始めに例を見よう
記事の概要
この記事では,ヤコビアンとホモロジー群のそれぞれを用いて,2種類の向きを多様体に対して定義し,それらの間にはよい対応があることを示す.ヤコビアンにより定まる向きとは,多様体を向き付ける座標近傍系(の同値類)のことであり,ホモロジー群により定まる向きとは,ホモロジー群の基本類(適切な条件下では生成元)のことである.
なお,この記事で定義する「向き(ムキ)」「向き(ムキ)を保つ」「向き(ムキ)を逆にする」などの用語は,『トポロジーの基礎 上』(参考文献2)の中で使われている「向き」「向きを保つ」「向きを逆にする」という言葉と整合的になるようにしたつもりである.なので,『トポロジーの基礎 上』を読む際の参考にしてほしいと思う.2種類の向きの間には後述するような整合性があるため,本の中の向きという用語を,この記事のどちらの定義の向きとして読んでも,大きな問題は生じないと思う.
を例に2種類の向きを見る
円周を例にとって,2種類の向きを見てみよう.都合によりとみなすことにする.
まずとする.開区間を考える.
,
を考える.とおく.の逆写像をそれぞれとおく.すると,はを向きつける座標近傍系である.をに合成することで,の逆向きの座標近傍系が得られるので,それを直感的に(ここだけの記号で)と書くことにする.あとできちんと定義するが,ここではのことをヤコビアンにより定まるの向きと呼ぶことにする.は互いに逆の向きである.図1のようには反時計回りの向きであり,は時計回りの向きであることが見てとれる.
一方,の逆写像(つまり)の定義域をに制限したものをそれぞれとする.実はが代表するの元は,に対応するの生成元であり,基本類と呼ばれるものである.
また,の制限を合成したを考えると,これらはの座標として現れるの逆写像の制限になっている.が代表するの元は,に対応する生成元である.実はとなっている.
このを,ホモロジー群により定まるの向きとここでは呼ぶことにする.図1のようには反時計回りの向きであり,は時計回りの向きであることが見てとれる.
における2種類の向きの対応
ヤコビアンにより定まる向きはの2つであり,ホモロジー群により定まる向きもの2つである.そして,と,ととが,それぞれ対応している.2種類の向きの間のこのような対応について考察するのが,この記事の目的である.この例ではの座標を表す写像(の逆写像)の制限によりの代表元が与えられているので,確かにととは同じ反時計回りだし,ととは,同じ時計回りになっている.
さて,に属する座標近傍はもちろんの開被覆である.
面白いことに,の代表元に現れるの像もの被覆になっている.ただしこちらは閉被覆である.ヤコビアンにより定まる向きは,開被覆が多様体に向きを与えており,ホモロジー群により定まる向きは,閉被覆が多様体に向きを与えているということもできるかもしれない.
(なお,がの閉被覆になっているのは偶然ではなく,このようなことは,一般に成立する.記事の最後で示そう.)
以下では,まずここで見たような2種類の向きを一般の状況で定義し,最後に,それらの間の整合性を考察する.
向きその1(ヤコビアンを用いた定義)
2種類の向きを定義する1つ目として,ヤコビアンを用いて多様体の向きを定義する.
向きの定義
準備
多様体は境界付きのものも含めて考える.多様体の境界を,内部をと書くことにする.境界を持たない多様体にしか興味がない人(あるいは境界付き多様体を知らない人)は,以下の記述に出てくるとはのことだと思ってよい.
は多様体であり,をの座標近傍系とする.また,はを含む級極大座標近傍系であるとする.(ただし,級極大座標近傍系の定義は参考文献1の定義6.VI(p.54)を用いる.)
さて,に含まれる座標近傍系全体の集合をとおく.
.
はの座標近傍とする.
任意のについて,におけるのヤコビアンが正であるとき,ととは,同じ向きであるということにする.(参考文献1のp.300を参照してほしい.)
の元であって,に属するどの2つの座標近傍も同じ向きであるようなもの全体の集合をとする.
に属するどの2つの座標近傍も同じ向き}.
が空でないことと多様体が向き付け可能であることは,同値である.
に同値関係を導入し,向きを定義する
さて,に次のように同値関係を定める:
任意のに対して,.
この同値関係に関する商集合を考え,とおく.をの向きの集合,の元のことをの(大域的な)向きと呼ぶことにする.(あとでホモロジー群を用いて定義する向きはカタカナでムキと表記して区別することにする.)
に対して,が代表するの元(と書く)のことを,が定めるの向きと呼ぶことにする.がを満たすとき,ととはに同じ向きを定めるということにする.
逆の向きの定義
逆の向きを定める
2つの向き が「互いに逆である」ということを定義する.
の多様体としての次元をとする.の元の第一成分だけを倍する写像を考える.と座標近傍に対して,第一成分を倍した座標近傍をと書くことにする.
に対して,座標近傍系をと書くことにする.は,の元になる..
に対して,のことをと書くことにする..は代表元の取り方によらずに定まる.のことを,の逆の向きと呼ぶことにする.容易にわかるようにが成り立つ.のことをとも書くことにする.また,のことを,あるいはとも書くことにする.
2つの向き がを満たすとき,ととは互いに逆である,ということにする.がを満たすとき,ととはに逆の向きを定めるということにする.
向きの個数についての注意
ここで向きの個数について注意をしておく.が向き付け可能な多様体でが取れるとする.このとき,の向きはとの個だけだと思うかもしれないが,これは一般には正しくない.例えばをつののディスジョイント和とするとき,の向きは個存在する.一方のに入る向きが通常の向きとその逆の向きの個,他方のに入る向きも個で,それらの組み合わせにより個の向きがあるからである.
向きを保つ,逆にするの定義
向きを保つ,向きを逆にする,の定義をする.(これらの用語は,局所的に定義される.)
1点で向きを保つ/逆にするの定義
は向き付け可能な次元多様体とする.は写像とする.とする.はで局所同相的であるとする.すなわち,におけるの開近傍とにおけるの開近傍が存在して制限が同相であるとする.(このようなをとる.)
向き と,および座標近傍系とをとる.座標近傍とであって,を満たすものをとる.必要ならを小さくとりなおすことで,に対してかつ制限が同相になるようにできる.
同相写像のにおけるヤコビアンが正(resp.負)であるとき,はにおいてとに関して向きを保つ(resp.向きを逆にする),ということにする.がにおいて向きを保つ(あるいは逆にする)ことは,によって定まり,やの取り方によらない.
開集合上で向きを保つ/逆にするの定義
を開集合とし,に属する任意の点では局所同相的であるとする.任意のに対して,がにおいてとに関して向きを保つ(resp.向きを逆にする)とき,はにおいてとに関して向きを保つ(resp.向きを逆にする)ということにする.
向きその2(ホモロジー群を用いた定義)
ムキの定義
もう1つの向きを定義する.今度は,多様体は位相多様体とする代わりに,コンパクトを仮定する.以下では,参考文献2に書かれているような代数トポロジーの知識を仮定する.この記事の中に定義のない用語や記号については,参考文献2のものを用いている.
今からホモロジー群を用いて定義する向きは,ヤコビアンを用いて定義した向きと区別するため,片仮名を用いてムキと表記することにする.
準備
は(境界を持つかもしれない)コンパクトな次元位相多様体とする.の全ての座標近傍系の集合をとする.の元であって,に属するどの2つの座標近傍も同じ向きであるようなもの全体の集合をとしたい.ところが位相多様体ではヤコビアンを用いることができないので,2つの座標近傍が同じ向きであることを,次のように局所写像度を用いて定義する:
はの座標近傍とする.
任意のについて,座標変換函数の局所写像度がであるつまり,が成り立つとき,ととは,同じ向きであるということにする.(参考文献2のp.189を参照してほしい.)
この座標近傍の同じ向きの定義をもって,次のようにを定義する:
に属するどのつの座標近傍も同じ向き}.
が空でないことと多様体が向き付け可能であることは,同値である.
に同値関係を導入する
さて,に次のように同値関係を定める:
任意のに対して,.
この同値関係に関する商集合を考え,とおく.('を付したのは,このあとここからさらに集合を定義するからである.あとで定義するの元のことを,のムキと呼ぶことにする.)に対して,が代表するの元をと書くことにする.
まず,局所的なムキを定義する
の元ごとに,の各点におけるムキを定義しよう.(大域的なムキより先に,局所的なムキを定義する.)
とをとる.座標近傍系を1つとる.座標近傍であってを満たすものをとる.とおくと,はの開集合であり,制限は同相である.
同型によるの像をと書くことにする.(参考文献2のp.189を参照してほしい.を考えずにのままでもよいかもしれないが,念のためにこのようにした.)は,とのみによって定まり,やの取り方によらない.このを,が定めるにおける(局所的な)ムキと呼ぶことにする.は,の生成元である.(参考文献2,p.189参照.)
大域的なムキを定義する
上で定義した各点でのムキを使って,多様体全体のムキを定めよう.
をとり固定する.
各点ごとにが定めるムキ がある.ごとに空間対の包含写像を考える.がホモロジー群に誘導する準同型がある.実は次の条件を満たすが一意的に存在する:
(参考文献2のp.247, l.-5からの記述および次のページの補題4.5.14を参照してほしい.)
この条件を満たすのことを,と書き,のに関する基本類,あるいはのに関する(大域的な)ムキと呼ぶことにする.
のムキ全体の集合をと書くことにする.
逆のムキの定義
ムキの集合を調べよう
は加群の部分集合だが,どのような元の集合になっているだろうか.また,ムキは加群の元であるから逆元を考えることができる.自然な発想でこれをの逆のムキと定義したいのだが,そのためにはとなっていなくてはならない.これらのことについて考察しよう.
簡単のため,以下ではは向き付け可能かつ連結であると仮定する.もちろん今まで通り,は次元位相多様体であり,コンパクトでもあるとする.
次の事実がある:
(1).
(2)任意のに対して,は同型.
(3)任意のに対して,はの生成元である.
(参考文献2,定理4.5.13参照.)
さて,の生成元全体の集合をと書くことにする.ムキの集合は,実はに一致する.ヤコビアンを用いて定めた向きに関して逆の向きを定義したときと同様に,座標近傍系に対して,座標の第一成分を倍させた座標近傍系をと書くことにする.また,に対して,のことをと書くことにする..は代表元の取り方によらずに定まる.容易にわかるようにが成り立つ.
(1)任意のに対して,である.したがって.
(2).
は,定理1の(3)による.
逆の包含を示す.を任意にとる.(は向き付け可能と仮定しているので,である.)定理1より,ではの生成元なので,はつの元からなる集合である..を示せば,が言えたことになる.
とをとる.を示すことができれば,同型の逆写像で両辺を写すことでが得られ,証明が完了する.
座標近傍でを満たすものをとる.を考えることで,最初からとしてよい.とおく.
今,同型からなる次の可換図式がある.
この可換図式において,の右下での値を考えよう.
右上を経由すると,はに写る.一方,の局所写像度はであること(参考文献2補題4.2.10参照)により,左下を経由すると,はに写る.よって,である.したがってが得られ,証明が完了した.
のムキとは結局,加群の生成元のことだということがわかった.
逆のムキを定める
命題2をふまえて,逆のムキを定義しよう.
に対して,加群におけるの逆元をの逆のムキと呼ぶことにする.もちろん,が成り立つ.命題2により,ムキを1つとると,である.
2つのムキ がを満たすとき,ととは互いに逆である,ということにする.
との関係
ここでとの関係を見ておこう.は座標近傍系の同値類の集合であり,同じく座標近傍系の同値類の集合であるとの間によい対応がありそうである.あとでとの間に全単射があることを示すための準備として,との間に全単射があることを示しておこう.
全射はの定義により明らか.
単射を示す.をとる.とする.を1つずつとる.仮定からなので,.ゆえにある座標近傍とが存在して.
とおく.同型からなる次の可換図式がある:
この可換図式から,命題2の証明と同様にしてが得られる.もしなら,今得られた等式に代入することでとなるが,これはがの生成元であることに矛盾する.したがってが得られ,証明が完了した.
命題2,命題3により,次の命題が得られる:
ムキを保つ,逆にするの定義
1点でのムキを定義する
とをとる.によるの像を,記号の濫用だがと書くことにする..のことを,が定めるにおける(局所的な)ムキと呼ぶことにする.
なお,はあるによって一意的にと表されるが,このときである.(の定義を参照.)
点でムキを保つ,ムキを逆にするの定義
ムキを保つ,ムキを逆にする,の定義をする.(これらの用語は,局所的に定義される.)
は連結でコンパクトな向き付け可能次元位相多様体とする.は連続写像とする.とする.はで局所同相的であるとする.すなわち,におけるの開近傍とにおけるの開近傍が存在して制限が同相であるとする.(このようなをとる.)
とをとる.
同型の合成によるの像が(resp.)のとき,はにおいてとに関してムキを保つ(resp.ムキを逆にする)ということにする.がにおいてムキを保つ(あるいは逆にする)ことは,によって定まり,の取り方によらない.
開集合上でムキを保つ,逆にするの定義
を開集合とし,に属する任意の点では局所同相的であるとする.任意のに対して,がにおいてとに関してムキを保つ(resp.ムキを逆にする)とき,はにおいてとに関してムキを保つ(resp.ムキを逆にする)ということにする.
これで2種類の向きとそれらの周辺概念の定義が終わった.
2種類の向きの整合性
ここまでで,ヤコビアンとホモロジー群を用いて,多様体に異なる方法で2種類の向きを定義した.ではいよいよ,これらの間の整合性を考察することにしよう.これがこの記事の主目的である.2種類の向きの間に整合性をもたらしているのは,基本的に参考文献2の補題4.2.10である.
向きの整合性
大域的な向きの整合性
2種類の向きの整合性を考察するにあたって,2種類の向きの両方が定義されるような多様体を考えることにしよう.は連結コンパクトで向き付け可能な次元多様体とする.
参考文献2の補題4.2.10により,次の補題が得られる:
(1)任意のに対して,.
(2)任意のに対して, ととは同値.
この補題から,次の補題が得られる:
(1)はwell-definedな全単射.
(2)任意のに対して,.
のwell-definedと単射は補題5による.
の全射を示す.を1つとる.なので,命題4により,.の定義により,.全射が示された.
命題3のと補題6のの合成をと表すことにする.次の定理がこの記事の主定理の1つである.
(1)は全単射である.
(2)は逆の向き(ムキ)と整合的である.つまり任意のに対して.
(左(resp.右)の縦の射は,逆の向き(resp.ムキ)を対応させる写像.)
(1)命題3と補題6(1)による.
(2)命題2(1)と補題6(2)による.
局所的な向きの整合性
は連結でコンパクトな向き付け可能次元多様体とする.は写像とする.とする.はで局所同相的であるとする.次の定理がこの記事の主定理の2つ目である.
は任意の元とする.このとき,次の2つは同値:
(1)はにおいてとに関して向きを保つ(resp.逆にする).
(2)はにおいてとに関してムキを保つ(resp.逆にする).
,およびをとり,で制限が同相になるようにする.とおく.
同型からなる次の図式があり,左の四角は可換である:
この可換図式と参考文献2補題4.2.10により,定理8が従う.
これで,2種類の向きの間の整合性が示された.
ムキに付随する閉被覆
記事冒頭の例でも触れたように,ムキは多様体に閉被覆を与える.最後にそのことについて考察する.
は向き付け可能でコンパクトな次元位相多様体とする.(連結は仮定しない.)
ムキをとる.が存在してである.(このようなをとる.)
整数と連続写像によりと書かれるとする.このとき次の命題が成立する:
まず,はコンパクト空間であるから,任意のに対して,はコンパクト.今,はハウスドルフ空間であるから,はの閉集合.よって,もの閉集合.を示すことができれば,両辺のにおける閉包をとることでが得られ,証明が完了する.
を任意にとる.と仮定して矛盾を導く.
でを満たすものをとる.準同型を考える.の定義により,であり,右辺はの生成元である.したがって.
一方,任意のに対して,であるから,.ゆえにであり,となる.これはを意味し,矛盾.
が得られ,命題9の証明が完了した.
まとめ
この記事では,多様体に対して2種類向きを定義した.1つ目はヤコビアンの符号を用いて定義した「向き」であり,向きとは座標近傍系の同値類のことであった.2つ目はホモロジー群を用いて定義した「ムキ」であり,ムキとは連結コンパクトを仮定した場合にはホモロジー群の生成元のことであった.最後にこれら2種類の向きの間に,整合性があることを見た.
ムキについての議論においては,途中から連結を仮定して議論したが,連結の仮定を外しても,定理7,定理8と同様のことが実は成立する.
直感的に,連結を仮定しない多様体の向き(ムキ)とは各連結成分ごとの向き(ムキ)の選択と思えるから,連結を仮定しなくても向きとムキの間に整合性があることは,想像ができるのではないだろうか.(気が向いたら,連結を仮定しない場合の証明も加筆するかもしれない.)
また,が向き付け可能な境界付き多様体のとき,から境界に誘導される向きというものがある.これについても,記事が長くなってしまうので触れられなかった.(これも気が向いたら加筆するかもしれない.)
それでは記事を終わりにします.ここまで読んでくれてありがとうございました!質問や感想はいつでも歓迎します.(SNSの𝕏の方が対応しやすいです.)