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行列単位のいくつかの応用

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この記事は Math Advent Calender 2021 の 1 日目の記事として作成しました。
内容のレベルは大学数学で、ジャンルは線形代数です。

この記事では、「行列単位」と呼ばれる特別な行列の応用を 2 つ紹介します。

行列単位の定義と性質

始めに行列単位の定義をします。

行列単位

$n$ を自然数、$i,\ j$$1 \leq i,\ j \leq n$ を満たす整数とする。
$(i, j)$ 成分のみが $1$ であり、それ以外の成分がすべて $0$ であるような $n$ 次正方行列を行列単位と呼ぶ。
$(i, j)$ 成分が $1$ であるような 行列単位を $E_{i, j}$ で表す。

例えば、$n=3$ の時にいくつか例を挙げると、
$$ E_{1, 2} = \begin{pmatrix} 0 & 1 & 0 \\ 0 & 0 & 0 \\ 0 & 0 & 0 \\ \end{pmatrix}, \ E_{2, 3} = \begin{pmatrix} 0 & 0 & 0 \\ 0 & 0 & 1 \\ 0 & 0 & 0 \\ \end{pmatrix}, \ E_{3, 1} = \begin{pmatrix} 0 & 0 & 0 \\ 0 & 0 & 0 \\ 1 & 0 & 0 \\ \end{pmatrix} $$
となります。

定義からすぐにわかりますが、名前が似ているだけで、行列単位は単位行列とは別物です。
(おそらく、行列単位の「単位」は $n$ 次行列環のなす線形空間の基底としてのニュアンスが込められたものであり、単位行列の「単位」は積の単位元としての意味合いが込められています。行列単位が「基底行列」などの名前だったら紛れはなかったかもしれない。)

この行列単位を使って、$2$ つのちょっとした命題が示せる、というのがこの記事でやりたいことです。

命題の証明をする前に、いくつか記号を定義します。
この記事を通して、$R$ をある固定された環とします(ただし、複素数体 $\mathbb{C}$ のようなよく知った環であると思っても全く問題ありません)。
そして、$R$ を係数とする $n$ 次正方行列全体のなす集合を $M_{n}(R)$ とします(これが「積が必ずしも可換にならない環(非可換環)」をなすことは知っての通りです。)。
この記事を通して、扱う行列はある固定した $n$ に対する $M_{n}(R)$ の元になっていることを暗黙のうちに仮定します。
最後に、 $E_{n}$$n$ 次単位行列を表します。

応用その 1 :どんな $n$ 次行列とも可換な行列の決定

次の問題を考えます。

$A$$n$ 次行列とする。
行列 $A$ が性質「どんな $n$ 次行列 $X$ に対しても、$AX=XA$ が成り立つ」を満たすなら、$A$ はどのような行列だといえるか?

非可換環に明るい方なら、この問題を下記のように言い換えてもよいです。

非可換環 $M_{n}(R)$ の中心を決定せよ。

上記の問題について、単位行列 $E_{n}$ があるので、そのような行列は少なくとも 1 つは存在します。
また、スカラー行列も同じように可換性を満たすはずです。

では、そのような行列を特定するためにどういう方針が取れるかといえば、「$X$ として "極端な" 行列を持ってきて、その結果から手がかりを得ればよい」と言えます。この "極端な" 行列として行列単位を採用します。

一般論を述べる前に $n = 2$ という単純なケースで観察をしてみます。

$n = 2$ の場合)

$A$ を性質「どんな $2$ 次行列 $X$ に対しても、$AX=XA$ が成り立つ」を満たす $2$ 次行列とします。

$A$ はどんな 2 次行列とも可換なので、特に次の 4 つの行列単位 $E_{1, 1}, E_{1, 2}, E_{2, 1}, E_{2, 2}$ とも可換です。

$ A = \begin{pmatrix} a & b \\ c & d \\ \end{pmatrix} $
として何が言えるかを見てみます。

$ E_{1, 1} = \begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 0 \\ \end{pmatrix} $ と可換、つまり $AE_{1, 1} = E_{1, 1}A$ より $ \begin{pmatrix} a & 0 \\ c & 0 \\ \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} a & b \\ 0 & 0 \\ \end{pmatrix} $ が言えます。

$ E_{1, 2} = \begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 0 & 0 \\ \end{pmatrix} $ と可換、つまり $AE_{1, 2} = E_{1, 2}A$ より $ \begin{pmatrix} 0 & a \\ 0 & c \\ \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} c & d \\ 0 & 0 \\ \end{pmatrix} $ が言えます。

$ E_{2, 1} = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 1 & 0 \\ \end{pmatrix} $ と可換、つまり $AE_{2, 1} = E_{2, 1}A$ より $ \begin{pmatrix} b & 0 \\ d & 0 \\ \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ a & b \\ \end{pmatrix} $ が言えます。

$ E_{2, 2} = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 0 & 1 \\ \end{pmatrix} $ と可換、つまり $AE_{2, 2} = E_{2, 2}A$ より $ \begin{pmatrix} 0 & b \\ 0 & d \\ \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ c & d \\ \end{pmatrix} $ が言えます。

$E_{1, 1}$$E_{2, 2}$ との計算結果を見ると、非対角成分が $0$ になることが見て取れます。
つまり、$b = c = 0$ です。対角成分は左辺と右辺で同じ計算結果になっていますが、計算過程を見るとこれは偶然ではなさそうです。
また、この $b = c = 0$ という結果を踏まえて $E_{1, 2}$$E_{2, 1}$ との計算結果を見ると、対角成分の値が一致すること、つまり、$a = d$ が言えます。

結果として、$A$$ \begin{pmatrix} a & 0 \\ 0 & a \\ \end{pmatrix} $ 、つまり、スカラー行列 $aE_{2}$ とわかります。

上の計算から、いくつか言えそうなことがあります。

  • おそらく求める行列はスカラー行列
  • 行列単位の中でも $E_{i, i}$ といった対角成分に 1 があるものを選ぶと、非対角成分がすぐに 0 とわかる。
  • 一般の $E_{i, j}$ は対角成分の値の一致をいうのに使える。
  • 先に行列単位との計算結果をまとめておいたほうが良い。

上の内容を踏まえ、先に行列単位との計算結果をまとめます。
一般の次数で行列と行列単位との計算結果を出してみると、次のようになるとわかります。
以下、$n$ 次行列 $X$ に対して $X(i, j)$ と書いたら、「行列 $X$$(i, j)$ 成分」を表すものとします。

$n$ 次行列 $A$ を、成分を明示して $A = (a_{i, j})$ とかく。
整数 $i, j$$1 \leq i,\ j \leq n$ を満たすものとし、$E_{i, j}$$(i, j)$ 成分を 1 とする $n$ 次行列単位とする。

この時、勝手な整数 $1 \leq s, \ t \leq n$ に対し、以下が成り立つ。

$$ (A \cdot E_{i, j})(s, t) = \left\{ \begin{array}{ll} a_{s, i} & (t = j) \\ 0 & (t \neq j) \end{array} \right. $$

$$ (E_{i, j} \cdot A)(s, t) = \left\{ \begin{array}{ll} a_{j, t} & (s = i) \\ 0 & (s \neq i) \end{array} \right. $$

まず、前者から示す。
$A \cdot E_{i, j}$$(s, t)$ 成分は、「$A$$s$ 番目の行ベクトル」と「$E_{i, j}$$t$ 番目の列ベクトル」の内積である。
$E_{i, j}$$t$ 番目の列ベクトル」は、$t = j$ なら、「第 $i$ 成分が 1 の $n$ 次単位ベクトル」であり、さもなくば零ベクトルである。
よって計算結果は、 $t=j$ なら 「$A$$s$ 番目の行ベクトルの第 i 成分」が取り出され $a_{s, i}$ となり、そうでなければ 0 となる。

後者を示す。
$E_{i, j} \cdot A$$(s, t)$ 成分は、「$E_{i, j}$$s$ 番目の行ベクトル」と「$A$$t$ 番目の列ベクトル」の内積である。
$E_{i, j}$$s$ 番目の行ベクトル」は、$s = i$ なら、「第 $j$ 成分が 1 の $n$ 次単位ベクトル」であり、さもなくば零ベクトルである。
よって計算結果は、$s = i$ なら「$A$$t$ 番目の列ベクトルの第 $j$ 成分」が取り出され $a_{j, t}$ となり、そうでなければ 0 となる。

表にまとめると次のようになります。

$(A \cdot E_{i, j})(s, t)$$t = j$$t \neq j$
$s = i$$a_{s, i} = a_{i, i}$0
$s \neq i$$a_{s, i}$0
$(E_{i, j} \cdot A)(s, t)$$t = j$$t \neq j$
$s = i$$a_{j, t} = a_{j, j}$$a_{j, t}$
$s \neq i$00

さて、一般の場合について解答を与えます。$n = 2$ の場合から得られた結果もヒントにします。
次の主張を証明します。

$A$$n$ 次行列とする。
行列 $A$ は、スカラー行列であるとき、そしてその時に限り、性質「どんな $n$ 次行列 $X$ に対しても、$AX=XA$ が成り立つ」を満たす。

十分性は明らかなので、必要性のみ示す。

行列 $A$ を性質「どんな $n$ 次行列 $X$ に対しても、$AX=XA$ が成り立つ」を満たすものとする。
$A$ を成分を明示して $A = (a_{i, j})$ と書く。
$A$ がスカラー行列であることを言うには、次の 2 つを確認すればよい。
(1) 任意の $1 \leq i, j \leq n$ に対し、$a_{i, i} = a_{j, j}$ が成り立つ。
(2) 任意の $1 \leq i \neq j \leq n$ に対し、$a_{i, j} = 0$ が成り立つ。

  1. は任意の $1 \leq i, j \leq n$ に対し、等式 $A \cdot E_{i, j} = E_{i, j} \cdot A$ の両辺の $(i, j)$ 成分を見ればよい(補題の真下の表を見よ)。

  2. は任意の $1 \leq i \neq j \leq n$ に対し、等式 $A \cdot E_{i, i} = E_{i, i} \cdot A$ の両辺の $(i, j)$ 成分を見ればよい。

(補題の主張を $E_{i, i}$ に対して書くと、次の結果になる。
$$ (A \cdot E_{i, i})(s, t) = \left\{ \begin{array}{ll} a_{s, i} & (t = i) \\ 0 & (t \neq i) \end{array} \right. $$

$$ (E_{i, i} \cdot A)(s, t) = \left\{ \begin{array}{ll} a_{i, t} & (s = i) \\ 0 & (s \neq i) \end{array} \right. $$

$(s, t) = (i, j)$ なら $a_{i, j} = 0$ である。)

無事に主張が言えました。

応用その 2 :トレースの特徴づけ

次に、トレースの特徴づけに関する話題です。
線形代数で、行列式について次の特徴づけがあるのはよく知られています。

行列式 $\mathrm{det}: M_{n}(R) \rightarrow R$ は、交代的な $n$ 重線形写像である。
逆に、交代的な $n$ 重線形写像はスカラー倍を除き行列式に一致する。

トレースにも、次のような特徴づけがあります。

トレース $\mathrm{tr}: M_{n}(R) \rightarrow R$ は、「勝手な $n$ 次行列 $A, \ B$ に対し、$\mathrm{tr}(AB) = \mathrm{tr}(BA)$ を満たす」線形写像である。
逆に、線形写像 $\varphi: M_{n}(R) \rightarrow R$ で性質「勝手な $n$ 次行列 $A, \ B$ に対し、$\varphi(AB) = \varphi(BA)$ を満たす」ようなものは、スカラー倍を除きトレースに一致する。

ここでは、この結果を行列単位を用いて証明します。
まず、応用その 1 で示した補題から、次の結果が成り立っていることに注意します。

$n$ 次行列単位 $E_{i, j}, E_{k, l}$ について、

$$ E_{i, j} \cdot E_{k, l} = \left\{ \begin{array}{ll} E_{i, l} & (j = k) \\ O_{n} & (j \neq k) \end{array} \right. $$
が成り立つ。ここで、$O_{n}$$n$ 次零行列。

補題の結果
$$ (E_{i, j} \cdot A)(s, t) = \left\{ \begin{array}{ll} a_{j, t} & (s = i) \\ 0 & (s \neq i) \end{array} \right. $$
$A = E_{k, l}$ に対して適用する。$E_{k, l}$$(j, t)$ 成分は、$(j, t) = (k, l)$ でない限り 0 である。
もし $j = k$ であれば、$E_{i, j} \cdot E_{k, l}$ は、$(i, l)$ 成分のみが 1 で他が 0 である行列、つまり $E_{i, l}$ である。
一方、仮に $j \neq k$ であれば、$E_{i, j} \cdot E_{k, l}$ は全ての成分が 0 となる行列、つまり零行列だとわかる。

これを用いて、上記のトレースの特徴づけを証明します。

トレースが「勝手な $n$ 次行列 $A, \ B$ に対し、$\mathrm{tr}(AB) = \mathrm{tr}(BA)$ を満たす」線形写像であることは自明であるから省略する。

線形写像 $\varphi: M_{n}(R) \rightarrow R$ が性質「勝手な $n$ 次行列 $A, \ B$ に対し、$\varphi(AB) = \varphi(BA)$ を満たす」を満足するものであるとする。この時、$\varphi$ がトレースのスカラー倍であることを示す。
任意に $n$ 次行列 $A = (a_{i, j})$ をとる。この時、$\varphi$$A$ における値がどうなるのかを見る。

線形性から、$$\varphi(A) = \sum_{1 \leq i, \ j \leq n} a_{i, j} \varphi(E_{i, j})$$ が成り立っているので、行列単位における値を確認すればよい。

次の 2 つを確認する。
(1) 任意の整数 $1 \leq i, \ j \leq n$ に対して $\varphi(E_{i, i}) = \varphi(E_{j, j})$ が成り立つ。
(2) 任意の整数 $1 \leq i \neq j \leq n$ に対して $\varphi(E_{i, j}) = 0$ が成り立つ。

  1. $\varphi(E_{i, i}) = \varphi(E_{i, j} \cdot E_{j, i}) = \varphi(E_{j, i} \cdot E_{i, j}) = \varphi(E_{j, j})$ よりわかる。
  2. $\varphi(E_{i, j}) = \varphi(E_{i, 1} \cdot E_{1, j}) = \varphi(E_{1, j} \cdot E_{i, 1}) = \varphi(O_{n}) = 0$ よりわかる。最後の箇所には $\varphi$ の線形性を用いた。

さて、今、$k := \varphi(E_{1, 1})$ とする。
これから、下記の計算によって主張が正しいことが言える。
$$\varphi(A) = \sum_{1 \leq i, \ j \leq n} a_{i, j} \varphi(E_{i, j}) = \sum_{1 \leq i \leq n} a_{i, i}\varphi(E_{i, i}) = \sum_{1 \leq i \leq n} a_{i, i}\varphi(E_{1, 1}) = k\sum_{1 \leq i \leq n} a_{i, i} = k\mathrm{tr}(A)$$

終わりに

今回は、行列単位の応用を 2 つ紹介しました。
他に面白い応用をご存じでしたらぜひお知らせください。

投稿日:20211130

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