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大学数学基礎解説
文献あり

ゲージ対称性とは何か(9): なぜ「Diracの予想」を"信奉"するのか?

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$$\newcommand{all}[1]{\left\langle#1\right\rangle} \newcommand{blr}[1]{\left[#1\right]} \newcommand{car}[1]{\left\{#1\right\}} \newcommand{di}[0]{\displaystyle} \newcommand{fr}[2]{\frac{#1}{#2}} \newcommand{lr}[1]{\left(#1\right)} \newcommand{ma}[1]{\(\di{#1}\)} $$

※この記事は 「ゲージ対称性とは何か(8):Yang-Mills理論とDiracの方法」 の続きです。

Notationは以下です:

  • $\{\cdot,\cdot\}$はPoisson bracketを表す
  • Lagrangeの未定係数(Lagrange multiplier)を"Lm"と略す
  • 拘束の「時間発展に対する無矛盾性」= 「拘束が時間発展しても保たれること」を"c.t.e."(consistenty of time evolution)と略す

はじめに

ここまでDiracの方法を述べてきました。一連の記事で紹介した方法は、いわゆる「Diracの予想」に基づいています。しかしDiracの予想は特殊な場合に間違った結果をもたらすことが知られています。「ならなぜそれを使うのか」と疑問を持つ方もいるのではないかと思ったので、Diracの予想に基づいた議論のメリットを書いておきます。

$H_T$形式と$H_E$形式

Diracは$H_T$形式と$H_E$形式と呼ばれる2つの方法について考察しています(Ref.[1]):

2つのDiracの方法
  1. $H_T$形式:Hamiltonianに第1次拘束条件のみ取り込む
    $$ H_T:=H+\lambda^a_{\rm 1od}\phi_{\rm 1od}^a $$

  2. $H_E$形式:Hamiltonianに第1次および2次的拘束条件をすべて取り込む
    $$ H_E:=H+\lambda^a_{\rm 1od}\phi_{\rm 1od}^a+\lambda^a_{\rm 2od}\phi_{\rm 2od}^a $$

これまで紹介した方法は2.の$H_E$形式です。

Diracは、最初$H_T$形式、その後$H_E$形式を議論しました。
$H_T$形式は問題のない方法です(※記事末注参照のこと)。
しかし$H_E$形式は、その正当性が証明されていたわけではありませんでした。
$H_E$形式でうまくいくだろう、つまり

Diracの予想

1次拘束と2次的拘束は同等に扱い、すべて未定係数法でHamiltonianに取り込んでよい

とDiracは考えました(Ref.[1])。
その後この予想に関し、まともな力学系では問題ないけど、特殊な例では反例があることがわかりました(反例は例えばRef.[1]の例題10.1, 10.2やRef.[2]にあります。Frenkelの模型は興味深いモデルらしいです)。

ならば、なぜ正当性が完全には保証されない$H_E$形式を用いるのでしょうか。
その1つの理由は(もしかしたら私の知らないほかの理由もあるかもしれないので「1つの」にしておきます)

$H_T$形式ではゲージ固定の選び方に強い制限がかかる。$H_E$ではそれがない。

からです。
以下これを見ていきます。

$H_T$形式と$H_E$形式の違い

以下Lagrange multiplierをLmと略します。また時間発展に関する無矛盾性=時間発展で拘束条件が保たれることをc.t.e.(consistency of time evolution)と略します。

$H_E$形式

簡単に$H_E$形式を振り返ります。
この形式では、1次拘束・2次的拘束$\phi^m$すべてに対応するLmがHamiltonianに存在します。これらが決定されるには
$$ C^{mn}:=\{\phi^m,\phi^n\},\\ H_E:=H+\lambda_m\phi^m $$
として、各拘束の時間発展が弱い意味でゼロ、すなわち
$$ \dot\phi^m = \{\phi^m,H_E\}=\{\phi^m,H\}+\{\phi^m,\phi^n\}\lambda_n\approx 0 $$
$\lambda$を決定すればいいです。
そのためには
$$ C^{mn}:=\{\phi^m,\phi^n\} $$
が逆を持てばいいです。

しかしこの$C$は、拘束の数ぶんだけのrankを持つとは限りません。
一般に$C$は、基底を適切に取り直すと
$$ C=\begin{pmatrix} \tilde C & {\bf 0} \\ {\bf 0} & {\bf 0} \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \{\phi^a_{\rm 2cl},\phi^b_{\rm 2cl}\} & \{\phi^a_{\rm 2cl},\phi^b_{\rm 1cl}\} \\ \{\phi^a_{\rm 1cl},\phi^b_{\rm 2cl}\} & \{\phi^a_{\rm 1cl},\phi^b_{\rm 1cl}\} \end{pmatrix} , \ \ \ {\rm det}\tilde C\neq 0 $$
と書けます。ここで$\phi_{\rm 1cl}$は第1類拘束条件と呼ばれ、すべての拘束とのP.B.がゼロとなる拘束、$\phi_{\rm 2cl}$は第2拘束条件と呼ばれ、1つ以上、他の拘束とのP.B.でノンゼロのものがある拘束です。
これより、第1類拘束の数だけ定まらない未定係数が存在することがわかります。

これを定めるため、第1類拘束の数だけゲージ固定を課します。
するとゲージ固定のc.t.e.より
$$ \dot \chi^m =\{\chi^m,H_E\}=\{\chi^m,H\}+\{\chi^m,\phi^n\}\lambda_n $$
から、$\{\chi^m,\phi_{\rm 1cl}^n\}$が逆をもつなら、決まっていなかった未定係数が定まります。
あとは$H_E$で時間発展を計算してもいいし、または力学変数間のDirac bracketを計算し、それを使って運動方程式を計算してもいいです。

この手続きより

$H_E$形式の特長(メリット)

$H_E$形式では、Lmが定まることと、c.t.e.が成立することが等価

であることがわかります。

$H_T$形式

ところが$H_T$では命題1が成立しません

ゲージ固定の数は$H_T$でも$H_E$と同じく、第1類拘束条件の数だけ必要です。
しかし、$H_T$形式では、2次的拘束条件に対するLmが存在しないため、定まらないLmの数は、第1類拘束の数より少ない(または等しい)です。少ない場合、ゲージ固定に関するc.t.eを要請すると、そのうちのいくつかにおいて自由に決められるLmが存在せず、その成立を"運任せ"にするしかない可能性があります。実際には、うまくc.t.e.が成立するゲージ固定を採用する必要があります。

要約すると以下のようになります:

$H_T$形式では、Lmが定まることとc.t.e.が成立することは等価ではない。一般に、第1類拘束の数だけ未定のLmが存在するとは限らず、ゆえにゲージ固定に対するc.t.e.の成立は非自明になる

$H_T$$H_E$の違いの具体例:Yang-Mills理論

Ref.[1]に、2つの方法の違いを示す良い例が載っています。それが以下です:

Yang-Mills理論における$H_T$形式

Yang-Mills理論:
\begin{align} \ \ \ {\cal L}&=-\frac{1}{4}F^a_{\mu\nu}F^{\mu\nu a},\\ \ \ \ F^a_{\mu\nu}&=\partial_\mu A^a_\nu-\partial_\nu A^a_\mu+gf^{abc}A^b_\mu A^c_\nu \end{align}

において、$H_T$形式ではゲージ固定
$$ \ \ \ A^{0a}=0, \ \ \partial_i A^{ia}=0 $$
を採用できない

前回Yang-Mills理論において、$H_E$形式で
$$ A^{0a}=0, \ \ \partial_i A^{ia}=0 $$
を使ってDiracの方法を展開しました。これは何も問題ありません。

一方、$H_T$形式ではこのゲージを採用できません。これを見てみましょう。

以前の記事で書いたように、拘束条件は
\begin{align} \phi^{1a}&=\pi_0^a\\ \phi^{2a}&=D^a_{bi}\pi^{ib} \end{align}
でした。$\phi^1$は第1次拘束、$\phi^2$は2次的拘束です。また
$$ \{\phi^{1a},\phi^{2b}\}\approx 0 $$
であることから、これらは第1類拘束です。対応してゲージ固定も2つ必要です。

ゲージ固定として、以前と同様
\begin{align} \chi^{1a}&=A^{0a},\\ \chi^{2a}&=\partial_i A^{ia} \end{align}
を採用してみます。

$H_T$形式では、時間発展は
\begin{align} H_T&=H+\lambda_{1a}\phi^{1a},\\ H&= -\frac{1}{2}\pi^a_i\pi^{ia}-A^{0a}D^a_{bi}\pi^{bi}+\frac{1}{4}F^a_{ij}F^{ija} \end{align}
で計算します。Hamiltonianに現れるLmは、第1次拘束$\phi^{1a}$に対するもののみです。そしてこの係数は、$\chi^{1a}$のc.t.e.から定まります:
$$ \dot \chi^{1a}=\{\chi^{1a},H_T\}=\{A^{0a},H\}+\lambda_{1a}\{A^{0a},\phi^{1a}\}=\lambda_{1a}\\ \therefore \lambda_{1a}\approx 0 $$
すると、$\chi^{2a}$のc.t.e.が非自明になります。すなわち
$$ \dot \chi^{2a}=\{\chi^{2a},H_T\}=\{\chi^{2a},H\}+\lambda_{1a}\{\chi^{2a},\phi^{1a}\} $$
$\lambda_{1a}$がすでに定まっているため、弱い等式でゼロになるかわかりません。
そして実際計算してみれば、ゼロにはならないことがわかります。

Yang-Millsにおいて、$H_T$形式で採用できるゲージ固定としては、例えば
$$ \chi^{1a}=\partial_iA^{ia},\\ \chi^{2a}=\partial^i(D^a_{bi}A^b_0-\pi_i^a) $$
があります(Ref.[1])。
ゲージ固定のc.t.e.をチェックしてみると
$$ \dot\chi^{1a}=\{\chi^{1a},H_T\}=\chi^{2a}\approx 0 $$
また
$$ \dot \chi^{2a}=\{\chi^{2a},H_T\}=\{\partial^i(D^a_{bi}A^b_0-\pi^a_i),H+\int d^3y \ \lambda_{1a}\pi_0^a\} $$
ですが、Poisson bracketの左側に$A_0^b$があるため、この式には$\lambda_{1a}$が残ります。すなわちこの式はLmを決定する式であり、よって$\chi^{2a}$に関してもc.t.e.が成立します。
このようにうまくいくのは、以下の条件

  • $\{\chi^{1a},\phi^{1b}\}=0$: $\lambda_{1a}$が未定のまま残る
  • $\chi^{2a}$として$\{\chi^{1a},H\}$を採用する: $\chi^{1a}$のc.t.e.が成立する
  • $\{\chi^{2a},\phi^{1b}\}\not \approx 0$: $\lambda_{1a}$が定まり、$\chi^{2a}$のc.t.e.が成立する

を満たすゲージ固定を採用したからです。

まとめ

今回は、なぜ拘束の議論において、正当性が保証されていない「Diracの予想」に基づく$H_E$形式を用いるのか?に関して議論しました。
答えは

$H_T$形式ではLagrange multiplierの数が少なく、うまくゲージ固定を選ばないと、ゲージ固定に対する時間発展の無矛盾性を満たすことができない。そのようなことのない$H_E$形式のほうが扱いやすい(かつ通常の力学系では$H_E$形式は正しい)

ということでした。

おしまい。

☆次の記事: ゲージ対称性とは何か(10): 拘束を無闇に使うと誤る系




(注) FrenkelはRef.[2]において、$H_T$でも$H_E$でも間違う模型を提示しました。しかしその後$H_T$では正しく扱えることがわかったようです(Ref.[1]の例10.2にそれが示してあります)。

参考文献

[1]
A. Frenkel, Comment on Cawley's counterexample to a conjecture of Dirac, Physical Review D, 1980
[2]
菅野 礼司, ゲージ理論の解析力学, 吉岡書店, 2007
投稿日:2022210
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bisaitama
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