本稿では、集合論及び選択公理を排して、微分積分学を構築することが目標である。
まず、本稿への批判への応答を冒頭にまとめておく。本稿の意義にも関わる重要な話だからである。本稿の読者から、Twitter上で次のようなリプライがあった。
要するに、あなたは現代数学が集合と呼んでいるものを条件という名前に改名させただけだということです。@emptinfinite 午後3:38 · 2023年2月11日
あなたのやってる微分積分学が無限集合を使わずにできていると言い張るのなら、同じことは位相空間論でもできると思いますよ。
は無限集合ですので。あなたの言葉遣いに合わせると「無限条件」かもしれませんが。@emptinfinite 午後3:49 · 2023年2月11日
これらの批判に対する私の考えを、ここに述べておく。
まず、前者のリプライには一理ある。確かに私は、微分積分学の集合を用いたステートメントを、条件を用いたステートメントに書き換えただけである(ただし、選択公理を使わない証明には、オリジナリティがあるずである)。しかし、私が強調したいのは、微分積分学においては集合を用いたステートメントを、条件を用いたステートメントに書き換えることができる、ということなのである。これは、微分積分学において、集合論が全く本質ではないことを意味する。
位相空間論においても、集合を条件に書き換えることはできると、リプライを貰ったが、できない。なぜなら、位相空間論においては、「集合そのもの」が考察の対象だからである。例えば、関数
しかし、位相空間論の範疇に属する、次のようなステートメントを考えてみよう。
有界閉区間
この定理を、どうやって、集合論を用いず、条件のみの論理式で書き換えればよいというのだろう。
最後に。一般に、数学者は、「条件」と、「条件を満たす対象全体の成す集合」を同一視しがちである。しかし、これは数学者の「悪癖」とでも呼ぶべきものであって、本来は望ましくない。結局、この同一視が、数学のあらゆるところに集合論を忍び込ませ、数学のすべてが集合論に依存しているかのごとく錯覚させるのである。数学のすべてが集合論に依存しているわけではなく、単なる条件に書き換えられるケースもあることを強調する意味も込めて、私は本稿を執筆している。
「無限集合は認めないのに、無限数列の存在は認めるのか」という批判があった。この件については、私の書き方が悪かったので、改めてここで無限数列の存在について論じよう。無限数列を、次のように定義する。
いくつか注意を述べておく。
無限数列の定義は、無限集合とは何の関係もないことに注意せよ。ただ、自然数を定めるごとに、実数を一意に定める「規則」が与えられてている、というだけのことである。無限集合の話が絡む余地はない。
無限数列は存在することに注意せよ。無限数列が存在することを示すには、無限数列の実例を列挙すればよい。例えば、
最初に、集合論は誤っていることを、明確にしておこう。例えば、自然数をすべて集めた集合
また、空集合は存在しない。なぜならば、空集合は何もない集合だとよく言われるが、集合とはそもそも、ものの集まりのことであり、何もないものを集めることは不可能だからである。
本稿では、集合とは、すべて空集合ではない有限集合のことである。
まず、自然数の存在はア・プリオリである。従って、次を公理として掲げる。公理として掲げるから正しいのではなく、正しいから公理として掲げるのである。
人間は、自然数
我々の素朴な、実数直線への直観ゆえに、我々は、実数を次のように定義する。
頭の中で、線分を想像せよ。無限の長さの直線は、人間の想像力を越えているが、我々は、有限な長さの線分は想像することができる。なるべく長い、有限な長さの線分を想像せよ。適当な位置を、
次の公理は明らかである。小学生でも、次の公理が明らかであることを知っている。逆に言えば、明らかであるから公理として採用するのである。
実数の四則演算,
さて、実数が定義できたから、我々は、整数と有理数を、次のように定義する。
有理数とは、実数のうち、整数を用いて、
無限数列の定義と存在については、「批判への応答2(無限数列の定義と存在)」の章を見よ。準備として、絶対値を定義する。
数列の極限は、
次の定理があるので、収束という概念が意味を持つ。
無限数列
微分積分学の教科書を参照せよ。集合論も選択公理も用いない、ただ無限数列の収束の定義のみを用いる証明が書いてある。
次の定理は直感的に明らかである。
さらに、
最後の主張を、挟み撃ちの原理と呼ぶ。
微分積分学の教科書を参照せよ。集合論も選択公理も用いない、ただ無限数列の収束の定義のみを用いる証明が書いてある。
まず、実数の連続性の公理を述べる。この公理は、我々の想像力及び悟性が保証する、極めて確実な公理である。繰り返しになるが、我々の想像力及び悟性が保証するからこそ、公理として採用するわけである。
数列
・
・
このとき、
区間縮小法は有益である。
2つの無限数列
実数の連続性の公理より、
なので、
次の定理は、証明に選択公理が必要であると誤解されがちであるが、実際には必要がない。
無限数列が有界ならば、収束する部分列を持つ。
①
②
②が起こるとして、一般性を失わない。
③
④
③が起こるとして、一般性を失わない。
さて、必ずしも単調増加ではない無限数列について、その収束性を判定することは不可能だろうか?いや、可能である。それを述べよう。
無限数列
無限数列
コーシー列は明らかに有界列であるから、ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理より、収束する部分列
が分かる。
我々は、集合論に立脚せず、関数という概念を定義する必要がある。簡単のため、次の記法を導入しよう。
実数
そして、「ある条件上で定義された関数」という概念を導入する。
よく使う条件
さて、関数について、連続という概念を定義しよう。
① ある十分小さな
② どれだけ小さな正の実数
次に、任意の条件
①
②
次の定理は連続関数の最も基本的な性質である。
(最大値・最小値の存在)
(中間値の定理)
これを証明する前に、次の公理を掲げる。これもまた、我々の実数に対するア・プリオリな直観から明確に悟ることのできるものである。
このとき、次の性質を満たす実数
①
②
ある正の実数
① どれほど大きな
② どれほど大きな
① が成り立つとして一般性を失わない。区間縮小法の議論を用いることで、条件の列
さて、
次に、
① どれほど小さな
② どれほど小さな
区間縮小法と同様の議論により、条件の列
次に、中間値の定理を示す。
①
②
①が成立するとき、
なので、