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大学数学基礎解説
文献あり

Sardの定理にまつわる反例

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この記事はナンブキトラのブログ記事"Sardの定理にまつわる反例と「多様体の基礎」の誤り"(参考文献[1])と"Sardの定理にまつわる反例その2"(参考文献[2])をまとめて,Mathlog用に書き直したものである.
この記事では「多様体の基礎」(参考文献[7])のSardの定理の記述の誤りを指摘し,Sardの定理の微分可能性の仮定を弱めた場合の反例の文献案内をする.ちょっと本質的な構成は紹介できないかも.

数学的に難しいことは全て参考文献に回しているので,この記事はどちらかというと文献案内という趣が強いかと思われる.

Sardの定理

ユークリッド空間の間の可微分写像fについて,その臨界点全体をCfと書くことにする.つまりCfに属する点というのは,fの(全)微分が全射ではなくなる点のことである.このことはfのヤコビ行列が線形写像として全射ではないということと同じである.

Sardの定理とは次の定理のことである.ここでは証明はしない.
証明知りたい読者は[10], [11]もしくはナンブキトラのはてなブログ記事[3]などを参照のこと.

Sardの定理

n,m,rZ1の元とする.そしてURmの開集合とし,写像f:URnCr級関数であるとする.このときもしもrmax{mn+1,1}ならばfの臨界値全体の集合はRnの中で零集合になっている.つまり臨界点の集合をCfとしたときf(Cf)Rnの中で零集合になっていると言うことである.

このSardの定理(サードの定理)を踏まえた上で「多様体の基礎」の誤りがどのようなものか解説する.

多様体の基礎とSardの定理

さて東大出版の「多様体の基礎」(参考文献[7], 例の黄色い本)は多様体の入門書として名著との呼び声も高い.
しかしながらこの本におけるSardの定理は微分可能性の仮定を
r>mn1
としている.この微分可能性に関する仮定は誤りである.
つまりSardの定理の微分可能性の仮定をr>mn1としてしまうと,定理の結論が成り立たないような関数が存在するのである.
なぜこのような記述になってしまったかと言うと,Sardの定理を引くために参考にしていると思われるミルナーのTopology from differentiable viewpoint(参考文献[9][8])のSardの定理の記述がややこしいのでこのような誤解をしてしまったのかと思われる.ミルナーの本ではr=の場合にSardの定理を証明しているが,帰納法の仮定にr>mn1が出てくる.この帰納法というのはもう大体r=の場合くらいにしか回らない帰納法なのだが,ミルナーはそこんところ何も注意してくれないので誤解してしまうのではないかと思う.もうちょっと具体的にいうと,ミルナーの証明の第1段というのがr>mn1という仮定だけでは帰納法が回せなくなるんじゃないかと思う.
この記事の後半ではこの微分可能性の仮定では定理の結論が成り立たないという例を紹介する.

一般的に数学書に誤りはつきものである.そのような誤りが感情的機微に触れるのもわかる,ナンブキトラにも経験がある.しかしながらそういうのはよほど酷いものでない限り読者自身によって修正することが期待されるものであり,また今回のこの程度の誤りによってこの例の黄色い本の評価が全く下がるものではないと確信する.というか,この本はミルナーの本を綺麗に誤解して記述してくれており,「多様体の基礎」が参考にした本のうちにミルナーの本があることが確実にわかる(まあ明記もされているのだが)ので,文献学的に面白いことになっていると思われる.

反例など

Sardの定理にまつわる反例その1

以下では微分可能性に関する仮定をr>mn1とした時の反例を紹介する.
「多様体の基礎」のSardの定理が述べられている同じページに,Sardの定理にまつわるWhitneyによる反例が述べられている(原論文は[16]).つまり,rがSardの定理の仮定にある不等式rmax{mn+1,1}を充さない時の反例,特に
r=1,m=2,n=1の場合の反例である.命題としてまとめておこう.

微分可能性が低すぎる場合のSardの定理にまつわる反例

C1級関数f:RR2が存在して,fの臨界点をCfと置くとf(Cf)の一次元(ルベーグ)測度が正である.

以上の命題で述べられたfから,r>mn1を満たすがSardの定理の結論を満たさない例を構成しよう.
まずF:R3R2を以下のように定義しよう.

F(x1,x2,x3)=(f(x1,x2)x3)
このときfC1級なのでFC1級である.
Fの臨界点を求めよう.Fのヤコビ行列は
JF(x1,x2,x3)=(fx1fx20001)
という形をしているので,Fの臨界点をCFとするとCFCf×Rを部分集合として含む.
さてFの定義からF(Cf×R)=f(Cf)×Rであり,f(Cf)は正の一次元(ルベーグ)測度をもつので,F(Cf×R)=f(Cf)×Rは正の二次元(ルベーグ)測度をもつ.より正確にいうとその測度は無限大の値をもつ.よってF(CF)は正の二次元(ルベーグ)測度をもつ.ところで今Fについてr=1,m=3,n=2なので
mn1=12
なのでこのFについては
r>mn1
が成り立つが,Fの臨界値F(CF)零集合ではない.
よってこのFr>mn1を満たすがSardの定理の結論を満たさない.つまり「多様体の基礎」にSardの定理として記述されている主張は誤りである.
この反例はそれこそSardの原論分[15]の一番最後のページに書かれている反例である.ちなみにこの論文はオープンアクセスである.

Sardの定理にまつわる反例その2

Whitneyの例はWhitneyの拡張定理というなかなか重たい定理を利用しているが,もうちょっと簡単な構成法がある.
以下ではKと書いたらカントール集合を表すとする.単位閉区間を三等分して真ん中をくり抜くという構成で得られるあのあれである.

以下の事実がある.証明はCounterexamples in Analysis[12]にある.

K+K=[0,2]が成り立つ.ここでK+K={x+yx,yK}である.

次の定理の証明は[13][14]にある.

C1級関数g:RRでその臨界値g(Cg)Kを含むものが存在する.

さてこのgを用いてf:R2Rf(x,y)=g(x)+g(y)と定義する.
このときfのヤコビ行列は
Jf(x,y)=(g(x),g(y))
となるのでCg×CgCfがわかり,fの定義からf(Cf)g(Cg)+g(Cg)K+K=[0,2]
となるのでfの臨界値全体の集f(Cf)が一次元ルベーグ測度で正の測度を持つことがわかった.

このfを用いて上と同様のFを構成すればr>mn1を満たすがSardの定理の結論を満たさない例が構成できる.

注釈

多様体の基礎は,ラノベと呼ばれることもあるようだが,ちょっとこの呼び方はお行儀が良くないと思うよ.

なんか知らないが,ニコニコ大百科にもSardの定理の記事がある([6]).

スターンバーグの微分幾何学[11]という本が邦訳[10]されているが、実はこの本に一般的な場合のSardの定理の証明がちゃんと載っている.

Whitneyによる反例は[16]を参照のこと。Whitney は実関数の臨界点,つまり微分が消えるような点の上で,その実関数は定数であるか?という素朴な問いに対して,Whitney自身の一つの偉大な結果であるWhitneyの拡張定理を用いることで,反例を構成した.彼は平面の中のカントール集合と,カントール集合を通る弧のうえで,直線上のカントールの悪魔の階段と同様の関数を作り,それを拡張定理によって平面全体に拡張することにより,臨界点内の連結弧のうえで定数でない関数を構成した.Whitneyの反例は正式にSardの定理が論文で発表される以前に発表されたことに注意されたい.Sardが論文を出す以前からSardの定理型の定理は微分可能性の仮定の甘さを除いては(SardやMorseらによって)知られていたようだが,最終的にrmax{mn+1,0}という最良の仮定のもとで定理は証明された.Sardの証明には先行するMorseが用いられているが,最良の仮定に辿り着くのにWhitneyの反例が大きな影響を及ぼしているのだろう.Sardの定理の微分可能性に関する反例を作るだけならWhitneyの構成よりも簡単に,弧なんて作らずに,カントール集合上の関数を拡張するだけで実は良い.
また,Whitneyの拡張定理ははてなブログ電波通信でも解説記事[4]があり,証明を紹介している.

サードの定理については色々な歴史や変種などが最近になっても研究されており,そのような話ははてなブログ電波通信でも幾ばくかまとめている[5].

参考文献

[7]
松本幸夫, 多様体の基礎, 基礎数学5, 東京大学出版会, 1988
[8]
J. W. ミルナー著 蟹江幸博訳, 微分トポロジー講義, シュプリンガー数学クラシックス, 丸善出版, 2012
[9]
J. W. Milnor, Topology from the differentiable viewpoint , Princeton university press, 1997
[10]
S. スタンバーグ著 高橋恒郎訳, 微分幾何学, 数学業書24, 吉岡書店, 1974
[11]
S. Sternberg, Lectures on differential geometry, AMS Chelsea Publishing, 1983
[12]
B. R. Gelbaum, and J. M. H. Olmsted, Counterexamples in analysis, Dover Books, 2003
投稿日:202435
更新日:2024322
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ジェネトポがほどほどに好きです. はてなブログ「電波通信」のブログ主です.

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  1. Sardの定理
  2. 多様体の基礎とSardの定理
  3. 反例など
  4. Sardの定理にまつわる反例その1
  5. Sardの定理にまつわる反例その2
  6. 注釈
  7. 参考文献