はじめに
圏論は数学の抽象的な構造を統一的に扱う道具であり、極限や余極限はその中核にある概念だ。しかし、射の集合を単なる「集合」として捉える通常の圏論の枠組みでは、時にこのモデルが物足りなくなる場面がある。もっと「豊かな」構造を射の間に考えたい——そんなときに登場するのが、豊穣圏(enriched category)だ。
豊穣圏では、射をモノイダル圏の対象として扱うことで、線形性や順序といった追加の構造を取り込むことができる。その中でも「weighted limit(重み付き極限)」は、豊穣圏の枠組みで極限を一般化した概念である。
weighted limitを定義できる豊穣圏論のベースとなるモノイダル圏は、とりわけ行儀の良いものになっている。
この記事では、より一般のモノイダル圏上の豊穣圏に対してweighted limitの定義について紹介し、米田の補題の計算やベースが行儀の良い場合との関係について観ていく。モノイダル圏および豊穣圏の定義をおさらいし、行儀の良いモノイダル圏上の場合のweighted limitを紹介する。
準備
モノイダル圏
まず、モノイダル圏論における基本事項について述べる。
モノイダル圏
圏上のモノイダル構造(monoidal structure over a category )とは、以下のデータからなる:
(1) テンソル積: 函手;
(2) 単位対象: 対象;
(3) 結合子: 自然同型;
(4) 左単位子: 自然同型;
(5) 右単位子: 自然同型;
これらのデータは、以下の公理を満たす:
(R1) 結合律: に対して以下の図式が可換となる:
(R2) 単位律: に対して以下の図式が可換となる:
これらの組をモノイダル圏(monoidal category)といい、をこのモノイダル圏の下部圏(underlying category)という。
代表的なモノイダル構造として、圏論的直積をテンソル積とするものがある。このようなモノイダル圏は特にカルテシアン圏(cartesian category)と呼ばれており、以下のような例がある:
- 1以上の整数全体と整数の整除関係の組などの、完備束の元とその間の順序関係により定まる圏,
- 集合とその間の写像のなす圏,
- 位相空間とその間の連続写像のなす圏
モノイダル圏に対して、積を反転して得られるモノイダル圏をの反転といい、で表す。
圏に対して、上の自己函手のなす圏は、函手の合成をテンソル積とし、恒等函手を単位対象としてモノイダル圏となるため、以後にはこのようなモノイダル構造が備わっているとみなす。
モノイダル函手
モノイダル圏に対して、からへのlaxモノイダル函手(lax monoidal functor from to )とは、以下のデータからなる:
(1) 函手構造: 下部圏の間の函手;
(2) 劣加法手: 自然変換;
(3) 単位手: の射;
これらのデータは以下の公理を満たす:
(R1) 結合律: 以下の図式が可換となる:
(R2) 単位律: 以下の図式が可換となる:
双対的に(との向きを逆にして)定義される関係をoplaxモノイダル函手(oplax monoidal functor)と呼ぶ。
特に、が自然同型なとき正規モノイダル函手(normal monoidal functor)といい、, がともに同型なとき強モノイダル函手(strong monoidal functor)、, がともに恒等なとき厳格モノイダル函手(strict monoidal functor)という。
以後、単にモノイダル函手と言った場合はlaxモノイダル函手を指すものとする。
モノイダル自然変換
モノイダル函手に対して、からへのモノイダル自然変換(monoidal natural transformation from to )とは、自然変換であって以下の図式がそれぞれ可換となる:
圏上のモノイダル構造は一意的ではない具体的な例として、可換環上の加群のなす圏上のモノイダル構造として以下の2つが挙げられる。
(1) 加群の直和をテンソル積とし、零加群を単位対象として得られるモノイダル構造
(2) 加群のテンソル積をテンソル積とし、整数からなる加法群を単位対象として得られるモノイダル構造
これらのモノイダル構造は、下部圏が圏同値だがモノイダル圏同値でない例である。
豊穣圏
以下、をモノイダル圏する。
豊穣圏
上の豊穣圏(category enriched over )、あるいは単に-圏(-category)とは、以下のデータからなる:
(1) 対象の集まり: ;
(2) 各対象に対して、の対象;
(3) 各対象に対して、の射;
(4) 各対象に対して、の射;
これらのデータは以下の公理をそれぞれ満たす:
(R1) 結合律: 各に対して、以下の図式が可換となる:
(R2) 単位律: 各に対して、以下の図式が可換となる:
豊穣圏に対して、をと表すこととする。特に、-圏の対象の集まりが特に集合となるとき、それは小さいといい、小さい-圏を-小圏という。
-圏の対象に対して、の射をからへの射として圏が定義できる。これをの下部圏と呼ぶこととする。
通常の圏論と同様に定まる-圏の双対圏は、-圏となる。
豊穣圏の間の函手
-圏に対して、からへの豊穣函手(enriched functor from to )、あるいは単に-函手(-functor)とは、以下のデータからなる:
(1) 対象の間の写像: (のにおける値をと表す);
(2) Hom対象の間の射: 各に対して、の射;
これらのデータは、以下の公理をそれぞれ満たす:
(R1) 合成を保つ: 各に対して、以下の図式が可換となる:
(R2) 恒等射を保つ: 各に対して、以下の図式が可換となる:
モノイダル圏(特にカルテシアン圏)の例として紹介した集合の圏だが、上の豊穣圏とは局所小圏のことであり、-函手とは通常の圏の間の函手の定義に一致する。
豊穣函手の間の自然変換
, を-圏、を-函手とする。
このとき、からへの豊穣自然変換(enriched natural transformation from to )、あるいは単に-自然変換とは、の射の族であって、次の図式が可換となる:
-圏からへの-函手とその間の-自然変換のなす圏を、で表す。
特に、ベースとなるモノイダル圏が文脈から明らかな場合は、と略記する。
weighted limitについて
アイディア
通常の圏論における極限・余極限は、対角函手の左随伴および右随伴として特徴づけられるが、一般のモノイダル圏上の豊穣圏論では、対角函手が標準的に定義できないため、別の定義を採用する必要がある。
ここで、通常の圏論における図式の極限は同型
により、函手の表現として特徴付けれるため、を一般の函手とすることで、におけるので重み付けられたweighted limitは、函手の表現として定義できる。これを一般のモノイダル圏上で定義するために、次の課題を解決する必要がある:
- 函手とは? (は一般に-圏でないため、先の-函手の定義は使えない)
- 函手圏をどう定義すれば、適切にの表現を考えられるか?
これらは、を完備かつ余完備な対称閉モノイダル圏(complete and cocomplete closed symmetric monoidal category)とすれば解決する。
完備かつ余完備な対称閉モノイダル圏上でのweighted limit
モノイダル圏が対称閉であるとは、について自然な同型と、函手が備わっており、以下の公理をそれぞれ満たす:
(R1) ;
(R2) 以下の図式が可換となる:
(R3) 任意のに対して随伴が成り立つ。以後、を完備かつ余完備な対称閉モノイダル圏とする。をHom函手として、-圏となるため、以後これらは区別しないものとする。通常の函手の函手圏のEndによる特徴づけ
と同様に、豊穣函手に対してとしてを定義することで、は豊穣圏となる。これらから、-圏におけるweighted limitは、次のように定義される。-函手に対して、ので重み付けられた極限(weighted limit over with )を、-函手の表現として定義する。
すなわち、について自然な同型
が成り立つような対象のことである。双対的に、ので重み付けられた余極限(weighted colimit over with )を、-函手の表現として定義する。すなわち、について自然な同型
が成り立つような対象のことである。Kan拡張
極限を用いた、各点右Kan拡張の具体的な結果について紹介する。
Kan拡張
,,を-圏とし、, を-函手とする。に沿ったの左Kan拡張(left Kan extension of along )とは、-函手と-自然変換の組であって、以下の普遍性を満たすものである:
- -函手と-自然変換の組に対して、一意的な-自然変換が存在して、と分解できる。
他方、に沿ったの右Kan拡張(right Kan extension along )とは、-函手と-自然変換の組であって、以下の普遍性を満たすものである: - -函手と-自然変換の組に対して、一意的な-自然変換が存在して、と分解できる。
通常の圏論であれば、函手について、が小圏かつが余完備なとき、左Kan拡張は各ごとに以下のように計算できる:
すなわち、とについて自然な同型
が成り立つ。他方、が小圏かつが完備なとき、右Kan拡張は各ごとに以下のように計算できる:
すなわち、とについて自然な同型
が成り立つ。これらは各点Kan拡張と呼ばれる計算について、一般の豊穣圏においても、先に定義したweighted limitおよびweighted colimitにより、次のように計算できる:-函手, に対して、各点左Kan拡張の定義より、について自然な同型
が成り立つため、である。これは、について自然な同型であるため、余極限の存在性と各点左Kan拡張の存在性は同値である。