導来函手
この節ではちょっとだけ脇道にそれて導来函手の一般論とそれを使った層係数コホモロジーのとらえ方についてお話しします.
以下,この節ではをアーベル圏とします.ここでは一般の左完全函手に対して層係数コホモロジーのように短完全列の「完全でない具合」をはかるため完全になるように右にどんどん引き伸ばせる右導来函手について説明します.導来函手の構成は前節も考えた「対象を『良い性質』を持つ対象によって分解してそれを函手でうつしたときのズレをはかる」というものですが,構成自体はそれなりに複雑で何がやりたいかの気持ちを汲み取ることは最初は難しい印象があります.そこで「左完全函手を右にどんどん完全に伸ばす」という性質だけを抽象化した函手というものとその性質についてまず説明します.函手であって次部分が元の左完全函手に一致するものを構成する方法が導来函手だと考える方が(少なくとも筆者は)スッキリと理解できます.
函手
まず,層係数コホモロジーの函手やあとで定義する右導来函手の持つ性質を抽象化した函手の定義から始めましょう.
函手
を加法函手の列として,における任意の短完全列と任意のに対して連結射が定まっているとする.このときがからへの(コホモロジー的)函手であるとは,次の二つの公理を満たすことをいう:
(1) における任意の短完全列に対して
はにおける完全列である.
(2) における行が完全である任意の可換な図式
と任意のに対して,次のにおける図式は可換である:
(1)から特には左完全函手で(1)はを付け足して短完全列から長完全列が得られることを言っています.(2)はある意味で連結射も「函手性」を満たしているということを述べています.
ホモロジー的函手
加法函手の列でにおける任意の短完全列と任意のに対して連結射が定まっていて定義1と同様の二つの公理をみたすものはホモロジー的函手と呼ばれる.話は双対なので以下ではコホモロジー的なものだけについて述べる.
以降は記号を簡単にするために添え字はを渡るとして単になどと書きます.また,連結射は省略して単にと書きます.
層係数コホモロジー函手は函手
を位相空間とする.このとき,
第3節
の定理4より,層係数コホモロジー函手の列はからへの函手である.
函手の射は函手の射の列で連結射とも可換になるもののことです.
函手の射
をからへの函手とする.からへの函手の自然変換または函手の射とはなる自然変換の列であって,における任意の短完全列と任意のに対して,次のにおける図式を可換にするものである:
函手の同形とは函手の自然変換で各が自然同値のもののことです.
さて,次に函手の中でも「性質が良い」ものを考えます.これは次の部分の射が全部の次数に持ち上がるという普遍性で定義されます.
普遍函手
をからへの函手とする.が普遍函手であるとは,任意のからへの函手と任意の自然変換に対して,からへの函手の自然変換が一意的に存在してとなることをいう.
上の定義中のの条件を「が函手の自然変換に一意的に拡張される」と雑に言ってしまうことにします.普遍函手は次のように次の部分だけで決まってしまいます.
とをからへの普遍函手とする.このとき,ならばとは函手として同形である.
自然同値とその逆を取る.普遍函手であることから,これらはとに一意的に拡張される.はの拡張なので,一意性によりである.同様にしてである.
さて,函手が普遍函手になる条件は次のように与えられます.証明はGrothendieckのTohoku論文などを参照してください(
超局所的物置の「層とコホモロジー」
にも証明を書いてあります).
削除可能函手
加法函手が削除可能 (effaceable) であるとは,任意の対象に対して単射であってなるものが存在することをいう.
effaceableの訳語
effaceableの訳として「削除可能」を使うのが一般的かは不明である.
次以上が削除可能なら普遍函手
をからへの函手とする.任意のに対してが削除可能ならば,は普遍函手である.
ここまで抽象論・一般論を展開しましたが,実際にやりたいことは「左完全函手が与えられたときにとなる普遍函手を構成する」ということです.が適当な条件を満たすとき,これが可能であることを次に見ましょう.
左完全函手の右導来函手
ここでは左完全函手に対して,からへの函手であってとなる右導来函手というものを構成する方法について説明します.構成はの対象を「良い対象」たちに分解するしてでうつしてやった複体の完全からのズレをはかることで行います.まず良い対象として入射的対象を定義します.
入射的対象
(i) の対象が入射的であるとは函手が単射を全射に送る(いまはアーベル圏なのでこの函手が完全である)ことをいう.
(ii) が十分多くの入射的対象を持つとは,任意の対象に対して,ある入射的対象と単射が存在することをいう.
あとで層の圏は十分多くの入射的対象を持つことを見ます.以下ではは十分多くの入射的対象を持つと仮定します.このとき,
第3節
で標準脆弱分解を構成したように余核を取って単射で埋め込むという構成を繰り返すことで,任意の対象に対して分解
であって,各が入射的であるものが存在することが分かります.このような分解をの入射分解と呼びます.対象の入射分解は一意的とは限りません.複体をとあらわして入射分解をともあらわすことにしましょう.をにおける射としてとをそれぞれとの入射分解したとき,図式
を可換にする複体の射のことをの上の複体の射と呼ぶことにしましょう(ここだけの用語).これを単に
とも書いてしまいます.入射分解に関する基本的な性質を列挙しておきましょう.書いてみると複雑ですが,次の命題は(i)対象の間の射は入射分解の間の射にチェインホモトピックを除いて一意に持ち上がること,(ii)短完全列は入射分解に次数ごとに分裂する複体の短完全列に持ち上がること,(iii)短完全列の間の可換な射たちは入射分解たち間の可換な射たちに持ち上がることを言っています.
入射分解の性質
(i) をにおける射としてをの入射分解とする.このとき,の上の複体の射が存在して,それはチェインホモトピックを除いて一意である.すなわち,他ので図式を可換にするものが存在すればとはチェインホモトピックである.
(ii) をにおける短完全列,とをそれぞれとの入射分解とする.このとき,の入射分解,の上の複体の射,の上の複体の射であって,各に対してが分裂完全列になるものが存在する.すなわち,図式
において各列は入射分解で最後の行は次数ごとに分裂する複体の短完全列で図式が可換となるようにできる.
(iii) における行が完全である可換な図式
のそれぞれの行に対して(ii)の条件を満たす入射分解と複体の射の可換図式
が与えられているとする.さらに,の上の複体の射との上の複体の射も与えられているとする.このとき,の上の複体の射が存在して,次は複体の射の図式となる:
さて,上の命題を使うことでほしかった函手を定義を目指しましょう.以下,を左完全函手とします.は十分多くの入射的対象を持つので,任意の対象に対して入射分解を取ります.複体を函手でうつすことでにおける複体
が得られます.この複体がどれくらい完全からずれているかをはかるために,に対して
を考えましょう.さらににおける射が与えられたとします.の入射分解を取ると,命題3の(i)よりの上の複体の射がホモトピックを除いて一意に定まります.は複体の射なので,を誘導し,しかもホモトピックな射は同じ射を定めるのでの上の射のとり方によらずにだけから決まることが分かります.これをしばらくと書きましょう.を二つの射とすると,それぞれの上の複体の射を取ってが加法的であることを使えばが分かります.この対応は次のように「函手性」を持っています.まず,はの上の複体の射なのでです.また,とをにおける射としてをそれぞれの入射分解とするとの上の複体の射に持ち上がります.はの上の複体の射なのでも分かります.この「函手性」によっての二つの入射分解を取るとの上の複体の射を考えればであることが分かります.よって次のように定めることができます.
右導来函手
を十分多くの入射的対象を持つアーベル圏としてをアーベル圏の間の左完全函手とする.このとき,に対して入射分解を取っておき,に対して
と定めて,の射に対してはの上の複体の射の誘導する射をと定める.加法函手をの次右導来函手と呼ぶ.
構成から次がすぐ分かります.
最終的にほしかった主張は次の定理にまとめられます.
右導来函手は普遍函手
を十分多くの入射的対象を持つアーベル圏としてをアーベル圏の間の左完全函手とする.このとき,右導来函手の列は自然同値を満たす普遍函手である.
における短完全列に対して,命題3の(ii)の入射分解と複体の射で図式
を可換にするものが取れる.最後の行は次数ごとに分裂する複体の短完全列だから,でうつしてもそうである.すなわち,は複体の短完全列である.よって,連結射が作れる.この射が短完全列に対して自然に振る舞うことは命題3の(iii)から従う.(定義した連結射が入射分解の取り替えによる同形と両立することもこの議論で示せるが省略.)ゆえには函手である.
は
第3節
の議論と全く同様である.の入射分解を取っての左完全性を用いるとは完全なのでである.自然性は核の自然性から従う.
は十分多くの入射的対象を持つので,任意の対象は入射的対象への単射を持つ.すると,補題4より任意のに対してであるからとなる.よって,任意のに対しては削除可能であるから,定理2によりは普遍的函手である.
を十分多くの入射的対象を持つアーベル圏としてをアーベル圏の間の左完全函手,をからへの函手とする.が
(1) 任意のの入射的対象と任意のに対して,
(2)
を満たすならば,とは函手として同形である.
右完全函手の左導来函手
圏が十分多くの射影的対象を持つときは右完全函手に対して左完全函手が構成できる.射影分解を取りでうつした複体の各次数での核を像で割ったものを考えればよい.これらは普遍(ホモロジー的)函手を定める.
導来函手としての層係数コホモロジー
以下ではを位相空間とします.上の結果を大域切断函手に適用したいと思います.そのためにアーベル圏が十分多くの入射的対象を持つことを見ます.
任意の層は入射的層に埋め込める
任意のに対して,入射的層への単射が存在する.すなわち,圏は十分多くの入射的対象を持つ.
第3節
の補題1よりは不連続切断の層に単射で埋め込める.アーベル群の圏は十分多くの入射的対象を持つので,各に対して入射加群と単射が存在する.層をと定め,と定めるとは層の射で単射である.ゆえに,合成は単射である.任意のに対して
であることから,は入射的層である(射が等しいことと全ての茎に誘導される射が等しいことが同値であることを用いる).
入射的層に対する性質を一つ準備しておきます.
は脆弱層に単射で埋め込める.は入射的だから,層の射が存在してを満たす.任意の開集合を取る.すると,よりは全射では脆弱だから合成も全射である.であるから,も全射である.
さて,圏は入射的対象を十分持ち,大域切断函手は左完全なので上の結果からその右導来函手が定義できます.これは前節で定義した層係数コホモロジー函手と自然同値になります.
層係数コホモロジーは大域切断函手の右導来函手
層係数コホモロジー函手のなす函手と大域切断函手の右導来函手のなす函手は函手として同形である.特に任意のに対して自然同値が成り立つ.
入射的対象は脆弱で
第3節
の例4で見たように脆弱層は非輪状だから任意の入射的層に対してである.また,
第3節
の補題3から,自然同値が成り立つ.ゆえに系から結果が従う.任意の脆弱層に埋め込めることと脆弱層が非輪状であることから普遍性を導いて定理2を使う方が素直かもしれない.
こうしてめでたく層係数コホモロジー函手は大域切断の右導来函手同じであることが分かりました!代数幾何の本などでは後者で定義されている方が多いかもしれませんね.標準脆弱分解を使う方が準備が少なくて函手性などが簡単に示せるので,この順番で説明しました.
まとめ
この節では
- 函手の定義・普遍函手になる十分条件
- 入射分解とその性質
- 左完全函手の右導来函手の構成とその性質
- 層の圏が十分多くの入射的対象を持つこと
- 大域切断の右導来函手が標準脆弱分解による層係数コホモロジーに一致すること
を見ました.