こんにちは,ロダンです.今回は数学の話ではなく,数学の研究の方法について記事を書きたいと思います.
私は現在いわゆるポスドクという立場ではありますが,未だに学部生や修士学生の自主ゼミ,あるいは自分の所属する研究室の学部生ゼミに混ざって,一緒に勉強をさせていただく機会が結構あります.そうしたゼミにおける雑談タイムの中で,まだ論文を書いたことがない学生さんから「数学の研究課題ってどうやって見つけるんですか?」と聞かれることが時々あります.
それを聞いたとき,私は「それはすごく知りたいことだよね」と深く頷きます.この疑問は私はもちろんのこと,ほとんどの研究者が研究を始める前の時期に少なからず抱いたことがある疑問,そして不安であろうと思います.今回はこの「数学の研究課題の探し方」について,私なりの考え方を書いてみたいと思います.
ちなみに,「この記事を書いているお前は実際どれくらい論文書いてるんだよ?」と思われる人のために私の実績について少し触れておくことにします.私は今までに(現在準備中でまだどこにも公開していないものも含めて)10本の論文(プレプリントを含む数)を持っており,そのうち2本が総合誌,3本が専門誌,1本が国際研究集会の査読付き報告論文集にアクセプトされています(出版まで完了しているのは3本です).まだまだ駆け出しのひよっこという感じの実績ですが,数学の研究課題の見つけ方について言及している文章はまだ数が少ないように思うので,誰かの役に立てばと思い,また自分がこの先研究で行き詰まったときに振り返れるようにと思い,筆をとり拙い文章を残すことにしました.至らない部分もあるかもしれませんが,よろしくお願いいたします.
まずは,そもそも数学研究の何が難しいかについて少し整理しておきましょう.
数学の勉強・研究において,「オリジナルの定理を得て論文として発表する」ところまでたどり着くのはかなり大変なことです.人によりますが,ここにたどり着くまでに大学に入学してから大体6~9年ほどかかります.その期間の大半は,既存の数学の内容の理解に充てられます.数学は積み重ねの学問であり,前提知識がないと何を主張しているのかすらわからないことが往々にしてあるので,時間をかけて知識を習得していくわけですね.ただ,知識を習得したからといってすぐに数学の論文を書けるのかというと,そういうわけではありません.論文を書くためにはまず最初に「今の自分の力量で解ける,数学界においてまだ誰も解いたことのない問題」を用意しなければいけませんが,ここに難しさがあります.
「数学界においてまだ誰も解いたことのない問題」は少し探せば結構簡単に見つかります.リーマン予想,双子素数予想といった有名なものから,自分が勉強している分野の問題まで,数え切れないほどあります.難しいのは,それと「自分で解ける問題であること」を両立させることです.「誰も解いたことがない程度にはレベルが高い問題であり」「自分の力量で解けるくらいには簡単な問題である」というギリギリのラインを狙っていくこと自体にも難しさはあるのですが,それ以上にネックなのは,設定した問題が自分の力量に見合う問題かどうかが実際に解けてからでないとわからないことです.解けないうちは,「もしかしたらこの問題は実は今の私には手が届かないくらい難しい問題なんじゃないか…?もしそうだったら今まで考えていた時間は全部無駄になってしまうんじゃないか…?」という疑心暗鬼な状態で問題に取り組まなければいけないことになるわけですが,これは当たるかどうかが全然読めないものに「時間」という貴重な財産をベットしている状態なので,課題を考え続けるモチベーションにも影響が出てきます.これが数学研究の難しさであると,私は考えています.
さて,本題に入りましょう.先に述べた研究課題を探す難しさはその見つけ方を考えることで完全に解消される訳ではありませんが,「誰もまだ解いたことはないが,解決する見込みが高そうな問題」を探す方法というものがあれば,これによって精神的な負担をある程度軽減することはできるんじゃないかと思います.これについて,順番に紹介していくことにしましょう.
まず最初に,最もオーソドックスな方法を挙げておきます.それはズバリ,専門書や論文を読んでいる中で「あれ,これってどうなってるんだろ?」と気になる問題を見つける方法です.ざっくり2パターンのアプローチがあるので,分けてみていくことにしましょう.
これは非常に単純明快ですね.テキストに予想として書いてある問題は既に誰かがなんらかのモチベーションを持って設定した問題なので,解けるとその分野に大きく貢献できる可能性が高いです.中には賞金がかかっていたり,解くだけで一気に一流数学者の仲間入りというような問題もあるので,意欲的な人は是非挑戦してみるといいと思います.ただし,いくつか懸念事項もあります.まず,古いテキストに書かれている予想は既に解かれている可能性があるので,挑む前に解かれてないかきちんと下調べをしたほうがいいということです.また,調査した結果解かれていなかった場合でも,やはり少し警戒する必要があります.なぜなら,その問題は数多の人間の目に触れていながら,なお予想として君臨し続けているということになるので,難しい問題である可能性が高いからです.一方で,最近出た論文に書かれている予想であれば,まだ取り組んでいる人が多くない可能性があるのでワンチャンスあるかもしれません.しかしやはりその論文の著者が一度挑んで敗れた問題であることに変わりはないので,心してかかるのが良いと思います.
ちなみに若干妥協は入りますが,与えられている予想に特定の条件を課して部分的に解くという方法も考えられます.歴史的にはフェルマーの最終定理の部分的解決は有名ですね.これは元の問題が難問でないとなかなか評価はされにくいかもしれませんが,部分的な解決に使った手法が後に新たな分野を切り開いていく可能性もあるので,この形の業績も意外と侮れないものです.
次に思いつくのがテキストに書かれている定理の適用範囲を広げられないか検討することです(もちろん,必要に応じて定理の結論部分をより一般的な形に拡張する場合もあります).数学においては,昔与えられた定理が,現代では別の定理の特別な場合として捉えられているということがよくあります.例えば,三平方の定理は余弦定理の特別な形としてみることができますね.この例でいうと,三平方の定理を,三角形が直角三角形でない場合に拡張するにはどういう形になるのだろうか?というようなことを考えるということです.当然ながら現代の数学は昔の数学よりも発展しているので,昔は手が出なかった問題でも現代の武器を使えばなんとかなってしまう,というようなこともありますし,最新の論文であっても,その論文の著者にない視点を持っていて,その視点を利用して定理の一般化を与えることができれば,それは立派な論文になると思います(この場合,定理の重要度や使われている手法の利便性によっては一般化ではなく同じ定理の再証明であっても評価に値する場合があります).
かっちりした専門書と最近の論文を比較したときに,どちらの方が新しい定理を見出せる可能性が高いかと言えば,私は断然最近の論文の方だと考えています.専門書は内容の筋道が整頓されてスッキリきれいにまとまっていることが多いですが,これは研究の蓄積によってそれを習得するための最も良い方法が確立されてきたことを意味する場合があります.理解までの道が綺麗に舗装されているとき,その裏には様々な人の努力が隠れている訳で,これは裏を返せばなかなか付け入る隙がないということです.ある分野を理解するのに効率の良い専門書であっても,研究材料を探すという観点から見るとなかなか隙を見せてくれないということもありそうですね.一方で,最近の論文は未整備で荒削りな部分も多く見られます(一例を挙げると,かなり強い仮定の元で定理を証明していたり,証明が回りくどかったり)が,そういう場所にいろんなヒントが隠れていることもあるわけです.新しい論文は,最先端の知識を習得する以外にも「何か光るものが落ちていないかな」という観点から読むようにするといいことがあるかもしれません.
次に紹介したいのが,具体例をたくさん計算して法則を見出し,その数学的証明を課題として設定する方法です.原始的だと思われるかもしれませんが,これが意外と侮れません.数学は抽象論も大事ですが,その抽象論を適用する具体的な対象を見ることも大変重要です.そもそも抽象論はたくさんある具体的対象に起こっている共通の現象を一括して扱えるようにするために発達するものである場合が多いので,具体的な対象を観察するということは抽象論を構成する上で非常に本質的な行為であるとも言えます.また,「法則自体を見出すのは難しいが,実際に見出して予想として定式化してしまえばそれを解くこと自体は難しくはない」というケース,いわゆる「見つけたもん勝ち」が転がっている可能性が高いのも,このアプローチ方法です.ちなみに私の最初の論文も具体例を数多く計算し,共通の法則を見出すことで問題設定を行なったものでした.この方法による問題設定とその解決は,ときに既存の理論を眺めているだけでは得られないような,全く新しい視点を提供してくれることがあります.また,具体例をいっぱい計算すると,仮に何も新しい法則性が得られないとしても,その対象に対する理解がより深まるというメリットもあるので「別に何かプランがあるわけではないけど,とりあえず具体例計算して並べて眺めて見るか〜」くらいの軽い気持ちで行っても良いアプローチだと思います.この方法も,まだ研究が発展途上であるような新しい概念に対して行うとより効果的なのではと思います.
数学では,一見何の関係もなさそうな2つの分野の対象が,実は良い関係で結びついているというようなことが往々にしてあります.例えば体の有限次ガロア拡大における中間体と,対応するガロア群の部分群が1:1で対応していたり,ディンキン図形が単純リー代数の分類と有限表現型道代数の分類を行う中で現れる共通の図形であったり.
この2つの分野の間にある良い対応を利用して新たな事実を発見することもまた,数学における立派な貢献と言えます.具体的には,2つの分野の対象の間の対応があったら,片側の分野における対象に付随するなにかしらの性質は,大定理による対応を介したもう片方の分野においては何に対応しているのかを調べてみようという話です.例えば,体の有限次ガロア拡大とガロア群の対応定理においては,中間体が正規拡大であることと対応する部分群が正規部分群であることが同値であることは有名ですが,こういう類のものが見つからないかを考えてみるということです.
こういう関係性は一見非自明で見つけるのが大変そうに思えますが,2つの分野をいい関係で結びつける定理というのは実は現在も定期的に色々なところで発見されているので,このような2つの性質の比較に関する研究は未だ手付かずの領域がたくさんあります.そこに問題設定を持っていくということも,私は結構良い着眼点なのではと考えています.対象同士の対応は既に与えられている大定理によって見えているので,片方の分野の性質を考えたときにもう片方ではどういう性質に対応するのかを考えることは難しくない場合が結構あり,双方の分野では使えるツールが異なることも多いので「分野Aでこの性質を扱うことは難しいが,分野Bでは良いツールがあって対応する性質が非常に扱いやすい」というようなことも結構起こります.これを利用すると,「今まで分野Aの中だけで考えていてもわからなかった問題が,大定理によって分野Bに持っていくと解ける問題になっていた!」というような状態が生まれることがあって,ここまで来るとこれで1本立派な論文が書けそうなものです.
まあ,ゆくゆくは2つの分野の対象を結びつける大定理の方を発見したいとも思いますがね.いきなりそういう定理をポンと見つけるのが難しいなら,まずはこういうところからコツコツ攻めてみればいいのではないかという話でした.
4つ目に紹介する方法は,「人に聞く」です.これまで紹介した方法と若干毛色が違う感じもしますが,これも非常に強力な手段だと考えています.いくつかに分けて説明することにしましょう.
学生であり,まだ論文を一本も書いたことがないのであれば,まず最初に取ることを検討しても良い手段だと思います.そもそも,学部生や修士学生は数学の研究者として修行中の身であり,彼らに対して適切に指導するのが指導教員の職務の1つです.いきなり自分で問題設定を行うのは難しいので,最初の一歩として指導教員に協力を仰ぐことは何ら問題のない行為だと思いますし,実際最初の論文の課題は指導教員から提案されたという知り合いの研究者もいます.ただ,当たり前ですが,問題の解決を自力で行わなければ自分の定理であると主張することはできません.
これは研究だけでなく勉強のモチベーションを保つためにも有効な手段だと思いますが,数学をやっている知り合いとは積極的にお互いの情報を交換していくと良いと思います.思わぬところで研究の糸口が見つかるかもしれませんし,異なる分野を勉強している人の話は,仮に研究に結びつかないとしても自分の視野を広げる上で有意義であることが多いです.また,可能であれば同期との横の関係だけでなく,先輩後輩の縦の関係も充実させると良いと思います.先輩は同じ道の先駆者として色々なことを知っているので,積極的に色々聞くと良いと思います.後輩には色々教えてあげて,先々研究するときの心強い仲間にしてしまいましょう(当たり前ですが,強制やパワハラはダメです).
全国各地で開かれる研究集会は,最新の研究成果が集まる場所です.しかも,定理を発見した人が直接その定理の説明をしてくれるというまたとない機会であり,それを聞くだけでも得るものはいっぱいあると思います.講演中にこれからの課題を挙げる発表者もいますからそれを参考にしてみても良いですし,発表後の質疑応答を通して新しい研究の糸口を掴めるようなこともあるかもしれません.また,気になる話題があれば講演が終わった後に直接講演者と話して情報を集めることも非常に有意義です.研究集会では思わぬところに研究課題の卵が転がっていることがあるので,研究成果をまだ持っていない学生さんも,積極的に参加していくと良いと思います.
これは自分の手元に既にある程度形になっている定理などがある場合に取れる手段ですが,自分が発見した事実を積極的に発信して周りからの意見を仰ぐのも有効だと思います.「まだこれ論文にするには弱いかもしれないな…」と思うような話でも,それを聞いた人が何か新しい情報をもたらしてくれるかもしれませんし,講演を聞いた人から「この人はこの分野の研究をしようとしているんだな,何か思いついたらちょっと相談してみようか」と思ってくれるかもしれません.いずれにせよ,自分が何者なのかを発信する手段として,講演やセミナーという形は非常に有効だと思います.
研究課題の探し方について,大事なことを2つ書き忘れていたので書き足しておきます.
まず,大体いつぐらいからこういうことを考え始めると良いのかという話です.これは非常に難しい問題であり,まあ正直人によりけりだと思うのですが,個人的には最新の論文の定理や命題が指すところの意味がある程度わかるようなら(たとえその証明がすぐに理解できなくても)もう始めて良いのではないかと思います.「まず知識を完璧にして,それから腰を据えて問題に取り組もう」という考え方も一理あるのですが,数学は深堀りしようとすると既存の知識であっても際限なく深掘りできてしまうので,「完璧に完璧に…」と思ってやってると,いつまで経っても研究を始めることができないんじゃないかと思います.分野の最新の動向が把握できるくらいの知識がついたら,普段の勉強以外に研究課題を探す時間を設けてみるといいのではないでしょうか.また,何か糸口を見つけたら,それをより深く理解するための知識の習得に普段の勉強時間を割くことも考えてみるといいと思います.
ただ,課題を見つけてそれを解決しようとする時間と普段の勉強時間はトレードオフの関係にあるので,「考えてみたけど今はうまくいかなさそうだな」と思ったら一旦保留して勉強に戻ったりする柔軟性も必要かと思います.そこのバランスは非常に難しく,私自身も結構悩むところではありますが,試行錯誤して自分が納得のいくような時間配分を探してみてください.
次に,考えるべき研究課題はいくつ持っておくといいのかということについて.これについては,全然方向性が異なるものでもいいので,複数持っておくといいと思います.あまり1つの問題に固執しすぎるとそれに関する研究進捗が長いこと生めなかった時に時間的な損失が大きいので,いくつか候補を用意しておいて,それぞれを定期的に考えてみて解決できそうならチャレンジしてみるといったスタイルをとるのがいいと思います.ただこれについては人それぞれなので,一概にこれがベストというようなものはない気もします.私自身見つけた課題に対して2ヶ月くらいアタックし続けた結果うまくいって初めての論文を書けた経験を持っているので…難しいところです.
数学の研究では,自分で見つけた課題を,偶然同じ分野の他の人も独力で見出しているという状況は十分にあり得ます.そして,見出す時期については大抵時間的なズレが生じています.つまり,自分が研究課題を見つけた時点で,それを既に解決している人がいるというようなことがあります.こうなってしまうと,いくらその研究課題を後から解決したとしても自分の業績にすることはできません(証明の手法が大きく異なる場合はその限りではありませんが).研究課題の見つけ方のI.で専門書の予想は解かれていないかきちんと下調べをしたほうがいいということを書きましたが,このような理由で,自分で見つけた課題についても本格的に取り組む前に入念に下調べしたほうがいいです.
とはいえこういうことは起きる時は起きるもので,いくら下調べしたつもりになっていても,解決した後になってから既に同じ問題を同じ方法で解決している論文があることが発覚し,自分が「車輪の再発明」をしてしまったことに気づくという状況は実際かなりあります.私もやったことがありますし,身の回りでもそういう事例をいくつも知っています.そういうときは正直とても辛いですし,しばらく何もしたくないという気分になります.しかし,そういうときでもなんとかして前を向くしかありません.今回は非常に運が悪かったが,問題選びの着眼点は非常に良いところにあったし,それを自分の力で解決できるほど自分に実力があるということだ,だから自分はやっていけると自分に言い聞かせ,次の問題を探す旅に出ましょう.
ひとまず,思いついた研究課題を見つける方法をいくつか挙げ,さらに研究というものに対してどのように向き合うといいのかというようなことを書いてみましたが,最後に数学の研究に向き合うにあたり私がいちばん大事だと思っている心構えの話をして終わりたいと思います.数学の研究において一番重要な心構え,それは「私がこの分野の最前線を切り拓くんだ!」という強い気概を持って取り組むということです.根拠のない自信でもいい,とにかく自分がこの手で人類の数学を前に進めるんだと思うことが大事です.この点に関しては完全に私の持論なので異論は大いにあると思うのですが,私個人の経験では「とりあえず専門の数学を勉強して詳しくなっていけばそのうち研究課題も転がり込んでくるでしょう」という受け身の姿勢をとっているうちは研究に進むことはできませんでした.修士1年の暮れに「博士課程に進んで数学者になりたい,そのためには業績を出さなきゃいけない,となると今から研究課題を探さなければ」という気持ちになって,読んでいる論文の「隙」のようなものを血眼で探すようになってから流れが変わったように思います.気持ちの持ちよう一つで今まで見えなかったものが見えてくるようなるというのは必ずしも万人に当てはまることではないかもしれませんが,上記で挙げた方法論よりも手軽にできて,かつリスクもないのでまずここから始めてみるのがいいかもしれません.ということで,以上,これらの文章が研究課題を探している数学徒の一助になれば幸いです.ここまで読んでいただきありがとうございました,