線型代数における定理「Fittingの補題」を中心にベクトル空間の概念の一般化について解説する記事です.
線型代数は非常に強力な数学的道具なので, 現代数学における多くの分野においては線型代数で活躍した概念をどのように一般化して応用するかというのが一つのテーマとなっています. 中でも今回紹介する「長さ」という概念は線型代数における「次元」を一般化した概念となっています.
群の組成列の周辺の参考文献が現状Wikipediaしかありませんのでその辺りを読む際は注意してください.
また証明や例の大半は自分で考えたものなので間違っている可能性が大いにあります. 間違いを見つけたら教えていただけるとありがたいです.
02/18/2021 「群の長さ」の注意1の誤りを訂正しました. また一部表現を変更しました.
線型代数の議論において「次元」は非常に重要な役割を持っています. 特に次元が小さい, あるいは有限であるといった状況では色々な議論が簡単になってきます.
では次元という概念は議論のなかで具体的にどのような形で(つまりどのような命題を通じて)役に立っているのでしょうか. 即ち, 次元を用いた線型代数の議論において次元という概念の「何が」, ベクトル空間の「どのような性質を」決定しているのでしょうか.
次元はベクトル空間の基底の要素数です. ベクトル空間の基底を固定して考えるとき, 例えば
この手法の背景には, 「ベクトル空間の基底の要素数(濃度)は常に一意である」という命題が本質的な役割を持っています. つまり基底を用いた議論をするとき, 必ずバックではこの命題が重要な働きをしているということになります.
一方で, 基底を使わない議論においても次元という量が有効に働く場面は存在します. 一例として以下の補題を挙げます:
について,
添え字が0から始まるので注意. 以降このような列の「長さ」は真の包含
が成り立つことに注意する(例えば平面の真部分空間は点か直線). 部分空間の列
から, 非負整数の列
が得られる. この列の長さ
補題1は以下のように言い換えることもできます:
において, 真の包含
補題1の証明は容易ですが, このステートメントは部分ベクトル空間に関するある種の命題を証明するのに非常に役立ってきます. 冒頭の文脈でいえば, 補題1という一つの命題が様々な証明のバックで本質的な働きをしている, ということになります.
実際に補題1を背景とする命題の重要な例として, 線型代数学の定理であるFittingの補題の証明を示します.
が成り立つ.
証明に入る前にステートメントを考察しておきましょう. 部分空間の(内部)直和
なので, Fittingの補題の等式は少なくとも両辺の次元はちゃんと合っていることが分かります. また部分空間の和の次元に関する公式
より
なので
となり, 従って
Fittingの補題が成り立たない場合,
かつ
を満たし, 「
に完全に分解され,
これは実際に具体的な行列によって計算することで成り立つことが観察できるので, 本稿の最後で確かめます.
証明には
を用います. 補題1よりこれらの無限列における真の包含
のように
となるようにできることを示します.
となるならば, 列のそれ以降の部分において
より
が成り立つ(つまり,
となるならば列のそれ以降の部分において
が成り立つ. 以上より
という形をとり, 補題1よりこれらの列の真の包含
に注目すれば,
より
より
が成り立つ.
Fittingの補題の証明を観察すると, 証明において「
という命題を示したことになります. この「部分空間の列
の長さ
ベクトル空間
が成り立つ.
命題2より明らか.
明らかに, 有限次元ベクトル空間において「次元」と「長さ」は全く同じ量です. ではなぜ一見無意味に見えるこのような言い換えが必要なのかというと, 「次元」が定義できないものにも「長さ」なら定義できることがあるためです.
「次元」が定義できないものというのは例えば群です. ベクトル空間もベクトルの和を考えれば群になりますが, 一般の群にはベクトル空間と違って「次元」という概念は定義できません. 群にも「生成元」という概念はありますが, ベクトル空間の基底の要素数は常に一意となったのに対し, (冗長なものを除いて極小に取ったとしても)一般に生成元の個数は一意には定まりません.
つまり群にはベクトル空間のように「次元」を定める手段が与えられないのですが, そのような場合でも「長さ」ならば以下のように定義することができます:
群
(正規鎖と呼ぶ)の長さ
長さ
が全て単純群であるようなものとして与えられます(演習問題3). このような正規鎖を
群
(ただし,
が得られ,
が成り立つので, 命題2と同じ流れで
となる
が取れるとは限りません. 従って一般の群では命題3の形のFittingの補題
は証明できません.
ここで群
を取ることができます. 従って命題2と同様の証明を回すことができ, Abel群に対しては命題3の形のFittingの補題
が成り立ちます.
Abel群
が成り立つ.
「群の長さを正規部分群
の長さ
が成り立つことは命題2と同じ方法で言えます(追記: 当初
と記述していたのですが,
といった問題が生じるようです.
一般にベクトル空間の「長さ」とベクトル空間を群と見做したときの長さは等しくありません. 例えば実ベクトル空間
さて, 長さという概念をベクトル空間と群という2つの代数的構造に対して定義することができましたが, 長さの定義を見る限り「部分○○」が定義できるような概念であれば何でもこの「長さ」という概念を定義できそうです.
まずは最も素朴に, 一般の集合に対して「長さ」の概念を定義してみましょう. 集合
の長さ
またただの集合には写像の「核」という部分集合を定義できないので, Fittingの補題を拡張することも難しいです.
ただの集合ではなく位相構造を入れた位相空間であっても, 単に「部分空間」によって長さを考えるだけでは集合の場合とあまり状況が変わっていません. しかし部分空間の代わりに「開」部分空間や「閉」部分空間の列の長さを考えればそれなりに非自明な定義になりそうです. たとえば集合
として定めると, 長さが最大となる開部分空間の列は
などと取ることができ, その「長さ」は
この概念自体が有用な働きをする場面は寡聞にして知りませんが, 代数幾何では類似した概念が実際に重要な働きをします. まず位相空間
の長さ
先ほど群の「長さ」については考察したので次は環の「長さ」についても考えてみたいのですが, 環の場合事情は群よりも複雑となります. 環にも「部分環」という概念はあるのですが, 群に対する部分群と同様, 単なる部分環では剰余環が作れないという問題があります. 群における正規部分群に対応する環の概念というとイデアルですが, イデアルはそれ自体(単位的)環にならないという別の問題が存在します. それでもある可換環
の長さ
の長さ
なお, 可換環
は一般に全く成り立ちません. というか右辺が一般に(単位的)環になりません. 環はそもそも
ここまではあまりうまく行ってる感じのしないものばかりでしたが, 「長さ」の例としてはここで挙げる「環上の加群」が一番重要です.
ベクトル空間
環上の加群はベクトル空間の一般化なので任意のベクトル空間は環上の加群でもあり, さらに環上の加群はしばしば普通ベクトル空間にならないようなものも含んでいます. 例えば
なのでなんと一元集合
しかし, 例のごとく環上の加群にも「長さ」なら定義できるのです.
環
の長さ
非可換群の場合と異なり, 環上の加群には部分加群と「正規」部分加群のような違いがなく, 環上の加群
非可換群では正規とは限らない部分群列を考える場合極大な部分群列の長さは一意ではありませんでしたが, 環上の加群では部分加群と「正規」部分加群のような区別がないので, 非可換群の正規鎖と同様の定理によって極大な部分加群列(組成列)の長さは常に一意となることが示せます.
この「長さ」の定義の下で, 環上の加群に関するFittingの補題が証明できます.
環
が成り立つ.
命題2と同様に示される.
色々な概念に対して「長さ」を定義してみましたが, 結局Fittingの補題を証明できたのは
の3つ, 何らかの障害でFittingの補題を証明できなかったのは
となりました. この2つのグループには一体どのような違いがあったのかということを考えてみると,
といった部分が問題となっているように見えます. 逆に言えば, Fittingの補題を示せるような「長さ」を自然に定義できる代数的構造の条件はこの「部分○○」と「剰余を定める部分集合」について
という条件を満たすことが必要なのではないか, と考察することができます.
実はこの条件はさらに掘り下げていくと「Abel圏」と呼ばれる非常に一般性の高い概念へと繋がっています. このように一見果てしなく抽象的な概念にも, 線型代数などよく知られた分野の概念をひたすら掘り下げることでその片鱗に触れることができるというのは面白いですね.
最後に, ベクトル空間におけるFittingの補題を実際に確かめてみましょう.
によって定めます.
となり,
と計算されます. 確かに
が成り立っていることが分かります.
さて, 各
は必ず成り立っています. しかし例えば
となっていて, 等式
が成り立っていないことが分かります. この場合,
となり, 従って
一方
が成り立っていて, 従って確かにFittingの補題
が成立していることが分かります.