本記事(シリーズ)は,筆者による独自解釈が強めの記事です.参考文献を挙げるべしという指摘はごもっともですが,お応えできません.小説か随筆のようなものとしてお読みください.
また,筆者は非常に怠惰な人間であり,これまでに始めたブログ等は数知れず,しかし,今に至るまで続いているものは一つもありません.つまり,本シリーズはいつ終わるかわかりません.
以上のことをご理解いただいたうえでお読みください.
二つのクイズから始めよう.まずは一つ目.
フィボナッチは何年頃(あるいは何世紀頃),どこの国の人物か.
フィボナッチ(Fibonacci)は,フィボナッチ数列でよく知られている数学者である.おそらくこの記事を読んでいる全員が,その名前を知っているだろう.一方で,フィボナッチの数学史上の貢献については,よく知られていないように思う.今回の記事では,そこを掘り下げていきたい.
といっても,まずは先ほどのクイズの答え合わせからしよう.フィボナッチは,
では次のクイズだ.
ルネサンスとは何を指し,何世紀頃に起きた出来事か.
ルネサンスの語源は「再生」や「復興」を意味するフランス語である.そこで再生,復興させるものは,ギリシア・ローマの文化や芸術だ.
ルネサンスを象徴する人物と言えば,レオナルド・ダ・ヴィンチであろう.[2]彼は
従って先ほどのクイズの答えを教科書的に記すならば,ルネサンスは「ギリシア・ローマ時代の文化や芸術を復興させようという文化的運動であり,
ここまで読み進めている読者は,大きく三つに分けられるだろう.
第一に,「ふーん」と読んでいる層.
第二に,フィボナッチとルネサンスの時代違うやん,とツッコミを入れた層.
第三に,
全ての読者に対して,まず断っておきたい.
そもそもこの記事の読者層は,数学に関心の強い人たちである.だから私も,細かい用語の解説や位置づけをしたいわけではない.フィボナッチを歴史的にきちんと位置付けるなら,
一言でこの記事の要点を言うなら,「フィボナッチが活躍した時代は,数学史から見ると『空白の時代』の終わり頃」ということだ.
「空白の時代」とはどういうことか?これを説明するために,試しに,読者が思いつく限り数学者を挙げてみてほしい.
思いつく限り数学者を挙げよ.
ここで名前が出てきた数学者のほとんどが,紀元前の人物か,
アルキメデス,ピタゴラス,ユークリッドなどは紀元前の著名な数学者だ.一方,フェルマー,ニュートン,オイラー,ガウス,リーマンなどは
紀元前と
フィボナッチから遠ざかってしまうが,紀元前と
「代数学の父」とも呼ばれるディオファントスは,
マニアックだが,祖沖之が出てくる人もいるかもしれない.彼は
と,何人か挙げてみたところで,ルネサンスの話に戻ろう.
改めてルネサンスは,
しかし先ほど書いたように,ヨーロッパでは学問が
いや,正確に言えば古代ローマの滅亡が
ということで,ヨーロッパ史の概略を書こう.なお,ここから先の記述は,凄まじく単純化して書いている.疑問に思ったことがあれば,まともな文献にあたることを推奨しておく.
まず古代ギリシア・ローマの時代が終わるのは,紀元後
当時,地球規模で寒冷化したため,寒冷地域(北部)に住んでいた人は南部へと移り住んでいった.ヨーロッパにおけるこの現象がゲルマン民族の大移動であり,この結果,ローマ帝国は衰退へと向かっていく.[7]
最盛期のローマの版図は,今の国名で言えば,西はスペイン・ポルトガルから東はイラクまで,北はイギリスやフランスを,南は北アフリカの海沿い全てを手中に収めていた.ところがゲルマン民族がそうした地域に流れ込み,その広大な領域の支配は困難となった.
ローマは
西ローマが滅んでから,ヨーロッパはどうなったか.
イスラームはアラビア半島でムハンマドによって始まった宗教であるが,その後のイスラーム世界の広がりは急速である.
こうした中で,西ローマの残党勢力は,カールの戴冠(
そうこうしている内に,
今度はデーン人やノルマン人である.彼らは(正確ではないが)デンマークでノルウェーの辺りを本拠地としていた.彼らは海賊行為を各地で働き,ヨーロッパは再び荒れる時代となった.
なお,そうしたノルマン人の移動の一つの帰結として,
そうしたヨーロッパのゴタゴタがひと段落すると,ヨーロッパ(=キリスト教社会)はイスラーム社会に対決を挑んだ.
ここまでが非常に大雑把なヨーロッパ史である.ヨーロッパが
フィボナッチの時代,つまり
北はまだヴァイキング(海賊)が健在で,西(イベリア半島)はレコンキスタ[13]の真っただ中であり,東(中東地域)ではイスラーム社会と対立し,十字軍を派遣している.ヨーロッパの内部を見ても,英仏の派遣争い[14]や,ローマ教皇と神聖ローマ帝国の権力闘争が起きている[15].ついでに言えば,
それでも,ゲルマン民族やイスラーム社会のような強い外圧はなくなっていた.時代が落ち着けば,交易が盛んになり,外の世界に目を向ける余裕が生まれてくる.
ヨーロッパの「外」と言えば,西は大西洋,北は不毛の地である.自ずと目が向くのは南と東であり,それはつまりイスラーム社会である.
世界史を勉強したことがある人は,イスラーム国家が複雑怪奇に分裂していくことを知っているだろう.イスラーム社会は(現代でもスンナ派とシーア派で戦闘を繰り返しているように)決して一枚岩ではない.それでも,ヨーロッパ社会ほどの強い外圧がなかったため,ある程度文化も成熟していった.
非常に簡略化した表現をすれば,古代ギリシア・ローマの文化のある程度を,イスラーム社会が引き継いだとも言える.先ほど,アル=フワーリズミーが重要だといったのも,これが理由である.
古代ギリシア・ローマが発展させた数学は,紆余曲折の末イスラーム社会に流れ[17],そこにまたインドの「ゼロの概念」なども取り入れて,成熟していった(これがアラビア数学である).
こうしてできたイスラームの優れた学問を,
ようやくフィボナッチにたどり着いた.
フィボナッチを端的に紹介すれば,アラビア数学を初めてヨーロッパに紹介した人物だと言える.その著書『計算の書』[18]は,当時のローマ数字を基本としていたヨーロッパの数学を飛躍的に発展させる契機とも言える,非常に重要な著作だ.
もちろんフィボナッチはただの翻訳家ではなく,数学者としても優れている.あの神聖ローマ皇帝フリードリヒ
また,フィボナッチ以降の数学者を考えてみても,フィボナッチの特異性がわかる.フィボナッチ以降のヨーロッパの著名な数学者と言えば,たとえば「会計学の父」と呼ばれるパチョーリ[20],
フィボナッチが優れたアラビア数学をヨーロッパ持ち込んだものの,それに続く数学者はいなかった.当時の事情を考えれば,これも不思議なことではない.
ヨーロッパ最古の総合大学であるボローニャ大学(伊)の創立が
もっと言えば,科学者としてよく知られる人物が出てくるのは
冒頭で,ルネサンスは,ダンテに始まりダ・ヴィンチに集約されると書いた.
世界史上の傑作とも呼ばれるダンテの『神曲』は,壮絶な旅を綴った詩である.ダンテから始まったその旅路は,
しかし数学の世界では,孤高の天才フィボナッチが,一人でその基礎を据え,次の天才をひたすら待ったと言えよう(誇張した表現ではある).
おわりに.フィボナッチが活躍したイタリア・ピサは,ガリレイが誕生する地でもある.ときに「天文学の父」,さらには「近代科学の父」とまで呼ばれるガリレイが,異端であると有罪判決を受けるのも,イタリア(ローマ)である.
「すべての道はローマに通ず」とまで言われた古代最強帝国の中心地であり,
ところが
イタリアの光と影には,常にキリスト教が見え隠れしており,私は何となくそこに宗教の恐ろしさを感じてしまう.
最後に,覚えておいてほしいことをまとめておく.