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現代数学解説
文献あり

抽象的単体複体について

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こんにちは、微小です。
今回は、抽象的単体複体の定義のばらつきについて整理しようと思います。

抽象的単体複体とは

幾何学を少しかじった方は、単体複体という言葉を聞いたことがあるかもしれません。

よく想像されるのは、Euclid空間上の一般の位置にある点の凸包である単体たちが"うまく"組み合わさった「幾何学的単体複体」だと思います。

今回扱うのは、さらにその点と組み合わせ構造を一般化した「抽象的単体複体」というもので、位相幾何学や組み合わせトポロジーなどで重要な概念です。

実はこの概念、文献によって定義の仕方や流儀に非常にばらつきがあるため、整理しておこうというのがこの記事の目的です。

まずはじめに、最も広い意味での抽象的単体複体を定義します。

抽象的単体複体

$A$を集合とする。$A$の有限部分集合族$\Delta$$X\in \Delta$かつ$Y\subseteq X$ならば$Y\in \Delta$を満たすとき、対$(A,\Delta)$抽象的単体複体(abstract simplicial complex)という。

つまり、$\Delta$に入っているものの部分集合も$\Delta$に入っているというものです。実際に例を挙げてみます。まずは$A$が有限集合の場合です。

抽象的単体複体

$A\coloneqq\{1,2,3,4\}$とする。
(1) $\Delta_1\coloneqq\{\emptyset,\{1\},\{2\},\{3\},\{4\},\{1,2\},\{1,3\},\{2,3\},\{1,2,3\},\{3,4\}\}$とするとき、$(A,\Delta_1)$は抽象的単体複体である。
(2) $\Delta_2\coloneqq\{\emptyset,\{1\},\{2\},\{3\},\{4\},\{1,2\},\{1,3\},\{1,2,3\}\}$とするとき、$(A,\Delta_2)$は抽象的単体複体でない。$\{2,3\}\notin \Delta_2$であるからである。
(3) $\Delta_3\coloneqq\{\emptyset,\{1\},\{2\},\{3\},\{1,2\},\{1,3\},\{2,3\}\}$とするとき、$(A,\Delta_3)$は抽象的単体複体である。$A$の元をすべて使うことは要請されていない。

次は$A$が無限集合の場合です。

抽象的単体複体

$A\coloneqq\mathbb{Z}$とする。$\Delta_4\coloneqq\{\emptyset,\{n\},\{n,n+1\}\mid n\in \mathbb{Z}\}$とするとき、$(A,\Delta_4)$は抽象的単体複体である。

実際のところ、$A$が無限集合の場合を考えることはあまりなく、通常は有限集合で話を進めることが多いです。その場合、定義文中の「有限部分集合族」の「有限」は不要になります。

無限集合の場合を考えなくても特に支障はないので、これ以降$A$は有限集合で考えることにします。また、抽象的単体複体$(A,\Delta)$を単に$\Delta$と表すこともあります。

ここまでで、「自分の知っている定義と少し違う」と感じた方もいるかもしれません。なので、その疑問を解決すべく、ここからちょっとずつ定義を改造して、定義の差異を埋めていきたいと思います。

その前に、少し用語を定義しておきます。

抽象的単体複体にまつわる用語

$(A,\Delta)$を(有限)抽象的単体複体とする。
(1) $\Delta$の元$X$$\Delta$単体(simplex)という。
(2) 単体$X\in \Delta$について、$\dim X\coloneqq \#X-1$$X$次元(dimension)という。
(3) 単体$X\in \Delta$の次元が$k$のとき、$X$$k$単体($k$-simplex)という。
(4) $\{v\}\in \Delta$となる$v\in A$$\Delta$頂点(vertex)といい、頂点全体の集合を$V(\Delta)$と表す。
(5) $\dim\Delta\coloneqq\max\{\dim X\mid X\in \Delta\}$$\Delta$次元(dimension)という。

定義をしたので、具体例で確認します。

単体と単体複体の次元

$(A,\Delta_1)$を例1のものとする。このとき、$\dim\{1\}=0, \dim\{1,2,3\}=2$である。また、$\dim\Delta_1=2$である。

単体の元の個数とその次元が$1$ずれるのは混乱しやすいですが、$0$単体は"点"、$1$単体は"線分"、$2$単体は"三角形"、・・・のイメージを持っておくとよいです。また、頂点$v\in V(\Delta)$$0$単体$\{v\}\in \Delta$が対応していることもわかると思います。

準備が整ったので、さっそく本題にいきましょう。

頂点集合について

抽象的単体複体の定義に、次のような条件が加えられていることがあります。

(★) $A$を有限集合とする。$A$の部分集合族$\Delta$が、任意の$v\in A$について$\{v\}\in \Delta$であり、$X\in \Delta$かつ$Y\subseteq X$ならば$Y\in \Delta$を満たすとき、・・・

かなり多くの文献で、この条件をつけて定義している印象があります。

この条件によって変わるのは、$A$を頂点集合とするかどうかです。具体例で説明したほうがわかりやすいと思います。

例1の$(A,\Delta_3)$を考えます。最初の定義では、$(A,\Delta_3)$はちゃんと抽象的単体複体でした。しかし、(★)を定義とすると、$\{4\}\notin \Delta_3$なので、$(A,\Delta_3)$は抽象的単体複体ではなくなってしまいます。

最初の定義による頂点集合は$V(\Delta)\subseteq A$であったのに対し、(★)の定義では、$A$の元すべてが頂点であること、すなわち$V(\Delta)=A$であることが要請されています。$(A,\Delta_3)$において、$V(\Delta_3)=\{1,2,3\}$であり、$V(\Delta_3)\subsetneq A$となっていたために、(★)の意味で抽象的単体複体でなくなってしまったのです。

つまり、最初の定義では「先に単体複体を考え、後で頂点集合を定義する」のに対し、(★)の定義では「先に頂点集合が与えられ、それを全部使うように単体複体を定義する」という気持ちがあるということです。

なので、$(A,\Delta)$が最初の定義の意味での抽象的単体複体であるとき、$(V(\Delta),\Delta)$は(★)の意味での抽象的単体複体になります。

詳しくは知りませんが、例えばデータ解析などでは先にデータが与えられるため、そのデータをすべて使うような単体複体の定義の仕方が生まれたのかもしれません。

ということで、一つ目は頂点集合の違いについてでした。

空単体について

抽象的単体複体の定義に、次のような条件が加えられていることがあります。

(★★) $A$を有限集合とする。$A$の部分集合族$\Delta$が、$\emptyset\notin\Delta$であり、$X\in \Delta$かつ$\emptyset\ne$$Y\subseteq X$ならば$Y\in \Delta$を満たすとき、・・・

見てわかるように、(★★)の定義では、$\emptyset\notin\Delta$が要請されていることがわかります。

特に言及していませんでしたが、最初の定義では必然的に$\emptyset\in\Delta$となることがわかります。今後、$\emptyset\in\Delta$のことを空単体ということにします。定義から、空単体の次元は$\dim\emptyset=-1$です。

(★★)の定義では、例1(1),(3)は抽象的単体複体ではなくなってしまいます。

この「空単体を認めるかどうか」の流儀は文献や個人によって好みが分かれるところとなっています。

私は色々議論できるほど詳しくないのですが、空単体を認めると2つの抽象的単体複体から構成される"ジョイン"の記述が楽だとか、簡約ホモロジーに都合がよいとか、そういった話は聞きます。

単純に空単体を認めない定義を採用してもあまりいいことはないという話もあります。私も空単体は認めてもいいと思っています。

ということで、二つ目は空単体の違いについてでした。

emptyとvoid

最初の定義を採用する場合、次のような極端な例を考えることもできます。$\Delta=\{\emptyset\}$の場合と$\Delta=\emptyset$の場合です。

emptyとvoid

$A$を有限集合とする。
(1) $(A,\{\emptyset\})$は抽象的単体複体となる。これをemptyという。
(2) $(A,\emptyset)$は抽象的単体複体となる。これをvoidという。

極端ではありますが、定義を満たすのでこれらもちゃんと抽象的単体複体です。

emptyの次元は定義から$\dim(\textrm{empty})=-1$で、voidの次元は$\dim(\textrm{void})=-\infty$と定めます。

(★)の条件下では、必ず$\{v\}\in\Delta\enspace (v\in A\ne \emptyset)$が存在するため、emptyとvoidは抽象的単体複体になりません。($A=\emptyset$のときはなります。)

(★★)の条件下では、voidは抽象的単体複体になりますが、emptyは抽象的単体複体になりません。

voidを抽象的単体複体にしたくない場合は、定義に条件$\Delta\ne\emptyset$を付け加えます。

このように、極端な例が定義に含まれるかどうかは、その後の議論にかかわるので、しっかり見極める必要があります。

まとめ

以上のことをまとめると、

定義1を雛形として、
(★)の条件がついている場合・・・$A$全体が頂点集合になり、空単体は認め、emptyとvoidは認めない ($A=\emptyset$の場合はemptyとvoidは認める)
(★★)の条件がついている場合・・・空単体とemptyは認めず、voidは認める
条件$\Delta\ne \emptyset$がついている場合・・・空単体とemptyは認め、voidは認めない

ということになります。

どの定義がいいというものはありませんし、結局その文献を読むのにはその文献の定義で話をするのが一番だと思います。ですが、こういった事情も知っておくとよいかもしれません。

これから議論の対象となる一番最初の概念の定義にこんなにもバリエーションがあると、なかなか大変ですね。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

参考文献

[1]
Dmitry Kozlov, Combinatorial Algebraic Topology, Springer, 2000
[2]
池祐一・E.G.エスカラ・大林一平・鍛冶静雄, 位相的データ解析から構造発見へ, サイエンス社, 2023
投稿日:316
更新日:320
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