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ゲーデルの不完全性定理、第二定理の反証

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ゲーデルの不完全性定理

第一定理

命題Xは証明できない、という命題は証明できない。

第二定理

この世界をシステムだとした時に、この世界が正しいかどうかを検証するための道具にこの世界にある何かを使ってしまうと、ダメだということです。
検証用の、この世界を入力すると真になり、それ以外の全てを入力すると偽になるシステムを用意します。
すると、このシステムは、この世界がそれだけで偽になる可能性を否定します。つまりこの世界が、真、完全である必要条件を満たしていることを、このシステムで証明できます。
次に、この世界の中に、検証用のシステムを存在させます。
検証用のシステムはコンピュータプログラムで、この世界が存在する限り真を返します。
つまり常に真を返します。

時間は無限にあるとすると、この検証用システムは、常に真を返します。真である確率がゼロではないので、例の対偶を取ることで、100%真になります。

「例の対偶ってなんですか?」という人へ

拙作の
「ある特殊な性質を持った自然数が無限個あることの証明」
をご覧ください。

反論

完全であるということは、不完全で存在しているということとは違う、と仰りたい人はいると思う。
ところが、
1.完全でないと存在できない世界を仮定する
か、
2.存在することが完全性の中に含まれる完全な神を仮定する
と、
反証が成り立つ。
つまりゲーデルの不完全性第二定理は、完全な神や、なにがしかの完全な存在が存在しない、という命題と同値になる。
しかし、何かが完全であるということは、存在しないということとは多分両立しない。
存在していて、しかも完全であることができるか、という問題だ。
通貨の信用に似ている。明日にも紙切れになってしまうリスクがあっても、皆利用する。
そもそも、低い確率で起きることは必ず起きる、なんて正しいとはとても思えないのだが、この定理がおかしいのだろうか。
だったらここまで考察した意味がないが……。

多分これが結論だろう

数学において当たり前だと思われている、
存在することと、
完全であることが、
全く違う意味だということだろう。

神の存在証明(誤りであると思われる)

デカルトの主張。
神が完全であるならば、存在していることは当たり前である。
存在しないならば、完全であるとは言えないからだ。
これは誤りで、それはこの世界に神がいないことから分かる。
存在しないものに完全性を仮定しても存在することにはならない。
神はいないです。多分。
いたとしても、その事実は存在することとは関係ありません。
神がいるかどうかは、数学的には全然問題にはならないということです。いてもいなくてもどっちでもいいんです。

反証の誤り(でない可能性もある)と、「神の存在証明」がナンセンスであること

神が完全か不完全かは、存在を証明する時に論じるに値しない項目である。
帰納的に我々は存在しないことを知っているだけである。
神の存在も非存在も、我々は証明できない。
死後の世界がなくても、我々と神が、全く不干渉で、神が存在だけはしている、という可能性はある。数学的に考えたら当たり前のことなのだが。
同様に、何かが存在することと、偽であることは両立する。
つまり、ダイヤモンドが存在するという時に、価値が高いか低いか、色や輝き、ガラスかどうか、石ころかどうか、これは関係ない。
しかし、ダイヤモンドでない場合、「ダイヤモンドが存在する」とは言えない。存在するという命題が偽である、しかしダイヤモンドの偽物は、実在する。それに対して、例え価値を全く与えなくても、頭の中の概念として、数字のゼロのように、偽を存在させることができる。

凄い事実

何かが存在するか問う時に、
何が存在しているかは問えない
というパラドックスが存在し、ゲーデルの第二不完全性定理が正しい限り、このパラドックスの存在を否定できないということだ。

たまねぎくんの解説

何かが完全な形で存在しているということがあり、自分自身だけで完全性を保証できるのなら、数学に限ってそれが不可能なのか、あるいは全ての物は、全て不完全であり、その不完全な偽物を本物であるかのように名付けなくてはならなくて、その際に本物かどうか、つまり本質的に、何が実際に存在しているのか、本物かどうか問うことはできない、つまりこの世界では、何が存在するか問うてはならないんだよ。
もしかしたら、数学だけこの世界において不完全なもので、それ以外の事物には、少なくとも1つ完全なものがあるかもしれないけど、不完全な数学を使ってその事物に対して検証しても、数学が不完全なせいで、その事物に対して理解ができなくて、結局人間にとってはその事物が完全な形で存在していないのと同じことになる。
つまり、人間には完全な物の完全性が、全く理解も、認識もできない。
そういうことだと思うよ。

1つの可能性

何かが存在し、なおかつそれが完全だという仮定が置けなければ、この矛盾はない。
一番納得できる仮定がどれか、と言えばこれだろう。
完全なシステムはない、というのが第二定理で、第二定理の否定を仮定すると、結論が常に偽になる、という新たな定理が得られた。
完全なシステムがあるとすると、それを人間は認識も、利用することもできないのだ。

投稿日:202357
更新日:2023126
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