曲率作用素とLichnerowiczの公式 で証明したLichnerowiczの公式の応用として、Dirac作用素の固有値や固有スピノルに関する単純な評価が得られることが知られています。スピン幾何を勉強すると必ず出会うぐらい有名な事実です。
コンパクトスピンリーマン多様体のDirac作用素$D$のスペクトルは固有値のみであることが知られており、固有値の全体を$Spec(D)$と書くことにします。また$\lambda\in Spec(D)$に関する固有空間$E_\lambda$の次元は有限次元であることもコンパクト自己随伴作用素の一般論から分かります。関数解析的にここまでわかりますが、さらに詳しい性質については幾何学的に分析しなければなりません。
以下、スピン束を$\Sigma$と書き、$\Sigma$のSpin不変計量を$(\phi,\psi)$と書き、$\Gamma(\Sigma)$の$L^2$内積を
$$
(\phi,\psi)_{L^2}:=\int_M(\phi,\psi)dv
$$
と書きます。
リーマンスピン多様体上のスピノル$\phi\ne0$が$D\phi=0$のとき、調和スピノルと呼ぶ。
調和スピノルが存在することと$0\in Spec(D)$となることは同値です。調和スピノルについて次が基本的です。
$(M,g)$を$n$次元連結コンパクトスピンリーマン多様体とする。スカラー曲率$S\geq0$とする。このとき調和スピノルは平行スピノルである。また$0\in Spec(D)$ならば
$$
dim E_0\le dim \Sigma= 2^{[\frac{n}{2}]}
$$
である。
$\phi\in \ker D$とする。
\begin{align}
0=(D^2\phi,\phi)_{L^2}=||\nabla\phi||^2_{L^2}+\frac{1}{4}\int_M(S\phi,\phi)dv\geq ||\nabla\phi||^2_{L^2}\geq0
\end{align}
であるから、$||\nabla\phi||^2_{L^2}=0$である。
よって$\nabla\phi=0$となる。
線形偏微分方程式$\nabla\phi=0$の解が存在するならば、ある点$p\in M$において、適当な初期条件$\phi(p)$に対して解が定まる。
よって$\nabla\phi=0$の解空間の最大次元は$dim\Sigma_p$である。
上の証明を見ると、コンパクト正曲率だと調和スピノルが存在することは難しそうな感じがします。実際次が成り立ちます。
$(M,g)$を$n$次元連結コンパクトスピンリーマン多様体とする。スカラー曲率$S\geq0$とする。さらにある点において$S>0$とする。このとき調和スピノルは存在しない。
$\phi\in \ker D$とする。
$\nabla||\phi||^2=(\nabla \phi,\phi)+(\phi,\nabla\phi)=0$であるから、$||\phi||^2$は定数である。
上の証明から
$$
\int_MS(\phi,\phi)dv=\int_MS||\phi||^2=0
$$
であるが、ある点において$S>0$なのでこれはあり得ない。
このことからコンパクトスピンリーマン多様体で正曲率ならば$0\notin Spec(D)$であることが分かりました。そこで$\lambda\in Spec(D)$に対して、$|\lambda|$は正の定数で下から抑えられるのかが気になります。実際$S\geq s_0>0$とすると、$\phi\in E_\lambda$に対して、
\begin{align}
\lambda^2||\phi||^2=(D^2\phi,\phi)\geq ||\nabla\phi||^2+\frac{s_0}{4}||\phi||^2\geq \frac{s_0}{4}||\phi||^2
\end{align}
となるので、
$$
|\lambda|\geq \sqrt{\frac{s_0}{4}}
$$
となります。ただしこの評価はベストではありません。以下のように下限は$\sqrt{\frac{n}{n-1}}$倍大きくなります。
$(M,g)$を$n$次元連結コンパクトスピンリーマン多様体とする。スカラー曲率$S\geq s_0>0$とする。このとき$\lambda\in Spec(D)$に対して、
$$
|\lambda|\geq \sqrt{\frac{n}{n-1}\frac{s_0}{4}}
$$
となる。
$$
||X\phi||^2=(X\phi,X\phi)=-(\phi,XX\phi)=||X||^2||\phi||^2
$$
に注意すると、
\begin{align}
||D\phi||^2
&=||\sum_ie_i\nabla_{e_i}\phi||^2
\le \sum_i||e_i\nabla_{e_i}\phi||^2\\
&=\sum_i||e_i||^2||\nabla_{e_i}\phi||^2\le \sum_i||e_i||^2||\sum_i\nabla_{e_i}\phi||^2\\
&=n||\nabla\phi||^2
\end{align}
であるから、
$$
||\nabla\phi||^2\geq\frac{1}{n}||D\phi||^2
$$
である。よって
\begin{align}
||D\phi||^2&=(D^2\phi,\phi)=||\nabla\phi||^2+\frac{S}{4}||\phi||^2\\
&\geq \frac{1}{n}||D\phi||^2+\frac{s_0}{4}||\phi||^2
\end{align}
となるから
$$
||D\phi||^2\geq\frac{n}{n-1}\frac{s_0}{4}||\phi||^2
$$
である。さらに$D\phi=\lambda\phi$とすると、主張を得る。
Friedrichの不等式で等号が成り立つのは、$S^n$の標準計量のときです。