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算数議論
文献あり

「掛け算の順序」をめぐる論争が問いかけるもの

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はじめに

問題提起

「小学校の算数のテストで、掛け算の順序を間違えたらバツにされた」という旨のSNSの投稿が、過去によくされていました(今もかもしれません。筆者の知る限りでは最近そのような投稿は減りましたが)。例えば、以下のような問題を考えてみましょう:

5人掛けの椅子が3脚あります。合計何人が座れるでしょう?

ほとんどの人は
\begin{gather} 5×3=15 \end{gather}
と立式するでしょう。ここで、「掛けられる数」は椅子1脚あたりの人数5、「掛ける数」は椅子の脚数3です。

しかし、もし
\begin{gather} 3×5=15 \end{gather}
としたらどうでしょうか?結果は同じなのですが、これに関しては「誤り」として、バツを付けられることがあるようなのです。

要旨

「掛け算の順序を逆転させたらバツ」という指導には、小学校教育現場における意図があると考えます。前提として、$5×3$$3×5$認知的に異なるものです。これは、「5人掛けの椅子3脚」と「3人掛けの椅子5脚」では意味が違うことから、お分かりいただけると思います。一方、数学的には交換法則 $a×b=b×a$ が成り立つため、同じとみなされます。この記事では、この違いを踏まえ、教育現場で数学の認知的側面が重視される理由を考察します。

あなたは、「掛け算の順序」についてどのように考えますか?小学校教育の意図を知ることで、テストのバツに新たな意味が見えてくるかもしれません。

四則演算に潜む認知的メカニズム

数を「感じる力」と学びの第一歩

買い物をするとき、商品棚でみかんが3つ並んでいるのを見て、「あ、3つあるな」とすぐにわかる経験をしたことがあるでしょうか。数を数えなくても「3つ」と感じられるこの能力を、ラテン語で「突然」を意味する語に由来してスービタイズ(subitizing)と呼びます。

実はこの能力は、生まれたばかりの赤ちゃんにも備わっています。赤ちゃんは2つの物体と3つの物体を見比べると、その違いに気づけるのです。この「数を感じる力」は、私たちが日常で加法や減法を直感的に理解するための土台になっています。

しかし、それよりも複雑な計算、たとえば「みかんが1袋5個入りで、3袋買うと合計何個?」という問いには、スービタイズだけでは対応できません。ここで必要になるのが、学校で習う足し算や引き算、掛け算、割り算の技術です。

スービタイズにはじまる生得的な能力から拡張する形で、四則演算などの複雑な思考を理解し、身に付けさせることが、小学校における算数教育の使命のひとつだと言えるでしょう。

四則演算はメタファーを介して理解される

《ものの集まり》メタファーで理解される加法と減法

私たちは日々、当たり前のように四則演算(足し算、引き算、掛け算、割り算)を使っていますが、その理解の根底には、「メタファー」(隠喩)があることをご存知でしょうか?特に子どもが初めて数や演算を学ぶ際、日常の経験に根ざした比喩的なイメージが重要な役割を果たしています。その中でも《ものの集まり》というメタファーは、足し算や引き算の理解に直結しています。

例えば、「りんごが5個あり、さらに3個もらった」という場面を想像してください。このイメージを数式に置き換えると、
\begin{gather} 5+3=8 \end{gather}
となります。一方、「りんごが8個あり、そのうち3個を友だちにあげた」という場合は、
\begin{gather} 8-3=5 \end{gather}
という数式になります。このように、私たちが加法や減法を直感的に理解できるのは、ものの集まりの増減という日常的な経験があるからなのです。

《ものの集まり》メタファーにおける加法と減法

$a$個の集まりに$b$個のものを加える$\longleftrightarrow$$a+b$
$a$個の集まりから$b$個のものを取り去る$\longleftrightarrow$$a-b$

こうした日常的な経験を数の世界に移し替えると、いくつかの重要な性質が導かれます。たとえば、足し算の結果はいつでも同じである「安定性」や、「順序を入れ替えても結果は同じ」という交換法則などです。これらは、私たちが「ものを集める」という操作をするときに感じるごく自然な性質であり、そのまま数の性質として受け入れられるのです。

掛け算と割り算も「ものの集まり」から

では、掛け算や割り算はどうでしょうか?実はこれらも、《ものの集まり》というメタファーから発展させて理解することができます。たとえば、「りんごが5個ずつ3皿分ある」と考えると、掛け算の
\begin{gather} 5×3 \end{gather}
は「5の集まりを3つ足したもの」として捉えられます。一方、「15個のりんごを3皿に均等に分ける」と考えると、割り算の
\begin{gather} 15÷3 \end{gather}
は「15個の集まりを3つに分けたら1皿に何個残るか」という問題になります。

こうして、掛け算は「同じ集まりを複数回足す操作」として、割り算は「集まりを分割する操作」として理解されます。このイメージを通じて、足し算や引き算の延長として掛け算や割り算を学ぶことができるのです。

メタファーを通じて深まる数の理解

このように、「ものの集まり」メタファーは、私たちが数を理解するための強力な架け橋となります。それは単なる計算技術を教えるだけでなく、数の背後にある性質や法則を直感的に伝えるのです。

結論

数学の意味を理解すること

私たちが幼い頃に習う掛け算。そこには$5×3$を「5という集まりを3回繰り返すこと」として理解するプロセスと、「ごさんじゅうご」と暗記して答えを出すプロセスという、まったく異なる学びの形が存在しています。この違いに気づくと、掛け算を学ぶことの本質に一歩近づけるのではないでしょうか。

前者は、数の性質や操作を具体的に理解するプロセスであり、脳の下頭頂皮質が関わると言われています。一方で、後者は繰り返し記憶による学習であり、大脳基底核が関与する仕組みです。どちらも重要な学びの形ですが、教育現場で掛け算の順序を重視するのは、この「意味の理解」を深めさせるためではないでしょうか。

数学をただの計算スキルとしてだけではなく、「数や操作が何を表しているのか」を理解するものとして教えること。これは暗記だけでは養えない、数学の本質に迫る力を育むために欠かせないアプローチです。

掛け算の順序をめぐる誤解

しかし、この「掛け算の順序」の重要性をめぐる議論は、ときに誤解を生んでしまいます。SNSで目にする保護者たちの反応には、「なぜ順序にこだわるのかが分からない」という声が多く見られます。特にテストでの採点基準が曖昧だと、子どもたちも保護者も混乱し、教育現場に対する不満が生じる原因となり得ます。

こうした問題を解消するには、まず「なぜ順序が重要なのか」を分かりやすく伝える言葉を工夫することが必要でしょう。また、評価の仕方を見直すことも効果的です。たとえば、減点方式ではなく、正しい順序で書けた場合に加点する形を取り入れれば、順序の重要性を意識しながら学ぶことができるかもしれません。

掛け算の順序が示す教育の方向性

さらに考えるべきは、小学校から中学校、高校へと進むにつれ、数学の学びが具体から抽象へと移行していく点です。小学校では、具体的な状況や物語を通して数を理解させることが重視されます。一方で、中学以降は掛け算を抽象的な数の操作として扱う機会が増えてきます。この二つを橋渡しするタイミングで、「掛け算の順序」をはじめとした、数学の認知的構造への従順さをどれほど生徒に求めるべきかは、教育全体を見渡して再考する余地があるのではないでしょうか。

数学教育の目的は、ただ正確に計算ができるようにすることではありません。数学教育の真の意義は、子どもたちが抽象的な思考や論理的な推論を身につけ、より広い視野で世界を捉えられるようにすることです。「掛け算の順序」をめぐる議論は、教育そのものの在り方を見直すきっかけを私たちに与えているように思えます。

参考文献

[1]
G・レイコフ,R・ヌーニェス, 数学の認知科学, 丸善出版, 2012
投稿日:14日前
更新日:14日前
OptHub AI Competition

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囃子
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大学で主に数学や教育学を学んでいます。このブログでは、数学や数学教育にまつわる日々の学びや考えを発信していくつもりです。趣味は和太鼓/和楽器の演奏🥁

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