この記事ではCayley-Hamiltonの定理のシンプルな証明を紹介します.体を係数とする行列に対しては線型写像の構造論に依拠した証明もいくつか知られていますが、ここで紹介するのは任意の可換環上で成り立つものです.
可換環$R$と正整数$n$を固定します.行列$A\in M_n(R)$の固有多項式とは、行列$XI-A\in M_n(R[X])$の行列式のことを指すのでした.このような「多項式を成分とする行列」について少し一般論を準備をしておきましょう.
$M_n(R[X])$の元$P$は一意的に
$$
P=X^kC_k+X^{k-1}C_{k-1}+\dots+C_0~(C_0,\dots,C_k\in M_n(R))
$$
と表すことができます.この$C_0,\dots,C_k$のことを$P$の係数と呼ぶことにします.行列$A\in M_n(R)$に対し、$R$加群の準同型$\Phi_A\colon M_n(R[X])\to M_n(R)$を
$$
\Phi_A(X^kC_k+X^{k-1}C_{k-1}+\dots+C_0)=A^kC_k+A^{k-1}C_{k-1}+\dots+C_0
$$
で定めます.$\Phi_A$は積を保つとは限りませんが、以下のような特別な状況では積を保ちます.
$A\in M_n(R)$および$P,Q\in M_n(R[X])$に対し、$P$の係数が全て$A$と可換ならば
$$
\Phi_A(PQ)=\Phi_A(P)\Phi_A(Q)
$$
が成り立つ.
$\Phi_A$は和を保つので、$P=X^kC_k, Q=X^lC_l$と表せる場合に帰着される.このとき
$$
\Phi_A(PQ)=A^{k+l}C_kC_l,\\
\Phi_A(P)\Phi_A(Q)=A^kC_kA^lC_l
$$
となるが、仮定より$C_k$と$A^l$は可換なのでこれらは一致する.
$A\in M_n(R)$に対し、その固有多項式$p_A(X)$に$A$を代入した値は$O$となる.
行列$P$の余因子行列を$P^\sim$で表すと
$$p_AI=(XI-A)(XI-A)^\sim$$
である.両辺に$\Phi_A$を適用すると、補題1より
$$
p_A(A)=\Phi_A(XI-A)\Phi_A((XI-A)^\sim)
$$
となる.$\Phi_A(XI-A)=O$なので$p_A(A)=O$が得られる.
上の証明では任意の可換環上のCayley-Hamiltonの定理を直接示しましたが、実は複素数係数の場合に帰着する方法もあります.これも面白いので証明を書いておきましょう.
$\varphi\colon R\to S$を可換環の間の環準同型とすると、$A\in M_n(R)$に対して
$$\varphi(p_A(A))=p_{\varphi(A)}(\varphi(A))$$
が成り立つことが簡単に分かります.よって$A$に対して定理が成立していれば$\varphi(A)$に対しても成立します.また$\varphi$が単射ならば逆も成立します.
さて、定理を$R=\mathbb{C}$の場合に帰着させましょう.$n^2$個の変数を持つ多項式環$S=\mathbb{Z}[T_{11},T_{12},\dots,T_{nn}]$を考えます.$B\in M_n(S)$を、第$(i,j)$成分が$T_{ij}$であるような行列とします.環準同型$\varphi\colon S\to R$を$T_{ij}\mapsto A_{ij}$で定めると$\varphi(B)=A$なので、$B$について定理を示せばよいことになりました.
さらに、$\mathbb{Q}$上代数的独立な$n^2$個の超越数$\alpha_{11},\alpha_{12},\dots,\alpha_{nn}\in \mathbb{C}$を選び、$\psi\colon S\to \mathbb{C}$を$T_{ij}\mapsto \alpha_{ij}$で定めます.すると$\psi$は単射なので、$\psi(B)$について定理を示せばよいことになります.以上で$R=\mathbb{C}$の場合に帰着できました.