今年は量子力学誕生100周年の年です。温故知新ということでこのような記事を書いてみようかと。
水素は気体として存在する際には1原子としては存在せず
陽子は電子より2000倍も重いです。よって電子が運動する時間スケールと比較し、陽子の運動は非常に遅いです。そこで陽子の運動を無視します。これをBorn-Oppenheimer近似と呼びます。この近似では陽子は静止したプラス電荷のsourceとして扱われるため、系のエネルギーを陽子2体の距離の関数として表すことができます。電子が陽子間に存在すると陽子の正電荷により電子同士の斥力が遮蔽されてエネルギーが低くなります。よって電子は陽子同士の間に高い確率で存在するほうがエネルギー的に得であり、これが糊のような(?)役目をすることで水素原子2体は近い場所に存在することになります。
この記事では、Born-Oppenheimer近似および後に説明するHeitler-Londonの方法において、水素原子2体系のエネルギーに現れるすべての積分を解析的に実行します(指数積分だけ残りますが)。この計算は初等的な量子化学の教科書やネット上の記事にもある程度載っているのですが、「交換積分」と呼ばれる積分の解析的な計算はあまり載っていません。これをネット上に記しておくことはそれなりに意味があるのではないかと思います。交換積分の計算は丁寧に書いたので冗長に感じるかもしれませんがご容赦ください。
主な参考文献は[1][2][3]です。特にこの記事のメインである
まずは水素原子2体系のエネルギーの表式を導出します。
改めてBorn-Oppenheimer近似(以下BO近似と記す)に関して説明します。
まずnotationに関してまとめておきます:
粒子
粒子
水素原子2体系、すなわち陽子2つ+電子2つの系のHamiltonianは以下です:
陽子の運動は電子の運動と比較して非常に遅いため、BO近似では
この近似では、系の波動関数は電子
さて、あとは
陽子2つが非常に遠くに離れていれば、系のエネルギーが最小になるのは2つの水素原子が両方とも基底状態である場合です。水素原子の基底状態(1s状態)の波動関数は以下で与えられます:
ここで
ただし電子2体の場合、両者は区別がつかないという条件から、波動関数はラベル1,2の入れ替えに対し対称または反対称となります。ゆえに陽子A,Bが非常に遠くに離れている場合の系の基底状態の波動関数は
となります。そしてHeitler-Londonの方法では、実際の水素分子の波動関数もEq.(1)で表されることを仮定します(※この方法に関して、「まとめ」の章もご参照ください)。このような取り扱いは定性的にも定量的にもそれなりに良いことが知られています。そこで本記事では電子2体の波動関数をEq.(1)だと仮定します。そして水素分子のエネルギーをこの波動関数を使って計算します。
ここでEq.(1)の波動関数の対称性と電子2体のスピンの関係に関して言及しておきます。電子はフェルミオンなので、電子
ここで空間の波動関数
のように与えられます。そして
になります。そこでEq.(1)の2つの波動関数を改めて以下のように呼び直します:
ここでsubscriptの
系のエネルギーはHamiltonianの期待値をEq.(2)(3)の波動関数により計算すればよいです。スピン1重項状態に対するエネルギーを
です。
ここで
のようにわけておきます。
が成立します。ここで
を満たします。さらにEq.(2)(3)に現れる規格化因子
より
となります。これらの量は陽子間距離
以上を用いてEq.(4)(5)を計算すると
ここで
となります[7]。Eq.(6)はCoulomb積分、Eq.(7)は交換積分と呼ばれます。
さて
を定義し、
となります。
楕円体座標の設定(2次元)
3次元の位置は、上の2次元平面を
となります。
楕円体座標の設定(3次元)。
以下ではこの座標を用いて積分を行います。そのためにJacobianを計算しておきましょう。計算は単純なので、結果だけ記しておきます:
また各変数がとりうる値の範囲は
です。
改めて、楕円体座標は以下のような座標系です[2]:
図2のように座標を設定する。
とすると
である。Jacobianは
となる。
ちなみに公式3は[2]での定義と比較し
それでは
のように分解しておきます。ただし対称性から
です。
最も簡単なのは
の計算です。
であり、
とすると(図1の
となります。これは簡単に積分できて
です。
次に簡単なのは
と座標を設定することで
を得ます。これも簡単に計算できて
となります。
ですが、
あとは上の計算と同じように
この座標のもとで
となります。この積分は今までと同様簡単に積分できて
となります。
次に
まず図3のように座標を設定します。この図では
電子
ですが、先に
と対応させると、
となり、これは
となります。よって
あとは今までと同様に楕円体座標を
と設定して積分すれば
この積分は(面倒ですが)困難なく積分できて
を得ます。
この計算が本記事のメインです。
の積分を実行します。
とします。
となります。
電磁気学においてこういう計算ではよく多重極展開を行いますが、実は楕円体座標でも多重極展開に類似した(?)以下の公式が成立します[3][4]:
で定義される。
この展開を用いると、
なので(Appendix参照のこと)、件の積分は
となります。以上から
になります。ここで
となるので、のこるのは
です(Appendix参照)。これらを
を得ます。
さて
を用いれば
となります。
上式の最終行の各積分を実行していきましょう。
これは簡単に実行できます:
を計算します。
を計算するには部分積分を用います。
であり、また
です(
となります。同様に
となります。以上より
を得ます。いくつかの項が打ち消し合いますが、整理すると
となります。以上から
となります。あとは
が計算できればよいです。
Eq.(9)の不定積分はすでに計算しました。これを用いてEq.(9)は
となります。
Eq.(11)は
を用いれば、やはり部分積分で計算できます。結果は
となります。
最後のEq.(10)ですが、丸括弧の第1項と第2項それぞれの積分は発散します。しかしその差であるEq.(10)は有限です。実際指数積分は以下の展開を持ちます[3]:
ここで
であり有限です。改めて、Eq.(10)は
を用いると、これまでと同様に部分積分で計算できて
となります。
以上から
これで
以上の計算を用いて
横軸は陽子間距離
スピン1重項のほうがエネルギーが低くなる理由は、空間の波動関数が対称であり、陽子間における電子の存在確率が高くなるからです。このとき陽子により電子間のクーロン斥力が遮蔽され、そのぶんエネルギーが低くなります。このようにして電子により原子同士が結合することを「共有結合」と呼びます[7]。
本記事ではBorn-Oppenheimer近似およびHeitler-Londonの方法における水素分子のエネルギーを解析的に計算しました。特に
最後にHeitler-Londonの方法と変分法について述べておきます。本記事では電子2体系の波動関数をEq.(2)(3)の形だと仮定しましたが、もとのHeitler-Londonの方法では変分法で波動関数を求めています[1]。電子2体系の波動関数が
で書けるとして、エネルギーを最小にする条件でエネルギーおよび
おしまい。
第1種ルジャンドル多項式
これらは以下の微分方程式の特殊解です:
ルジャンドルの陪多項式は以下で定義されます:
以上。