本記事は
Mathlogアドベントカレンダー2021
の3日目の記事として書かれています.昨日はめいぜんおーえすさんによる
5つの圏の定義とCoqによる実装
でした.
密着閉包とは
イデアルの密着閉包は,1980年代の後半にHochsterとHunekeによって導入された道具であり,それ以降の20年にわたって可換環論の中心トピックのひとつでした.まずは定義をご覧いただきたいところですが,その前にもまだ少し準備が必要です.
以下を,標数の体を包む整域とします.素数の可換環上では「乗する」という写像は大変特徴的な役割を果たします.
フロベニウス写像
写像をで定義するとき,これは環準同型である.この環準同型をのフロベニウス写像という.
冪をとる写像は一般には環準同型にはならないのですが,標数乗(および標数の冪乗)の場合に限っては加法を保ち,特に環準同型になるのです.証明は2項定理を用いて
と展開すると,の範囲では2項係数が標数で割り切れるのでとなり,を得るという寸法です.
標数の体の上の可換環論および代数幾何では,解析幾何・微分幾何との相互乗り入れによって持ち込まれた微積分を中心とした解析的手法が(ときに不可欠なほど)重要な手段として用いられてきました.標数の体上では微分的手法はもちろん使えませんが,フロベニウス写像の精緻な観察が解析的手法の代用となることは経験的に予想されていたようです.今回紹介する密着閉包の概念も,このフロベニウス写像の観察の延長線上にあります.
のイデアルに対し,の(の回合成=乗写像)による拡大,すなわち
をと表し,のフロベニウス冪といいます.イデアルの拡大とはいうものの,
と拡大するほど集合として小さくなるのは(言葉のあやとはいえ)おもしろいところです.
密着閉包
のイデアルの密着閉包は次で定義される:に対し, とは
あるが存在して,充分に大きな総てのに対してとなる
が成り立つことをいう.
極めて微妙な定義で,何がしたいのか一見しただけではちょっとわかりません.しかしその微妙さのゆえにもたらされた豊饒な理論は,密着閉包の魅力と名声を高め続けました.
のとき,任意のに対しなのでを得る(でよい).
がイデアルであることを示そう.とをとる.をそれぞれ
- 充分大きな総てのに対して,
- 充分大きな総てのに対して,
を充たすものとすれば,は整域ゆえで
および
これはおよびを意味する.
密着閉包は特徴的な性質をいくつか持ちますが,ひとつには理論的に大変優れていること,そしてまた計算がしにくいことなどが挙げられましょう.理論的な優秀性は多くの研究者を惹きつけました.個人的な話をすれば,ぼくはゼロ年代後半に可換環を専門とする院生生活を送ったので,密着閉包は気になるけれど手に負えないものとして憧れの対象でありました.一方,計算の複雑さは定義から自然に引き起こされるもので簡単に解消する手段もなく,それゆえに極めて基本的な課題が未解決のまま20年以上残されることになりました.今回はいくつかの例において密着閉包を計算し,その大変さを垣間見て頂きましょう.
密着閉包の計算例
以下,標数の体上の3変数多項式環の剰余環を考え,各例においてが代表する剰余類をそれぞれで表します.
のとき
であり,, はともにより大きいので ,すなわち .
が奇素数のとき,,とおくと
2項定理を用いて右辺を展開すると, ここで,の線型結合となるが,条件からかのいずれかは成り立つ.[背理法による.かつとすると]これは右辺の各項が,特に右辺がに属すること,すなわちを意味する.
上記の例でも,の標数によって議論の進め方は少し変わりはしたものの,結論は標数によって変化はしませんでした.しかし次の例は,密着閉包の大きさが体の標数に依存することを示唆しています.
証明の前に,が生成する部分環について注意しましょう.この系列はのパラメーター系と呼ばれ,次の性質をもちます:
- は上(2変数)の多項式環である.
- は を自由基底とする自由加群である,特に任意のは
の形に一意的に表せる.
のとき,例1と同様にとして
と展開すれば,または・これは右辺の各項が,特に右辺がに属すること,すなわちを意味する.
が奇素数のとき, とおけば
ここで右辺がに含まれるためには
のいずれかが成り立てばよい. に対して上を示そう.
のとき,ならば示すことはない.のとき
ここから .に対してもほぼ同様に,ならば示すことはなく,ならばを得る.
続いて,の場合に進もう.をと表し,多項式のに関する次数の最大値をそれぞれとおく.またとすると
と表され,となるためにはの寄与を含めて
が成り立たねばならない.これを否定しよう.
鍵を握るのは次の2つの不等式である:
(a) , (b) .
(a)の解が存在したとすれば,,とおくと,充分大きなに対して
が成り立つ.またこのとき
はで割り切れず,特ににおいてではない.同様に(b)の解が存在するならば,ととれば同様の結果を得る.
のときは(a), (b)の少なくとも一方に(ならば両方に)解が存在する.ゆえに, の場合にはである.
最後にの場合で,このとき(a),(b)はともに整数解をもたない.ところで,,およびから,2項係数の分子・分母にはそれぞれが1回だけ現れる.またなので,,とおくとはで割り切れず,においてではない.
以上をまとめて,を得る.