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現代数学解説
文献あり

圏論から共形場理論へ ①

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本稿ではまず大枠の理解を優先するため厳密性は少し犠牲にする

また本稿は言葉を中心に説明する。また分かりやすくするためにかなり長いです

目次

第一部:関係性の言語を学ぶ
(1) 圏論の必要性
(2) 圏、射、関手、成分
(3) 自然変換
(4) 圏論の本質
(5) 圏論で関連するもの

第二部:構造を豊かにする――モノイダル圏とその仲間たち
(7) 積、余積
(8) テンソル積
(9) 結合子・単位子・coherence定理など
(10) モノイダル圏

本稿を読む上で必要な知識
位相空間$(X, \mathcal{O})$

集合$G$とその部分集合族$\mathcal{O} \subseteq \mathfrak{P}(X)$が次の条件を満たすとき組$ (X,\mathcal{O})$を位相空間といい、$\mathcal{O}$の元を開集合と呼ぶ.

$X,\emptyset \in \mathcal{O}.$
$\forall\{U_\lambda\}_{\lambda \in \Lambda} \subseteq \mathcal{O}$$\Longrightarrow$$ \bigcup_{\lambda \in \Lambda} U_\lambda \in \mathcal{O}.$
$n \in \mathbb{N}, U_1, \dots, U_n \in \mathcal{O} $$\Longrightarrow$$\bigcap_{i=1}^{n} U_i \in \mathcal{O}.$

イメージとしては距離の単位、区分のルールみたいなもの。日本列島に当てはめて考えると北海道地方、関東地方といった区分の事を開集合と言い、またそれらの区分を束ねるものを位相空間と言います。もうすこし具体的にいうと日常生活においてメートルやヤードなどの単位を位相空間であり、実際にその単位の中の規則的なルールがついた物差しで距離を測っています。もちろん数値とは限りません。そして位相が密着であればあるほど大雑把な物差しを持ち、離散であればあるほど精密な物差しを持ちます。位相空間は集合の言葉にすると開集合に含まれるか含まれないかで遠いか近いを表す基準と言えます。

空でない集合$G$とその上の二項演算$\cdot$とその組$(G,\cdot)$が群であるとは次の3条件を満たすことである。
$\forall a,b,c \in G \Longrightarrow (a \cdot b) \cdot c = a \cdot (b \cdot c)$
$\exists e\in G,\forall a \in G \Longrightarrow a \cdot e = e \cdot a = a$(この$e$を単位元と言う)
$\forall a\in G \Longrightarrow \exists a^{-1} \in G, a\cdot a^{-1}=e $(この$a^{-1}$を逆元と言う)

一般に演算で$a\cdot b=b\cdot a$は成り立つ必要はない。成り立つ場合は可換群と言ったり、かっこよく言いたい場合はアーベル群と言う。ほかにもモノイドなど細分化されているが省く

ベクトル空間における線形独立性

ベクトルの集合$(v_1,v_2,v_3,...,v_n)$が線形独立とは、$\lambda_1v_1+\lambda_2v_2+\lambda_3v_3...+\lambda_nv_n=0$なら$\lambda_1=\lambda_2=\lambda_3...=\lambda_n=0$が成り立つことである。

日常的な言葉で言えば「どのベクトルも他のベクトルの組み合わせで表せない」ということです。平面で言えば、同じ方向を向いた二つの矢印は線形独立ではありません。一方を何倍かすれば他方になってしまうからです。よって打ち消し合い非0の係数で和が0になるということである。

ベクトル空間に置いての「張る」。 (span)

ベクトルの集合$(v_1,v_2,v_3,...,v_n)$$V$を張るとは、$\forall v\in V$に対し$v=\lambda_1v_1+\lambda_2v_2+\lambda_3v_3...+\lambda_nv_n$が成り立つこと。

「この集合の組み合わせだけで空間全体を網羅できる」ということです。

集合の基底

集合$V$の部分集合$\{e_1,e_2,e_3,...,e_n\}$$V$の基底であるということは、
その部分集合が$\begin{eqnarray} \left\{ \begin{array}{l} \text{線形独立である} \\ \text{集合Vを張る} \end{array} \right. \end{eqnarray}$

例えば平面$\mathbb{R}^2$の分かりやすい基底は$e_1=(1,0),e_2=(0,1)$です。明らかに張り、かつ線形独立です。しかし一般に$\mathbb{R}^2$の場合は線形独立であればどのようなベクトルの取り方をしても張ります。

ベクトル空間の$V$の次元

ベクトル空間$V$の次元$\mathbf{dim}V$とは基底の元の個数、つまりベクトルの個数とする。

一般に$\mathbb{R}^n$の次元は$n$です。ここで違和感を抱いた鋭い人もいるでしょう。なぜ基底の恣意的な取り方によらず、一つのベクトル空間における基底の元の個数が一致するのかという疑問です。重要な定理として、どの基底を選んでも個数は同じになることが証明できます。つまり次元は基底の選び方によらず$V$に固有の量です。ここに後々分かるのですが普遍性や自然性の香りがあります。基底という「人為的な選択」に依存せず、空間そのものの本質的な量として次元が定まるのです。

線形写像

ベクトル空間$V,M$において$f:V\to M$が写像であるとは$\forall u,v\in V,\forall \lambda\in \mathbb{F}$に対し$f(u+v)=f(u)+f(v)$かつ$f(\lambda u)=\lambda f(u)$が成り立つ事である。

つまり僕たちの知るような分配法則や係数を前に出すといった僕たちの知るようなルールが成り立ってほしいということです。

自由ベクトル空間

集合$S$上の自由ベクトル空間とは係数体k上のベクトル空間$F(S)$と写像$g$の組$(F(S),g)$ とは$F(S) := \left\{ \sum_{i=1}^{n} \lambda_i x_i \;\middle|\; n \in \mathbb{N},\ x_i \in S,\ \lambda_i \in K \right\}$かつ、$g:S\to F(S)$であり$g(x) = 1\cdot x$(係数1の形式和)で定義する。このとき、組 $(F(S), g)$$S$ 上の自由ベクトル空間と呼ぶ。

集合Sの各元が基底になるような最小のベクトル空間を自由ベクトル空間という。この「自由」とは各元に何らかの関係式や条件がなく、好きなように取っているという意味での「自由」である。

ベクトルにおける商空間

ベクトル空間$V$とその部分集合$W$が与えられたとき、商空間$V/W$を次の様に定義する。
$V$上の同値関係:$v_1\sim v_2 \Longleftrightarrow$$v_1-v_2\in W$
同値類:$[u]=u+W=\{u+w|w\in W\}$
和:$[u+w]=[u]+[w]$
スカラー:$[cv]=c[v]$

地図を思い浮かべてください。実際の地形をそのまま描くと膨大すぎるので、一定のルールで「同じ情報」をまとめて縮約します。例えば、標高が同じ点を同じ色で塗る、など。これは「標高が等しい」という関係で点をグループ化(同値類に分ける)しています。つまりある方向の情報を排除しシンプルにしたのが商空間です。
ではこの目的を達成する為に何故同値関係で差を取る必要性があるのかと言う疑問を抱くのは自然です。商空間の本質は、ある部分構造を「無視する」または「潰す」ことにあります。しかし単に要素を適当にまとめるのではなく、元の代数的構造を商空間上でも保ちたいという要求があります。
具体例として、整数全体の集合Zを3で割った余りで分類する状況を考えましょう。整数aとbが「3で割った余りが等しい」とき同値とします。この条件は「a - bが3の倍数である」と言い換えられます。つまり「a ~ b ⟺ a - b ∈ 3Z」という差を用いた定義になります。
この定義の優れた点は、加法との整合性にあります。もしa ~ a'かつb ~ b'ならば、(a + b) ~ (a' + b')が自動的に成立します。なぜなら(a + b) - (a' + b') = (a - a') + (b - b')となり、両方の差が3の倍数なら和も3の倍数だからです。このように差を使った定義により、商空間上でも加法という演算が矛盾なく定義できるのです。
より一般的に述べると、ベクトル空間や群などの代数系において、差(または群の場合は商)を使った同値関係は、演算と同値関係が自然に調和する構造を生み出します。同値類[v]と[w]の和を[v + w]と定義したとき、代表元の選び方によらず結果が定まるという性質が、差を用いた定義から直接導かれるのです。

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日本人初アーベル賞受賞 余談

出典:京都大学数理解析研究所 柏原正樹先生 アーベル賞受賞記念講演会ポスター 出典:京都大学数理解析研究所 柏原正樹先生 アーベル賞受賞記念講演会ポスター
2025年、写真にも書いてある通り日本人で初めて数学界のノーベル賞とされるアーベル賞を柏原正樹先生(かしわらまさき)が日本人初受賞しました。その功績はD加群理論の構築と結晶基底理論の導入、Riemann-Hilbert対応の確立、Kazhdan-Lusztig予想の解決、超局所層理論の構築など多岐にわたります。ちなみに私個人このイベントに参加させて頂いてます。

第一部

そもそも圏論はいるのか

圏論という分野を何となく知っている人もいると思うが、抽象性が非常に高く一般的な位相空間、代数学とは一線を画す分野です。しかも比較的最近、それも20世紀に誕生したというのです。なのでまず何故圏論は必要とされどのように生み出されたのかを説明しなければ、いきなり定義を説明してもその意義にモヤモヤを抱くでしょう。

生まれた経緯、必要性

圏論の生みの親であるサミュエル・アイレンベルグとソーンダース・マックレーンは1940年代、位相空間を群などに変換し代数学の道具を用いて研究する代数的位相幾何学において大きな問題に出くわしました。それは「自然」な対応の厳密化です。当時の論文は「自然」という語が各著者の持つ感覚に依存し、違和感ないという意味での「自然」に彼らは疑問を感じていたのです。例えば微分可能であることと連続であることは「自然」な対応です。しかし連続であることと微分可能であることは自然な対応ではありません。圏論を学んでいない人たちになぜ問いかけても答えは帰ってこないでしょう。何が違うのでしょう。彼らの問題は「自然」に対応することの定義です。そしてしばらくはこれを目標に圏論を説明する

圏論が置く視点

従来の数学(集合論)は、集合の元に注目します。例えば「群」なら、その元が何か(数なのか、行列なのか)をまず考え、位相空間ならその元が和、積で閉じているかを考えます。つまりはそれぞれ対象の内部構造の在り方について視点を置いていました。しかし圏論は対象そのものよりも対象間の「射」つまり関係性を重視します。その意味で写像や関数は圏論的視点と言えます。またこの視点こそ「自然」と言えるでしょう。対象間の関係の違和感の無さを定義するのに対象の内部よりその関係性に目を向けるのです。

実際の自然の定義づけ

$C$が圏であるというのは次の条件を満たすものする。
$\begin{eqnarray} Cが\left\{ \begin{array}{l} 対象の集まりを持つ \\ \\射の集まりを持つ \end{array} \right. \end{eqnarray}$
かつ対象$X,Y,Z$に対し任意の射$f,g$$f:X\to Y, g:Y\to Z$なら$g\circ f:X\to Z$である
任意の対象$X,Y,Z$に対して,射$ \exists f:X\to X such that\forall g:X\to Y,g\circ f=g$でありかつ$\forall h:Z\to X, f\circ h= h$が存在する(この$f$を恒等射と言い$id_x$と表す)

対象に制限はありません。集合、群、位相空間、あるいはもっと抽象的なものでも構いません。
また射とは対象どうしの間の構造を保つ対応の事です。
集合の圏では:通常の写像 ベクトル空間の圏では:線形写像 群の圏では:群準同型 
位相空間の圏では:連続写像が射に値します。
最後らへんの条件はおまけみたいなもので射は合成出来て、何もしないという操作も射とするということである

$Ob(C),Hom_C(X,Y),Mor(C)$

$Ob(c):=$$C$にあるすべての対象の集合
$Hom_C(X,Y):=$$C$おいてから対象$X$から$Y$への射全体の集合(添え字の$C$は省略される場合もある)
$Mor(C):=$$C$にある射全体の集合

ちなみに$Hom_C(X,Y)$$X$を域、$Y$を余域と言います。
$Ob(C)$$Obj(C)$とする人もいますが本稿は$Ob(C)$を採用します。
あまり言うことがありません。へえそうなんだくらいです。お次は圏から圏の対応です

関手

$C$ から圏 $D$ への関手 $F: C \to D$ とは、以下の対応のことである:
· 各対象 $x \in Ob(C)$ に対して、一つの対象 $F(x) \in Ob(D)$ を割り当てる。
· 各射 $f: x \to y$ に対して、一つの射 $F(f): F(x) \to F(y)$ を割り当てる。
ただし、これらの対応は次の性質を満たす:
· $F(id_x) = id_{F(x)}$ (恒等射の保存)
· $F(g \circ f) = F(g) \circ F(f)$ (合成の保存)

論理式の意味はつまり集合の写像の対応のさせ方が射でも対象でも成り立つということです。$x$に対し$F(x)$が一意に定まり、また射についても同じである。しかし混同してほしくないのは二つの対象の射はいくつあってもいいのでその分だけ複数の射の像が一致することがあるということです。つまり単射とも全単射とも限らないということです。そして自然変換とは関手から関手への射です。別の言い方で自然変換αは「$F$で得られる結果」を「$G$で得られる結果」に変換する写像の集まりです。

自然変換

$C,D$$F,G:C\to D$の二つの関手に対し、 $\forall X,Y\in C,\forall f\in Hom_C(X,Y) $が与えられ射$\eta_X:F(X)\to G(X),\eta_Y:F(Y)\to G(Y)$が自然変換であるとは次の条件を満たすことである。
$G(f) \circ\eta_X=\eta_Y\circ F(f)$
またこの射$\eta_X,\eta_Y$をそれぞれ$X,Y$における成分という

図示 図示
まずなぜこれが私たちが求めていた「自然」に値するかを説明します。「自然」の対義語で考えると「人為」となります。何が言いたいかというと、つまり人の恣意的選択によってふたつの物の論理や関係性が変わってしまったら人為的作用が及んでいると考えられます。では「自然」は「人為」の対義語なので人の恣意的選択によらず常に一貫した論理、関係性を持っていると考えられます。まずこれが「自然」の正体です。ここで議論したいのは「同じ射」と「同じ始点と終点の射」は別物であることです。射は三つの要素を包含しています。始点、終点、そして射そのものです。具体例を考える今回は分かりやすさの為極小の集合の圏$C$と対象を二つの集合$A(1,2),B(a,b)$とする。まず$id_A,id_B$の恒等射がありまた全単射の射$f\in Hom_C(A,B),f(1)=a,f(2)=b$を持つ。ここでもう一つの圏$D$を今回は圏$C$と同じ対象と射を持つとする。また$F,G:C\to D$の関手をお互いに等しくかつ恒等関手とする。記号で$F,G$$F,G=\mathbf{Id_C}$。ここで自然変換もどき$\eta_A$$1\mapsto 2,2\mapsto 1$を返し$\eta_B=id_B$とします。ここで$\eta_A$で誤解してほしくないのが、成分が要求するのは対象全体の像が$F(A)$、今回だと$A$に一致する事だけを要求しており、個別の元(今回の例は集合だったので元としているが他の場合もある)については問われていないのである。計算すると$f\circ\eta_A$の1の場合は$1 \mapsto 2\mapsto b,$ 一方で$ 2\mapsto 1\mapsto a$,$\eta_B$の順序を取ると$1 \mapsto a\mapsto a, 2\mapsto b\mapsto b$となる。よって「同じ射」ではないので自然変換ではない。もちろん「同じ始点と終点の射」と「同じ射」は同値ではない。何故か、対象と射の定義に落とし穴があると言っていい。集合のように対象が複数のもので構成されている場合、その構成しているもの同士にも射が生まれる。射は圏$D$上の一つの対象全体が、同じ圏の上にあるもう一つの対象に移る関数的な整合性を求めるのに対して、自然変換は二つの射において対象を構成するもの同士にも生まれる個別の射に対しても二つの合成が一致する事、バラバラに定義されていないことを要求する(集合においては各元の一致である) 。これはまさに非「人為的」である。射が$F(f)$周りルートを通るのか$\eta_X$のルートを通るのかと言う選択、更に言えば射の選び方(実質的に始点と終点となる対象の選び方)という人の選択に関わず論理が一貫するのだから、まさに求めていたものである。さっきの微分の例そ使うと、微分可能な関数は恣意的選択に関係なく連続であるのに対し、連続であることと微分可能であることは恣意的選択により成り立ちません
(わいえるすワイエルスシュトラウス関数など)

変化した圏論の目的

さっきの物でとりあえず自然が「」なしで使えるようになりました。実際サミュエル・アイレンベルグとソーンダース・マックレーンの目標を達成しましたが、圏論の真の魅力は自然ではないのです。まず魅力の一つは関手による分野間の「翻訳」です。例えば位相幾何学を群に翻訳できます。正確に言うと、コーヒーカップとドーナッツが穴を開けずぐにゃぐにゃ変形させて同じになるかという問を、ふたつの群が同型であるかという問に翻訳できます。ものすごい専門的な例で言うと、ものすごく専門的な例で言うと、岩澤理論においてp進L関数とp進Selmer群の対応も『解析的な情報』と『代数的な情報』を結ぶ関手的な対応と言えるでしょう。そしてもう一つは数学的「普遍性」の抽出です。後々わかるのですが数学的構成の本質を捉え、そして驚くべきことに、「普遍性」によって定義された対象は常に自然に同型なのです。よって次からはこの二つの目的、翻訳と普遍性について説明します。そして共形場理論の導入であるリーマン面のコボルディズム圏からベクトル空間の圏へのモノイダル関手にたどり着くのを目標にします。

そのほかの圏論の用語、記号、公理

射の合成の性質

$\forall f,g,h\in \mathbf{Mor(C)},f:A\to B,g:B\to C,h:C\to D$に対して$(h\circ g)\circ f=h\circ(g\circ f)$

同型射、同型

圏Cとその中の対象$A,B$が同型とは$\exists f \in \mathbf{Hom_C(A,B)},\exists g \in \mathbf{Hom_C(B,A)}$に対して$g\circ f=id_A$かつ$f\circ g=id_B$を満たすことであり、また$f$を同型射($f:A\xrightarrow{\sim} B$と書く)、$g$を逆射と呼び$f^{-1}$とかく。また$A$$B$が同型であることを$A\simeq B$と書く

つまりは合成したとき恒等射になる射が二つ存在する。実世界で考えると完璧な和訳をする翻訳機$f$と完璧な英訳をする$g$があれば、$f$を使い更に$g$を使っても変化せず、またその逆もあり得るということだ。そしてもしそんな言語があればそれらを同じとみなすのである。また圏論において「対象が等しい」という主張はあまり重要視されず、むしろ「二つの対象の構造が等しい」つまり「同型」なことの方が本質的です。

逆射の一意性

$\forall f:A\xrightarrow{\sim} B$に対し$\exists !g \in \mathbf{Hom(B,A)}$ such that $g=f^{-1}$

証明
$\forall f:A\xrightarrow{\sim} B$が与えられ$g,g^`$が逆射だとする。
$g \in \mathbf{Hom(B,A)}$であるため$id_B$を考えると$g=g\circ id_B$である.(あくまで恒等射のみにおいて$B\to A = B\to B\to A$)。恒等射は対象全体の像が元に戻る事だけでなく、その個別的に対象を構成する要素についての一致までも要求するためただ一つしか存在しない。つまり$A(1,2)$において$f(1)=2,f(2)=1$を返す射は確かに$f:A\to A$であるが恒等射ではない。つまり個別的に対象を構成する要素にも生まれる任意の射に対して、ある射の合成が元の射と同じ射になるのは恒等射しかないということ。よってこの操作が正当化される
また同型射の定義により$g\circ id_B=g\circ(f\circ g^`)$.射の合成の性質により$(g\circ f)\circ g^`$で同型射の定義により$id_A\circ g^`$よって恒等射の定義により$id_A\circ g^`=g^`$よって$g=g\circ id_B=g\circ id_B=g\circ(f\circ g^`)=id_A\circ g^`=g^`$よって$g=g^`$

自然同型

二つの関手$F, G: \mathcal{C} \to \mathcal{D}$の間の自然変換$ \eta: F \Rightarrow G$自然同型であるとは、すべての対象$A\in Ob(C)$に対して成分$\eta_A: F(A) \to G(A) $が同型射であることです。

自然変換と自然同型の違い
自然変換$\eta: F \Rightarrow G $は「Fの世界からGの世界への一方向の整合的な対応」です。$\eta_A $​が同型でない場合、$G(A)からF(A) $へ戻ることは保証されません。
自然同型$\eta: F \cong G $は「Fの世界とGの世界の間の双方向の整合的な対応」です。$\eta_A​ $とその逆射がともに存在するため、二つの世界を自由に行き来できます。

スライス圏

$C$ とその対象 $X$ に対して、スライス圏 $C \downarrow X$ は次のように定義される:
· 対象:$(Y, f)$ の組。ただし $Y \in Ob(C)$$f: Y \to X$ は射。
· 射:$(Y, f)$ から $(Z, g)$ への射は、$h: Y \to Z$$g \circ h = f$ を満たすもの。
· 合成と恒等射は $C$ から自然に導かれる

コスライス圏

スライス圏の双対で、圏$C$である対象$X$が与えられたとき、「$X$への射を持つものを集めた圏」ではなく、「$X$からの射を持つものを集めた圏」で$X\downarrow C$と書く。$X\downarrow C:=\{(Y,f)\,|\,Y\in C,\, f:X\to Y\}$

$Set,Grp,Ring,Top,Vect$といった代表的な圏

$Set:= \text{集合の圏},Grp:=\text{群の圏},Ring:=\text{環の圏},Top:=\text{位相空間の圏},Vect:=\text{ベクトル空間の圏}$

積圏$C\times C$

$C$に対して積圏$C\times C$を次の様に定義する。積圏$C\times C$の各対象は$A,B\in Ob(C)$に対し$(A,B)$の組である。ここで射は$(A,B)$から$(A',B')$への射とは$\mathcal{C}$における射のペア$(f,g) $であり、$f:A\to A $$ g: B \to B'$とする。

ちなみに射の合成は$(f',g')\circ(f,g)=(f'\circ f,g'\circ g)$で恒等射は$id_{A,B}​=(id_A​,id_B​)$で定義されます。

普遍性

普遍性について説明します。積の定義には普遍性の上で行う必要があります。
普遍性という言葉を聞くと、哲学的で掴みどころのない概念に思えるかもしれません。しかし日常的な感覚に置き換えると、実はシンプルな問いに答えるための言葉です。
「ある条件を満たすものが複数あるとき、そのなかで最も"無駄のない"、最も"根本的な"ものはどれか」——普遍性とは、この問いに対する圏論的な答えです。
対義語から考えましょう。個別性とはidentityや各々の属人性を意味します。例えば世間一般的に天才とされる人は多くいます。もちろん一人一人の持つ背景やポジショナリティーは異なります。むしろ個別性はそうした差異を考えます。しかし一方で普遍性は天才の人たちには、個別個別の特性に隠れた何らかの共通点、本質が作用し一般人をその人たちを天才だとさせると考えます。いやむしろそういう存在を仮定していると表現した方がいいでしょう。なのでコラッツ予想のように数字ごとの個別個別の特性が顕著で本質が見えにくい問題に対しては普遍性はあまり効果を発揮しません。

補足ですが「普遍性」といっても色々な種類が存在し一様な定義は抽象的になってしまうので、一般的な種類の物をそれぞれを個別にひも解いていきます。

今回扱うのは終普遍性表現可能普遍性始普遍性余表現可能普遍性です。そして①で扱うのはその中でも始普遍性終普遍性です。
英語だと順にterminal universality,Representable Universality,Initial Universality,Corepresentable Universalityです。

終普遍性(terminal universality)

$C$$ \exists U\in Ob(C)$と射$u:U\to Y$が存在して、任意の$f:X\to Y$を満たす対象と射の組$(X,f)$に対して、$ \exists!g:X\to U \mathbf{s.t.} f=u\circ g$であるとき$(U,u)$の組が$Y$において終***普遍性を持つとする。 $\forall (X,f)\in (C\downarrow Y), \exists!g\:X\to U\, \, \mathbf{s.t.}\,\,f=u\circ g $

圏論の言葉を翻訳すると次のようになります。各$(X_1, X_2, X_3, \ldots)$$Y$という。$X_n$$X_n\to Y$の射を持ち、$Y$という天才性が定義される範囲に移されるため$X_n$は天才であるということです。$U$はアインシュタインだけでなく、モーツァルトにも、といったどんな天才にも対応する射を持ちます。一人の例外もなく対応することは、$U$が持つ本質が個別性に依存していないことを保証します。もし$U$が「アインシュタイン的な知性」という形で定義されていたなら、モーツァルトからの射は存在しないでしょう。全ての対象が持ち得る本質を持ち個別性を排除します。また各天才から射がただ一つに定まるということは、各個人の「説明の仕方」に選択の余地がないことを意味します。言い換えると、$U$という本質は各個人の天才性を過不足なく、ちょうど説明しきれる形をしているということです。もし複数の射が存在するなら、$U$はその個人の天才性を説明するために余分な情報を持っていることになり、それは「本質」ではなく「過剰」です。逆に射がゼロなら説明に届いていない「不足」です。一意性はこの過不足のなさ、つまり本質の純粋さを意味します。$f=u\circ g$はその意味するところは「個別の天才性は、普遍的本質の特定の現れ方に過ぎない」という主張です。アインシュタインの天才性Xは、その構造を保ち$U$に変換される。つまり$U$の中で$X$を十分に表現出来るということです。

始普遍性(initial universality)

$C$$V\in Ob(C)$が与えられる。任意の対象と射の組$(X,f)$$f:V\to X$を満たすものに対して、ある対象と射の組$(U,u)$$u:U\to V$を満たす組が$V$において始普遍性を持つとは$\exists!g:U\to X\,\, \mathbf{s.t.}\,\, f= g\circ u$
$\forall(X,f)\in (V\downarrow C), \exists!g:U\to X\,\, \mathbf{s.t.}\,\, f=g\circ u$

先程の終普遍性と区別化を図ります。かなり大きな差でスタート地点とゴール地点の違いです。一般的に$V$は設計図のイメージです。もちろん$V$のいわば設計図は抽象的対象です。しかし、この設計図をもとに、様々な具体的天才たち$(X_1,X_2,X_3,...)$が「実装」されます。各天才はあくまで設計図$I$を具体化したもので一意な実装方法、射$h:I\to X$を持ちます。よって先程の説明と被りますが、$I$は天才たちの必要最低限の情報を含み、複数の「実装」方法は余分な情報を持っているということになります。
終普遍性が「すべての天才はこの本質に行き着く」という収束の物語であるのに対し、始普遍性は「この原型からすべての天才が生まれる」という生成の物語です。

集合の圏$Set$においての始普遍性

$\forall X\in \mathbf{Set}$に対し,$X$で始普遍性を持つ対象の具体例を述べよ

例:空集合
$\mathbf{Set}$において射とは写像であり、$\forall X\in\mathbf{Set}$に対して写像$f$とは直積集合に対して$f\subseteq \varnothing\times X$であって「$\varnothing$の各元に対してただ一つの$X$の各元を対応させる」の性質を満たす。そしてその$f$$ \exists!f:\varnothing\to X$であることを示せばよい。ここで$\varnothing\times X=\varnothing$であるため$f\subseteq\varnothing$より$f=\varnothing$のみが候補である。よって一意に定まる。
これが関数としての性質を持つか確認する。$\forall a\in \varnothing, \exists!b\in X \,\,\,\mathbf{s.t.}\,\,\,(a,b)\in f$という条件を満たせばいいが $\varnothing$に元は存在しないので空虚に真である。(なぜなら反例となるある元を持ってくること自体が原理的に不可能だからです。条件を積極的に満たすような元が存在するから真なのではなく、条件を破るような元が存在しないから真である)
以上より$ \forall X\in\mathbf{Set},\exists!f:\varnothing\to X$が示されたので空集合は集合の圏$Set$においての始普遍性*を持つ。

注釈1定義には二種類ある

一つは構成的定義です。「こういう手順で作ったものをXと呼ぶ」という形であり、存在は定義と同時に保証されます。
もう一つは特徴付けによる定義です。「ある性質を満たすものをXと呼ぶ」という形であり、この場合は別途「そのような性質を満たすものが実際に存在する」ことを証明する必要があります。

自然同型と等号の違い

射では等号がちょくちょく見られますが、関手や圏の範囲だと等号はめったに見かけません。等号は要求する程度が強すぎるのです。つまり全く同じのクローンを要求するのに対し、自然同型は互いに過不足なく行き来できる。またここに普遍性の精神が出ます。もう一つの圏での説明、論理は普遍性を使うまでもなくもう一つの圏でも成り立つのです。なぜなら自然同型はもう一つの圏での射の完全なただ一つの翻訳を強制します。しかし等号はその翻訳を要請するどころか全く同じの言語、構造を強要するのです。同型はその翻訳の仕方が複数あると考えればいいのです。日常的に言えば、youtube「逆翻訳」というこの同型の性質の要請する条件をいい意味でも悪い意味でも表しています。もし完全なら何回変換されても変化しないはずです、つまりいくつかの選択や恣意的、ニュアンス関与が存在するのです。

第二部

テンソル積の前に、圏論的積余積の定義

テンソル積を学んで間もない人にありがちなのが圏論的積余積との区別が明確にしていない事です。なのでそれを事前に防ぐためまず圏論的積余積を説明する。
テンソル積:モノイダル積の一部で「後から」追加する構造$ \otimes$
積:モノイダル積の一部で。圏が「最初から」持っているかもしれない構造$\times$

積とは直感的な例としてあな、たが「名前カード」と「電話番号カード」という二つの情報を持っているとします:名前カード:{田中, 鈴木, 佐藤}、電話番号カード:{090-1234, 080-5678, 070-9012}
これらを組み合わせて作れるものは何でしょう?積なら「田中・090-1234」というセットができます
つまり、「名前と電話番号の両方の情報を持つカード」です。これが積のイメージ:「両方の情報を同時に持つもの」

$C$において対象$A,B$の積とは対象$P$が、射影と呼ばれる射$\pi_1,\pi_2$において$\pi_1:P\to A,\pi_2:P\to B$が与えられ次の普遍性を満たす
$\forall X\in Ob(C),\forall f\in \mathbf{Hom(X,A)},\forall g\in \mathbf{Hom(X,B)}$に対して$\exists!u:X\to P$が存在し
$\pi_1\circ u=f,\pi_2\circ u=g $を満たす。
そしてこの$P$$A\times B$と表記する。

まず疑問に思うのはなぜ任意の対象$X$を用いて積を定義するのかという話です。なぜ$A,B,(A\times B)$の関係を射などを用いて表現しないのかという問いです。圏論の置く視点を思い出しましょう。圏論は対象の内部構造、性質よりも外、つまりほかの対象との関係を重んじるのです。$A\times B$にとってあくまで$A,B$は内包する構造でしかなくそれをその内部で論じるのは圏論の視点からすれば本質的ではないのです。では定義に戻りましょうもし$P$$A,B$のの情報を過不足なく含んでいなかったら射$u$は一つに定まりません。
つまりは$A,B$の本質を持っているなら、$X$$P$アクセスし表現し、それをある意味$A$または$B$の形に具体化させる射$\pi_n$の通す操作が、$X$の内部構造を$A$のなかで直接表現する操作が一致するということです。

直積集合が積

集合の圏$Set$で対象$A,B$がある。直積集合$A\times B=\{(x,y)|x\in A, y\in B)\}$$A,B$圏論的積である。

証明:
直積集合$A\times B$とは$\{(x,y)|x\in A, y\in B)\}$であり、よって$A\times B$の各元は$(x,y)$の形である。ここで$\pi_1:(x,y)\to(x),\pi_2:(x,y)\to (y)$を移す写像$\pi_1,\pi_2$を定義する。
また任意の集合$X$と任意の写像$f:X\to A$$g:X\to B$が与えられたとする。
この$\forall a\in X$に対して$h(a)$$\{(f(a),g(a))\}$を返す操作とする。そして$H:=\{h(a)|a\in X,h(a)\}$
まず$h(a)$$X\to A\times B$を満たすことを確認しよう。$\forall a \in X$に対し$f,g$それぞれ写像より、$f(a)\in Aかつg(a)\in B$のため,$(f(a),g(a))\subseteq A\times B$が自然に成り立つ。また$f,g$それぞれ写像の為各元$a$に対して$f(a),g(a)$がそれぞれ一意に定まるため$(f(a),g(a))$の組が一意に定まる。よって写像である。$\pi_1\circ h = f$を確認する$\forall a\in X$に対し、$\pi_1(h(a)) = \pi_1((f(a),g(a))) = f(a)$$\pi_2\circ h = g$を確認する$\forall a\in X$に対し、$\pi_2(h(a)) = \pi_2((f(a),g(a))) = g(a)$

次に、このような$h$が一意であることを示す。もし別の写像$h':X\to A\times B$$\pi_1\circ h' = f$かつ$\pi_2\circ h' = g$を満たすならば、$\forall a\in X$に対して$h'(a) = (x',y')$と書ける。
$f,g$は既に与えられているため$x'=\pi_1(h'(a))=f(a)$,$y'=\pi_2(h'(a))=g(a)$であり、$(x',y')=(f(a),g(a))$。よって自然に$h=h'$が成り立ち一意性が示された。
ゆえに直積集合$A\times B$圏論的積である。
補足:初学者向けの補足。
集合としての写像:写像 $h:X \to Y$ は、グラフ $\Gamma_h = { (x, h(x)) \mid x \in X } \subseteq X \times Y$ として定義されます。このとき、$h$ 自体は部分集合ですが、実際には「対応規則」を集合で表現したものです。
対応規則としての写像:各 $x \in X$ に対してただ一つの $y \in Y$ を指定する規則として定義します。このとき、$h(x)$$Y$ の元であり、$X$ の元を含む必要はありません。
今回の $h(x) = (f(x), g(x))$ は後者の「対応規則」による定義です。そして、そのグラフは ${ (x, (f(x), g(x))) \mid x \in X } \subseteq X \times (A \times B)$ となり、確かに $X \times A \times B$(正確には $X \times (A \times B)$)の部分集合です。ここで $h(x)$ 自体は $A \times B$ の元であり、$x$ を含む必要はありません。

余積

$C$において二つの対象$A,B$に対して、対象と二つの射の組$(P.i_A,i_B)$余積であるとは次の条件を満たすものとする。
$i_A:A\to P$かつ$i_B:B\to P$
$\forall X\in Ob(C)$$\forall f\in \mathbf{Hom_C(A,X)}$$\forall g\in \mathbf{Hom_C(B,X)}$ に対して、射$h:P\to X$ がただ一つ存在し、$h \circ i_A = f$ かつ $h \circ i_B = g$ を満たす。
この$P$$A+B$または$A\coprod B$と表記する

積は集合の圏$\mathbf{Set}$においては直積集合でした。では余積ではどうでしょう。表記気付と思うのですが直和に値します。定義式どの部分がその違いを生まれさせているのかを説明します。。積では一つの対象から$A,B$への射が出来るのに対し、。つまりはその対象の全ての構造がA,Bの両方の構造を同時に併せ持たなければなりません。対象の全体の構造が$A$かつ$,B$に保たれる、つまり射を持つ事を要求しています。
積:$X$ から $A$$B$ への射 → $X$ から $A \times B$ への射
余積$A$$B$ から $X$ への射 → $A + B$ から $X$ への射
この矢印の反転が、情報の「併合」と「分割」の違いを生みます。 積では共通の入力 $X$ から二つの出力先への射を「一つの射」にまとめますが、余積では二つの入力元からの射を「一つの射」にまとめます。
結果として、積の要素は「必ず両方の成分を持つ」のに対し、余積の要素は「どちらか一方の成分だけを持つ」という性質が現れます。これは圏論の枠組みで、矢印の向きを変えるだけで自然に導かれる性質なのです。
余積はこれらの情報を場合に応じて使い分ける対象であり、$h$$A+B$ の要素が $A$ 由来なら $f$ を、$B$ 由来なら $g$ を適用することで、情報を「引き出す」形になります。

直和が余積

$\mathbf{Set}$において直和が余積になる。

通常、集合$A,B$の非交和は添え字を取るのですが、$A$$1$,$B$$2$とする。つまり$A⊔B:=\{(a,1)|a\in A\} \cup\{(b,2)|b\in B\}$とします。$i_A(a)=(a,1)$は定義より$i_A:A\to A⊔B$を自然に満たし、$i_B(b)=(b,2)$$i_B:B\to A⊔B$を自然に満たす。$f:A\to X,g:B\to X$が与えられる。ここで$u(x,k) \begin{eqnarray} \left\{ \begin{array}{l} f(x) k=1のとき(x\in A) \\ g(x) k=2のとき(x\in B) \end{array} \right. \end{eqnarray} $
の操作と定義する。まず$A⊔B$の各元で定義されていることは自明に分かる。($A⊔B$$(f(a),1),(g(a),2)$の二種類の元しか存在しないため)。まず非交和の定義より$k=1,k=2$は同時に成立しない。つまり任意の元(x,k)に対してラベル$k=1,k=2$かのどちらか一方に一意に定まります。これは非交和の構成においてラベルベクトルば別の元として扱われることによって保証されています。
$k=1$に一意に定まるとき、$f$が写像であることから$f(x)$はただ一つの値をとります。ゆえに$u(x,1)=f(x)$はただ一つの値をとります。
$k=2$に一意に定まるとき、$g$が写像であることから$g(x)$はただ一つの値をとります。ゆえに$u(x,2)=g(x)$はただ一つの値をとります。
どちらの場合も$u(x,k)$はただ一つの値をとります。
よって$u(x,k)$は写像である。$u(i_A(x))=u(a,1)=f(a)$ゆえに$u\circ i_A=f$が成り立つ。
同様に$u(i_B(x))=u(a,2)=g(a)$ゆえに$u\circ i_B=g$が成り立つ。
ここで$u:A⊔B\to X$も同じ条件$v\circ i_A$$v\circ i_B=g$が成り立つとする。
任意の元はラベルによって$(a,1)$または$(b,2)$のいずれかの形をしています。
$v(a,1)=v(i_A(a))=f(a)=u(a,1)$
$c(b,2)=v(i_B(a))=g(b)=u(b,2)$
よって$u=v$$\forall x\in A⊔B$が成り立ち一意に定まる

テンソル積

テンソル系の学問を習った初学者に良くあるのがベクトルや圏論的積との明確な差別化が出来ていない事です。誇張表現かもしれませんが、$2\times 3=6$という計算結果は知っているがその原理を理解をしていないのと同義だと私は思います。定義式はあくまで目的と手段の理解の後についてくる付属的な物です。なので詳しく説明します。

テンソル積、モノイダル圏の始まり

まず今まで圏論的積と表現してきましたが、正確にはデカルト積です。デカルト積の特徴は対象A,Bの情報を両方とも独立して持つ対象を考える点です。例えば直積の場合$A\times B$の場合片方の集合が変化しようとも、もう一方の集合の元には一切影響を及ぼしません。ベクトル空間での直和$V\oplus W$においてもそうです。$V$の情報の変化が$W$の変化に直接結びつくわけではありません。この独立性こそが武器でも弱点でもあるのです。ここで根本的な問いが生まれます。「$V$の元と$W$の元が互いに影響し合う、相互作用の構造を持つ空間はどう作ればよいか」 。デカルト積や直和はこの問いに答えられません。なぜなら独立性こそがそれらの定義の核心だからです。19世紀から20世紀にかけての物理学者たちを実際に悩ませましたのは実際にこの独立性です。量子力学において粒子同士が影響を及ぼし合い、絶えずその構造を変化させず、まるで恣意的に操られたかのように独立して存在する場合を考える価値はあるのでしょうか?
また数学においても双線形写像の問題が表面化しました。$f:V\to X$一つのベクトル空間を別の空間に送る操作です。しかし現実の数学では「二つのベクトル空間を入力として受け取り、それぞれに対して別々に線形に振る舞う操作」が至る所に登場します。内積、行列の積、多項式の積、微分形式の外積——これらはすべて双線形写像です。しかし双線形写像は線形写像ではありません。(v,w)を$\lambda$倍すると$B(λv,λw)=\lambda^2 B(v, w)$となり、線形性が崩れます。これは深刻な問題です。線形代数には線形写像を扱うための豊富な理論体系があります。しかし双線形写像はその体系の外に置かれており、毎回個別に扱わなければなりません。数学者はこう問いました。「双線形写像を線形写像に変換する普遍的な仕組みはないか」

テンソル積の置く視点。

デカルト積において各元$(v,w)$$u,w$は互いに無関係です。しかしテンソル積の純テンソル$v \otimes w$において「vと$w$が掛け合わさった一つの不可分な対象」です。この違いは些細に見えて大きいです。
デカルト積では$ \lambda v$$w$のペアと$v$$ \lambda w$のペアは別物です。$(2v,w)≠(v,2w)$。しかしテンソル積では$2v \otimes w = v \otimes (2w) = 2(v \otimes w)$が成り立ちます。スカラーは二つの成分をまたいで自由に移動できます。これが「掛け合わさった一つの対象」であることの数学的表現です。そして今紹介するのはあくまでベクトル空間に置いてのテンソル積で、圏においてのテンソル積はもう少し後です。

ベクトル空間に置いてのテンソル積

$\mathbb{F}$状のベクトル空間$V,W$のテンソル積とは、あるベクトル空間$P$とある双線形写像$f:V\times W\to P,(v,w) \mapsto f(v,w)$の組であって次の普遍性を満たすものである。
$\forall X$、任意の双線形写像$ B:V\times W\to X$に対してただ一つの線形写像$B':P\to X$$B=B'\circ f$を満たす。またこの$P$$V\otimes W$と表記し、$f$を一般的に$\otimes$と表記する。

この定義はあくまでのテンソル積の存在を保証をせず、あくまで「もしあったらこういう風に書くよ」なのでこの定義が双線形写像を線形写像に変換する普遍的な仕組みになることは結果論的には正しいのですが、この場で直ぐに分かるものではありません。なのでまず存在証明をします。
存在証明:
ここで突然だが$V\times W$の全ての元$(v,m)$を形式的な基底ベクトルとして持つベクトル空間$F$を定義する。$F$の元は$\displaystyle\sum_{i=1}^{n} {\lambda_i(v_i,m_i)},\lambda_i\in F,(v_i,m_i)\in V\times W$である。という形式的な線形結合全体です。この段階では$(v_1+v_2,w)$$(v_1,w)+(v_2,w)$)はまったく別の基底ベクトルとして扱われます。$F$$V \times W$の元を何の関係も課さずにすべて独立に並べた「粗すぎる」空間です。

注釈:この自由ベクトル空間の構成は、証明戦略における出発点として不可欠です。テンソル積$V \otimes W$は最終的にベクトル空間でなければなりませんが、我々はまだその具体的な構造を知りません。そこで「後から条件を課す余地」を最大限残すため、最も制約の少ない空間から始めるのです。自由ベクトル空間$F$は、$V \times W$の各元に対応する形式的な記号を用意し、それらの形式的線形結合を考えることで得られます。この段階では双線形性などの条件は一切考慮されていません。$(v_1+v_2, w) $ という記号と$,(v_1,w)$ そして$(v_2,w)$という記号は、完全に独立した三つの基底ベクトルとして存在しています。
この「粗すぎる」空間を作る理由は、次の段階で適切な同一視を行うためです。もし最初から何らかの関係を仮定してしまうと、普遍性の証明において任意の双線形写像から線形写像を構成する際に、十分な自由度が確保できない可能性があります。

自由ベクトル空間
次に$F$の部分空間$R$を以下の四種類の元が生成する部分空間として定義します。
[1] $(v_1 + v_2, w) - (v_1, w) - (v_2, w)$
[2] $(v, w_1 + w_2) - (v, w_1) - (v, w_2)$
[3] $(\lambda v, w) - \lambda(v, w)$
[4] $(v, \lambda w) - \lambda(v, w)$
これらは「双線形性が要求する同一視」を表しています。例えば一番目の元が$R$に属するということは$F/R$において$(v_1+v_2,w)$$(v_1,w)+(v_2,w)$
商空間$F/R$を定義し$(u,w)$による同値類を$u\otimes w$と表記する

注釈:商空間$F/R $の構成は、この証明における核心的なアイデアです。自由ベクトル空間$F$において、上記の四種類の元を零ベクトルと同一視することで、双線形性の条件を強制的に課すのです。
具体的に言えば、$(v_1 + v_2, w) - (v_1, w) - (v_2, w)=0$であるということは、商空間$F/R$おいて$ (v_1 + v_2, w)$$(v_1, w) + (v_2, w) $が同じ同値類に属する,同一視することを意味します。商空間の定義により、二つの元$x$$y$が同じ同値類に属する条件は$x - y \in R $です。したがって$R$の生成元として上記の四つの形の元を選ぶことで、商空間上では自動的に双線形性の関係が成立することになります。
この手法の優れた点は、双線形性という性質を「等式の集合」として表現するのではなく、「部分空間の生成元」として表現することで、ベクトル空間の商構造という既知の理論を利用できる点にあります。

部分空間$R$は「無視したい差分」の全体を表現しています。$R$の各生成元は、双線形写像において等しくなるべき二つの値の差を表しています。例えば第一の生成元$(v_1 + v_2, w) - (v_1, w) - (v_2, w) $は、双線形写像$B$において$ B(v_1 + v_2, w) = B(v_1, w) + B(v_2, w)$が成立すべきことを反映しています。
$R$が部分空間であることは重要です。なぜなら商空間$F/R$がベクトル空間の構造を持つためには、$R$が部分空間でなければならないからです。四種類の生成元の線形結合全体として$R$を定義することで、この条件が自動的に満たされます。

双線形写像$f:V\times W$$f(v,m)$$u\otimes w$と定義する。と定義します。$R$の生成元がちょうど双線形性の条件を表しているので、$f$は定義から双線形写像になっています。
任意のベクトル空間$X$と任意の双線形写像$B: V \times W \to X$また$B':P\to X$$B'(u,w)=B(u\otimes w)$と定義し、線形結合に対しては線形性によって延長します。
すなわち$B'(\displaystyle\sum_{i}{\lambda_iu_i\otimes w_i})=\sum_{i}{\lambda_iB(u_i,w_i)}$
$B'$が商空間上で矛盾なく定義されているかを確認する必要があります。$R'$の生成元に対して$B'$の値がゼロになることを確認すれば十分です。例えば$B'((v_1 + v_2, w) - (v_1, w) - (v_2, w)) = B(v_1 + v_2, w) - B(v_1, w) - B(v_2, w) = 0$
最後の等号は$B$の双線形性から従います。他の生成元についても同様に確認できます。ゆえに$B'$$P$上でwell-definedな写像です。
線形性の確認をします。$B'(\lambda(v \otimes w)) = B'((\lambda v) \otimes w) = B(\lambda v, w) = \lambda B(v, w) = \lambda B'(v \otimes w)$
加法についても同様に成立します。ゆえにB'は線形写像です。
次は$B=B'\circ f$の確認。$\forall (v,m)\in V\times W)$に対して$(B'\circ f)(v,m)=B'(f(v,m))=B'(v\otimes w)=B(v,m)$でありちゃんと満たす。
普遍性の定義を満たす組として実際に存在することが示されました。

一意性
普遍性を満たす組$(P,f) $$(P',f') $がともにテンソル積であるとします。このとき$ P \cong P'$、すなわち両者が同型であることを示します。
証明
$ (P,f)$$(P',f') $はともに普遍性を満たすので以下が成立します。
$(P,f) $の普遍性を$(P',f') $に適用します。$ f': V \times W \to P'$ は双線形写像なので、ただ一つの線形写像$\phi: P \to P' $が存在して
$f' = \phi \circ f $
が成立します。
$(P',f') $の普遍性を$(P,f) $に適用します。$f: V \times W \to P $は双線形写像なので、ただ一つの線形写像$\psi:P'\to P $が存在して
$f = \psi \circ f' $
が成立します。
$ \psi \circ \phi = \mathrm{id}_P​$の確認
二つの等式を組み合わせると
$f = \psi \circ f' = \psi \circ (\phi \circ f) = (\psi \circ \phi) \circ f $
一方で$(P,f) $の普遍性を$B = f $として適用すると、$f = \mathrm{id}_P \circ f $を満たす線形写像はただ一つです$(\psi \circ \phi) $$\mathrm{id}_Pは $ともにこの条件を満たすので
$ \psi \circ \phi = \mathrm{id}_P$
$\phi \circ \psi = \mathrm{id}_{P'}​ $の確認
同様の議論を$(P',f') $に対して適用すると
$\phi \circ \psi = \mathrm{id}_{P'} $
結論
$\phi: P \to P'と\psi: P' \to P $は互いに逆写像であることが示されました。ゆえに$\phi $は同型写像であり
$P \cong P' $
が成立します。

いや双線形写像がテンソル積の定義にあるじゃん

テンソル積は、双線形写像を『一回だけ』扱いにくい思いをして作っておけば、その後は二度と双線形写像を直接扱わなくて済むようにするための装置なのです。いくら双線形性をコントロールし簡素にしようとも限度がありました。そもそも二つが二つに相互作用する複雑性こそが双線形性のアイデンティティーなのです。そこで数学者や物理学者は考えました。ならば一つにまとめてその後の作用を線形にしようとしたのです。つまりその複雑性を一回のみにしようという試みなのです。その一つにまとめようとしたのが$f$なのです。

モノイダル圏に

前回ではベクトル空間における「組み合わせる」と言うテンソル積について考えました。$Vect$に固有のものか、それとも圏一般に備わりうる構造として抽象化できるか」という問いが生まれるでしょう。その問いに対してのモノイダル圏があります。

モノイダル圏

モノイダル圏は以下の要素で成り立つ。

  1. $C$

  2. モノイダル積$\otimes:C\times C \to C$の関手

  3. 単位対象$I$(何もしないという操作も含む)
    左単位子$\lambda_A$:$I\otimes A\xrightarrow{\sim}A$
    右単位子$\rho_A:A\otimes I\xrightarrow{\sim}A$
    が自然に存在するこのような $I$ を持つ。そしてこれを単位対象と呼ぶ。

  4. 結合子$\alpha_{A,B,C}$:$(A\otimes B)\otimes C\xrightarrow{\sim}A\otimes(B\otimes C)$
    これらが満たすべき整合性条件として五角形等式三角形等式が課せられる。

  1. 単位対象$I$
    重要なのは$I \otimes A = A $という等号ではなく自然同型として要求されている点です。$I$と組み合わせることは厳密には何もしないのではなく、「本質的に何も変えない自然な対応が存在する」という意味です。

(2)結合子
結合子$\alpha_{A,B,C}:(A\otimes B)\otimes C\xrightarrow{\sim}A\otimes(B\otimes C)$は括弧の付け方という人為的な選択に結果が依存しないことを保証する自然同型です。しかし結合子が存在するだけでは不十分です。対象が三つなら括弧の付け替えは一回で済みますが(括弧の付け替えが2通りしかないため)、四つになると5通りで付け替えることができ、それらが矛盾なく一致することを保証しなければなりません。一応関手の性質により自然に成り立つものです。なので最悪導けます。

  1. $((A \otimes B) \otimes C) \otimes D $
  2. $(A \otimes (B \otimes C)) \otimes D$
  3. $A \otimes ((B \otimes C) \otimes D)$
  4. $A \otimes (B \otimes (C \otimes D))$
  5. $(A \otimes B) \otimes (C \otimes D)$
    これらの間を結合子の合成で行き来するとき、異なる経路を通っても同じ結果が得られるかは自明ではありません。結合子が存在するだけでは保証されず、追加の条件が必要です。この条件が五角形等式と三角形等式です。

五角形等式、三角形等式

五角形等式

五角形等式とは任意の四つの対象$A,B,C,D$に対して$(id_A \otimes \alpha_{B,C,D}) \circ \alpha_{A,B \otimes C,D} \circ (\alpha_{A,B,C} \otimes id_D) = \alpha_{A,B,C \otimes D} \circ \alpha_{A \otimes B,C,D}$が成り立つことである。

五角形等式 五角形等式
二回の合成をする右回りの経路と、三回の合成をする左回りの経路が一致する事を要求しています。
注意点
要求していることは、$ ((A\otimes B)\otimes C)\otimes D$から$A\otimes(B\otimes(C\otimes D)) $ への二つの経路の合成が等しいという一点だけです。
要求していないこととして、五角形の各辺に現れる射——$\alpha_{A,B,C}\otimes\mathrm{id}_D​ $$\alpha_{A,B\otimes C,D} $など——が自然同型であることは、五角形等式自体は要求しません。しかし個別的な五つがそれぞれ自然同型であることは結合子、関手の性質(交換法則など)から導けます。そこで初学者はこういう疑問を持つはずです「五角形の各辺が自然同型であり、自然同型の合成もまた自然同型になる。ならば二つの経路はどちらも同じ始点から同じ終点への自然同型になるはずだ。自然同型同士なら等しいのではないか?」
実際この推論は正しくないので指摘します。自然同型の合成が自然同型になることは正しいです。したがって左回りの経路も右回りの経路も、どちらも$((A\otimes B)\otimes C)\otimes D\xrightarrow{\sim} A\otimes(B\otimes (C\otimes D))$が成り立ちます。しかしここで止まります。同じ始点・終点を持つ自然同型は一般に複数存在します。二つの射がともに自然同型であることは、それらが等しいことを意味しません。例えば翻訳ソフトにも色々種類があります。deeplやgoogletranslateなどこれはもちろん完全ではないのですがもし完全と仮定したとき、自然同型はその翻訳の仕方が一意に定まる事を要求しており、その出力が完全に一致する事を要求しています。例えば二つの翻訳ソフトでニュアンスの取り方が違っていても,ニュアンスの取り方がそれぞれで一貫していればその二つは自然同型なのです。最も単純な例として$\mathbb{F} $上のベクトル空間VV Vを考えます。$\mathrm{id}_V $$-\mathrm{id}_V $(すべてのベクトルを符号反転する写像)もどちらも$V\to V $の自然同型です。つまり等号の求める強さと自然同型の求める強さが異なるからこの誤解が生まれるのです。

三角形等式

ここでは単位対象$I$を含む射を考えます。単位対象を介した射は右単位子や左単位子で自然同型であることが分かります$(A\otimes I) \otimes B\xrightarrow{\sim}A\otimes (I\otimes B)\xrightarrow{\sim}A\otimes B$。しかし五角形等式と同じように、二つの経路に沿う二つの射が一致する事は要求していません。なのでそれを保証します。

三角形等式

三角形等式とは二つの対象$A,B$と右単位子$\rho_A$、左単位子$\lambda_B$に対し、$(id_A \otimes \lambda_B) \circ \alpha_{A,I,B} = \rho_A \otimes id_B$が成り立つ

三角形等式 三角形等式
例のごとく三角形の各辺は自然同型で、三角形等式はそれらの射の一致を要求します。

(1)モノイダル積

モノイダル圏において積は単に「二つの対象から一つの対象を作る射」ではなく、関手として定義されます。どういうことかつまりベクトル空間における$V\otimes W$のテンソル積や直性と、圏論で必要不可欠な他のテンソル積、直積との関係性が関手では保存され、また基本的に求められることが関手の性質が自然に満たすのです。具体的に$F(id_A\otimes id_B)=id_{A\otimes B}$は何もしないという操作を掛け合わせても何もしないという規則を成り立たせます。一応そうでないモノイダル積のモドキを定義することが出来ますか、そんなハチャメチャな物を考えても意義はないのでモノイダル積は排除します。さらに$(f' \circ f) \otimes (g' \circ g) = (f' \otimes g') \circ (f \otimes g)$という等式も成り立たせます。「まず$f$$g$を同時にやってから$f'$$g' $を同時にやる」ことと「$f \circ f' $$g \circ g'$をそれぞれ済ませてから同時にやる」ことが一致するという要求です。一見当たり前ですがもちろん成り立たない概念を考えようと思えば考えられます。これの成り立つことを交換法則(interchange law)と言います。

ここで注意点なのがテンソル積もデカルト積もこのモノイダル積に属することです。モノイダル積は様々な積を統合したものです。

テンソル積デカルト積の厳密な違い

モノイダル積$\times$についてデカルト積であるかテンソル積であるかの区別は以下の自然な射の有無による、
$ \Delta_A:A\to A\times A $ならば$a \mapsto (a,a)$ 対角射
消去射 $\epsilon_A: A \to I$ の終域である単位対象 $I$ は終対象(任意の対象から $I$ への射がただ一つ存在する対象)である。

この二つの射が自然に一意に存在するならデカルト積、存在しないならテンソル積です。
*は任意の対象から自分自身への射がただ一つ存在する対象です。

注意点
積の分類 積の分類
まず対角射は情報を複製できるかという判断になります。そして消去射はテンソル積は独立性の排除に特徴があります。独立性の排除が複製を不可能にする理由、ここが核心です。複製とは「一つの情報を二つの独立した場所に配置する」操作です。しかしテンソル積では独立性が排除されているため「二つの独立した場所」という概念が存在しません。ベクトル空間ではスカラーが二乗され線形写像、つまり射になりません。消去射$\epsilon: V \otimes W \to \mathbb{F}$が存在するとすれば、普遍性によってこれは双線形写像$B: V \times W \to \mathbb{F} $ と対応します。しかしここで問いが生まれます。「$V$$W$の情報を 両方同時に捨てる双線形写像とは何か」。
双線形写像$ B: V \times W \to \mathbb{F}$が「すべての情報を捨てる」ためには任意の$(v,w) $に対してR$ B(v, w) = 0$ つまり零写像しかありません。しかし零写像は情報を「捨てている」のではなく「無視している」に過ぎず、デカルト積における消去射が持つ「自然な破棄」という性質を持ちません。
つまりデカルト積にはない複雑性がテンソル積に存在する事がここで保障されています。

一応初の記事なので誤字は大目に見て欲しいです。ただし数式で間違っている場合は教えてください。
圏論から共形場理論へシリーズは③まで予定しています。

参考文献

[2]
Saunders Mac Lane, Categories for the Working Mathematician, Springer, 1998, 330p
[3]
Philippe Di Francesco、Pierre Mathieu、Jean-Bernard Zuber, Conformal Field Theory, Graduate Texts in Contemporary Physics, Springer, 1997, 911
[4]
Pavel Etingof、Shlomo Gelaki、Dmitri Nikshych、Victor Ostrik, Tensor Categories, Mathematical Surveys and Monographs, Vol. 205, 2015
投稿日:10日前
更新日:10日前
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