くりこみ群は物理学において最も重要な解析手法のひとつです。様々な教科書・テキストに解説がありますが、それらの多くはある程度物理を知らないと理解しにくいように思います。
「コッホ曲線」は、そのフラクタル次元が無理数であることで有名です。そしてこの次元を求めることにくりこみ群の考え方を使うことができます。コッホ曲線は物理を知らずとも理解でき、かつ非常にシンプルな系なので、くりこみ群のコンセプトを解説するのにちょうどよいように思います。他の文献にもこのような解説があるかと思いますが、「車輪の再生産」を厭わずに、コッホ曲線を使ってくりこみ群を説明したいと思います
後半は物理の話ですが、興味の無い方は「物理学におけるくりこみ群」の前まで読めば十分です。
コッホ曲線の次元の求め方はご存知かもしれませんが、self-containedにするためにこれを書いておきます。
コッホ曲線の構成法
コッホ曲線は図1のように構成します。最初に長さ
n=6のコッホ曲線
コッホ曲線ではふつうの次元とはちがうフラクタル次元(〜ハウスドルフ次元)を定義することができます。この定義では、測る基準を変えたとき、その基準でオブジェクトの大きさがどう変化するかにより次元を定めます。いま
となります。この量を
と変化します。すなわち、
コッホ曲線の次元を求めます。その際重要なのが粗視化です。やることは単純で、基準
となります。よく知られているように、次元が無理数になります。
ここで行った測る基準の変更をスケール変換、これに対してある量がどれだけ変化するかをスケーリングと呼びます。
測る基準の変更に対するスケーリング。山の構造より長い基準を用いる場合、山を無視して粗視化する。
今度はくりこみ群的考え方で次元
改めて以下の量を定義します:
一般には図形を特徴づける長さは複数あってもいいですが、ここでは1つしかない場合を考えます。このとき
となります。本来比例係数が存在しますが、ここでは1としました。1次元の線分・2次元の正方形・3次元の立方体の
これに対し
で定義します。
コッホ曲線では、前章で見たように粗視化によって
となり、通常の次元1の図形とはスケーリングが変わります(図3参照)。ここでは
となり変化します。
ここで粗視化をしても大きさ
を課します。これを次元
だから、
となり、コッホ曲線のフラクタル次元が再現されます。
ここで行ったことをくりこみ群の言葉:「スケール変換」「くりこみ群方程式」と対応させると
となります。
あるパラメータがスケール変換に対して不変となる点を固定点(fixed point)と言います。この例の
コッホ曲線ではスケール変換は
となります。また、この変換が連続的な場合に微分方程式の形で書けば
となります。
コッホ曲線の場合
しかし、一般にはくりこまれたパラメータはスケールに依存します。このような場合を考えるため、スケール依存するコッホ曲線として、こんな「変形コッホ曲線」
通常コッホ曲線を構成するとき、直線を3等分し真ん中に正3角形をつくるという作業をくりかえします(図4の左列参照)。
ここでこのルールを次のように変更します。
次数
次数
この図形はスケール依存した構造をもっているので、
になることがわかります。よって"くりこみ群方程式"
を要求すると
となります。つまり、測るスケールを
ところで、コッホ曲線の
このようなくりこみ群の側面は、物理学、とくに場の量子論のような無限大の生じる場合でも同様です。
以下、ここまでの話と物理学に出てくるくりこみ群との対応を考えます。ここでは特に素粒子物理学に出てくる場の量子論に対するくりこみ群方程式を紹介します。が、それをまじめにやると長くなるので、ここでは簡単に記述するだけにして、別の機会にもうすこしちゃんと書こうかと思います。
場の量子論とは、粒子を「場を量子化したもの」として扱い、それらの伝播・生成・消滅により現象を記述する理論です。量子力学では、例えば静止した電子が1つあればそれはずっと変わらず存在し、何も起きはしません。しかし、場の量子論では、電子からは光子が生成され、それがまた電子と反電子をうみ、...という過程が無数に起きていて、電子はこれを衣のようにまとっています。電子と電磁場を考える場合、量子電磁気学(Quantum ElectroDynamics, 以下QEDと呼びます)がこのような粒子生成("真空の粒子生成"とよぶことにします)を記述する理論です。実際真空中の粒子生成の効果は観測できます。例えば電子の異常磁気モーメントと呼ばれる量(真空中の粒子生成による電子の"磁石性"の変化)は実験で非常に精密に測ることができるのですが、驚くことに、これは量子電磁気学による計算と8桁精度で一致しています。水素原子のエネルギー準位に対する真空中の粒子生成の効果も観測可能で、それには例えばLamb shiftと呼ばれるものがあります。Lamb shiftでは水素原子という複合体の計算が必要なので難しい要素がいくつかあるのですが、それでも水素原子のある2つのエネルギー準位の準位差はLamb shiftなしには説明できないことがわかっています。
ちなみに、量子場の理論は粒子しか扱えないからとても特殊な理論だと思うかもしれませんが、そうではありません。物質は究極的には全て粒子でできているので量子場の理論で記述できます。さらに、粒子間の力もゲージ粒子という粒子(QEDでは光子)により媒介されるので、これもまた量子場の理論で記述できます。よって、すべての物質粒子・ゲージ粒子を扱える量子場の理論があれば、それはすべてを説明できる究極の理論になります。
ただ、この量子場の理論、なにか物理量(電子の質量など)を計算しようとするとすぐに無限大が生じます。なぜかというと、たとえば電子の質量を計算する場合、電子から生まれる光子が無限に高いエネルギー・運動量を持てるからです。その効果を積分すると無限大になってしまいます。非常に大きなエネルギー・運動量をもつ粒子は、距離でいうと非常に小さいスケールに寄与します。場の量子論における電子のイメージは次のような感じです:「電子を顕微鏡で覗くと、粒子の生成・消滅が電子の周りに見える。それらのエネルギー・運動量は顕微鏡の拡大率を大きくすればするほど高くなり、それが無限に続く」。コッホ曲線も、ある一部を拡大すると、どんな部分にもさらに細かい構造が拡大前と同じように続いているのにある意味似ています。QEDの場合は拡大すればするほど複雑な構造を持ちます。
QEDなどの場の量子論では、くりこみ群の手法が非常に広く使われています。もともとくりこみ群は(たぶん)Gell-MannとLowが場の量子論に対して適用したのが最初ではないかと思います。いまではこの手法は様々な分野に応用されています。量子力学だけでなく、物性物理学・統計力学・古典力学・流体力学にも応用できます。おそらくは化学・生物学・情報科学・社会科学など、ほとんどすべての分野で応用があるのではないかと思います。数学では手法そのものが研究対象です。
場の量子論の具体的な計算は、基本的に複雑で面倒くさいです。どのようなダイアグラムを計算するかを選び、正則化の方法を決めてそれぞれのダイアグラムに対応する積分を計算し、くりこみ条件をおいて発散部分を除去し、有限部分を評価するという過程を経ます。初学者が計算すると、1つのダイアグラムの積分の評価だけで何時間もかかかったりします。計算の大変さ以前に、そもそも思想的に理解しがたい・納得いかないかもしれません。次元を複素化して4次元からちょっとだけずらすとか、無限大をパラメータにくりこむとか、なかなか馴染めないと思います。
以下場の量子論におけるくりこみ群を、このような面倒なこと・思想的に受け入れ難いことのない形で、コッホ曲線の場合と対応させて紹介します。
以下QEDではなくQCD(Quantum Chromedynamics、量子色力学)を考えます。
QCDは強い相互作用を記述する理論です。強い相互作用は原子核に働く、電磁気力より強い力です。QCDはQEDの拡張バージョンみたいなものです。電磁気学では電荷は1種類しかありませんが、QCDでは3種類あります。この3種類の電荷を色に例えて赤青緑と呼びます。これらをまとめて色電荷、または色荷と呼びます。QEDでは力を伝達する場として光子場(U(1)ゲージ場)が存在しますが、QCDではこれがグルーオンというものに置き換わります。またこの色電荷と結合する粒子としてクォークが存在します。電子のQCDバージョンだと思ってください。
なぜQEDでなくQCDを考えるかと言うと、クォークがなくても結合定数にくりこみが起こる系だからです。QEDでは電子の存在がくりこみに重要です。電子がなければ何も非自明なことは起こりません。それは光子が電荷をもたず、自己相互作用しないことによります。これに対してQCDでは、QEDの光子にあたるグルーオン自身が色電荷をもつため、クォークがなくても非自明なくりこみが起こります。クォークのないQCDはpure Yang-Millsと呼ばれます。
ここで重要なのは、pure Yang-Millsには次元をもつ量が存在しないことです。この理論にはグルーオンしか存在しないのですが、これは質量ゼロであるため、なにひとつ基準となる量が存在していません。このとき、スケーリングの議論が単純になります。
結局、ここでQCDを考える理由は、次元をもつパラメータがなく、かつ非自明なくりこみが起きる系だからです。
ここでは格子正則化におけるQCDを考えます。格子正則化では、くりこみ群方程式の構成が驚くほどシンプルでわかりやすくなります(ただし具体的な計算は逆に大変になることもありますが...)。以下、格子正則化におけるQCDのくりこみ・くりこみ群の考え方のエッセンスを紹介します。そしてこれは、上記したコッホ曲線と対応しています。
まず、必要な知識を提示します。
格子正則化における
さて、いまゴチャゴチャ計算することで、なんらかの物理量
ここで質問です:
ということで、
ところで、この
QCDのくりこみ群方程式は、上記の「
で表します。そして
と書き直します。
を解けばスケール
以上のように、スケール
上の議論における
ここで述べたQCDにおける格子正則化でのくりこみに関しては、Refs[1,2]に詳しく書いてあります。興味のある方はご参照ください。
とりあえずここまでにしておきます。今回は、コッホ曲線を通したくりこみ群の説明、およびコッホ曲線のくりこみと素粒子物理のくりこみとの対応、すなわち
を説明しました。具体的な
おしまい。
★本記事には続き: くりこみ群の応用:クォーク間ポテンシャルから「走る結合定数」を導く がありますので、宜しければ御覧ください。