本稿は大学生の早い段階で習う位相空間の限界を示し、革新的転換の可能性として現代数学として急速に発展する凝縮数学を紹介するものです。しかしホモトピーなどの位相空間の数学を全否定するものではなく、あくまでその進化の可能性として注目される数学を紹介するものです。
また本稿は初学者用と勉強した人用のふたつの説明に分かれている。また今回初学者向けでは非常に専門的な内容を噛み砕いいているため数式はほとんど使わない。
目次
第1章 導入
(1) 数学者の100年の悩み
(2) 代数と解析の不和
(3) 2人の数学者の対話
(4) 本稿の伝えたいこと
第2章 位相空間とは-その限界
(1) 位相空間とは
(2) 具体的な不和
第3章 グロタンディークが残したもの
(1) 層
(2) エタール位相
(3) プロ有限集合
第4章 凝縮数学の基本
(4) 位相空間を層に翻訳
(5) 翻訳の必要性
終章 位相空間の終わりか、始まりか
(1) 凝縮数学は位相空間の終わりか始まりか
(2) 基礎が変わるとは
(3) 次に読むべきもの
音楽のデータをコンピューターで扱うとき、私たちは波形を数値の列に変換する。連続的な音を離散的な数に翻訳するわけだ。数学者たちは100年以上、まったく同じことに悩んでいた。連続的な世界(解析学)と、離散的・代数的な世界(代数学)を、同じ言葉で語ることができないか。しかし大学のカリキュラムに組み込まれるほど洗練されていないのは確かなのである。なぜなら代数幾何は聞いた人が多いと思うが、代数解析は代数幾何ほど馴染み深いとは思えないでしょう。
今回は位相空間の基づく解析学と代数学では色々不自然に思えることを紹介します。
あの現代数学の巨人グロタンディークもこの不和に対して大きく苦戦したというのです。
しかしその不和を劇的に解消する方法が2018年から体系化されました。それが凝縮数学なのです。
凝縮数学は2018年にPeter Scholze(ペーター・ショルツェ、フィールズ賞受賞者)、Dustin Clausen(ダスティン・クローゼン、コペンハーゲン大学の数学者)の対話で産まれました。
凝縮数学の根幹となる集合の定義(名前こそなかったものの)は、実はScholzeが2013年にBhattと共同で書いた論文にすでに登場していました。しかしScholzeはその概念を深く理解しようとしたことがなかったと後に告白しています。彼は、位相空間からその集合への連続写像の集合を対応させる関手が存在することは知っていたものの、その関手が非常に広いクラスの位相空間に対して完全忠実であること、そして凝縮集合が位相空間の概念の真の改善版であることに気づいていなかったのです
2018年頃彼らは、位相という概念への従来のアプローチが、幾何学・関数解析・p進数という三つの数学的世界の間に非互換性をもたらしていること、しかし別の基礎を選べばこれらの断絶を橋渡しできることに気づき始めました。これら三つの分野のそれぞれに多くの結果が存在し、互いに類比的に見えるのに、まったく異なる概念を扱っているように見えてしまうという問題です。しかし位相を「正しい方法」で定義し直せば、理論間の類比が同じ「凝縮数学」の特例として現れると二人は提案しました。
余談:対話の後日談として最も劇的なのがこの場面です。理論の多くが、Scholzeが「液体テンソル積定理」と呼ぶ非常に技術的な証明の上に依存していましたが、その証明はScholzeとClausen自身でさえ正しいか確信を持てないほど複雑なものでした。
そこでScholzeは前代未聞の行動をとります。自分の証明が正しいかどうかを公開の場でコミュニティに検証させるという挑戦を提示したのです。これがLiquid Tensor Experimentの始まりです。
もちろん位相空間に基づく数学の進化系が生まれている現状を伝えたいということもありますが、違う考え視点を持つ人との交流を大切にして欲しいということです。凝縮数学は「天才が一人で閃いた」理論ではありません。Scholzeが持っていた「未消化の概念」と、Clausenが持っていた「圏論的直感」が出会ったことで、どちらか一方だけでは到達できなかった場所に辿り着いたのです。日々意見を交流し合うことの大切さを改めて胸に刻んで欲しいのです。
数学者は、図形の『本質』を取り出したかった。コーヒーカップとドーナツは、粘土でできていれば形を変えずに一方を他方に変形できる。このような『変形しても変わらない性質』を研究するために、19世紀末から20世紀初頭にかけて、数学者たちは位相空間という概念を発明した。ここでのポイントは、位相空間が「近さ」「つながり」「連続性」という直感を数学的に定式化したものだというです。そして様々な数学の世界に持ち込める広い抽象性も持っていました。
従来に位相空間上で生じる解析と代数の具体的な不和を紹介します。
位相空間X,Yの間の連続写像の集まり自体を位相空間として扱いたい時があります(連続的に変化する写像を考える時など)。つまり「写像の集まり」という代数学のものに「近さ」や「連続性」の解析学的概念を入れたいという欲求があるのです。しかし実はそのような概念を入れようとすると実は制限が生まれるのです。しかし一方で代数学ではそのような写像の位相空間(関数空間)は何の制限もなく自然に存在するのに...。しかもそのような代数に解析を入れ込んだ写像の位相空間は圏論においても扱いにくいものです。この制限の有り無しが数学の議論においての大きなネックとなりました。
位相空間の圏では、代数的に自然な操作(同値関係による商)と、位相的に自然な操作(極限)が衝突することがある。
実数直線$ \mathbb{R}$において、有理数 $\mathbb{Q}$で同一視する(つまり $\mathbb{R}/\mathbb{Q}$という商空間)を考える。
· 代数的には単なる集合の商だが、位相的にはこの空間は自明な位相(密着位相)になってしまう。なぜなら、任意の有理数による平行移動が稠密なので、開集合が極端に少なくなるから。
· その結果、この空間から実数への連続写像は定数関数しかない。つまり、代数的にはたくさんの構造があったのに、位相的な制約でほとんどすべての情報が失われてしまった。
代数学のベクトル空間のテンソル積の位相版を自然に定義できないという問題もあります(特に無限次元においては)。位相空間論ではベクトル空間に位相空間の構造を入れた位相ベクトル空間を考えます。しかしその位相ベクトル空間ではテンソル積複数存在し、一般に個別に異なる完備化を与えます。ゆえにグロタンディークが20種類以上の異なるテンソル積を考案せざるを得なかったという歴史的事実があります。
問題は位相空間という概念そのものにある。位相空間は『近さ』や『連続性』を捉えるには十分だが、代数の道具を持ち込もうとすると、その箱は少し形が歪んでいる。100年間、数学者たちはその歪みを修正しながら研究を続けてきた。ClausenとScholzeが気づいたのは、箱を修正するのではなく、箱そのものを作り直すという選択肢だった。
初学者向けには「精密な道具が使えない」と表現しましたが、正確には次のことが起きています。
位相アーベル群のなす圏$ \mathbf{TopAb}$ はアーベル圏ではありません。具体的には、全射な連続準同型$ f: A \to B$が余核の意味での全射、すなわちコイコライザーと一致しない場合があります。古典的な反例として、恒等写像$\mathrm{id}: (\mathbb{R}, \text{離散位相}) \to (\mathbb{R}, \text{通常位相})$
これは単なる技術的不便ではなく、導来関手・スペクトル系列・コホモロジーという20世紀代数学の主要装置が原理的に使えないことを意味します。$\mathbf{TopAb}$ 上では射影的分解も単射的分解も一般には存在せず、$\mathrm{Ext}$ や $\mathrm{Tor}$ を定義する標準的な方法が機能しません。
グロタンディークが1953年の博士論文で直面した問題は次のものです。
バナッハ空間 A, B に対して代数的テンソル積 $A \otimes_{\text{alg}} B$ は自然に定義されますが、これをバナッハ空間に完備化するためのノルムが一意に定まりません。グロタンディークは二つの極端なノルムを定義しました。一つは射影テンソル積ノルムそしてもう一つは単射テンソル積ノルムです。グロタンディークはこの博士論文の査読の間に「何種類のノルムが存在するか」を研究し、その成果が後の作用素空間論や量子情報理論に繋がりますが、代数的に「正しい」テンソル積が一つに定まらないという根本的問題は解消されませんでした。
アレクサンドル・グロタンディークは、20世紀最大の数学者の一人でありながら、晩年は突然数学界から姿を消し、南フランスの山村に隠遁した。
また印象的なのはなのはグロタンディーク的思考法である。「難しい問題」に直面したとき、多くの数学者は『どうすれば解けるか』を考える。グロタンディークが考えたのは『なぜこの問題が難しく見えるのか』だった。多くの場合、問題が難しいのは言語が間違っているからだ——彼はそう考えた。
グロタンディークの最初の大きな貢献として、層(sheaf)の概念を直感的に説明します
地図を思い浮かべてほしい。日本地図には各都市の人口・気温・標高などが記載されている。これは『空間の各点(都市)にデータ(人口など)を貼り付けたもの』だ。数学的に言えば、これが層の直感だ。層とは、空間の各部分に整合的にデータを割り当てるルールのことである。
注釈:
グロタンディークが気づいたのは、空間そのものを直接研究するより、その空間の上の層を研究する方が、はるかに豊かな情報が得られるということだ。空間を見るのではなく、空間の上に住むデータたちの関係性を見る。これは数学における視点の根本的な転換だった
位相幾何学には『被覆空間』という概念がある。螺旋階段が円を何重にも覆っているイメージだ。グロタンディークはこの『覆う』という関係性だけを取り出し、位相空間がなくても使える代数的な被覆の概念を作った。これがエタール位相だ。
例えばデジタルカメラで写真を撮るとき、解像度を上げれば上げるほど、実際の風景に近づく。有限個の画素の集合が、解像度を無限に上げる極限で連続的な画像に近づくイメージだ。プロ有限集合とはこのような『有限集合の無限の積み重ね』として得られる対象だ。
サイト $(\mathcal{C}, J)$ 上の層(sheaf)とは、反変関手$ F: \mathcal{C}^{op} \to \mathbf{Set}$ であって、任意の被覆族$ {U_i \to U}$ に対して以下が完全であるものです。
$F(U) \to \prod_i F(U_i) \rightrightarrows \prod_{i,j} F(U_i \times_U U_j)$
エタール位相は、スキーム$X$ に対してエタール射を被覆とするグロタンディーク位相です。
射 $f: Y \to X $がエタールであるとは、平坦かつ局所的有限表示かつ形式的非分岐(formally unramified)であること。
翻訳の鍵となるアイデアは、「空間を外から直接見るのではなく、そこへの訪問者を通じて間接的に見る」というものです。
具体的なイメージで考えましょう。ある建物(=位相空間 $X$)があるとします。この建物の構造を理解したいとき、直接図面を読む代わりに、様々な訪問者がどのようにこの建物に入れるかを調べる方法があります。
数学的には、「訪問者」としてプロ有限集合$S$ を使います。プロ有限集合とは前章で説明した「有限集合の無限の積み重ね」です。そして建物への「入り方」とは、$S$から$X$への連続写像のことです。
凝縮集合とは、この「訪問者と入り方の対応規則」そのものです。つまり
「どんな訪問者$S$を持ってきても、$S
$から$X$への入り方を教えてくれるルール」
これが凝縮集合の直感です。
抽象的な話が続いたので、最も身近な例として実数直線 $\mathbb{R}$を翻訳してみましょう。
実数直線の凝縮集合 $\underline{\mathbb{R}}$は、次のルールで定義されます。
「プロ有限集合$S$を持ってきたら、$S$から $\mathbb{R}$への連続写像の全体を返す。」
たとえば S として有限集合 $\{1, 2, 3 \}$(離散位相を持つ)を持ってくれば、$\underline{\mathbb{R}}({1,2,3})$ は「1, 2, 3 それぞれに実数を一つずつ割り当てる規則の全体」、つまり $\mathbb{R}^3$ に相当します。そしてこの有限集合$\{1, 2, 3 \}$以外にも様々な有限集合を持ってきて重ね合わせるのです。
層は、グロタンディークが代数幾何学のために発明した概念です。層のなす圏はアーベル圏になる——つまり代数の精密な道具が全て使える(ホモロジー群を取ったり、完全列を取ったり出来る)——ことが保証されています。位相空間を凝縮集合(層)に翻訳することで、位相空間が苦手としていた代数的な操作が、自然にできるようになるのです。
プロ有限集合とは、有限集合の射影系
$S = \varprojlim_{i \in I} S_i, \quad S_i \in \mathbf{FinSet}$
の極限として得られるコンパクト全不連結 Hausdorff 空間のことです。プロ有限集合のなす圏を$ \mathbf{ProFin}$ と書きます。
また$\mathbf{ProFin}$ はコンパクト Hausdorff 空間のなす圏 $\mathbf{CompHaus}$ の充満部分圏であり、次の圏同値が成立します。
$\mathbf{ProFin} \simeq \mathbf{pro}\text{-}\mathbf{FinSet} \simeq \left\{ X \in \mathbf{CompHaus} \;\middle|\; X \text{ は全不連結} \right\}$
$\mathbf{ProFin}$ 上のグロタンディーク位相を、有限族 ${S_i \to S} $が全射であるとき被覆族とすることで定義します。このサイトを $\mathbf{Profin}_{\text{proét}} $と書きます。
凝縮集合(condensed set)とは、反変関手
$F : \mathrm{ProFin}^{\mathrm{op}} \to \mathbf{Set}$
であって以下の二条件を満たすものです。
(1) 空集合の条件
$F(\emptyset) = \{*\}$
(2) 有限コプロダクトの条件
任意の有限個の有限集合の族 $S_1, \dots, S_n$ に対し、それらの非交和を$ S = \bigsqcup_{i=1}^n S_i $とすると、自然な写像
$F(S) \longrightarrow \prod_{i=1}^n F(S_i)$
は全単射である。
(3)被覆の条件: 任意の全射 $T \twoheadrightarrow S(T, S \in \mathbf{ProFin})$に対して以下が完全:
$F(S) \to F(T) \rightrightarrows F(T \times_S T)$
凝縮集合のなす圏を $\mathbf{CondSet}$ と書きます。
文献によっては$\mathbf{CondSet}$を単に$\mathbf{Cond}$と書いたり、$\mathbf{Cond}(\mathbf{Set})$と書いたりします。
また凝縮数学の解決した分野と応用分野は専門的になるので図だけのしておきます
凝縮数学の発展
本稿では、一つの問いを追いかけてきた。代数と解析はなぜ仲が悪いのか、そしてその不仲を解消できるのか、という問いだ。
答えを出したのは、20世紀の巨人グロタンディークが準備した言語と、21世紀のボンで出会った二人の数学者だった。彼らは位相空間を否定したのではない。もっと深いところから見直したのだ。
数学の歴史を振り返ると、こういうことが繰り返されている。負の数は『ありえない』と言われた時代があった。虚数も、無限も、最初は拒絶された。しかし新しい概念が受け入れられるたびに、数学は以前より広い世界を手に入れてきた。
凝縮数学もまた、その連鎖の一つだ。位相空間という100年来の概念を書き換えることへの抵抗は当然ある。しかし数学の歴史は、正しい言語は必ず受け入れられることを教えている。
もし興味を持ったなら、次に読む場所はいくつかある。Scholze自身がブログに書いた平易な解説、あるいはClausen–Scholzeの講義ノート(英語だが、最初の数ページは比較的読みやすい)。あるいは単純に、今日学んだことを誰かに話してみてほしい。数学の概念は、話すことで初めて自分のものになる。
本稿を読み終えた今、あなたは『凝縮数学』という言葉を聞いたとき、何か具体的なイメージを持てるようになっているはずだ。それだけで十分です。
位相空間の話から始まったこの旅が、あなたの数学への好奇心を少しでも広げたなら、本望です。