この記事では、論文"Deriving two dualities simultaneously from a family of identities for multiple harmonic sums"(
arXiv:2402.05730
)の主定理である、「多重ゼータ値の反復積分表示の離散化」(MSW等式)について解説します。これは多重ゼータ値と呼ばれる対象に関係のある有限級数の関係式族で、多重ゼータ値の”極限をとる前”の性質を明らかにするものです。詳しい説明をする前に、一つ具体例を紹介します。
主定理の意味を理解するために必要な前提知識を説明します。多重ゼータ値について既に知っている人は、このセクションはスキップできます。
正整数の組
たとえば、
インデックス
により定める。
は収束し、多重ゼータ値(Multiple zeta value, MZV)と呼ぶ。
ウェイトが等しい多重ゼータ値の間には、有理数係数の線形関係式が豊富に存在することが知られています。たとえば、
などが成り立ちます。(ウェイトが異なるもの同士には関係式が存在しないことが予想されていますが、これは非常に難しい問題となっています。)
その中の一つとして、双対関係式と呼ばれる関係式族を紹介します。
許容インデックス
例えば、
双対関係式とは、以下の等式を指します。
許容インデックス
この定理の有名な証明は、多重ゼータ値の反復積分表示に基づくものです。
たとえば、
となります。一方で、
も成り立ちますが、
多重ゼータ値とその積分表示は、それぞれ多重調和和、リーマン和という二つの異なる和の極限として考えることができます。しかしMSW等式は、驚くべきことに、この二種類の和が実は極限をとる前から等しいことを主張します。つまり、(多重調和和)=(リーマン和)という等式が成り立つのです!
リーマン和の取り方は無数に考えられますが、ここでは区間
のリーマン和として
というものを考えることができます。ただ、(当然のことですが)これはそのままでは
というリーマン和が得られます。一般のインデックス
インデックス
証明はここでは述べませんが、論文内では、連結和法という手法により、有限和のみを用いて主定理が証明されています。
反復積分表示の離散化により、今まで積分を用いて行っていた操作の一部を有限和の変形として行うことができます。とっかかりやすい例として、双対関係式の積分を使わない新証明を与えてみましょう。(論文のセクション2)
インデックス
である。許容インデックス
(i)
であることが簡単な不等式評価によりわかる。(論文の補題2.1を参照せよ)
(ii)
であることが
(i),(ii)と主定理を合わせて
であるから、
この証明方法には、
論文のタイトルにある"two dualities"のもう一つのもう一つの双対性について補足します。これは有限多重ゼータ値という対象における双対性(Hoffman双対性)であり、有限多重ゼータ値というのは有限多重調和和に対して
MSW等式において
多重ゼータ値の積分表示からわかる関係式族に複シャッフル関係式というものがあります。多重ゼータ値同士の積は次のように、多重ゼータ値の線形結合に二通りの方法で分解できます。
まず、級数表示を考えれば
というふうに、変数の大小関係により展開できます(調和積)。
一方、積分表示で同じようなことをすれば
という、異なった展開を得ることもできます(シャッフル積)。両者を比較することにより、
という関係式が得られます。これが複シャッフル関係式です。
MSW等式により、シャッフルを有限級数で行うことができるようになり、極限をとる前の誤差が明示的に記述できるようになりました。
多重ゼータ値の間のすべての線形関係式を導くと予想されている関係式族として、正規化複シャッフル関係式(Extended double shuffle relation, EDSR)というものがあります。これは複シャッフル関係式を、(一方のみ)許容的でないインデックスに対しても行えるようにしたものです。許容的でないインデックスの多重和や積分は発散してしまいますが、正規化という操作を行い発散度合いを比較することにより関係式を得るというものです。しかしMSW等式が得られた今、有限和のみを用いて、積分を使わないシンプルな証明が得られています。詳しくは論文"Shin-ichiro Seki, A proof of the extended double shuffle relation without using integrals, 2024, arXiv:2402.18300 "を参照してください。
積分表示の離散化は多重ゼータ値だけで起こる現象ではないように見受けられます。実際、よく知られた等式である
という等式も、
の離散化と考えることができるかもしれません。無限級数や積分の等式は、どこまで有限級数の世界の話で説明できるのでしょうか。