標準脆弱分解
前節で予告した層係数コホモロジーを標準脆弱分解というもので定義します.
脆弱層の定義と性質
脆弱層は切断を取る函手に対して完全にふるまう「良い」層のことです.まずは定義をします.
脆弱層 (flabby/flasque sheaf)
が脆弱層であるとは任意の開集合に対してが全射であることをいう.すなわち,任意の開集合と任意のに対してあるが存在してと書けることをいう.
名称のブレについて
flabby sheafを軟弱層と訳すこともある.またsoft sheafを柔軟層または軟層と訳したり,こっちを軟弱層と呼んだりすることもある.今回は「軟」という字が被らないように名称を選んだ.日本語の文献を参照するときは注意せよ.
脆弱層の例としてはまともな(自然に現れる)ものはそれほど多くありません.しかし次の例の(i)は非常に重要で以下でたくさん使います.
脆弱層の例
(i) 各に対してアーベル群が定まっているとき,の対応は層であった.これは脆弱層である.実際,での値がに入ってさえいればよいので,任意の上の切断に対して外ではとして上の切断を定めれば,への制限は元に戻るからである.特にに対してで定まる層は脆弱層である.これをに付随する不連続切断の層とも呼ぶ.
(ii) を実解析的多様体とすると,佐藤超函数の層は脆弱層である.これについては詳しく説明しない.
上の例の(i)から次が分かります.
開集合に対してと定めたのであった.よって,は任意のに対してを意味するから,
第1節
の補題1よりである.
不連続切断の層の対応は函手
の対応は函手でありは函手間の射を定める.実際,に対してでが定まり,次の図式は可換になる:
茎を取る対応が函手的であることから,層の射に対してであることが分かる.
脆弱層の大事な性質が次の二つです.
を層の完全列とする.
(i) が脆弱層ならばは完全である.
(ii) が脆弱層ならばも脆弱層である.
(i) 任意にを取り,と定める.は全射だからである.に
として順序を入れる.するとが層であることからはこの順序に関して帰納的順序集合になることが分かる.よって,Zornの補題によりの極大元が存在する.を示す.であると仮定するとが存在する.すると,の開近傍とが存在してを満たす.よって,で
は完全だから,あるが存在してを満たす.は脆弱層なのでを用いてと書ける.このを使ってを少し修正してと定めるととなる.は層だから,あるが存在してとなる.するとが層であることからも分かる.これは極大性に反する.
(ii) は脆弱層だから上の議論よりは全射であり,は脆弱層だからも全射である.よって,も全射であるからは全射である.
標準脆弱分解の定義
さて,上で見た脆弱層の性質を用いて標準脆弱分解を定義します.まず一般に分解という言葉を準備しておきましょう.
分解
の分解とは
なる層の完全列のことである.さらに,すべてのが脆弱層であるとき,この分解を脆弱分解という.
上ではも含めた完全列のことを分解と呼びましたが,場合によってはをに取り換えた(完全とは限らない)列のことをの分解と呼ぶこともあります.分解とはの情報を完全列の中にエンコードしたものと思えばよいです.たちとして良い層,例えば脆弱層として取ることにより,それらの層の列に元のの情報を溶かし込むことができます.
定数層の分解の例(ド・ラーム複体)
を級多様体としてを次微分形式の層とする.このとき,
第2節
の例2で見たように
は完全だから,これは定数層の分解である.層たちは脆弱ではないが実はよい性質を持っているので,この分解も役立つものである.
任意のに対して脆弱分解を作ってみましょう.まずと定めて標準的な単射を考えます.上で見たことからは脆弱層です.の余核を取ることで次の層の完全列が得られます:
次に,を合成として定めます.すると,は脆弱層で,は単射なのでです.したがって,次の層の完全列が得られます:
に対しては,を合成として定めます.すると,は脆弱層で,のときと同じ議論で次の層の完全列が得られます
このようにして,脆弱分解
が得られました.
標準脆弱分解
上の構成で得られた脆弱分解
を標準脆弱分解またはGodement分解と呼ぶ.
標準脆弱分解の対応は函手的
をその射とすると,が誘導されたのであった.これをとする.すると,とにより層の射が定まり,ここからが誘導される.こうして帰納的にが定まり,次の図式は可換になる:
不連続切断の層を対応させる対応が函手的であることから,層の射に対してであることが分かる.
層係数コホモロジー
さて,上の準備に基づいて層係数コホモロジーを定義しましょう.
層係数コホモロジーの定義と性質
に対して標準脆弱分解を取ります.この層の完全列の切断を取ることで次のアーベル群の写像の列が得られます:
この列はアーベル群の完全列とは限りませんが,任意のに対してが成り立つので複体となっています.この列から最初のは無視してあげて,どれくらい完全からズレているかをはかる商空間をとることでコホモロジーを定義します.気持ちとしてはを脆弱分解することによって層の複体にの情報が美味く溶け込んでいるので,この複体の切断を取ったアーベル群の複体の完全からのズレをはかるのです.
層係数コホモロジー(標準脆弱分解による)
に対して,標準脆弱分解の大域切断を考える.このとき,に対して
と定める.ただしとする.をを係数とする次コホモロジー群またはの次コホモロジー群と呼ぶ.
コホモロジー群は函手
層の射に対して標準脆弱分解の間の写像たちが誘導され,これらは複体の射,すなわちたちと可換となるのであった.したがって,次コホモロジー群の間にも写像が誘導される.標準脆弱分解の函手性により,層の射に対してである.
の標準脆弱分解を取る.すると,層の完全列に左完全函手を施して,アーベル群の完全列
が得られる.したがって,である.自然性は核の自然性から分かる.
コホモロジーが本当にほしかった理由は,大域切断の完全列を右にどんどん伸ばして完全にしたかったからでした.それは次の定理から保証されます.
層の完全列に対して,任意のについて写像が定まり,次の列がアーベル群の完全列になる:
さらに,における行が完全な可換な図式
と任意のに対して,次のアーベル群の図式は可換である:
概略
の標準脆弱分解を取ると,次の図式は函手性により可換である:
ここで各に対しては層の完全列である.実際,茎を取る函手の完全性と不連続切断の層の定義によりのときは完全である.さらに可換図式
において三つの列は完全で上二つの行も完全だから三行目の列も完全である.この列の不連続切断の層を取ればでも完全である.以下,帰納的に一般ので完全性が分かる.すると各に対しては脆弱層だから命題2(i)より次の各行が完全な可換図式が得られる:
ゆえに連結準同形が定まり,ほしい長い完全列が得られる.後半の主張はが函手的に振る舞うことと連結準同形の自然性から従う.
これでめでたくコホモロジーをつけ足していって大域切断の列を右にのばして完全にすることができました!定理中の層の短完全列に付随する長い完全列をコホモロジー長完全列と呼びます.
指数完全列のコホモロジー
をの領域として,
第2節
の例2(iii)の完全列を考える.この短完全列のコホモロジー長完全列を取れば
という完全列が得られる.したがって,ならばは全射である.実ははの次特異コホモロジー群と同形であることがしられているので,これは位相的性質である.(ここでの議論は少し循環論法的で層の完全列を示す際に単連結ならが取れることを使ってしまった.しかし開円盤だけでが取れることしか知らなくても層の完全列は得ることができてから大域的にが取れることが分かる.)
こうして層係数コホモロジーの定義はできましたが,標準脆弱分解はとても計算できるものではありません.そこで標準脆弱分解とは別の分解を用いてもコホモロジーが計算できることを見ましょう.
非輪状層
が非輪状であるとは,任意のに対してであることをいう.
非輪状とはコホモロジー的に自明な層であるということです.コホモロジーは「良い層」で層を分解して定義すればよいと言いましたが,次の例で見るように脆弱層は実際この条件を満たしています.
非輪状層の例
(i) 脆弱層は非輪状である.実際,を脆弱層としてを取る.これを短完全列に分解すると
なる層の完全列たちが得られる.は脆弱層だから,命題2(ii)よりも脆弱層である.以下,帰納的には全て脆弱層である.大域切断を取ると命題2(i)より
なる完全列たちが得られる.戻すとは完全である.よって層係数コホモロジーの定義からである.
(ii) を級多様体とする.このとき,級関数の層は非輪状である.これは任意のコンパクト部分集合上の級函数は全体に拡張できることから従うが,ここでは詳しくは説明しない.c-柔軟層 (c-soft sheaf) の理論を参照せよ.同様にして次微分形式の層も非輪状である.
コホモロジーは非輪状分解で計算できる
として
を各が非輪状である分解とする.このとき,任意のに対して,同形
が成り立つ.
に対してとして定めると,層の完全列が得られる.この短完全列のコホモロジー長完全列を考えれば,完全列
が得られる.ならば完全列の両端はだからである.ならば補題3から完全列
が得られるので,ここから
を得る.これらを合わせれば,に対して
である.は補題1と同様に大域切断函手の左完全性から従う(補題1では脆弱性はどこにも使っていない).
上の論法はdimension shiftingと呼ばれることもあります.
層係数コホモロジーの応用
ここでは層係数コホモロジーの応用というかどのように役立つかということを説明します.最初の例は上で述べたことの系です.これはド・ラームの定理の半分です.
定数層コホモロジーとド・ラームコホモロジーは同形
を級多様体としてを次微分形式の層,を外微分から定まる層の射とする.このとき,任意のに対して
である.右辺はとも書かれ,ド・ラームコホモロジーと呼ばれる.
が特異コホモロジーと同形であることも特異チェインがなす層が非輪状での分解を定めることから従いますが,ここでは詳しく述べません.
最後に次の複素解析で有名な定理が層係数コホモロジーの応用として見ることができることを見ましょう.
Mittag-Lefflerの定理
をの領域としてを正則函数の層,を有理型函数の層とする.このとき,は全射である.すなわち,任意のの閉離散集合と定数項を持たない多項式に対して,ある上の有理型函数であって各の近傍でが正則となるものが存在する.
概略
層の完全列に対するコホモロジー長完全列を考えれば
が得られる.よって,定理を示すにはを示せば十分である.このパートでは長完全列を用いることで有理型函数の問題が正則函数の問題に帰着されたのである.
さて,の標準的な座標をと書くと,正則函数は級函数であってディーバー方程式
を満たすものとして特徴づけられる.微分は局所的なので層の射を誘導して,はこの射の核である.このとき,次が言える(証明は例えばRungeの近似定理を用いる).
事実
をの任意の領域として,を上の任意の級函数とする.このとき,あるが存在してを満たす.
これを認めると次の二つが分かる.一つ目は層の完全列はの非輪状分解であるということである.実際,上の事実を各点の近傍で考えることにより列が完全であることが分かり,は非輪状であったから良い.二つ目はこの列の大域切断を取った列も完全であるということである.一つ目と非輪状分解でコホモロジーが計算できるという定理より
であることが分かるが,二つ目は右辺がであることを意味する.こうして正則函数に関する問題が級函数の微分方程式の可解性の問題に帰着されて証明ができた.
上の証明中で見たように層係数コホモロジーを用いることによって問題をどんどん取り替えていき帰着することができます.これが層係数コホモロジーの一つの利点なのです!
まとめ
この節では
- 脆弱層の定義と性質
- 標準脆弱分解とそれ使った層係数コホモロジーの定義
- 層係数コホモロジーの性質と応用
について説明しました.