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SL(4,C)の部分群の全正値性問題を超天才的な方法で解く

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この記事の内容は,Laurent Demonet氏のサーベイ論文[Dem11]の第1節を参考に構成しています.

全正値性問題

4次の複素数成分特殊線形群SL(4,C)の,次のような形をした部分群を考えます.

N:={[1abc01de001f0001]SL(4,C) | a,b,c,d,e,fC}.
この行列のいくつかの行と列を抜き出した部分行列の行列式(小行列式という)を考えます.XNに対して,i1,...,ik行,j1,...,jk列の成分を抜き出してきた部分行列の小行列式をΔj1,...,jki1,...,ik(X)で表すと約束します.

例えば,X=[1abc01de001f0001]に対してΔ3412(X)=det[bcde]=becdです.

さて,Nに属する行列Xについて,「全正値性」と呼ばれる性質を導入します.

全正値性

XN全正値(totally positive)であるとは,定数でないXの任意の小行列式の値が全て正実数であることをいう.

ここで,「小行列式が定数である」というのはどんなXNをとってきても値が一定であるような小行列式を指します.例えば,Δ11(X)の値はXがなんであっても1なので定数です.同様に,Δ12も常に0なので定数です.今回のケースでは,XNが全正値であることを確かめるためには次の12個の行列式が正実数であることを確かめれば十分です.

Δ21(X)=a,Δ31(X)=b,Δ41(X)=c,Δ32(X)=d,Δ42(X)=e,Δ43(X)=f,Δ2312(X)=adb,
Δ2412(X)=aec,Δ3412(X)=becd,Δ3413(X)=bfc,Δ3423(X)=dfe,Δ234123(X)=adf+caebf

ここで,重複しているものや上記にある行列式の積の形でかけるものは取り除いてあることに注意してください.例えば,Δ2413(X)=det[ac0f]=af=Δ21(X)Δ43(X)なのでこれが正実数かどうかはΔ21(X)Δ43(X)が正実数かどうかを調べれば自然にわかります.

さて,ここで一つちょっとした疑問がよぎります.

「全正値性を調べるためには上の12個の小行列式の値を調べればいいとはいうけれど,12個の小行列式は別に互いに独立して値が定まっているわけではないし,ひょっとしたらこの中のいくつかの値だけ調べれば残りは全部正実数に勝手になってくれたりするんじゃない?」

つまり,全部調べるのは面倒くさいので「これだけ調べればOK」ってのをとって来れないかな?という話です.これを「全正値性の判定問題」あるいは単に「全正値性問題」と呼びます.実は,このケースでは12個のうち特定の6個をとってきて正実数かどうかを調べれば良いことが知られています.次の命題を証明していきましょう.

XNが全正値であることと,Δ42(X),Δ2412(X),Δ43(X),Δ41(X),Δ3412(X),Δ234123(X)が正実数値であることは同値である.

ちなみに,XNという行列は6つの独立した値によって決定されるので,これ以上調べる小行列式の数を減らすことは不可能であることがわかります.

命題1の天啓的な証明

ここでは,命題1を常人ではとても思い付かないような天才的な発想で証明していくことにしましょう.Xが全正値であれば命題1の6つの小行列式が正実数になることは当たり前なので,逆を示していきます.
まず,次のような有向グラフQを用意します.

有向グラフQ 有向グラフQ
これは天才的な発想の証明なので,「この有向グラフ一体何を根拠に出てきたんだ?」ということはあまり考えないようにしましょう.次に,Qの各頂点に対応するように6つの変数を次のように定めます.

x1=42,x2=2412,x3=43,x4=41x5=3412,x6=234123

ここで,上の式において例えば2412Δ2412(X)を略記したものとしています.この6つの変数は命題1で与えられた6つの小行列式を表していることに注意してください.これをまとめてx=(x1,x2,x3,x4,x5,x6)と書くことにします.次に,この有向グラフと変数集合の組(Q,x)シードと呼ぶことにします)に対してシード変異という変換を定義します.シード変異は箙(えびら)変異クラスター変異という2つの変換からなる変換なので,まず各々を定義することにしましょう.箙変異は,有向グラフQから新たな有向グラフQを生み出す変換です.

箙変異

Qに対して,その一つの頂点j(ただし1j3)をとる.j方向の箙変異qμj(Q)Qを用いて次のように定める.

  1. jに出入りする矢印を全部ひっくり返す.
  2. jに矢印が出入りする頂点のペア(i,k)とその間の矢印ijkごとに,kiを追加.
  3. サイクルと頂点4,5,6の間に伸びている矢印を全て取り除く.

ここで,サイクルとは2つの頂点に互いに出入りしている矢の組のことです.ここで注意として,頂点j1から3のいずれかであって,4から6は取らないことに注意します.たとえば,Q2で箙変異すると次のようになります.

箙変異の例 箙変異の例
箙変異はQに対して3つのバリエーションがあることに注意します.次に,クラスター変異を定義します.これは,6つの変数の組xから新たな変数の組xを生み出す変換です.こちらでは,有向グラフQの情報も使用することに注意してください.

クラスター変異

シード(Q,x=(x1,,x6))に対して,Qの一つの頂点j(ただし1j3)をとる.j方向のクラスター変異cμj(x)を,(Q,x)を用いて次のように定める.

xi={xiif ij1k6xkmax(0,bkj)+1k6xkmax(0,bjk)xj if i=j.
ただし,bkjはQにおけるiからjへ向かう矢印の本数であるとする.

式の形が若干複雑なので説明しておくと,ijのときはxiをそのままにして,i=jのときはxjを,分母がxjで分子がQにおけるjへ矢印が入っていく頂点kに対応するxkの積とjから矢印が出ていく方の頂点kに対応するxkの積の和であるような分数に変換するような操作です(逆にわかりにくいかも?).
例えば,(Q,x)xを頂点2でクラスター変異すると,Qの頂点2から出る矢は頂点35へ,頂点2へ入る矢は頂点16からそれぞれ1本ずつあるので,
cμ2(x)=(x1,x3x5+x1x6x2,x3x4x5x6)
となります.クラスター変異もやはり3つのバリエーションを持っています.

これを用いて,シード変異を定めます.

シード変異

(Q,x)をシードとして,Qの一つの頂点jをとる.j方向のシード変異μj(Q,x)を,(Q,x)を用いて
μj(Q,x)=(qμj(Q),cμj(x))
で定める.

つまり,(Q,x)の頂点2におけるシード変異は

シード変異後のシード シード変異後のシード
で与えられることになります.さて,いきなり訳のわからない変換が出てきて困惑していると思いますが,ここで新しく出てきた変数x3x5+x1x6x2を計算してみましょう.x1=42=e,x2=2412=aec,x3=43=f,x5=3412=becd,x6=234123=adf+caebf
だったので,これらを代入して計算すれば良いだけです.ここで,仮定からこれら全ての変数は正実数であることに注意します.
x3x5+x1x6x2=433412+422341232412=f(becd)+e(adf+caebf)aec=dfe.
なんと約分できてしまいました.しかもそれだけではありません.最初に挙げた12個の小行列式をもう一度見てみましょう.

Δ21(X)=a,Δ31(X)=b,Δ41(X)=c,Δ32(X)=d,Δ42(X)=e,Δ43(X)=f,Δ2312(X)=adb,
Δ2412(X)=aec,Δ3412(X)=becd,Δ3413(X)=bfc,Δ3423(X)=dfe,,Δ234123(X)=adf+caebf

dfeは,この表中のΔ3423(X)に該当しています.つまり,クラスター変異の操作によってx=(42, 2412, 43, 41, 3412, 234123)cμ2(x)=(42, 3423, 43, 41, 3412, 234123)に移っています.さらに,3423=x3x5+x1x6x2は右辺の形とx1,,x6が正実数であるという仮定から正実数となることがわかります.さて,シード変異の結果,なぜか新たな小行列式が現れたわけですが,これはただの偶然なのでしょうか?(Q,x)=μ2(Q,x)を新たなシードとして,もう一回シード変異をしてみることにしましょう.次は頂点3で変異してみます.計算結果は
シード変異後のシード2 シード変異後のシード2
で与えられることになります.ただしx2=3423=dfeとしています.x1+x2x3を計算してみると,
x1+x2x3=42+342343=e+dfef=d=32
となってまた小行列式が出てきました!つまり,シード変異の操作によって(42, 3423, 43, 41, 3412, 234123)(42, 3423, 32, 41, 3412, 234123)に移っています.先程と同じように,32=x1+x2x3は右辺の形とx1,x2,x3が正実数であることから正実数であることがわかります.このノリで次々変異をしていくと,実は上にある12個の小行列式が全て現れることになります.実際にシード変異を起こしたときに変数がどう移り変わるかを表したのが次の図です.

変数組の遷移 変数組の遷移

この図をどうみるかを説明しておきます.この図の3頂点に囲まれる三角形が,6つの変数組に対応しています(一番外側の31, 21, 2312で囲まれているものも三角形とみなします).例えば, 42, 2412, 43の3頂点によって囲まれる三角形と,変数組{x1,x2,x3,x4,x5,x6}={42, 2412, 43, 41, 3412, 234123}が対応しています.x4=41,x5=3412,x6=234123はシード変異の定義から常に変化しないため,この図では省略されていることに注意してください.シード変異の操作は,隣り合う三角形へ移動することに対応しています.例えば, 42, 2412, 43で囲まれる三角形と 42, 3423, 43で囲まれる三角形は隣り合って(=1辺を共有して)いますが,これは{42, 2412, 43, 41, 3412, 234123}{42, 3423, 43, 41, 3412, 234123}が1回のシード変異で移り変わることを示しています.この図は素直に全部計算を頑張れば描くことができます.さて,この図を見ると,次のことがわかります.

  1. シード変異は2回続けて同じ頂点で行うと元に戻ってくる.
  2. シード変異によって現れる6つの変数の組のバリエーションは有限個(最初の3つの変数の順序は計算しているうちに変わる場合もある).
  3. シード変異で出てくる変数は全て最初に挙げた12個の小行列式(正確にはずっと動かないx4=41,x5=3412,x6=234123以外の9個)のどれかとして記述ができ,それ以外のものは出て来ない.
  4. シード変異により12個全ての小行列式が現れる.

以上のことを踏まえると,最初の6つの変数x=(42, 2412, 43, 41, 3412, 234123)が正実数であることを仮定することで,残りの6個の小行列式が全て正実数であることがクラスター変異の定義式

xi={xiif ij1k6xkmax(0,bkj)+1k6xkmax(0,bjk)xj if i=j.

から芋づる式に出てきてしまうのです!これで命題1は示されました.

ちなみに,これらの考察から,最初に正値性が仮定される6つの小行列は(42, 2412, 43, 41, 3412, 234123)を変異した(42, 3423, 32, 41, 3412, 234123)や,それをさらに変異した(42, 3423, 43, 41, 3412, 234123)でも良いことがわかります.

補足

はい,ということで示せました.

…いいたいことはわかります,こんな無茶苦茶な証明があってたまるかと思われたと思います.いうまでもなく,この証明は私が天才だから思いついたものではありません.私は小行列式の間にこのようなシードとシード変異による組み合わせ構造があることを勉強して知っていたので,天下り的に証明したに過ぎません.ここで出てきたシードとそのシード変異によって生み出される組み合わせ構造をクラスター構造と呼びます(あるいはクラスター構造から定まる代数であるクラスター代数の構造とも呼ばれます).2000年代初頭,FominとZelevinskyの2人の数学者がこの全正値性の研究をしているなかでクラスター構造の存在に辿り着きました[FZ02].ちなみにほぼ同時期に,彼らとは独立してFockとGoncharovも幾何学的な観点から同じ概念に到達しています[FG06].この構造は発見されてからこの20年の間に研究が進み,実は様々な数学の背景に普遍的に存在する組み合わせ構造であることがわかってきています.一例を挙げると,多元環の表現論,Lie理論,双曲幾何,結び目理論,整数論,微分方程式論,ゲージ理論など.意味のわからないレベルの応用の広さですね.このクラスター構造はまさに現代数学の最前線とも呼ぶべき研究対象であり,現在も様々な研究者によっていろんな角度から研究されています.この記事を通して,クラスター構造に興味を持っていただけたのであれば幸いです.おしまい.

参考文献

[Dem11] L. Demonet, Example of categorification of a cluster algebra, Proceedings of the 44th Symposium on Ring and Representation Theory (2011), 30--42.
[FG06] V. Fock and A. Goncharov, Moduli spaces of local systems and higher Teichmüller theory, Publ. Math. IHÉS, 103 (2006), 1--211.
[FZ02] S. Fomin and A. Zelevinsky, Cluster algebras I. Foundations, J. Amer. Math. Soc. 15 (2002), 497--529

投稿日:2021724
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