本稿では,以下の投稿で取り上げられている問題について解説する.
大学受験生の答案を添削中。以下のような答案が何枚かあった。「ある」の意味を誤解しているのだろうか…? pic.twitter.com/MZkyVObH5k
— 大澤裕一 (@HirokazuOHSAWA) January 26, 2026
次の命題$p$の真偽を判定せよ.(理由も述べよ)
命題$p$:ある正の整数$n$に対し$n(n+1)$は奇数である.
命題$p$は偽である.理由は次の通りである.
$n=1$のとき$n(n+1)=2$で,これは奇数でない.
この答案は残念ながら誤りである.以下,その理由を解説する.
この問題に正答するためには,命題$p$の意味を正しく理解する必要がある.結論を述べてしまうと,
「ある正の整数$n$に対し$n(n+1)$は奇数である.」=「$n(n+1)$が奇数となる正の整数$n$が存在する.」
である.よって,命題$p$が偽であることを示すには「$n(n+1)$が奇数となる正の整数$n$が存在しない」ことを証明する必要がある.
この言い換えは数学に慣れている者であれば何も違和感なく受け入れられるのだが,そうでなければ迷ってしまうのも無理はない.
数学は日常から離れ,形式的に創り上げられた非日常の世界を渡り歩く学問である.ゆえに,数学で使われる表現はしばしば日常世界のそれと乖離しうる.命題$p$に現れる「ある」は正にその一例である.
$n(n+1)$が奇数となる正の整数$n$が存在しないことを証明せよ.
一般に,何らかの対象が存在しないことを証明するのは困難である.何故なら,存在することの証明では対象を一つでも見つけてくればよいのに対し,存在しないことの証明ではそれが通用しないからである.これと関連する話題に『ヘンペルのカラス』というものがある.
命題「全てのカラスは黒い」の証明方法を考える.
この命題は「対象Aはカラスである$\Rightarrow$対象Aは黒い」と言い換えられるから,その対偶である「対象Aは黒くない$\Rightarrow$対象Aはカラスでない」を考えればよい.そして,「対象Aは黒くない$\Rightarrow$対象Aはカラスでない」は「全ての黒くないものはカラスでない」と言い換えられる.よって,最初の命題「全てのカラスは黒い」を示すには,この世に存在する全ての「黒くないもの」が「カラスでない」ことを証明すればよい.
つまり,カラスについての命題を示そうとしているのに,カラスは不要なのである.
この世に存在する全ての「黒くないもの」が「カラスでない」ことを証明するのは極めて困難である.これも結局は存在しないことの証明だからである.
説明のために,次の命題$q$を考える.
命題$q$:任意の正の整数$n$に対し$n(n+1)$は奇数である.
命題$q$は「全ての正の整数$n$に対し$n(n+1)$は奇数である.」と言い換えられる.これは「任意の」を「全ての」に置き換えただけなので,「ある」に比べればわかりやすい.命題$p,q$が並べてあれば,もしかしたら最初の問題の正答率は上がるかもしれない.
先述の通り,「任意の~に対して…」は「全ての~に対して…」という意味である.
英語では"For all ~, …"と表現される.
記号では$\forall$を用いて表す.
「ある~に対して…が成り立つ」は「…が成り立つような~が存在する」という意味である.
英語では"There exists ~ such that …"と表現される.
記号では$\exists$を用いて表す.また,"such that"はよくs.t.と略される.
命題$q$の真偽を判定せよ.(理由も述べよ)
「…が成り立つような~が存在する」というわかりやすい言い方があるにもかかわらず,わざわざ「ある」という表現を使うのには理由がある.例えば,次のような命題を考えてみよう.
命題$r_1,r_2$は「任意の」と「ある」の位置を入れ替えただけであるが,その真偽は異なる.
さらに,記号$\forall$と$\exists$を用いて書くと次のようになる.
「任意の」や「ある」による言い回しは,記号を用いた記述を“直訳”したものなのである.
命題$r_1,r_2$の真偽を判定せよ.(理由も述べよ)
任意の正の整数$n$に対して$n(n+1)$が奇数でない,すなわち偶数であることを示せばよい.
よって,任意の正の整数$n$に対して$n(n+1)$は奇数でないから,$n(n+1)$が奇数となる正の整数$n$は存在しない.
命題$q$は偽である.理由は次の通りである.
$n=1$のとき$n(n+1)=2$で,これは奇数でない.
件の投稿で紹介されていた誤答は,命題$q$の反例だったのである.
命題$r_1$は真である.理由は次の通りである.
任意の正の整数$m$に対し,$n=m+1$は$m< n$を満たす.
命題$r_1$は「$m$に対して$n$が存在する」と言っているので,$n$が$m$に依存していてもよい.
命題$r_2$は偽である.理由は次の通りである.
任意の正の整数$n$に対して$m< n$が成り立つには,$n=1$に対して$m< n$が成り立つことが必要条件となる.ところが,$m<1$を満たす正の整数$m$は存在しない.
命題$r_2$では,$n$が$m$に依存してはならない.