多変数複素解析・複素幾何で大事になる(強)多重劣調和関数をご存知でしょうか.
$\mathbb{C}$ の領域 $D$ で定義された上半連続関数 $\varphi\colon D\to\mathbb{R}\cup\{-\infty\}$ が劣調和であるとは,$D$ に含まれる任意の閉円板 $\bar{D}(a,r)$ において平均値不等式
$$\varphi(a)\leqslant\frac{1}{\pi r^2}\int_{D(a,r)}\varphi(z)d\lambda$$
が成り立つことをいう.
一般の複素多様体に対しては次のように定義します.
複素多様体 $X$ 上の上半連続関数 $\varphi\colon X\to\mathbb{R}\cup\{-\infty\}$ が多重劣調和 (plurisubharmonic) であるとは,任意の開集合 $D\subset\mathbb{C}$ からの正則写像 $u\colon D\to X$ に対して $\varphi\circ u$ が $D$ 上の劣調和関数になることをいう.
こうして定義される多重劣調和関数ですが,$C^2$ 級の場合には次のように特徴付けられます.
$\varphi$ を $C^2$ 級関数とする.このとき $\varphi$ が psh であることと、複素ヘッシアン $(\partial^2\varphi/\partial z_j\partial\overline{z}_k)_{j,k}$ が半正定値であることは同値である.ただし $(z_j)$ は $X$ の任意の正則局所座標である.
この命題をもとに「psh 関数は複素幾何におけるある種の凸性を表す」と言われたりします.
「半正定値」を「正定値」に置き換えることで強多重劣調和関数 (spsh) の概念が定義される.
なお,恒等的に $-\infty$ でないような psh 関数 $\varphi$ は局所可積分なので,常に超関数の意味で微分できる.上の命題も超関数の意味で(半)正にすることでそのまま成り立つ.
$\mathbb{C}^n$ 上の関数 $|z_1|^2+\dots+|z_n|^2$ は psh 関数である.複素ヘッシアンを計算すれば,それは対角行列である.
実は $\log(|z_1|^2+\dots+|z_n|^2)$ も psh 関数である.これは原点で $-\infty$ をとる.
psh 関数は色々な性質を持ちますが,ここでは特に最大値原理に注目しましょう.
$\varphi\in{\rm Psh}(X)$ とする.ある点 $p\in X$ において $\varphi$ が最大値をとれば,$\varphi$ は定数である.
$X$ をコンパクト複素多様体とすると,${\rm Psh}(X)=\mathbb{C}$ である.
上半連続関数はコンパクト空間上で最大値をもつ.ゆえに上の定理から定数のみである.
psh 関数は正則直線束の正値性と深く関連しています.次にそれを紹介しましょう.
コンパクト複素多様体 $X$ 上の正則直線束 $F$ が正であるとは,ある滑らかなエルミート計量 $h$ が存在して,条件:任意の正則局所枠 $s$ に対して $-\log|s|_h$ は強多重劣調和になる,をみたすことをいう.
$F$ が負であるとは,上の条件で $-\log|s|_h$ を $\log|s|_h$ に置き換えたものがみたされることをいう.これは $F^\ast$ が正であることと同値である.
言い換えれば,局所枠 $s$ を $h$ で測ったものを $|s|_h=e^{-\varphi}$ のように表示するとき,肩の $\varphi$ が強多重劣調和になることをもって正値性を定義します.
補題を一つ準備します.
正則直線束 $F$ の二つのエルミート計量 $h,h'$ に対して $\psi\in C^\infty(X)$ が存在して $h=e^{-\psi}h'$ が成り立つ.
証明はほぼ明らかです.次の命題は LeeCM の演習問題 9.10 です.
コンパクト複素多様体上の正則直線束が正かつ負になることはない.
背理法で示す.$h_+$ を正の計量,$h_-$ を負の計量とする.補題 3 から $h_+=e^{-\psi}h_-$ とかける.正則局所枠を測れば,$\varphi_+=\psi+\varphi_-$ となっている.すなわち $\psi=\varphi_+-\varphi_-$ だが,右辺は psh だから定理 2 により定数である.よって矛盾.
このように,正値性に絡んだ命題には psh の性質が生きる場合があります.(LeeCM で psh が紹介されていないのが残念です.)
最後に,お話程度に,正の正則直線束についての話題:小平消滅定理を紹介します.
「矢野・Bochner の『Curvature and Betti numbers』という本の真似をしてコホモロジー群 $H^q(X,\Omega^p(F))$ が消える条件を求めることを思いつきまして...」といった経緯で見つけられたのが次の定理です.
$F$ を $n$ 次元コンパクト複素多様体 $X$ 上の正の直線束とする.$q\geqslant 1$ に対して $H^q(X,\Omega^n(F))=0$ である.
小平先生の証明は調和積分論 (Hodge 理論) に基づくものですが,のちに Hörmander や Andreotti-Vesentini の仕事をもとに,現代の多変数複素解析学で $L^2$ 理論と呼ばれる手法での証明が得られています.興味のある方は原論文 Kod (Theorem 2) や Demailly 先生の教科書 Dem (Theorem XIII.5.5, VIII.5.6) などを参照してみてください.