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空写像について

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空写像(空関数)について

集合論の写像について、
空集合$∅$から任意の集合への写像(空写像、あるいは空関数)が存在するという事について、直観的にわかりづらいという意見を見かけた。そもそも、「空写像」「空関数」と名付けてない集合論の書籍も多い。
自分はこう考える・解釈するというのをここに共有する。
ここでは集合は単に物の集まりとして、あまり深いことは考えないことにする。(ラッセルのパラドックスやカントールのパラドックスで問題になるような集合は考えない、そもそも有限集合を考える)

日本語ウィキペディアでは空関数というページがあった。
[Link]「 空関数 - Wikipedia

写像の定義と例

写像

集合$X$から$Y$写像$f:X\longrightarrow Y$とは、$X$の各要素に対して、ただ一つの$Y$の要素が定まるような対応のことである。
$X$の要素$x$に対して定まる$Y$の要素を$f(x)$で表す。
この場合の写像$f$定義域とは$X$の事で、
写像$f$終域とは$Y$の事である。
写像はとくに定義域が数の集合である場合等に、関数という場合もある。

$\{1,2,3\}$から$\{0,1\}$への写像$f$

$f(1)=0,f(2)=1,f(3)=1$と定めると、$\{1,2,3\}$から$\{0,1\}$への写像になる。以下のような表でも表せる。

$x$$f(x)$
10
21
31

$\{1,2,3\}$から$\{0,1\}$への写像を全て求めよ。

答え

以下のような表で、左端の列は定義域の値で、各行は左端の値に対する値として、各列が一つの写像を表すことにすると、写像を一つ定めるとは、各$x \in X=\{1,2,3\}$に対して、$Y=\{0,1\}$の要素を対応させることなので、$2 \times 2 \times 2 =8 $通りあることが分かる。

$x$$f_1$$f_2$$f_3$$f_4$$f_5$$f_6$$f_7$$f_8$
101010101
200110011
300001111
$\{1,2\}$から$\{a,b,c\}$への写像$g$

$g(1)=a,g(2)=c$と定めると、$\{1,2\}$から$\{a,b,c\}$への写像になる。以下のような表でも表せる。

$x$$f(x)$
1a
2c

$\{1,2\}$から$\{a,b,c\}$への写像を全て求めよ。

答え

$\{1,2\}$から$\{a,b,c\}$への写像を定めることは、
$x \in X=\{1,2\}$に対して、$Y=\{a,b,c\}$の要素を対応させることなので、$3 \times 3 =9 $通りあることが分かる。

$x$$g_1$$g_2$$g_3$$g_4$$g_5$$g_6$$g_7$$g_8$$g_9$
1aaabbbccc
2abcabcabc

以上の例からわかるように、一般に
有限集合$X$,$Y$に対して、写像$f:X\longrightarrow Y$$1$つ定めることは、$X$の各元に対して、ただ一つの$Y$の元を対応させることである。言い換えると、$X$の各元で$Y$の元を選ぶことなので、$X$の要素数を$\#X$$Y$の要素数を$\#Y$とする(一般に集合の要素数を集合に$\#$をつけて表す)と、

写像の定め方の数

$X\longrightarrow Y$となる写像の定め方の数$\#\{f | f:X \longrightarrow Y \}$は、
$\#Y$個のものを$\#X$回選ぶ選び方なので、
$ \#Y \times \#Y \times \cdots \times \#Y$ $\qquad$ $ \cdots $($\#X$個の$\#Y$の積)
$=\#Y^{\#X}$
となり、$\#Y^{\#X}$通りある。

簡単だが特殊な写像を考える

有限集合間の写像$X \longrightarrow Y$について、特殊なケースを考える。

$X=∅$かつ$Y≠∅$の場合

空写像(あるいは空関数)

定義域が空集合$∅$である写像を空写像(あるいは空関数)という
$φ:∅ \longrightarrow Y$

$Y$の要素を選ばない」という状態がただ一つある。定義域が空集合なので、表ではデータ行がないことに対応する。

$x$$φ$

上に書いた写像の定め方の数
$\#\{f | f:X \longrightarrow Y\}=\#Y^{\#X}$
で考えても、$\#X=0$で、$\#Y^{\#X}=\#Y^0=1$となるので、空写像は$1$存在すると考えるのが整合的である。
$X$$Y$も空集合の場合を考える前に、$X≠∅$かつ$Y=∅$の場合を考える

$X≠∅$かつ$Y=∅$の場合

改めて上述の写像の定義を書くと

写像の定義

$X$の各要素に対して、ただ一つの$Y$の要素が定まるような対応づけ

なので、$X≠∅$かつ$Y=∅$の場合は、ある$x \in X$に対して、$f(x)=y \in Y$となる$y$がないため、いかなる写像も定義できない。
表で表すと、以下の表の全ての行で?をどうやっても埋める事はできない。

$x$$f(x)$
$x_1$?
$x_2$?
$x_k$?

$X≠∅$なので、写像を定義するため「各$x \in X$$Y$の要素を選ぶ必要がある」が、「$Y$は要素を持たないので何も選べない。」よって、いかなる写像も定義できない。

定義域が空集合ではなく終域が空集合となる写像の非存在

$X≠∅$かつ$Y=∅$の場合は、$f:X \longrightarrow Y$となる写像は存在しない

写像の定め方の数$\#\{f | f:X \longrightarrow Y\}=\#Y^{\#X}$の式でも、
$\#Y=0$なので、$\#Y^{\#X}=0^{\#X}=0$となり、
$\{f |X≠∅かつf:X \longrightarrow ∅\}=∅$で、適切だと言える。

$X=∅$かつ$Y=∅$の場合

では定義域も終域も空集合の場合は、写像を考える事はできるであろうか?
$X=∅$かつ$Y≠∅$の場合と同様、
$Y$の要素を選ばない」つまり空写像で良い。
$X≠∅$かつ$Y=∅$の場合は、$X≠∅$であることにより、$X$の要素に対して、対応する$Y$の要素を選ぶ必要があったが要素がないため選べなかった。
$X=∅$かつ$Y=∅$の場合は$X$は要素を持たないので、対応する$Y$の要素を「選ぶ必要がない」ので、「$Y$の要素を選ばない」で良い。
空写像が存在する。
$X=∅$かつ$Y≠∅$の場合と合わせて、

定義域が空集合になる写像の存在

任意の集合$Y$に対して、
$X=∅$の時、$φ:X \longrightarrow Y$(すなわち$φ:∅ \longrightarrow Y$
となる写像$φ$がただ一つ存在する。
言い換えるとこのような$X,Y$に対して、空写像がただ一つ存在する。

$X=∅$かつ$Y=∅$の場合、写像を定める方法の式は$\#Y^{\#X}=0^0$となるが、一般に$0^0$は不定であり、多くの文脈で$1$とされるが、定義されないことも$0$だともされることもある。
今回の場合も大抵の場合と同様に$1$と考えるのが適切であると言える。

この記事書いた後で見つけたが、この内容に相当することが以下のウィキペディアの項目「0の0乗 - 集合論における扱い」でも触れられていた。

[Link]「 0の0乗 - Wikipedia
[Link]「 0の0乗 - 集合論における扱い

余談

圏論では、空集合は集合の圏$\textbf{Sets} $の始対象なっているが、その始対象の条件に出てくる射はまさに空写像である。
[Link]「 始対象と終対象 - Wikipedia

始対象

$ \mathscr{C} $の任意の対象$X$に対してちょうど一つの射$I \longrightarrow X $が存在するような$ \mathscr{C} $の対象 $I$のことを始対象という。

集合の圏$\textbf{Sets} $

任意の集合$X$に対して、空写像$φ:∅ \longrightarrow X$がただ一つ存在するから、空集合$∅$$\textbf{Sets} $の始対象である。

終わりに

ある概念があって、ある意味最も簡単な場合や例が、実は意外と直観的ではない側面を持っていることがある。そして考え出すと結構奥が深い。自然だと思えるように概念が整理されていく過程で必要なモノだったりする。
写像の定義域のように、ある概念のパラメーターに特殊な値を入れてみることで、このような地味だが興味深い対象に出会える。概念をオモチャにして、いろいろ考えるというのも、数学の楽しみと言える。

投稿日:11日前
更新日:11日前
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IIJIMAS
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