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応用数学解説
文献あり

関数解析と量子力学の胡乱な話

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$$\newcommand{ddv}[0]{\frac{d^2}{dx^2}} \newcommand{dv}[0]{\frac{d}{dx}} \newcommand{intr}[0]{\int_\mathbf{R}} \newcommand{norm}[1]{\left\|#1\right\|} $$

"Physics Lab. Advent Calendar 2023" 14日目の記事です.本来は2023年12月14日の担当です.遅れて申し訳ありません.
https://qiita.com/advent-calendar/2023/physlab

Physics Lab.の然るべき担当者の方々へ

制作時点でMathlogにはMarkdownの注釈機能が備わっていないため,htmlのタグを書いて無理やり注釈を作っています( この記事 を参照).他の媒体へと当記事を移動する際はご注意ください,(折りたたみここまで)

はじめに

 量子力学の話をします.簡単に言えば物理学科の学生向けです.最低限度の量子力学の知識は必要ですが,数学的な予備知識はあまり仮定しません[1]
 筆者は物理学の歴史や物理学的な感覚に疎いため,物理学に関する記述をあまり鵜呑みにしないことを勧めます.数学的な記述は,説明の直感性を優先するためにある程度曖昧さを持たせているのと,命題の証明は書きませんが,致命的な誤謬は無いよう努めました.
 筆者はもともとの文章の構成力の低さに加えて個人の好みもあって注釈を多用し,さらに注釈内に平気で重要な情報を入れるので,お手を煩わせてしまいますが,出てきた注釈はなるべくその場で読んでいただけると幸いです.というわけで上の[1]を未読の方は今ここでお読みください.

ことばの問題

  • 数学での一般的な記号($\mathbf{R}$は実数全体の集合である,など)はとくに断らずに用います.
  • ここでの「線形空間」は量子力学の慣習に合わせて複素とします.
  • 複素内積空間の内積は量子力学の慣習に合わせて左側が複素共役とします,
  • ディラック定数$\hbar$$1$とします.必要なら適宜物理量の次元から逆算して補ってください.
  • 「線形空間から線形空間への写像で,(複素)線形性を保つもの」という同じ概念を指す言葉として,「線形写像」,「(線形)作用素」:関数解析での慣習的呼称,「演算子」:量子力学での慣習的呼称,が混在しています(詰めの甘い文章ですね).

本編:量子力学における関数解析的諸注意

イントロダクション

 量子力学の計算においては,ディラックが導入したブラケット記法が一般に用いられています.しかし,ブラケットによって表される状態が数学的に正しく"存在"するとは限りません.量子系が属する線形空間が有限次元であれば,ケットが表す状態に対応するベクトルは(固有値問題の解たちでもって空間の基底を確実に張れることで)疑いなく存在しますが,無限次元の空間である場合は固有値問題の解が存在するとは限りません.
 このような例を筆頭に,「無限次元の線型代数」には,これはできない,という結果が多く存在します,これらは物理学においては「面倒な些細なこと」と一蹴され,有限次元の結果を勝手に引用し,できることにされてしまうものとして捉えられていますが,数学としては,関数解析の理論をおもしろくする豊かさでしょう.当記事では,量子力学に利用されている関数解析の理論(すなわち,主としてヒルベルト空間論)を舞台に,数学の深淵さを垣間見ていきます.

$L^2$空間の導入,自由粒子とディラックデルタ

 量子力学は,理論的には抽象的なヒルベルト空間上で形式的に定式化されますが,ここでは簡単に,$1$次元空間上を動く$1$つの粒子の量子論的運動の記述を考えます.それには$2$乗可積分な関数が成す線形空間
\begin{align} L^2(\mathbf{R})\coloneqq\{f:\mathbf{R}\to\mathbf{C}\mid\int_\mathbf{R}|f(x)|^2\,dx < \infty\} / {\sim} \end{align}
を用いるのが有効であるとされています[2].この空間の元(すなわち関数)のうち粒子の運動を表すにふさわしいといえる一部のものが波動関数です.
 ここで上の定義に「同値関係で割る」という操作があることが,実は数学上本質的です.これは,「関数$f$$g$ほとんどいたるところ(以下"almost everywhere"から取られた"a.e.")一致しているとき,この2つは同じものとみなす」という操作です."a.e."はルベーグ積分の言葉なので細かくは説明しませんが,「$f(x)$$g(x)$が一致していない$x$全体を集めた集合の長さが$0$である」くらいの意味です.例えば,1点$x=0$のみで値を持つが,その他の集合$\{x\in\mathbf{R}\mid x\ne0\}$では$0$であるような関数は$0$(全ての$x$に対し$0$を返すゼロ関数のこと)とみなします.
 多くの関数空間に共通する性質をこの空間も備えています,すなわち,線形空間として無限次元である,ということです.無限次元線形空間の例に漏れず,$L^2$空間も(有限次元ユークリッド空間の直感からすれば)非自明な性質を多く備えます.
 また,この空間は内積を備えます(さらにこの内積から誘導されるノルムから誘導される距離は完備であり,ゆえにこの空間はヒルベルト空間です):
\begin{align} (f,g)=\int_\mathbf{R}f(x)^*g(x)\,dx \quad (f,g\in L^2(\mathbf{R}))\,. \end{align}
 ノルムは$\left\| f \right\| = \sqrt{(f,f)} = \sqrt{\int \left| f(x) \right|^2 \,dx}$です.

 さて,$1$粒子の運動を考えてみましょう.まずはポテンシャルが無い自由粒子です.定常状態のシュレディンガー方程式は,係数を整理して
\begin{align} \frac{d^2 f(x)}{dx^2}=-k^2f(x) \end{align}
となるため,解は
$$ f(x)=Ae^{ikx}+Be^{-ikx}$$
です.ここで$k$は実数である(エネルギーが正である)か純虚数である(エネルギーが負である)かですが,実は,どちらであっても,$f$$A$$B$かのどちらもが$0$でない限り$2$乗可積分になりません.もちろん波動関数が$0$であるというのは意味がありませんし,少なくとも$2$乗可積分でないと波動関数として認められないので困りました.「自由粒子はありえない」のでしょうか? のちに再訪して正式に解決しますが,ここでは一旦脱線し,慣習的に,ディラックデルタを使った方法を復習します:2つの$k,k'$をとったとき,解関数に
$$ (f_k,f_{k'})=\delta(k-k')$$
を要請します.すると,$k$が実数である,すなわちエネルギー(自由粒子なので,これは運動エネルギーに対応します)が非負である場合に,またその場合に限り,$f_k(x)=(1/\sqrt{2\pi})e^{ikx}$ととれば,上の"規格化"条件が満たされます.
 この処方は形式的なもので,数学的には(やはり)欠陥があります.デルタ"関数"は,実数から複素数(または無限遠点)への通常の関数としては実現されません.(ゆえに,関数,という部分にダブルクォーテーションを付けました.以下では省略します.)実際,通常の関数であったとすると,デルタ関数はa.e.で,すなわち$x=0$の1点を除いた全ての点において,値は$0$を取ります.ゆえに同値関係によって,デルタ関数は$0$と同一視されるはずです.$0$と同じ関数が$\int\delta(x)f(x)\,dx=f(0)$を満たすはずがありません($f(0)\ne0$であるような関数に対してもこれが成立しなければなりません.$f$は連続関数を想定しているのでa.e.一致の同値関係は意味を持たず,よってこの$f(0)$には同値関係が適用されないことに注意).さらに,デルタ関数を$2$乗して積分してみると,
\begin{align} \int_\mathbf{R}\delta(x)\delta(x)\,dx &=\delta(0) \\ &=\infty \end{align}
となり,$0$の関数が$2$乗積分すると発散してしまうことになります.このようにデルタ関数は通常の関数ではありえません[3].計算の上ではこのような困難はあまり気にせずとも物理学的に妥当な結果を出せますが,デルタ関数などを厳密に扱いたい場合はシュワルツ(Laurent Schwartz)の超関数の理論が必要になります.しかし超関数には積の概念が一般には入らず,ゆえにデルタ関数が正準交換関係の要請に現れる場の量子論では発散の困難が生じ,「くりこみ」などの物理学的手法が要求されえます[4]

 有限自由度の通常の量子力学では,正準交換関係などの要請にデルタ関数が出てこないため,超関数を回避した定式化があってもおかしくありません.それについて以下見てみます.

内積,作用素の有界性と定義域

 関数解析の理論は,位相線形空間の幾何学的性質を調べる分野と,線形空間における線形写像の各種性質を調べる分野に大きく分かれる,と思います.

 前者的な性質のひとつに,量子力学的に言えば「ヒルベルト空間において,ブラとケットは$1$$1$に対応し合う,例えば有限次元なら縦ベクトルがケットで横ベクトルがブラであるというように」という内容のものがあります(リースの表現定理).線形空間$V$,量子力学であればケットの属する空間,の双対空間(線形である$V\to\mathbf{C}$の写像全体がなす線形空間,線形汎関数空間.量子力学であればブラの属する空間)が$V$とどのような関係になっているか,は線形空間論の重要なテーマのひとつですが,ヒルベルト空間であれば,もとと同型である,で完全に解決しているのです.内積という道具は幾何学における強力な道具のひとつです(例として,多様体上へのある種の一般化を経た内積は計量と呼ばれ,微分幾何学のひとつのテーマ,物理学では一般相対論での主役などとなります).

 量子力学で使う数学のもっとも大切な道具は内積,双対空間と演算子です.内積,双対空間については上の通りすべてわかっている[5]ので,演算子について,すなわち関数解析のもうひとつのテーマに踏み込みましょう.まずは作用素の一般論を考えます.
 ノルムを備えた線形空間$H$から$K$への作用素$A$を考えます.作用素の有界性は,
\begin{align} \exists M>0 \,\, s.t. \: \forall h \in H \: \left( \left\| Ah \right\|_K \le M \left\| h \right\|_H \right) \end{align}
によって定義されます($\left\| h \right\|_H$は空間$H$でのノルムの意味).$h$を定数倍すると$A$の線形性によって両辺ともにその定数の絶対値の分だけ倍になり,$h$$0$ベクトルなら両辺ともに$0$となり不等式は自明なのでこの意味での有界性は妥当なものです.また,これは作用素の連続性と同値です,すなわち$A$が有界な作用素であれば「2つのベクトル$h$$h'$が近ければ$Ah$$Ah'$は近い」という命題が正しく,逆もまた然ります.
 (有限次元)線形代数の重要な定理として,有限次元空間の間の作用素は全て有界つまり連続である,というものがあります.これは各空間の基底を取ることで線形写像が有限サイズの行列で書けるようになることからわかります.行列を成分で書きおろして計算する,というのは,実行するのはめんどうですが,理論的には強力な道具です(たとえば逆行列のクラメルの公式のように!) .

 しかし無限次元では破れます.例えば,$L^2(\mathbf{R})$上の($L^2$から$L^2$への)作用素として,$2$乗可積分で,さらに$x$をかけても$2$乗可積分なままの関数$f$に対し,$x$をかける作用をする」ものを考えてみます (これを$x$のかけ算作用素といいます).定義域内の他の関数$g$や複素数$a,b$を持ってきて関数$af+bg$を作るとこれも定義域内にあり,作用させると$2$乗可積分な関数$a(xf)+b(xg)$が得られます[6].すなわち線形作用素です.
 線形ですが,この作用素は上の意味の有界性を満たしません:「区間$[n,n+1]$$1$で,他の場所で$0$である関数」はノルムが$1$で,このかけ算作用素が作用でき,作用後のノルムは$(2n+1)/2$ですゆえ,$n$を任意に大きくして有界性に違反してみてください.
 ここで 「$2$乗可積分で,さらに$x$をかけても$2$乗可積分なままの関数」という定義域は$L^2$よりも真に狭いことを述べておきます.すなわち,この作用素は有界/連続でないどころか,そもそも作用できない$2$乗可積分関数があるのです($1/(1+x^2)^{1/2}$など).一般に,有界であることと空間全域で作用できることはだいたい同じ[7]なので,非有界(な匂いがする)作用素に出会ったらつねに定義域に気を付けなければなりません.

 代表的な(関数解析学はおもに関数のなす線形空間の研究で発展してきました)非有界作用素に,微分するという作用素があります.微分は線形演算なのでこれも線形作用素です.
 $L^2$空間は関数の1点での違いを無視するので,その点での値,というものを使う微分の素朴な定義は通用しませんが,あれこれの準備(変分法の基本補題,など)をすることで,連続微分可能な関数に対しては素朴な導関数と(a.e.)一致するような微分を$L^2$空間上(実際は$1\le p\le\infty$の固定された任意の$p$について$p$乗可積分な関数のなすバナッハ空間[8]$L^p$上)定義できます.さらにこれはもう少し広い範囲の関数,例えば連続だがいくつかの点でパキっと折れ曲がっているような関数,にも通用するので,これをもって弱微分弱導関数と呼ばれます.
 しかし,それでも全ての$L^2$関数には適用できません.例えば$1$次元空間上の関数を考えると,ジャンプする関数の弱微分は定義できず,超関数論の微分によってデルタ(超)関数を含む答えが出てきます.デルタ関数はこの意味でヘヴィサイドの階段関数の微分です.またこの例から着想を得ると,微分作用素は連続な関数がジャンプを持つ関数に($L^2$ノルムで)収束していくような状況で有界性が崩れる,ということがわかります.各点収束はするが一様収束しないために微分と極限がうまくいかない有名な例と同じです[9]

 ということで,位置演算子(位置座標表示において,$x$のかけ算作用素)と運動量演算子(微分作用素の定数倍)はどちらも有界でなく,したがって作用できないベクトルがある,ということがわかりました.実はこれは必然で,正準交換関係を満たす2つの演算子は,ともに有界ではありえず少なくとも片方は非有界になる,ということが示せるので,量子力学で演算子を考えるときは,厳密性を求めるのであれば,作用できるかどうか,特に弱微分はちゃんと定義されるのか,という,盲点かもしれない部分が論点に加わります.(しかし,多少気にせず違反してもたいてい正しい物理学的結果を返してくれるのが物理学の恐ろしく,そして美しく興味をそそられるところ. )
 なお,位置や運動量やエネルギー(ハミルトニアン)や角運動量など古典論に対応物がある物理量はたいてい非有界作用素なのですが,量子論に特有な量であるスピンは有界作用素で描かれます.実際にスピン演算子は行列で表現することができて,行列は有界作用素なのです.行列ではこれから導入するエルミート性と自己共役性が同じなので,スピンだけを考える限りここでの記述は全て自明なものになります.

自己共役性

 全域で作用できるかどうかはともかく,位置と運動量演算子を数学的に定義できました.まずはこれらの定義域が「ある程度広い」ことを確認して安心しておきましょう.
 この段落では古典的微分(素朴な微分)を考えるのでa.e.一致の同値関係は取りません.ここで急減少関数の空間$S(\mathbf{R})$は,何回でも微分可能な関数$f\in C^\infty(\mathbf{R})$であって,
\begin{align} \forall m,n\in\mathbf{Z}_{\ge0} \,\, \exists M(m,n)>0 \,\, s.t. \,\, \forall x\in\mathbf{R} \: \left( \, \left| x^m D^n f(x) \right| \le M(m,n) \, \right) \end{align}
を満たすもの,たちによって構成される関数ベクトル空間として定義されます.ここで$D^n f(x)$は関数$f$$n$階導関数の$x\in\mathbf{R}$での値です.これは「どれだけ微分しても(一度も微分しない$0$階導関数を含め),どんな$1/x^m$よりも速く,遠方で$0$に収束する」という条件であり,これが急減少という言葉の所以です(Laurent Schwartzの業績から$S(\mathbf{R}^d)$はシュワルツ空間とも呼ばれます).例えばガウス関数$e^{-x^2}$がこの空間に属します.
 $S(\mathbf{R})$に入っている関数は特異点を持たず$1/x$よりも減衰が速いので$2$乗可積分です.さらに$x^m$をかけたり$n$回微分したりしても相変わらず急減少なので,$L^2$空間上のかけ算や微分作用素はこの空間では作用できることになります.とはいえ直感的には指数関数しかこの空間に入っていないので,$S(\mathbf{R})$$L^2(\mathbf{R})$の間には大きな隔たりがあるように見えます.幸いにもこの差を埋める事実があります:

急減少関数の$L^2$での稠密性

関数空間$L^2(\mathbf{R}^d)$の部分空間$S(\mathbf{R}^d)$は稠密部分空間である.すなわち,任意の$f\in L^2(\mathbf{R}^d)$に対し,$f_n\in S(\mathbf{R}^d)$であって,
\begin{align} \left\| f-f_n \right\|_{L^2} \to 0 \quad (n\to\infty) \end{align}
となるような関数列が存在する.実際は,滑らかかつ遠方では厳密に$0$である(台がコンパクト)関数たちの線形空間$C^\infty_0(\mathbf{R}^d)$$L^p(\mathbf{R}^d)\,(1\le p<\infty)$で稠密であり,$C^\infty_0(\mathbf{R}^d)\subset S(\mathbf{R}^d)$は明らかなのでこれをもって命題の主張が成立する.

 すなわち急減少関数は「十分たくさん」存在します.これをもって,かけ算や微分作用素は「ある程度広い」定義域を持つことが保証されます[10]
 命題の標準的なステートメント($C^\infty_0$の稠密性)の証明には,軟化子という「連続(で局所可積分)だが微分できないかもしれない関数を,滑らかでコンパクト台な関数と畳み込み積分することで微分可能にする」手法が使われます.ここで使う$C^\infty_0$関数を原点付近に局在させるほど,畳み込みの結果はもとの連続関数からそれほど変わらないものになり,連続関数を滑らかな関数で近似できるのです.

 さて本格的に演算子の性質を見てみましょう.以下ではヒルベルト空間$H$上の,定義域が稠密部分空間である($H$$H$で稠密な部分空間なので,もちろん全域で定義されていてもよい)作用素のみを考えることにします.
 作用素$A:H\to H$共役作用素$A^*$とは,内積について
\begin{align} (h',Ah)=(A^*h',h) \end{align}
となるような$H\to H$の写像として然るべき定義域とともに定義されます.これがwell-definedな線形写像であることは初見だと「然るべき定義域」が案外ややこしくて確かめにくいですが,ちゃんと示せます.
 $h,h'$がともに$A$の定義域内であるときに
\begin{align} (h',Ah)=(Ah',h) \end{align}
となるような作用素$A$を考えることができます.エルミート性と呼ばれるこの性質(と定義域の稠密性)をもって,$A$対称作用素であるといいます.このとき定義域の稠密性によって存在が保証される$A^*$は,$A$の写像としての拡張になっています.さらに$A^*$の定義域が(恣意的な定義域の制限なしに)$A$のそれと同じであり,ゆえにもとの作用素と共役作用素が定義域も含めて同じ作用素となるとき,$A$自己共役作用素であるといいます[11]
 量子力学の理論は,ヒルベルト空間とその上の自己共役作用素によって定式化されます:要請の一部「量子状態はヒルベルト空間のある単位ベクトルによって表される.定数倍で結ばれる状態は同一視する.物理量はある自己共役作用素によって表される」
 物理学の文脈では,自己共役性の理由を(しばしば自己共役性をエルミート/対称性と同一扱いして)「物理量の観測値が実数であるから」として説明します.エルミートな作用素の固有値は全て実数なので,これはもちろん理由の一つとしては真っ当です.実際,有限次元ではエルミート性は自己共役性と同値です(作用素が有界なために,定義域が有限次元ベクトル空間全域にわたるため).さらにエルミート行列は固有値を持ち,独立な固有ベクトルが空間次元の数だけあるので何をするにも困りません.離散な観測値の全てにその状態の空間への射影演算子が付随し,射影演算子に固有値をかけたものたちの和でもってもとの行列を再現できます(エルミート行列のスペクトル分解).

 それでは,固有値が存在しなかったらどうなるでしょうか?

固有値問題とスペクトル

 最初のほうに扱った自由粒子の問題は,自由ハミルトニアンの固有値問題としてシュレディンガー方程式を解こうとしたものでした.ここで,ハミルトニアンはエネルギーに相当する物理量なので,ハミルトン演算子$-d^2/dx^2$が自己共役でなければそもそも話が始まりません.当記事では後回しにしますが,$L^2(\mathbf{R})$上の$2$階微分は弱微分に拡張することで自己共役演算子になります.よってシュレディンガー方程式は意味を持つ問題だったわけですが,安心はできません.固有関数は$L^2$の元ではないので固有値問題としては解決不可能なのでした.
 さらに,位置演算子と運動量演算子も,それぞれ解析することで自己共役であることはわかるのですが,固有値を持ちません.それぞれ確かめてみると,まず位置については,$f\in L^2(\mathbf{R})$がある$\lambda\in\mathbf{R}$に対し
\begin{align} xf(x)=\lambda f(x) \end{align}
$a.e.x\in\mathbf{R}$で満たすとき,$(x-\lambda)f(x)=0$より$x\ne\lambda$においてa.e.で$f(x)=0$であり,よって$f$$0$と同一視されます.位置演算子は固有ベクトルを持ちません.運動量については,固有関数が$Ce^{kx}$となり,$k\in\mathbf{C}$の値にかかわらず$2$乗可積分ではありません(あるいは$C=0$です).
 「物理量の観測値は演算子の固有値である」という説明がしばしばなされます.しかしここで見たように,位置と運動量,または自由粒子のエネルギーという基本的な物理量は固有値を持ちません.この無限次元での問題を克服するため,関数解析ではスペクトルという概念がさだめられています.詳説は省きますが,この文脈では固有値はスペクトルのうち特別な「点スペクトル」と呼ばれるものになります.そして,固有値を持たない演算子は,代わりに「連続スペクトル」を持つことになります(ただしこの2つは二律背反というわけではありません.ここでは直感的な表現を優先しています:のちの注釈[12]も参照).逆に,$\lambda -A$,ここでは$\lambda\in\mathbf{C}$によるスカラー倍作用素を単に$\lambda$と書いています,が単射でしたがって逆写像($\lambda-A$の値域を定義域として,自動的に線形作用素になります)を持ち,それ(逆作用素)が有界なとき,$\lambda\in\mathbf{C}$レゾルベント集合に属する,といいます.有限次元の作用素(正方行列)は単射ならば逆があり,全ての行列は作用素として有界なので,$\lambda$が固有値でなければ$\lambda -A$は有界な逆作用素を持ちます.行列は固有値とレゾルベントしか持ちません.
 連続スペクトルの概念は無限次元でのみ意味を持ち,量子力学的には連続スペクトルは系の自由状態,固有値は束縛状態に対応します[12].自己共役作用素のスペクトルは次のような性質を持ち,それが固有値の一般化であり,物理量の観測値としてみなせる,というにふさわしいことがわかります.

自己共役作用素のスペクトル

$A:D(A)\to H$が自己共役作用素であるとする($D(A)\subset H$$H$の部分空間で,$A$の定義域).このとき,$A$のスペクトル$\sigma(A)\subset\mathbf{C}$について,

  • $\sigma(A)\subset\mathbf{R}$であり,スペクトルは閉集合である.
  • $\gamma\in\mathbf{R}$が存在し,$A\ge\gamma$,すなわち$\forall h\in D(A) \: ( \, (h,Ah)\ge\gamma \left\| h \right\|^2 \, )$であるとき,$\sigma(A)\subset[\gamma,\infty)$である.
  • $\lambda\in\sigma(A)$であるとき,またそのときに限り,ベクトル列$\{h_n\}^\infty_{n=1}\subset D(A)$で,$\left\| h_n \right\|=1$であり,かつ$\lim_{n\to\infty}\left\| (\lambda-A)h_n \right\|=0$となるもの,が存在する.

 さらに,$A$が閉対称であるとき,自己共役性と$\sigma(A)\subset\mathbf{R}$は同値である.

 ここまでに出てきた$L^2(\mathbf{R})$上の作用素は全て固有値を持たず(説明済み),
\begin{align} \sigma(\hat{x})&=\mathbf{R} \, , \\ \sigma(\hat{p})&=\mathbf{R} \quad\quad\quad \Big( \hat{p}\coloneqq -i\frac{d}{dx} \Big) \, , \\ \sigma(\hat{H}_0)&=[0,\infty) \quad \Big( \hat{H}_0\coloneqq -\frac{d^2}{dx^2} \Big) \end{align}
を満たすことが計算できます.よって,位置と運動量の観測値は任意の実数値を取り,自由粒子のエネルギーつまり運動エネルギーは非負の実数値を取ります.なお,作用素のスペクトルはユニタリ変換によって不変なので,$x$のかけ算作用素のフーリエ変換[13]である運動量演算子のスペクトルは調べなくてもよいことになります.自己共役性もユニタリ不変なので,かけ算作用素が自己共役であれば自動的に運動量演算子も自己共役です.

スペクトル定理と観測の公理

 さて,長い準備でしたが,ようやく各所に散らばった伏線達の回収が見えてきました(実際の筆者はこの節で書く予定の内容の多さにいま絶望しています).
 ここでもう一度有限次元の復習をしましょう.$n\times n$エルミート行列$A$は,ユニタリ行列によって対角化でき,さらに各固有値$\lambda_i$の固有空間への直交射影を担う行列$P_i$
\begin{align} I=\sum^m_{i=1}P_i \, \text{(単位の分解)} , \,\: A=\sum^m_{i=1}\lambda_iP_i \, \text{(スペクトル分解)} \end{align}
という関係を満たします($m$は相異なる実数固有値の数で,$I$$n\times n$単位行列).さらに添字$i$が異なれば射影行列は直交する($P_iP_{i'}=0$)ことも考慮すると,まともな関数$f:\mathbf{R}\to\mathbf{C}$があるときに
\begin{align} f(A)\coloneqq\sum^m_{i=1}f(\lambda_i)P_i \end{align}
によって線形作用素$f(A)$を定義できます.単位の分解は$f(x)\equiv1$の場合,$A$のスペクトル分解は$f(x)=x$である場合に再現されます.これを使うとエルミート行列の指数関数が定義できたり,非負($\lambda_i\ge0$)な場合は(非負エルミート行列の範囲で一意な)平方根が定義できたりします.
 さらに,射影行列$P$が正規直交化された固有ベクトルたち$\ket{v_j}$によって$P=\sum_j\ket{v_j}\bra{v_j}$と書かれることを使うと,単位の分解は$I=\sum\ket{v}\bra{v}$と表現できます.単位の分解を表す限り,ケットブラにはどんな演算子の固有ベクトルを用いてもよいため,実際の計算では位置ケットを用いたりエネルギーケットを用いたりといろいろ工夫して単位の分解を式中に挟み込み,演算子をただの実数固有値に変えてしまうことができます.

 とはいえ,これまで再三注意したように,無限次元の量子系では固有値が存在しないことが多く,上のような方法が使えるかどうかは非自明です.そこで,作用素関数$f(A)$の式で固有値$\lambda_i$たちの和になっている部分を連続スペクトル$\lambda$たちの積分に拡張し,
\begin{align} f(A)=\int_\mathbf{R}f(\lambda)\,dP_\lambda \end{align}
が成り立つことを期待してみましょう.ここで$\lambda$が増えたときに「$\lambda$以下のスペクトル」の集合が大きくなり,したがって「$\lambda$以下のスペクトルに対応する"固有空間"への射影作用素」が"大きく"なることから,"測度"$dP_\lambda$での積分になっています.リーマン積分のイメージで言えば,$\lambda$が少し大きくなって$\lambda+\delta\lambda$になったときに,射影作用素の差分$dP_\lambda=P_{\lambda+\delta\lambda}-P_\lambda$を"短冊の横幅",複素数$f(\lambda)$を"短冊の高さ"として,それを足し合わせていくこととなります.
 幸いなことに,このような操作は数学的に可能で,上記でダブルクォートされた言葉たちは厳密に実現されます:

自己共役作用素のスペクトル分解定理 (von Neumann)

$A:D(A)\to H$が自己共役作用素であるとする.このとき,$\lambda\in\mathbf{R}$$H$上の射影作用素$E(\lambda)$を対応させる関係($A$スペクトル測度)が一意に存在し,$E(\lambda)$たちは妥当な性質をみたし,さらに
\begin{align} A=\int_\mathbf{R}\lambda \,dE(\lambda) \end{align}
を満たす.さらに,この$E(\lambda)$たちを用いて,妥当な関数$f:\mathbf{R}\to\mathbf{C}$に対し,
\begin{align} f(A)\coloneqq\int_\mathbf{R}f(\lambda) \,dE(\lambda) \end{align}
が定義でき,とくに,$f$が実数値連続関数であれば$f(A)$はふたたび自己共役であり,$f(\lambda)=e^{it\lambda} \,(t\in\mathbf{R})$の状況では$e^{itA}\coloneqq\intr e^{it\lambda}\,dE(\lambda)$はユニタリである.

 ただし,上の枠内は,「妥当な」という言葉で説明を省略した部分以外にも,非正式な内容を含みます.まずは射影作用素というのは全域的な有界作用素$P:H\to H$であってべき等性$P^2=P$と自己共役性$P^*=P$を満たすもののことであるという補足をしておきましょう.この抽象的な定義だけから,$P$が「射影」作用素と呼ばれるにふさわしい幾何学的性質を持つことが言えるのが(ヒルベルト空間論の) 美しさの一端です.
 次にスペクトル測度$\{E(\lambda)\}_{\lambda\in\mathbf{R}}$の持つ妥当な性質について,これは$E(\lambda)$$\lambda$以下のスペクトルに対応する"固有空間"への射影作用素である」という宣言になります(もちろん依然として非正式な説明です.正確な定義は少しだけ難しいです).

 以下の引用枠の内容はスペクトル定理に関する本質的な注意で,残念ながら,定理の証明を追わず量子力学への応用だけを意識する場合でも理解しなければならないことです.しかし当記事の想定としては難しすぎると判断したため,スペクトル測度の引数としてボレル集合を取ること,さえ了承すれば,下記のその他の内容を前提にせずとも問題なく記事を最後まで読めるように調整しました.

 もっとも記号的(非正式)なのは積分の定義です.定理3の積分は,とりあえずは
\begin{align} (h',Ah)=\intr\lambda\,d(h',E(\lambda)h) \end{align}
という内積の形で意味を持ちます(一応,$A$が有界であるとか,$f$が連続関数であるとかのような条件下では,$\int_\mathbf{R}f(\lambda) \,dE(\lambda)$は有界作用素値リーマン=ステイルチェス積分として直接意味を持ちえます).この等式は,スペクトル測度$\{E(\lambda)\}_{\lambda\in\mathbf{R}}$が添字集合を$\mathbf{R}$からボレル集合族$\mathbf{B}^1$("まともな"$\mathbf{R}$の部分集合たちの寄せ集めのことです)に変更してできる写像$E:\mathbf{B}^1\to\mathcal{P}(H)$:ここで$\mathcal{P}(H)$$H$上の正射影作用素全体からなる集合,によって複素測度$(h',E(\,\cdot\,)h):\mathbf{B}^1\to\mathbf{C}$を誘導し,この測度によるルベーグ積分の結果が複素数$(h',Ah)$と一致する,と解釈する必要があります.
 ベクトル値のルベーグ=ステイルチェス積分によって$\intr \lambda\,dE(\lambda)h$をベクトルとして得ることもできますが,量子力学の演算子は作用した後最終的に内積を取ることを前提としているので内積ありきの定義のみでもここでは問題ないはずです.

 スペクトル測度は実際に$A$のスペクトルと結びついています.直感的に言えば,$\lambda$がスペクトルに属しながら増加するとき,またそのときに限り,$E(\lambda)$も増加します.すなわち,
\begin{align} f(A)&=\int_\mathbf{R}f(\lambda) \,dE(\lambda) \\ &=\int_{\sigma(A)}f(\lambda) \,dE(\lambda) \end{align}
が成立します.さらに,1点スペクトル測度$E(\{\lambda\})\coloneqq E(\lambda)-E(\lambda-\varepsilon)$[14]は固有値と結びついていて,$E(\{\lambda\})\ne0$であるとき,またそのときに限り$\lambda$$A$の固有値であり,$E(\{\lambda\})$は固有空間への射影作用素となります.また,この定理を足掛かりに,「スペクトルは空ではない」「スペクトル集合の孤立点は固有値である(逆は成り立たない)」,さらにスペクトル写像定理「実数値連続関数$f$に対し$\sigma(f(A))=\overline{f(\sigma(A))}$(上付きバーは位相的閉包)である」などスペクトルに関する重要な情報を得られます.例えばスペクトル写像定理からは,自由ハミルトニアンは運動量演算子の$2$乗なので,そのスペクトルは$2$乗する関数の値域の閉包であり,よって非負実数全体になる,といった解析ができます.

 観測と波束の収縮を定式化するために「固有値」「固有空間への射影」の概念を一般化するのがともかく必要でした.今となってはスペクトル定理のおかげで観測を数学的に定式化でき,そして,単位の分解やスペクトル分解ができる保証こそが,物理量に自己共役性(エルミート性や対称性にとどまらず!)を要請する本当の理由であることがわかります:要請の一部「物理量$A$を状態$\psi$で観測したとき,観測値が$J\subset\mathbf{R}$に入っている確率は(ボレル集合を引数に取る)スペクトル測度によって$\norm{E(J)\psi}^2$に等しい.実際に観測値が$J$に入っていたとき,観測直後の状態は,射影演算子$E(J)$の値域にある(波束の収縮).$A$の状態$\psi$での期待値は$\braket{\psi|A|\psi}=(\psi,A\psi)$である」[15]
 すなわち,観測値が$\lambda$である確率を全ての$\lambda$について足し合わせる(積分する)と$1$でなければならないはずですが,これを要請から計算すると$\norm{E(\mathbf{R})\psi}^2=\norm{\psi}^2=1$で確かに整合するのです(スペクトル測度が「その範囲に含まれるスペクトルに対応する空間への射影」で,スペクトル全体が実数に含まれることから,$E(\mathbf{R})$が恒等演算子なことに納得いくでしょう).

ストーンの定理と時間発展

 いよいよ答え合わせの時間です.まずは時間依存シュレディンガー方程式を定式化するために,自己共役なハミルトニアン$H$から得られる演算子$e^{-itH}$を考えましょう.スペクトル定理の欄で指摘した通りこれは各$t\in\mathbf{R}$に対してユニタリ作用素です.これで最後の要請が書けます:要請の一部「系の状態が時刻$t_0$$\psi$であるとき,その間に観測がなされない限り,時刻$t$での状態は$e^{-i(t-t_0)H}\psi$である」
 ベクトルの微分と演算子の定義域の問題がありますがとりあえず無視して,シュレディンガー方程式は
\begin{align} i\frac{d}{dt}\psi(t)=H\psi(t) \end{align}
と書け,これは
\begin{align} \psi(t)=e^{-i(t-t_0)H}\psi(t_0) \end{align}
と初期値があれば解けるはずです.これは$\psi(t_0)\in D(H)$であれば実際に正しく,さらに$H$のエルミート性から初期値問題の解は一意です.注目すべきは,この初期値問題は$H$が自己共役であれば確実に一意に解けるということです(もちろん$H$の代わりに他の自己共役演算子を使って微分方程式を考えても初期値が定義域内であれば一意に解けます).
 冒頭に述べた自由粒子の問題は,固有値問題としては解けませんが,時間依存を考慮した問題としては解決できるのです.これは物理的には自由粒子は束縛状態を持たないということで,連続スペクトルや固有値の物理的意味とも整合しています.ところで$1$次元の場合に$e^{-itH_0}\,(t\ne0)$の作用を実際に求めてみると,$\psi\in S(\mathbf{R})\subset D(H_0)$について
\begin{align} (e^{-itH_0}\psi)(x)=\left(\frac{1}{2\pi|t|}\right)^{1/2}e^{-\pi i\mathrm{sgn}(t)}\intr e^{(i/2t)(x-y)^2}\psi(y)\,dy \end{align}
となります(フーリエ変換で微分をかけ算にして計算することになります.初期値$\psi$$S(\mathbf{R})$でないときは積分をa.e.一致か平均$2$乗収束の意味で解釈すれば成立します.多次元への拡張は容易です).これで自由粒子の答えがわかりました.分散性もわかります.初期値$\psi\in L^1(\mathbf{R}^d)$に対して$\norm{e^{-itH_0}\psi}_\infty\le(1/\sqrt{4\pi|t|})^d\norm{\psi}_1$と,時間発展した波動関数の(本質的)上界は時間で減衰し,最終的に分散して全域でほぼ$0$になります(時間発展は$L^2$ノルムを保存するので当然粒子が消えているわけではなく,ただ分散しているだけです).

 しかし自由粒子の答えを急ぎすぎました.ユニタリ作用素の集合$\{e^{-itH}\}_{t\in\mathbf{R}}$の重要な性質を指摘しておきましょう.

ユニタリ群と自己共役作用素の対応 (Stone)

$A:D(A)\to H$が自己共役作用素であるとき,

  1. $h\in H$$t_0\in\mathbf{R}$に対し$\mathrm{s\textendash}\lim_{t\to t_0}e^{itA}h=e^{it_0A}h$[16](強連続性).
  2. $s,t\in\mathbf{R}$に対し$e^{isA}e^{itA}=e^{i(s+t)A}$(群特性).
  3. $h\in H$$D(A)$に属していることと$\mathrm{s\textendash}\lim_{s\to0}(e^{isA}h-h)/s$が存在することは同値である.このとき$e^{itA}h\in D(A)$であり,この極限と同じ意味で微分できて$d(e^{itA}h)/dt=iAe^{itA}h=ie^{itA}Ah$である.特に定義域上$Ah=-i\,d(e^{itA}h)/dt|_{t=0}$

 一般にユニタリ作用素の族$\{U(t)\}_{t\in\mathbf{R}}$が上の(1),(2)と同様の性質を満たすときそれを強連続1パラメータユニタリ群といい,上のように$U(t)=e^{itA}$と書けるとき自己共役作用素$A$$\{U(t)\}_t$生成子(generator)という.これらの定義のもと,次が成り立つ(ストーンの定理は本来この部分を指す):

  • ユニタリ群$\{U(t)\}_t$が与えられたとき,その生成子$A$が一意に存在し,それは上の(3)と同様の性質で特徴付けられる.

 この定理によって微分や定義域の問題は完全に解決され,時間依存シュレディンガー方程式が解けました.本来はユニタリ群の定義とこの定理を先に導入し,それから要請を「時間発展はハミルトニアン(の$-1/\hbar$倍:エルミート性も対称性も自己共役性も明らかに実定数倍では保存されます)で生成されるユニタリ群で記述される」と書いたほうが厳密です.ユニタリ群という言葉を使うことで,時間発展は明らかに群特性を満たすはずである,という物理的な要請を明示的に指摘できるので,天下り的に指数関数で書いて説明を終わらせるよりも自然でしょう.
 ストーンの定理は「ある対称作用素が適切な拡張のもとユニタリ群を生成するならば,その拡張は自己共役である」のような使い方ができます.例えば,$f\in C^\infty_0(\mathbf{R}^d)$$j$座標成分の引数を$t$だけずらす作用素$U_j(t)\,s.t.(U_j(t)f)(\boldsymbol{x})=f(x_1,\dots,x_j+t,\dots,x_d)$は"ユニタリ群"(定義域がヒルベルト空間ではない$C^\infty_0$なので暫定です)を作ることがわかり,その生成子を定理の(3)に沿って計算すると偏微分作用素$-i\partial_j$となります.この$U_j(t)$たちを$L^2(\mathbf{R}^d)$へ連続拡張することで本当にユニタリ群となり,それに伴って拡張された偏微分作用素は自己共役となります(これは超関数微分や弱微分を$L^2$上の作用素になるよう制限したものと一致します).同じように,3次元空間での角運動量演算子は回転ユニタリ群の生成子となり,ゆえに自己共役なことが示されます.
 ハミルトニアンによる時間発展は時間後退も許されます(とにかく,観測さえその間に起こっていなければ).$e^{-i(-t)H}=e^{itH}$は群特性から$e^{-itH}$の逆作用素であり,ユニタリ性により$e^{-itH}$の共役作用素です.一般にバナッハ空間では後退できるとも限りませんが,前進方向に群特性を持つ半群の生成についてはストーンの定理と似た言明(Hille-吉田,およびにFeller,Phillips,宮寺による一般化された定理)が証明されていて,半群論はこれを足掛かりに熱拡散方程式(これは一般に初期時刻より昔に戻れない!)などの偏微分方程式や確率論に広い応用を持つ関数解析の一大分野となっています.

自己共役性の問題

 だらだらと引き伸ばしてしまいましたが,今度こそ役者は揃いました.あとは考察したい量子系の古典ハミルトニアンを求め,正準量子化を(必要ならスペクトル定理による作用素関数の意味で)実行し,それを指数関数の肩に乗せて計算すれば系の初期値問題が解け,物理量の期待値は(弱微分やフーリエ変換の解釈に気を付けて)従来通り$\intr f(x)^*(Af)(x)\,dx$で計算できます.ケット(固有ベクトル)が存在するかどうかは非自明ですが,どんな物理量であってもそれを使った単位の分解はスペクトル分解の解釈のもと可能です.

 ……はて? 位置や運動量や角運動量や自由ハミルトニアン以外の,多くの物理量の自己共役性を我々はまだ知らないのでした.自己共役性が本当に大事だというのは今更言うまでもなく,今すぐ解決せねばなりません.
 自己共役性の判定問題は非常に純数学的にも深く広く,その全てはとても,とても私ひとりの手には負えません.が,その端くれ(と呼んでいいのだろうか?)として,調和振動子と3次元クーロンポテンシャルのハミルトニアンの自己共役性,をそれぞれ違うアプローチで見ることができます.
 ところで,自己共役性の本質はスペクトル定理にある,と繰り返してきましたが,物理的には境界条件の適切な設定が自己共役性の持つ意味である,と解釈できます.シュレディンガー型方程式の一意解決というのも偏微分方程式の初期値,境界条件が適切に設定されているからなのです.今まではユークリッド空間全体上の関数を扱っていたので境界条件は自明でした.これが半直線上の関数であるとか有限区間である(無限の井戸)とかした途端に困難が生じ,境界条件次第では運動量演算子すら自己共役性を失います.自由ハミルトニアンはある程度耐えてくれるので,エネルギーの計算は幸いなことにたいていの状況で可能です.境界に関する同様の問題は一般の偏微分方程式論でももちろん生じて広く研究されており,ある程度一般的な結果も得られています(Lax-Milgramの結果やLionsによる一般化とBabuškaによる一般化,Sobolevの埋め込み定理の利用など.もちろん当記事では踏み込めません).

 調和振動子は比較的簡単です.とりあえず古典的な微分でもって急減少関数空間$S(\mathbf{R})$上定義されたハミルトニアン$H=-(1/2)\ddv+(1/2)x^2$を考えます(もろもろの係数は全部$1$にしておきました.ここでの議論で参照した文献では物理的な係数を残したままだったので,筆者の計算の正当性は低いです).おそらくご存知の通り,生成・消滅演算子を使って解析できて,$a\coloneqq(1/\sqrt{2})(\dv+x),\,a^*=(1/\sqrt{2})(-\dv+x)$のもと$H=a^*a+1/2$,固有値問題の解は重み付きエルミート多項式$e^{-x^2/2}H_n$(の正規化)で固有エネルギーは$n+1/2$となります.さらに,重み付きエルミート多項式たちでもって$L^2(\mathbf{R})$の基底(正確には完全正規直交系)を張れます
 この「固有関数展開が可能である」という部分が本質的で,なんとこの事実からハミルトニアン(の$L^2$への拡張)の自己共役性を示すことができます[17].一般に,固有値問題(たいていは位置変数$x$についての常微分方程式)の解たちがヒルベルト空間の基底を張れば,作用素は(拡張のもと)自己共役であり,固有値は基底を張る解に対応するもので全部であり,スペクトルは固有値全体の集合の位相的閉包となります(ゆえに固有値が離散的なら連続スペクトルは無く,固有値だけでスペクトルが尽くされます).同じように,3次元の球対称なポテンシャルを極座標変換で解く際の角度微分も自己共役です(球面調和関数が基底解).

 3次元クーロンポテンシャルを考えましょう.$H=-(1/2)\ddv-1/|\boldsymbol{x}|$です.先ほどのように極座標表示して変数分離で常微分方程式の固有値問題を……とするのも計算練習には良いものですが,物理モデルが与えられる度にその計算をやっていられる自信はありません(筆者は軟弱者です).どうせなら電気引力に限らず広いクラスのポテンシャル関数でまとめてハミルトニアンの自己共役性を示したくて,それは,ある種の摂動問題に帰着されます:

自己共役性の摂動安定性 (加藤-Rellich)

$H_0$が自己共役,$V$が対称,定義域の包含関係$D(H_0)\subset D(V)$$0\le a <1$$b>0$についての相対的有界性
\begin{align} \norm{V\psi}\le a\norm{H_0\psi}+b\norm{\psi} \quad(\psi\in D(H_0)) \end{align}
が成立しているとき,$H_0+V$は自己共役であり,$H_0$が下に有界ならば$H_0+V$も下に有界である.

 $V$$H_0$に関する相対的有界性($a\ge1$でもよい)は有界性の自然な拡張です:$a=0$ならば$V$は単に作用素として有界です.相対的有界性を満たす$a\ge0$の下限は$H_0$に関する$V$の相対限界と呼ばれます.下への有界性は例えば$H_0$が自由ハミルトニアンであれば$H_0\ge0$として満たされます.摂動によって突然エネルギーが負の無限大に落ちてしまうことは無いわけです.
 実際にクーロンポテンシャルは加藤-Rellichを適用できます.定義域の問題は少し厄介ですが下の評価を導く最中で解決できます.定数$c>0,d>0$が存在して,任意に$R>0$を固定するごとに
\begin{align} \norm{-\frac{1}{|\boldsymbol{x}|}\psi}\le\frac{c}{\sqrt{R}}\norm{-\frac{1}{2}\ddv\psi}+(dR^{3/2}+1)\norm{\psi} \end{align}
となることがわかる(関数空間論の定石通りに$1/r$のかけ算結果の$2$乗積分を原点付近と原点付近以外に分けると,遠い方での積分は明らかに$\norm{\psi}$を超えず,原点付近ではフーリエ変換を駆使して$2$階微分と$\norm{\psi}$で上から抑えることができます)ので,$R$を大きく取って相対的有界性が言えます.

おわりに

 お腹が減ったのとMathlogの編集画面が重すぎるのでここで終わりです(と言いつつここでそこそこの文量書きます).アドカレ企画での公開予定日に10日くらい遅れておいてこの体たらくなのは本当に申し訳ない.

筆者の自分語り

 「物理学の現場における数学的非厳密な操作を正当化する方法を紹介する」「関数解析のおもしろさを伝える」みたいな気持ちで書いたものですが,前者はともかく後者はどうなのでしょうか.私は「これはできない」という数学的不可能性(本当の数学者から見ればちょっと浅い例示かもしれませんが,ゲーデルの不完全性定理.)が好きなので厳密な論理構成に抵抗が無いのですが,流石に全員がそう,というわけでもなく,ただただ拒絶する方もいらっしゃるだろう……こんな場所までたどり着いているかどうかはさておきね.おもしろさではなくとも,数学の難しさだけでも伝わればある意味成功だと思います.
 思うに学部生が感じる解析の苦しさというのはルベーグ積分の修行にあるのではないでしょうか.それから 東京大学理学部物理学科のカリキュラム を見てみるとルベーグ積分の講義はありません( 工学部 には確率論絡みの講義があるらしい).というわけでそういう内容はできるだけ避けました.最近の関数解析やルベーグ積分の教科書も,この類のとっつきやすさを狙っている気がします.ところで修行が苦しいというのは残念ながら幾何も代数も同じで悩んでいます.私は作用素環に興味があるのに,もろもろの代数構造の定義すらわからない.(折りたたみここまで)

 さて当記事の内容から極端に離れないレベルでここに書ききれなかった関数解析の道具は(筆者の少ない知見の中で)もう少しあって,例えばRiesz-Thorin補間定理やHardy-Littlewood-Sobolev不等式といった関数のノルム評価に使える結果があり,これをうまく適用すると自由粒子のある種の「消散」のしかたを理解することができます(Stricharz評価).あくまで自由粒子の例であり,実際の量子力学をする上で偏微分方程式論などへの寄り道は(ほとんど)いたるところにあります.
 また当記事は抽象バナッハ空間論の基本原理たち:一様有界性原理 (Banach–Steinhaus),閉グラフ定理,Hahn-Banachの定理,をとりたてていません.閉グラフからは「全域的な自己共役作用素は有界である,あるいは,非有界な自己共役作用素は作用できない元を持つ」(Hellinger–Toeplitz)という量子力学の困難のひとつを取り出せる,などこれらは当記事の範囲でも応用のある重要定理であり,関数解析のおもしろさを担っています.抽象論であって関数空間(ルベーグ積分)を使わずとも触れられるので,この部分だけでも勉強してみてはいかがでしょうか.たいていの関数解析の教科書は前から順番に読むとまず基本原理たちにたどり着くと思います.

 来年は場の量子論と作用素環で同じような記事を書きたいです.




[1]: 率直に言うと,私の準備と知見の不足で詳しい話ができそうにないので,「数学のカンタンな話の説明で文の分量を稼ごう」という目論見であり,当記事の狙いは,教養の後の解析学(ここではルベーグ積分やヒルベルト空間論のこと)をしっかり勉強していない人に関数解析のおもしろさを伝えよう,ということになります.ということで,関数解析を勉強したことがある方は,このページを閉じて アドベントカレンダーの記事一覧 に戻っていただいて構いません.

[2]: ここで全ての関数はルベーグ積分を考えることができる(可測関数であるもののみ考える)とします.これはあなたが選択公理のオタクでなければあまり気にしなくてよい条件です.今後関数の定義域を$d$次元空間に広げて話をすることが一部ありますが,特に気にせず$d=1$と思ってもらっても構いません.
 また,完備性とよばれる性質を満たし,(可算)無限次元である内積空間,すなわち(可分)無限次元ヒルベルト空間であれば,他の線形空間であっても量子論は問題なく進みます(例えば,ハイゼンベルグの行列力学において使われた,$2$乗級数が収束する無限数列のなすヒルベルト空間).しかし一般に計算は複雑で非直感的となるため,無限次元空間の量子力学は$2$乗可積分空間で考えることが一般的です(シュレディンガーによる波動力学).量子力学の定式化の一意性,例として行列力学と波動力学の等価性の問題は,「ストーン=フォン・ノイマンの定理」という部分的肯定の結果がありますが,ある意味では一意ではないこともわかっています(新井本,近藤本などを参照).

[3]: ルベーグ積分をするからa.e.一致の同値関係が必要なのであって,リーマン積分をすればよいのだと思うかもしれませんが,ルベーグ積分でできないことはたいていリーマン積分でもできません.広義積分しようとすると,結局$0$です.
 また,デルタ関数には通常の関数の極限としての"表示"がありますが,(どちらの意味でもよい)積分をした後に極限を取ると$f(0)$が落ちてくるのであって,極限を取った後に積分をする,すなわちデルタ関数を積分せず裸の状態で取り出そうとすると,上で述べたようなおかしさに直面するのです.極限の交換に潜む罠です(ところで,もちろんデルタ関数は無理ですが,ルベーグ積分においてはその他のシチュエーションでの交換はわりと簡単に許されて楽しいですよ).

[4]: 私は全く読んでいませんが,Schrader, R. (1974), Local Operator Products and Field Equations in P(φ)2 Theories. Fortschr. Phys., 22: 611-631. https://doi.org/10.1002/prop.19740221102 に「場の量子論におけるくりこみの部分的な必須性」の証明があるらしいです.新井朝雄「フォック空間と量子場(上)」(日本評論社)からの受け売り.

[5]: 厳密には内積と双対空間は別のものですが,それはほとんど同じものである,すなわち連続線形汎関数は全て内積の形(内積の片方が既に埋まっていて,空いているほうにベクトルを入れて複素数が出てくるという汎関数)で書ける,というのがリースの表現定理です.同型なのでヒルベルト空間ではこのふたつは特に区別なしに扱われます.

[6]: 記号の乱用をしています.本来$x$は変数であって関数ではありませんが,この文字を使って関数をも表すことにしています.かけ算作用素の作用結果である「実数$x$に対し複素数$xf(x)$を返す関数」を正確に記述するなら,ドットを使って"$\cdot f(\cdot)$"あるいは"$\cdot f$"とでも書くべきでしょうが,これではかえってわかりにくくなっている気がします.

[7]: 作用素の定義域はかなり微妙な問題で,ここで完全に同じであるとはとても言えません.有界作用素であっても定義域を恣意的に小さくすれば当然全域的ではなくなります.
 逆の,全域で作用できる非有界作用素,は実用の範囲では存在しないように思います.実用的な作用素は定義域を自然に広げればほとんどが閉性という性質を持ち,閉作用素については全域で定義されていれば有界であることがわかっています(閉グラフ定理).また,作用素の意味の有界性よりやや緩いある種の有界性を持つ作用素が,その種の有界性を保ったまま全空間に拡張できることもわかっています(ハーン・バナッハの拡張定理)が,無限次元空間ではツォルンの補題に頼っていて,明示的に拡張の方法を与えてはくれないので計算には使えず,ここでは出てきません.

[8]: ヒルベルト空間の一般化.内積が無いことも許した完備ノルム空間のこと.もちろんヒルベルト空間はその内積から得られるノルムが完備なのでバナッハ空間の一種です.また$L^p$空間はルベーグ空間と呼ばれることがあります.

[9]: $m$階までの弱微分が存在し,その全て(微分されない,もとの関数を含む)が$L^p$であるような関数全体がなす線形関数空間はソボレフ空間と呼ばれ,$W^{m,p}$などと書かれます.$W^{m,p}$は各導関数の$L^p$ノルム(絶対値の$p$乗の積分の$1/p$乗)の和をノルムとして完備なバナッハ空間となります($p=2$なら自然に内積が入りヒルベルト空間).たとえば$1$次元空間上の関数の場合,$W^{1,p}(\mathbf{R})$に属する関数(のa.e.一致の同値類に属する特定の関数)は連続であることがわかっています(ソボレフの埋め込み定理の適用例).弱微分は極端に不連続な関数には正常に適用できない,という教訓を得られますね.

[10]: 急減少関数は言うまでもない性質の良さと空間の$L^p$での稠密性から多くの応用を持ち,例えばフーリエ解析や超関数論での主な道具となります.
 一般に,線形空間が狭いほどその双対空間は広がります(連続作用しなければならないベクトルが減るため連続性の条件が緩くなる).すなわち$S(\mathbf{R}^d)$の双対空間$S(\mathbf{R}^d)^*$$L^2(\mathbf{R}^d)$の双対空間(リースの表現定理により$L^2$それ自身)より広く,大まかには超関数の空間となります.このようにしてデルタ関数などを枠組みに入れてケットベクトルを正当化しようとする方法はrigged Hilbert spaceあるいはGelfandの3つ組と呼ばれます.$S\subset L^2\subset S^*$という構図です.

[11]: エルミート性は共役作用素の存在に頼らずに定義されているため,エルミート性と対称性は厳密に区別することができますが,稠密ではない作用素はここではあまり使わないので気にしなくても構いません.重要なのは対称性と自己共役性の区別で,たかが定義域の違いと侮ってはいけない本質的な違いを持ちます(後述参照).

[12]: 数学的には「剰余スペクトル」という概念もあり,作用素が一個与えられると全ての複素数はその作用素のレゾルベント,固有値,連続スペクトル,剰余スペクトルのどれか一つのみに属する(ようにこれらは定義されている)のですが,自己共役作用素は剰余スペクトルを持たないことが証明できるので当記事では扱いません.また,連続スペクトルはさらに「絶対連続スペクトル」「特異連続スペクトル」に分類されますが,これは筆者の知見の範囲外なので放置します. Wikipediaの情報 (2023年12月21日)によれば,"ふつうの"物理量の観測値は固有値か絶対連続スペクトルに属するようです.実際位置と運動量と当記事でのハミルトニアンは特異スペクトルを持ちません.

[13]: ユニタリ変換とは$H$全域で定義された作用素$U:H\to K$であって,全射であり,内積保存性$(h',h)_H=(Uh',Uh)_K$を満たすもの,として定義されます.内積は偏極恒等式$(h',h)=1/4 \left( \left\| h'+h \right\|^2-\left\| h'-h \right\|^2-i\left\| h'+ih \right\|^2+i\left\| h'-ih \right\|^2 \right)$によって書けるので,内積保存はノルム保存と同じことです.また,ノルム保存性から連続性と単射性が直ちに従います.
 フーリエ変換がユニタリであるためには,ノルム保存のために,係数は$1/\sqrt{2\pi}$$1/\sqrt{2\pi}$で対称的である必要があります.そうすると広義積分で定義されたフーリエ変換は急減小関数空間からそれ自身への内積保存連続全単射になり,これを連続に拡張することで$L^2$からそれ自身へのユニタリ変換が得られます.
 なお積分$1/\sqrt{2\pi}\int_\mathbf{R}f(x)e^{-ikx}\,dx$$L^2$だが$L^1$ではない関数$f$には定義できず,したがってこの種の関数へのフーリエ変換は連続拡張によって一意に定義されているにもかかわらず,さしあたり簡単な積分の形では与えられません.ただし:$1/\sqrt{2\pi}\int^R_{-R}f(x)e^{-ikx}\,dx$とフーリエ変換の差を$2$乗して$k$で積分したものの$R\to\infty$の極限は$0$です(平均$2$乗収束).

[14]: 省略されていますが$\varepsilon\searrow0$です.スペクトル測度は単調弱増加であることが要請されているため極限は存在します.上の引用枠で導入されたボレル集合を引数に取るスペクトル測度で解釈すれば,1点集合$\{\lambda\}$は閉集合でしたがってボレル集合なので安直に代入できます.

[15]: 波束の収縮についてはさまざまな議論があります.「測定直後の状態は射影されたベクトル$E(J)h$の規格化である」という形の要請も(他のことばの定義の差異のもと)存在しますが,本文のものであれこれであれ,観測直後に同じ物理量を測定すると観測値は再び$J$に入っています.
 交換する物理量の同時測定については注意が必要で,単に自己共役作用素たちが交換するだけではなく,より強く,それらに付随するスペクトル測度たちが常に交換する強可換性を満たす必要があります.違う座標成分に対する位置演算子や運動量演算子の$\{x,y\},\{x,p_y\},\{p_x,p_y\}$のような組は強可換で,したがって同時測定が定式化できます.
 要請の取り方によって期待値の表式は他の要請から導けたり導けなかったりすると思います.参考文献では,新井本と清水本では定理であり,近藤本では要請でした.個人的には期待値は他の要請から導けたほうが物理理論として美しい気がします.

[16]: $\mathrm{s}\textendash\lim$は実数値パラメータを持つベクトルのノルムでの収束です.他として,任意に固定したベクトルとの内積$(h',h(t))$が収束する弱収束の概念があります.
 また,パラメータを持つ有界作用素については,作用素ノルムでの収束を一様収束,任意に固定したベクトルへの作用後のノルムでの収束(ベクトルとしての強収束)を強収束,作用後のベクトルの弱収束を弱収束といいます.

[17]: 実は,稠密閉な$a$に対しては$a^*a$が既に(非負な)自己共役作用素となっていて,ゆえにそれと実定数倍作用素の和であるハミルトニアンが自己共役であるとわかります.非有界な$a$に対して明らかではないこの定理はフォン・ノイマンの名を冠しています.

参考文献

[1]
黒田成俊, 関数解析, 共立出版, 1980
[2]
藤田 宏・黒田成俊・伊藤清三, 関数解析, 岩波書店, 1991
[3]
H. Brezis, Functional Analysis, Sobolev Spaces and Partial Differential Equations, Springer, 2011
[4]
小川卓克, 非線型発展方程式の実解析的方法, 丸善出版, 2013
[5]
新井朝雄・江沢 洋, 量子力学の数学的構造I, 朝倉書店, 1999
[6]
新井朝雄・江沢 洋, 量子力学の数学的構造II, 朝倉書店, 1999
[7]
新井朝雄, ヒルベルト空間と量子力学 改訂増補版, 共立出版, 2014
[8]
清水 明, 新版 量子論の基礎 その本質のやさしい理解のために, サイエンス社, 2004
[9]
近藤慶一, 量子力学講義I 物理の一般原理と数学的定式化, 共立出版, 2023
[10]
J・v・ノイマン(井上 健,広重 徹,恒藤敏彦 訳), 量子力学の数学的基礎 新装版, みすず書房, 2021
投稿日:20231225
更新日:20231225

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