任意の正の実数 $\varepsilon$ に対して $a\le\varepsilon$ が成り立つならば $a\le 0$ であることを示せ。
等式変形で直接 $a=b$ を示すのは難しいが,$a$ や $b$ の近似列を利用して,任意の正の数 $\varepsilon$ に対して $|a-b|<\varepsilon$ となることなら示せることが,「不等式の学問」ともいえる解析学ではしばしば起こる。そうすると,この問題で示したことから $|a-b|\le 0$ となり,そもそも $|a-b|\ge 0$ であるから,$|a-b|=0$ でしかあり得ず,$a=b$ が従うこととなる。
これは,2 つの集合 $A$ と $B$ について,$A=B$ は $A\subset B$ かつ $B\subset A$ のことであるという,集合の相等の定義と相通ずるところがあるように思われる。
また,数列や関数の極限に関する基本ツールである「数列の大小関係の極限の大小関係への遺伝」や「はさみうちの原理」と密接な関連を持つ定理である。
このような使用法については,いずれ先々の問題でじわじわと威力が実感されることであろう。個人的には,$\epsilon\delta$ 論法を教える科目の初めにこの命題を取り上げ,学生に周知するのが望ましいと考えている。
このような,$a\le 0$ というなんということのない不等式の $\epsilon\delta$ 式の言い換えについては,森毅『現代の古典解析』の冒頭で「1. 不等式と論理」としてまるまる 1 章を割いて詳述されている。ただし,この「問題」に対する解答は私のオリジナルである(=何か誤りが含まれていたとしても森氏の著書には何の責もない)。学部生のころに大学の図書館で本を漁っていたころ,現代数学社版を見つけて少しだけ読もうと試みたことがあったが,本の内容はほとんど理解できなかった。ただこの不等式の話だけは当時強く印象に残っており,学部 4 年生のゼミで Brezis の『関数解析-その理論と応用に向けて』(小西芳雄訳)を読みかじったのだが,そこで任意の実数 $c$ に対して $a\le c\to b\le c$ が成り立つならば,$b\le a$ が成り立つ,という議論に遭遇した際,ああ,あのアレがこんな風に使われているのか,とようやく「1. 不等式と論理」の内容の重要性を思い知ったのだが,今となっては懐かしい思い出である。