【はじめに】
- 本記事は
角運動量代数の表現
の続きです
- 本記事において「状態が一意に定まる」という際、位相因子の不定性は除きます。"up to phase factor"での話だとご理解ください。
- 数学的には厳密ではないかもしれませんがご容赦ください(物理学科ではこんな感じで習いますが、数学徒が見てどう思うかわかりません)
量子力学における全角運動量と構成粒子の角運動量の関係
原子や原子核は量子多体系であり多数の粒子で構成されます。これらの系が回転不変性を持つ場合を考えます。このときハミルトニアンと回転の生成子である角運動量演算子は交換し、その固有状態は時間発展で不変です。このとき角運動量演算子の固有状態を用いて系を記述するのが便利かつ重要です。
粒子全体の角運動量は、それを構成する粒子の角運動量によりもたらされます。そこで以下、多粒子系全体の角運動量固有状態を、各粒子の角運動量固有状態の直積を用いて記述することを考えます。これを「角運動量の合成」と呼びます。ちなみに日本語では「角運動量の『合成』」と呼びますが、英語では"Addition of angular momentum"と呼ばれることが多いようです。
本記事はRef.Igiを参考にして書かれています。角運動量の表現の基礎的な事項に関しては前回の記事Mathlogや巷の教科書・webサイトをご参照ください。
以下2粒子系を考えます。2粒子系の角運動量の合成を繰り返せば任意の個数の粒子の合成ができます。
状況の設定
全体の系の角運動量演算子は、各粒子の各運動量演算子を用いて
で定義されます。の左側が粒子1の、右側が粒子2の空間とします(はそれぞれ粒子1と粒子2の空間における恒等演算子)。これらの演算子は2粒子系の状態空間
に作用します。粒子1の演算子は粒子1の状態にのみ、粒子2の演算子は粒子2の状態にのみ作用します。
以降、直積の記号であるや恒等演算子を省略し
と記します。状態に関してもその直積を
のようにを省略して書きます。以降と書いたら、左が粒子1、右が粒子2の状態です。
以下に前提をまとめます:
角運動量の大きさが、角運動量の第3成分がそれぞれである2つの部分系の直積
からなる全体系を考える。本記事ではは与えられた定数とする。
をそれぞれの部分系の角運動量演算子、をそれぞれの部分系の角運動量演算子の第3成分とすると
が成立する。また両系の角運動量演算子は可換、すなわちとする。それぞれの系の上昇・下降演算子は
で定義される。
全体系の角運動量(全角運動量と呼ぶ)の大きさを、その第3成分の値をとする。この状態を
で表す。全角運動量の演算子をとする。これと各部分系の角運動量演算子との関係は
である。の状態に対する作用は部分系のそれと同様である。
と書いたらが角運動量の大きさ、が角運動量の第3成分の値です。よって例えばと書いたら2つめのは角運動量の第3成分のことですのでご注意ください。
以上の前提のもと、本記事では次の問題を考えます:
角運動量の合成
全体系の角運動量の固有状態を、それを構成する粒子の角運動量固有状態の直積の重ね合わせにより
のように表す
以下を構成する方法を考えます。この係数は「クレブシュ-ゴルダン係数 (Clebsch-Gordan coefficient)」と呼ばれます。ちなみに実際の系では動径の波動関数も存在しますが、ここでは無視します。
角運動量の合成の手続き
合成に関して具体的に述べていきます。
議論の概観
やることは単純で、
可能な全角運動量の各々に対して最大のの状態を構成し、をで落としていく (※全角運動量の大きい状態から順次行う)
これだけです。以下複雑そうに見える議論が続きますが実際はそうでもないです。複雑に見えるのは角運動量の固有状態の記法への慣れの問題があると思います。合成の具体例によりその手続きを理解し、記法に慣れるのがよいと思います。
最大のの状態の構成
まず重要なのは以下の事実です
全体系における最大の角運動量の大きさ、かつそのにおける最大の角運動量の第3成分の値は
である。そしてそのような状態は
で与えられる
であることはを計算すればすぐにわかる。またこの状態にを作用させるとゼロになることもすぐにわかる。ところで
この記事
の「角運動量の固有状態の表現」の【5】より、を作用させてゼロになるの同時固有状態(両演算子を同時対角化する状態)のの固有値は、の固有値がのときである。ゆえにのに関する固有値は、としてになる。以上でEq.(1)が証明された。
部分系のすべてのが最大の状態が、全体系のの最大の状態を与えるということです。これは直感的にも納得いくのではないかと思います。
このにを作用させます。するとは変化せずが1小さくなります。全体系および部分系の直積に対して以下が成立します
Eq.(1)の両辺にを作用させれば
を得ます。こうしてを部分系1,2の状態を用いて表すことができました。
これを繰り返し、まで構成します。の場合、がのとりうる最小の値です。
以下
とします。
より小さいの状態の構成
次にが1つ小さいの状態を構成します。この場合も重要なのは、におけるの最も大きい状態
を部分系で表現することです。なので、この状態はを満たすの可能な組み合わせ
の2つの基底の線形結合で表されます。よって
と表せます。これと同じをもつすでに構成した状態はEq.(5)と同じ2つの基底の線形結合で表され、かつEq.(5)の状態と直交します。さらに状態の規格化条件があるためEq.(5)の状態に計2条件が課され、を決定することができ、は一意的に定まります。
が決定すれば、やることはの場合と同じです。を用いての計コの状態を構成します。
これをに対して繰り返すことで全ての可能なを構成することができます。ただし2つ述べておくべきことがあります。
- 可能な最小の全角運動量の大きさは
である - (として)における最大のの状態であるの構成法:
はコの基底の線形結合で表される。これと同じ基底であらわされる(すなわちが等しい)既に構成した状態
とが直交するという条件(コの条件)、およびこれに規格化条件を加えたコの条件からは一意的に定まる
1.は以下のようにしてわかります。ここではとします。を構成する作業を繰り返し、の状態まで構成したとします。このとき構成された全状態の数は
です。これは部分系の直積から作られる全状態の数と等しいです。よってこれ以上直交する状態は作れないため、が最小の全角運動量であることがわかります。もっと直感的に、部分系の状態をそれぞれとの長さを持つ古典的ベクトルとみなせば、その方向が真逆の時合成したベクトルの長さが最小になり、このとき長さはになります。
2.は重要です。角運動量の合成の過程で非自明なのはこれだけ、と言ってもよいかもしれません。ちなみにはが違う状態とももちろん直交しますが、その場合状態を構成するすべての基底が直交するため、意味のある条件は導けません。
ここで説明したことを図にすると図1になります:
角運動量合成のフローチャート。の大きな状態から、また上から下に順次構成してゆく。マゼンタ色で書かれた状態は、それより左に存在する同じの状態と直交する条件+規格化条件から定まる
まず左上のをで落としていきまで構成します。次ににおけるマゼンタ色で書かれた状態を、同じを持ち既に構成された状態(図において同じ行かつそれより左に存在する状態)との直交条件+規格化条件から構成します。これをで落とします。次ににおけるマゼンタ色で書かれた状態を構成し,…,と繰り返し、(※を仮定)まで構成したら終了です。青い数字は状態数であり、すべて足すとになります。
具体的な計算
ここでは
の場合に可能なすべてのを構成します。
の構成
まず
が共に最大の状態です。両辺にを作用させれば、Eq.(2-4)を用いて
となります。よって
を得ます。すぐにわかるように適切に規格化されています()。
つぎにを構成します。Eq.(6)の両辺にを作用させれば
となります。よって
を得ます。これも適切に規格化されています。
あとは同様に再帰的にを作用させ、Eq.(2-4)を用いてを構成します。結果を書くと以下のようになります:
の構成
において最大のを持つを構成します。
なので、はとの2つの基底の線形結合で表されます:
この状態は、同じをもつ(そして同じ基底で記述される)の状態であると直交します。これはすでに構成してあり、Eq.(6)で与えられます。この直交条件と規格化条件より
が課されます。ここではを正の実数にとることにして
と定まります。これでが求まりました。
あとはやることはの場合と同様です。を再帰的に作用させ、Eq.(2-4)を用いてを求めます。計算すると以下のようになります:
の構成
の状態を構成します。なので、これが最小のです。
を求めます。この状態は
のように3つの状態の線形結合で表されます。これは既に構成した
と直交します。この2条件と規格化条件の1条件、計3条件から3パラメータは決定されます。この条件を書き下すと
となります。が正の実数になるように係数を決めると、は
となります。
あとはやることはの場合と同様です。実行すれば
を得ます。
これで全状態が構成されました。実際ここまで計15コの状態を構成しましたが、これはの基底の組み合わせの数と等しいです。
これらの計算が正しいことは
WolframAlphaのClebsch-Gordan coefficient calculator
WolframAlphaで確かめることができます。使い方はすぐに分かると思います。ただしの状態に関しては本記事の結果にマイナスがかかったものが表示されます(脚注)。
余談ですが、が構成できないのは次のような理由からもわかります。もしが構成できたとすると、より、この状態は
の3つの基底の線形結合で書けるはずです。ところがはの3つの状態と直交し、かつ規格化条件を満たさなければならないので、計4つの拘束条件を満たす必要があります。における線形結合の変数は3つしかないため、一般にこの拘束条件を満たすことはできません。
この議論は一般化できます。はの条件があるため、最大でコの基底の線形結合で表されます。しかしながら、この状態が直交すべき、同じ基底から構成される状態は以下のコ存在します:
この直交条件で線形結合の係数が完全に決定されてしまうため、一般には規格化条件を満たせなくなります。
まとめ
本記事では量子力学における角運動量の合成に関して述べました。角運動量の合成とは、全体系の角運動量固有状態を、部分系の角運動量固有状態の直積の重ね合わせで書くことを指します。
合成の過程はそれほど難しくなく
「可能な全角運動量の各々に対して最大のの状態を構成し、それをで落としていく(※全角運動量の大きい状態から順次行う)」
基本的にはこれだけです。各において最大のの状態を作るのだけがちょっと非自明ですが、これも難しくはなく、それより大きなで同じを持つ既に構成した状態と直交する条件、および規格化条件から定まります。慣れてしまえば大したことはないと思います。
ここで得られたクレブシュ-ゴルダン係数はすべて実数でした。一般にこれらの係数は実数にとることができることを指摘しておきます。
以下は完全に余談なのですが、合成に限らず量子力学の角運動量に関する勘どころを書き留めておきたいと思います:
- 慣れないと表記の意味がわかりにくいので気をつけてください。状態の量子数はケットの中の変数の位置により区別されます。例えばは必ずしも角運動量の大きさとは限りません。本文でも注意しましたが、と書いたら角運動量の大きさが、角運動量の第3成分もの意味です。
- に関するの固有値はでした。それならと書けばいいのに!と思うかもしれません。それでもよいとは思います。ただは角運動量の2乗の固有値なのでが表す物理量の値(角運動量の第3成分)と「次元」が違います。またの取りうる値はからまでというようにでバウンドされるので、を「角運動量の大きさ」と解釈し、とを並べてのように記すとよいのだと思います。
- 部分系の角運動量の大きさは与えられた定数です。このとき可能なはです。さらにあるの値が与えられたとき、はを取り得ます。この定数・変数の「ヒエラルキー」を心に留めてください。
- は定数で変化しないためのを省略してのように表すこともあります。またをのように表すこともあります。表記法は様々ですので確認が必要です。
おしまい。
【脚注】本記事の位相の選び方は、教科書Schiffが採用している
と整合的です。この式に現れる双対な(=ブラの)基底は
を意味します。
Appendix: による状態の変化
において、にを作用させの異なる状態を作っても、にを作用させの異なる状態を作っても同じであろうことは直感的にわかると思います。ここではにを順次作用させたとき、同じに属する状態がどのように変化するかを見ることで、"top-down"と"bottom-up"の対称性を確認します。
を下げて行く時に生じる状態の変化を描いたものが図1です。ここではとします。
におけるの構成の図
一番上の行から見ていきます。、すなわちの状態にを作用させると、の状態が生じます。これが上から2行目の状況です。右下の矢印に向かうとがひとつ下がり、左下の矢印に向かうとがひとつ下がります。これらが線形結合された状態が2行目であり、これがに対応します(※正確には規格化する必要がある)。これに更にが作用すれば3行目の状態を得ます。しばらくの間状態を構成する基底の数は1づつ増えます。
回が作用し、になると状況が変わります。ここに至るとが最小となります。これ以上は下がらないため、右下に進むしかなくなります。一方で右端の状態はだからまだ右下に下がることができます。よって図のようにしばらく基底の数が一定(=)の状況が続きます。
になるとまた状況が変わります。このにおいて右端の状態のはであるから、これ以上右下には下がれなくなり、左下にしか下がれなくなります。そのため基底の数はここから1つづつ減ります。そして最後に至り、これ以上下がることはできなくなります。
図2はの場合ですが、()なら、上から番目の行から始まってで落としていくことになります(※重ね合わせの係数はごとに異なります)。
この図より、の最も大きい状態からで落としていくのと、が最も小さい状態からで上げていくことに対称性があることが確認できます。