この記事ではラマヌジャンの総和法について勉強していきます。
最近ラマヌジャン関係の調べ物をしていたときに"Ramanujan Summation of Divergent Series"という面白そうな本を見つけたのでまずはその導入でも読んで思ったこととかを書いていこうと思います。
皆さんは無限和というと、それがどういうものであると理解しているでしょうか。
我々の扱っている数、ここでは複素数としましょう、には二数
という演算が考えられます。しかしより一般に無限個の数の族
を考えることはできません。もしこのような演算を考えたいのであればこの和というものの何らかの"解釈"、あるいは"意味付け"が必要となります。そしてその解釈や意味付けの方法のことを総和法と言います。
特定の性質を持つ数列
のなす数列
最も一般的かつ解析的に重要な総和法としてはCauchyの極限による解釈
があります。
級数
が成り立つことを言う。このときその値
と表し、これをCauchy和と言う。
通常Cauchy和のことを総和法の一つと数えたりCauchy和と呼んだりすることはありませんが、説明の都合上何かと便利なのでこのような解釈をすることにしました。
一般に総和法と言った場合、その醍醐味はCauchy総和可能でない級数、いわゆる発散級数の値を定めることにあります。例えばCauchyの手法では調和級数
のように値が無限大に向かってゆくものやGrandi級数
のように振動するものに対してその値を定めることはできませんでしたが、これらの級数も適当な解釈に基づけば
のような値を割り当てることができます(ただし
では実際上のような級数の意味付けとしてどのような方法が考えられるでしょうか。まず総和法と言うからにはCauchy和を基点とした延長線上になければ、ということで少なくとも収束級数に対しては
を返すような操作
具体的には次のような定理を活用していきます。
なる数列
が成り立つ。
なる数列
が成り立つ。
これらの定理から次のような総和法が考えられます。
級数
が収束することを言い、その値のことをCesàro和と言う。
級数
が
が存在すること言い、その値のことをAbel和と言う。
例えば
という発散級数の値を考えると、その部分和は
と表せ、また
が成り立つのでこれらのCesàro和、Abel和はそれぞれ
と求まります。
ちなみにCesàro総和可能な級数はAbel総和可能でもあり、その和の値は一致することが知られているようです。
ちなみに部分和分によりAbel和は
のようにも表せます。
これとCesàro和の一般化としてToeplitz和というものがあります。
位相空間
いま級数
が任意の
が存在することを言い、その値のことをToeplitz和と言う。
例えばCesàro和はこの
の場合であり、Abel和はこの
Toeplitz和って存在するなら
上のようにCauchy和の延長線として考えられた総和法においては次のような性質が成り立ちます。
これらは"総和"の持ってほしい性質として我々の直感に従う結果ではありますが、この三つ目の性質が強い制限を課しているがゆえに、このような総和法では考えることができない発散級数というのが多数存在してしまいます。例えば
が成り立つことになり矛盾してしまいます。したがって総和法の例としてよく挙げられる
という言説を正当化するにはこのような総和法、つまり並進性を満たすようなものでは不十分ということになります。
ということでここからはより多くの発散級数を扱えるRamanujan総和法について解説していきたいと思いますが、その導入については書くと長くなりそうなので次回の記事に回すことにして、ここではRamanujan総和法の持つ性質について簡単に紹介しておこうと思います。
上で触れたようにこれから考えるRamanujan総和法は並進性を破る総和法となっており、その代わりに
という推移性(shift property)を満たすことになります。そしてそれゆえにこれは正規性
すら満たしません。例えば右辺の級数・積分がそれぞれ収束するときは
が成り立ちます。
この表示だとRamanujan和は我々の考える"無限和"とは全く外れた無意味な値を返すようにも見えます。しかし例えば
が成り立ちますが、実はこれは
つまり
といった興味深い結果が得られます。
さらに解析的にもRamanujan和は興味深い性質を持つようで、例えばゼータ関数や重さ
をRamanujan和と結びつけることでその関数等式
を導出できたりするようです。
具体的にRamanujan和から一体どのような理論が展開できるのか、ということについては次回以降の記事で考察していこうと思います。