素イデアルは可換環論における主役とも言うべき概念のひとつです.可換環論はさまざまな分野との関係が見いだされ応用されていますが,これらの応用はどれも新たな視点から素イデアルを解釈することによって拓かれたと言っても過言ではありません.
今回の記事を通して,可換環は乗法単位元$1\ne 0$をもつものとします.
可換環 $A$ のイデアル $P$ が
の2条件を充たすとき素イデアルという.
今回はこの素イデアルの準同型による像や逆像との関係を考えたいと思います.
次の定理は有名ですが,可換環論を始める第一歩とも言うべき定理です.可換環論の基本的な教科書のほとんどが(定義から導かれる簡単な計算公式を除けば)最初の定理として紹介しています.
乗法単位元 $1\ne 0$ をもつ可換環は素イデアルをもつ.
この定理は見かけ以上に複雑な仕掛けの上に成立する定理で,証明には選択公理を本質的に必要とします(つまり選択公理を除くZF集合論では必ずしも成立しません).この定理は Krull によって超限帰納法を用いて証明されましたが,後に Zorn が有名な Zornの補題を考案し,現在ではこの証明の方が広く知られています.今回の眼目は素イデアルと準同型の関係を述べることなので,この存在定理の証明は別の機会に譲ります.
素イデアルの特徴づけとして,次の定理は極めて重要です.
可換環 $A$ のイデアル $I$ に対して,以下は同値である:
(1) $I$ は $A$ の素イデアルである;
(2) 剰余環 $A/I$ は整域である.
$a \in A$ が代表する $A/I$ の要素を $\bar{a}$ と表す.このとき
「$A/I$ において $\bar{a} \ne 0$ $\Leftrightarrow$ $a \not\in I$」
に注意する.
(1)$\Rightarrow$(2).$A/I$ の2要素 $\bar{a} \ne 0$, $\bar{b} \ne 0$ をとると,$a$ も $b$ も $I$ の要素ではない.$I$ は素イデアルなので積 $ab$ も $I$ に属さず,特に $\bar{a} \bar{b} \ne 0$.
(2)$\Rightarrow$(1).対偶を示そう.$I$ が素イデアルでなければ, $ab \in I$ なる $a \not\in I$, $b \not\in I$ が存在する.これらが代表する $A/I$ の要素 $\bar{a}$, $\bar{b}$ は $\bar{a} \ne 0$,$\bar{b} \ne 0$ および $\bar{a}\bar{b} = 0$ を充たす.
環準同型による素イデアルの逆像はまた素イデアルである,すなわち $f \colon A \to B$ が環準同型で $Q$ が $B$ の素イデアルならば,逆像 $f^{-1}(Q)$ は $A$ の素イデアルである.
$a$, $b \not\in f^{-1}(Q)$ をとる.このとき $f(a)$, $f(b) \not\in Q$ で,$Q$ は素イデアルなので $f(ab) = f(a) f(b) \not\in Q$,すなわち $ab \not\in f^{-1}(Q)$.
$\pi \colon B \to B/Q$ を自然な全射とする.写像の合成
$$ \pi \circ f \colon A \overset{f}{\longrightarrow} B \overset{\pi}{\longrightarrow} B/Q $$
による核は $f^{-1}(Q)$ に等しいので,剰余環の普遍性により単写像である準同型 $A/f^{-1}(Q) \to B/Q$ が存在する.$B/Q$ は整域で $A/f^{-1}(Q)$ はその部分環なので $A/f^{-1}(Q)$ は整域,すなわち $f^{-1}(Q)$ は $A$ の素イデアルである.