多様体の局所座標を構成したり, 綺麗な局所座標変換の存在を示すのに便利なのが, 学部1~2年次に学ぶ逆関数定理です. この定理の証明としては
- 緻密な評価を重ねて全単射性やなめらかさを直接示す.
- 縮小写像原理を用いて逆写像を構成する.
の2つが特に有名です.
今回はそのどちらでもない第3の方法, 常微分方程式の解の存在とその微分可能性の問題に帰着させる方法を紹介しようと思います.
※本稿では常微分方程式論, 特に方程式の解の存在に関する理論(Picard-Lindelöfの定理)を学習済みの読者を想定しています.
逆関数定理の証明
はじめに逆関数定理のステートメントを思い出しておきましょう.
逆関数定理
とする. を原点を含む開集合とし, を を満たす級写像とする. もし原点におけるの微分が全単射線型写像ならば, を満たすある開集合が存在して,制限が級微分同相になる.
一見という仮定が強すぎるように見えますが, 任意の点は並行移動という微分同相によって原点に移動できるため, このように仮定しても一般性を失いません. また, は正則行列になりますから, その逆行列をかけるという微分同相によりと仮定して一般性を失いません.
そこで以下ではとします.
定理を示すために, 原点の周りで定義された逆写像を構成することを考えます.
問題の読み替え
ひとまず, 原点の小さな近傍で定義された写像で次を満たすものを構成することを考えます:
この自体も微分同相になることが(当然)期待されるので, 自明な微分同相である恒等写像を変形することによってを作ってみます. すなわち, ホモトピーで
を満たすようなものを探します.
そのために,
とおきます(線分で結ぶイメージです). ここで, もしが
を満たすと仮定すると,
となり, とおけば所与の性質を満たすことがわかります. 式を満たすを見つけるということはすなわち, に関する微分方程式を解くことに他なりません. また, 写像のなめらかさは, 解の初期条件に関するなめらかさを調べることでわかります.
こうして, (右)逆写像を求めよという問題が, に関する微分方程式の初期値問題を解けという問題に帰着されたことになります.
近傍の取り方やが左逆写像にもなっているかなどの細かい部分の検証も含めて, 次節以降でこの方程式やその解について見ていこうと思います.
方程式 を解く
先ほど導出した微分方程式に,
を代入して計算すると,
となります. この式をの形に変形しましょう.
平均値の定理より,
となるので,
ここで, をパラメータに持つ2つの行列を,
で定義すると, 方程式は,
と表せます. もし行列が逆行列を持てば, この式は
と綺麗な形に変形できるのですが, このことは次の補題で正当化されます.
あるが存在して, を満たす任意のに対し, 行列は逆行列を持つ.
写像の仮定から, であった. はに関して連続だから, その固有値をとすると, を十分小さく取れば, 任意のに対してとできる. の固有値に属する固有ベクトルをとすると,
となる. よって, は行列の固有値である. このとき, に対し,
よって特にとなるから, 任意のおよび任意のに対して. したがっては逆行列を持つ.
以下, を補題2の証明中で取ったとします.
この補題により, 行列関数
がにおいてwell-definedになります. これを用いると, 方程式は結局
となります.
仮定から, はに関して級ですので, 行列関数もまたについて-級です. これにより, 常微分方程式の解の存在および初期値に関するなめらかさの理論から, に関して級になる方程式の解がただ一つ存在することがわかりました.
ここまでに分かったことを定理の形でまとめておきます.
は定理1の仮定を満たしているとする. このとき, 写像で, 次を満たすものが存在する:
- はに関して級.
- .
- 任意のに対し, .
とおいて, 次節で証明の細部を詰めていきます.
は微分同相
次に, 任意のに対して, 写像は像の上への同相写像になることを示します.
補題2の証明をよく見ると, の取り方からに対してもが定義できることがわかるので, 解はの範囲にまで拡張することができます. このとき, 常微分方程式の解の一意性から直ちに次がわかります(詳細は例えばMMの定理17.7を参照してください).
を満たす任意のに対し, が任意のに対して成り立つ.
任意のに対して, は連続である. また, およびに注意すると, 任意のに対し,
となるので, はの逆写像となり, したがっては同相写像.
これを用いれば, がの逆写像になっていることが示せます.
原点のある開近傍上でがを逆写像に持つこと
を十分小さくとれば, 命題3の3つの性質を持つ写像が構成できた. また, 補題4の系から, は同相写像になるから, 必要ならを小さく取り直してがの開部分集合であるとしてよい.
そこでとおくと, のへの制限がを逆写像に持つことを示す.
まず, である. 実際, 任意のに対して, となるがあるから, 命題3(3)より,
したがって.
命題3(3)からがの右逆写像になることは明らかだから, あとはがの左逆写像になることを示せばよい.
任意のに対し, となるを取れば, 命題3(3)より
よって, はの左逆写像でもあることが分かった.
以上により, のへの制限はを逆写像として持つことが示せた.
ここまででほぼ逆関数の定理の証明は終わったのですが, 命題3の主張を思い返すと, 逆写像の微分可能性が級までしか示せていません. 最後にが級であることを示しましょう.
が級であること
任意のに対し, の微分はで与えられる. はについて級に依存し, 命題3(1)よりも級だから, その合成であるもまた級である. よっては級である.
以上によってめでたく逆関数定理が証明できました.
おわりに
本稿で用いた, 微分同相の存在を常微分方程式の解の存在に帰着させる手法はMoser's trickと呼ばれています. 元々は論文Moにおいて用いられた手法ですが, 例えばsymplectic幾何学におけるDarboux座標の存在やMorseの補題の証明など, 都合のいい座標変換の存在を示すのに応用されます. 本稿の証明も, 文献JJによるMorseの補題の証明を参考にしています.
追記:
2024/04/29 補題2の証明中に誤りがあったため修正. ご指摘ありがとうございました.