交和、直積、冪、同値類による商集合などがあります。しかし、これらはクラスでも用いることができるのでしょうか?

上で挙げたどの流儀でも、クラスの交叉、和集合、非交和、直積は行えます。しかし、冪集合と同様に「冪クラス」を定義することはできません。例えば集合全体のクラスを$V$とすると、$P(V)$は集合でないものも集めてしまっているので、クラスにはなりません。

同値類に関する注意

集合$X$と、その上の同値関係$R$を定めてやると、各$x \in X$に対して$\{y \in X \mid x R y\}$という集合が得られます。これは、$X$上の$x$$R$-同値類と呼ばれます。
また、$X$上の$R$-同値類全体の集合$\{\{y \in X \mid x R y\} \mid x \in X\}$は、$X$$R$-商集合と呼ばれます。

同じように、クラス$C$と、その上の(クラス)同値関係$R$を定めてやると、各$x \in C$に対して$\{y \in C \mid x R y\}$という「クラス」が得られます。これは、$C$上の$x$$R$-同値類として扱えます。
問題はこれらを集めて商集合のクラス版を作ろうとした場合です。$C$上の各$R$-同値類は、クラスではあるものの集合であるとは限りません。従って、それらの集まりである$X$$R$-商"集まり"$\{\{y \in C \mid x R y\} \mid x \in C\}$は、クラスになるとは限りません。

例えば、集合全体のクラス$V$について、濃度とは「全単射の存在」という同値関係$R$を用いて$V$上の$R$-同値類として定義することができます。しかし、この定義では「濃度全体の集まり」は集合でないクラスになります。
(そのため、現代では濃度は別な定義を用いることが主流となっています。)

$R$-同値類が全て集合となる場合、$R$-同値類を全て集めたものはクラスになるので、これを$R$-商クラスとして扱うことができます。

大域選択公理

同値類に関連する話題として、各同値類から1つずつ代表元を選択して、それらの集合として完全代表系を構成する、というものがあります。
集合の場合、一般的に代表元を1つずつ取ってくる操作として、選択公理というものがあります。

選択公理

任意の「空でない集合」の族$\mathcal A$について、写像$f : \mathcal A \to \bigcup \mathcal A$であり、任意の$x \in \mathcal A$について$F(x) \in x$を満たすものが存在する。
この主張を選択公理という。

同様に、各同値類が集合になるようなクラス上の同値関係において、各同値類から代表元を選択して、それらを集めたクラスとして完全代表系を構成する、ということができそうです。
しかし、集合の場合と同様、クラスにおいて完全代表系を取るためにはクラスについての選択公理が必要になります。

大域選択公理

「空でない集合」全体のクラス$V \setminus \{0\}$について、クラス写像$F : V \setminus \{0\} \to V$であり、任意の$x \in V \setminus \{0\}$について$F(x) \in x$を満たすものが存在する。
この主張を大域選択公理という。

「空でない集合」の(集合サイズの)族に対して言及している選択公理に対して、「空でない集合」の(クラスサイズの)族に対して言及しているのが大域選択公理です。
(「空でない集合」の(クラスサイズの)族のうち、最も大きいものが$V \setminus \{0\}$なので、これについてのみの言及で十分です。)
大域選択公理はクラスについての量化がされている文なので、$ZFC$などの一階集合論では扱えず、$NBG$などの二階集合論において重要になります。

$NBG$において、選択公理から大域選択公理は導けますが、逆は示せないことがわかっています。
つまり、クラスについて扱う場合に、選択公理では足りずもう少し強い公理が必要になる場合があります。
クラスについて扱う議論では、暗にこの大域選択公理までを認めている場合が多いです。ベーシック圏論の3章2節では、3章までの議論で大域選択公理を暗に認めて議論していると脚注にて述べられています。

圏同値と忠実充満本質的全射

大域選択公理を暗に課している命題として、以下があります。

忠実充満本質的全射な関手

$\mathscr C, \mathscr D$を(対象、射の集まりが集合とは限らないクラスとなる)圏とし、$F$$\mathscr C$から$\mathscr D$への関手とする。
$F$が忠実かつ充満かつ本質的全射ならば、$F$は圏同値をなす関手である。

圏論の序盤に紹介される有名な命題ですが、実はこれは大域選択公理を含意します。
また、この命題の証明には暗に(本質的全射性から$\mathscr D$の対象$y$に対して$F(x) \simeq y$となる$\mathscr C$の対象$x$を選ぶ際に)大域選択公理が用いられるので、両者は同値です。

命題3から大域選択公理を証明してみましょう。(証明は参考文献2より引用)

命題3 ⇒ 大域選択公理

$\textrm{Set}^*$を、空でない集合とその元の組を対象とし、対象$(X,x),(Y,y)$に対して$X$から$Y$への($x,y$に関する条件は特に課さない)写像を$X,Y$間の射とし、写像の合成を射の合成とみなすことで定める。
$\textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}$を、空でない集合を対象とし、対象間の写像を射とし、写像の合成を射の合成とみなすことで定める。

関手$F : \textrm{Set}^* \to \textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}$を、対象については$F((X,x)) := X$とし、射については$F(f) := f$とすることで定める。まずはこの関手が忠実充満本質的全射であることを示そう。
任意の$\textrm{Set}^*$の対象$(X,x),(Y,y)$と任意の$\textrm{Set}^*$の射$f,g : (X,x) \to (Y,y)$について、$F(f) = F(g)$ならば明らかに$f = F(f) = F(g) = g$なので、$F$$\textrm{Hom}_{\textrm{Set}^*}((X,x),(Y,y))$から$\textrm{Hom}_{\textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}}(F((X,x)),F((Y,y)))$への単射であり、従って忠実である。
任意の$\textrm{Set}^*$の対象$(X,x),(Y,y)$と任意の$\textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}$の射$f : F((X,x)) \to F((Y,y))$について、$F(f) = f$なので、$F$$\textrm{Hom}_{\textrm{Set}^*}((X,x),(Y,y))$から$\textrm{Hom}_{\textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}}(F((X,x)),F((Y,y)))$への全射であり、従って充満である。
任意の$\textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}$の対象$X$について、$X$は空でないので元$x \in X$が存在し、$F((X,x)) = X$となる。従って、関手$F : \textrm{Set}^* \to \textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}$は対象について全射なので、特に本質的全射である。
(この元は存在を示しただけであり、空でない集合に対する元の"取り方"まで指定したわけではないことに注意せよ。つまり、ここでは選択公理や大域選択公理は用いていない。)

$F$は忠実充満本質的全射なので、圏同値をなす。つまり、関手$G : \textrm{Set} \setminus \{\emptyset\} \to \textrm{Set}^*$と、自然同型$\varepsilon : F \circ G \to \textrm{id}_{\textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}}$が存在する。
空でない集合$x$について、$G(x)$$\textrm{Set}^*$の対象である。$G(x) = (S_x,e_x)$とおくと、$e_x \in S_x$である。
また、$F \circ G(x) = F((S_x,e_x)) = S_x$であり、$\varepsilon_x$$F \circ G(x) = S_x$から$\textrm{id}_{\textrm{Set} \setminus \{\emptyset\}}(x) = x$への写像なので、$\varepsilon_x(e_x) \in x$である。
従って、クラス写像$C : V \setminus \{0\} \to V$$C(x) := \varepsilon_x(e_x)$とすることで、任意の空でない集合$x$について$C(x) \in x$を満たすクラス写像$C$が得られた。以上により、大域選択公理が成り立つ。□

このように、クラスを用いた一見自然に見える議論も、大域選択公理の仮定が必要な場合があります。

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