前回: ネットからはじめる位相空間論 第1回・ネット(有向点族)とその収束
はじめはこの記事で「第2回・ネット(有向点族)・フィルターとリーマン積分」をやろうとしていましたが,書いているうちにネットのお気持ち説明が長くなってしまい,その後にリーマン積分を考えるのがだるくなってしまったので今回はお気持ち説明だけです.
数式が出なくて文章ばっかりなのと,個人的な印象が強い記事になっています.
どうも,小西康陽にはまっているかそうです.今も 小西さんオシャレ集 の音楽を聴きながらこの記事を書いています.
昨年末にMathlogの記事をもとに動画を作りました:
ネットからはじめる位相空間論 第一回(YouTube)
すると意外にも多くの方々に見て頂いたようで少し驚いています.説明とスライドに不備がある動画(恥ずかしいのであまり見ないでください.どこどこが間違っているとかは全て把握しているのでご心配無用)を見て頂いて本当にありがたいです.
毎度間違いが多い私ですが,上で紹介した動画ははじめからミスっていいという気持ちで投稿したのでほとんどなんとも思っていません(迷惑系数学YouTuberですね・・・.これからはちゃんとします).あれは実は数学者I先生主催のオンラインセミナーでの発表に向けた発表練習動画でして,ほんちゃんの発表の前に動画撮って,そこでできるだけミスを事前にしておこうというものなのです.そのおかげで当日は無事に発表できました.参加者の方から「丁寧でわかりやすかった」とメールを頂いたり,自分でも手ごたえを感じたりできました.ああ,よかった・・・!がしかし自分のミスが永久的にネットに残り続けるのも恥ずかしい・・・.それが自分の成長に繋がっていると信じてまあいいかと割り切ることにしています.
今日もネットの記事を書きます.
いや最近どこまで扱おうか迷っているんですよね.まだ位相空間に入っていないしなーというのもあり・・・.
当初の予定
どうしましょうか.今のところは
・リーマン積分との関連をネットの復習として話す
↑フィルターによる見方をまず紹介し,フィルターとその収束の定義を余談として与える.
・位相空間
↑位相空間の定め方3通りを紹介.
その中の1つの方法において位相,開基,弱位相などを定義して,ハウスドルフ,コンパクト,局所コンパクト,リンデレーフなどネット及び関数解析でよく出てくると思われるものを紹介.
↑Gelfand representationを理解する際に突然出てくる位相空間の議論が難なくかみ砕けるようになるように!これを目標とする.
はじめは位相空間を定義して・・・とかやろうと思ったが,そうではなく位相空間にとりあえず触れてみるという「位相空間論入門」ということにしようと思った.がしかし,初学者が全くついていけないといった状態にならないように作るつもり.
・TychonoffやってBanach-Alaogluやって終わり,大団円!
こんな感じでやろうと考えています.
なのですが,院試対策を時間の意味で本腰入れて取り組み始める4月までにこのシリーズ終わらせたいんですよね.春休み中は投稿頻度を増やす予定です.
がっつり院試対策期間中は試験に出そうなこととかMurphyの具体例とか昨年ちょっとやっていたAnalysis Nowの行間埋めとかやれたらいいなと思っています.授業を極限まで減らす代わりに問題解きまくり&Mathlogに時間を割きたいなあと思います.
ところで急に話は変わりますが,3月21日にうどんのゆっくりしてた数学チャンネルさん主催の「冬の視聴者参加型発表会発表者一覧」で発表をします.題名,内容は以下の通りです:
発表者:かそう数学ちゃんねる
題名:収束小噺~ネットとフィルター,リーマン積分~
内容:位相空間で登場するネット(有向点族)とフィルターを受験の例を通して感覚的に理解し,リーマン積分との関連まで話したい!という発表を予定しています.
・・・たぶんリーマン積分との関連まではできませんね.先日(2/17)の発表を聞きながら当日用の資料を作っていたのですが,そう思いました.当日も「詳細はこれ見て!」とか最後に言いだすと思います.そのための記事を時期書きます.
目標:ネット,フィルター,コーシーネット/コーシーフィルター,フィルター基のお気持ちを感じ取る
まず定義から.ここはただの前回のコピペですので特に深い意味はありません.わかる人は読み飛ばしても結構です.
$\Lambda:\;$集合,$\leq:\;\Lambda$上の二項関係
$(\Lambda,\leq)$が有向集合
$\overset{\text{def}}{\Longleftrightarrow}$以下を満たすこと:
$(1)\leq$が反射的:$\forall x\in\Lambda,\;x\leq x$
$(2)\leq$が推移的:$\forall a,b,c\in\Lambda,\;a\leq b,\;b\leq c\Longrightarrow a\leq c$
$(3)\leq$が反対称的:$\forall p,q\in\Lambda,\;p\leq q,q\leq p\Longrightarrow p=q$
$(4)\leq$が有向的:$\forall\alpha,\beta\in\Lambda,\exists\gamma\in\Lambda\;s.t.\;\alpha\leq\gamma,\beta\leq\gamma$
☆$(\Lambda,\leq)$が$(1),(2)$までを満たすとき$(\Lambda,\leq)$は前順序集合という.
☆$(\Lambda,\leq)$が$(1),(2),(3)$までを満たすとき$(\Lambda,\leq)$は順序集合という.
有向集合$\Lambda$から集合$X$への写像をネット(有向点族)という.
$X:\;$位相空間 のネット$\{x_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}$($\Lambda:$有向集合)が点$x\in X$に収束
$\overset{\text{def}}{\Longleftrightarrow}$任意の$x$の近傍$U$に対し
$\exists\lambda_0\in\Lambda\;s.t.\;\forall\lambda\in\Lambda,\lambda_0\leq\lambda\Longrightarrow x_{\lambda}\in U$・・・(結局)
☆上のネット$\{x_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}$が(結局)を満たすとき,$U$でネット$\{x_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}$はeventuallyであるという.
つまり,$X:\;$位相空間 のネット$\{x_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}$が点$x\in X$に収束するとは,任意の$x$の近傍$U$でネット$\{x_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}$がeventuallyであることと言い換えられる.
ネットの収束にて「位相空間」「近傍」とかよくわからない言葉が出ていますが,第1回ではそこに深入りしないために関数の和というネットの具体例をやるにとどめました.がしかし,これからはそんなことはしません.
その前に個人的なネットの「お気持ち」を紹介します.
まずは名言を書きます.「収束・極限」を中心に位相空間についていろいろ考えた結果僕が思ったのは
ネットの収束は一つの方法論を与える
ということです.
ネットの収束は目標達成の本質を我々に教えてくれている気がするのです.
たとえ話をします.あなたは選挙に立候補して政治家になりたい!とします.目標は選挙当選です.さてその目標達成のためにあなたは何をしますか?
フツウに考えて選挙当選のために有効と思われることとして以下の3つ(まず1の選択肢と3の選択肢に大別され,その双方でも行うことができる2の選択肢)が挙げられると思います:
この中では1の選択肢が最も当選に近いと思われるかもしれません.巨大政党に入ればその政党特有のもの(特有の言葉使い,人脈,選挙の戦い方のノウハウなど)がゲットできて,自分と同年代で既に政治家として働いている党員がいれば親睦を深めるなどして「ほうほう,こうすれば受かるんだな」のように選挙の勝ち方が肌感覚のレベルで理解できるようになるかもしれません.巨大政党に所属していること自体への安心感もあるでしょう.
それに対して3の選択肢はどうでしょうか.国政政党ならまだしも,無所属でゼロから政治家人生始めるぞ!というのはかなり無謀に思われます.泡沫候補などと言われてつらい思いをするかもしれません.それでも,どうしても自分がやりたいことがあると己を信じて立候補する姿は僕なんかはかっこいいと思いますが(こういうところに自分がフィルター派ではなくネットの使い手であるのが伺えると思います).
ひとりで選挙を戦う際当選か否かを分けるのは日々のパフォーマンスになります.思わぬアクシデントにも神対応できたか,予想外の質問にも(自分がさほど知識が無くても)それっぽいことを言って人の心を動かせたか,など.どんなにできなくても,自信が無くても,経験が無くても,その場でうまく立ち振る舞うという能力が必要不可欠になります.どんなハプニングが起きても完璧に対応できたら「こいつはもうすぐ当選するな,こいつの当選はeventuallyだな(結局当選するだろうな)」と思えるものでしょう.この能力に長けている人というと僕の中でパッと出たのはハリウッドザコシショウでした.ドキュメンタルなどでの立ち振る舞いを見ると,優勝に必要なことはちゃんとおさえつつ自分のやりたいお笑いをやっている.その時の当意即妙な立ち振る舞いはかっこいいなと思います.どんなことが起きても完璧に対応してその自由度を思う存分楽しんでいるというところに人は魅力を感じます(そうでしょ?).その感覚がネット(有向点族)にある・近いのではないかと僕は思っています.
1でも3でも,2の選択肢は当選のためには欠かせません.毎日駅前であいさつ,演説を繰り返す.毎日じりじりと着実に当選に近づいていくということ.
ここで一つ思い出した話をすると,出典にあたるまでもないくらい有名な話ですが,田中角栄は大蔵省時代,官僚と対等に(もしくはそれ以上)仕事をするために六法全書を覚えていたという逸話があります.この逸話のポイントは大きな組織に所属した上で官僚に自分を合わせにいったということだと思います.大蔵省では自分よりも高い学歴を持ち自分より法律に詳しい人がたくさん働いているという状況で「あいつとあいつの言ってたこと,確か同じ条文を言っていたと思うけど知識不足でよくわからないなあ」となったときに家に帰って勉強してチャントそのもやもやを晴らす.これを日々繰り返して繰り返して自分を官僚たちに合わせに行くとともに官僚と同等に立ち振る舞えるようになったということがすごい!と思います.
さて話を数学に戻しますが,これからネットはもちろんのことフィルターとコーシーネット/コーシーフィルターというものも出てきます.厳密にはコーシーネットとコーシーフィルターだけある特定の状況下でのみ考えられるものでその点区別が必要ですが,その三者の収束をまとめるとこんな感じ:
フィルターの収束:自分の戦えるナワバリをムリクリ拡大して収束
コーシーネット/コーシーフィルターの収束:前の自分よりいい自分になることで目標に着実に近づく
ネットの収束:どんなことでもその場でウマク立ち振る舞えるようになって合格
上の選挙の例でいう1がフィルターの収束,2がコーシーネット/コーシーフィルターの収束,3がネットの収束に対応します.団体芸のフィルターに対して一人で神的なパフォーマンスをして「これって国民栄誉賞ものじゃないの?」とまで言われて人々に認められるやり方のネット,といったイメージを持ってもらえば良いのかなと思います.
では最後の角栄の話は?実は上記3つ以外にフィルター基というものもあって,僕はそのたとえ話のつもりで書いてみたのです.
フィルター基はフィルターとネットの中継ぎのようなものです.
ネット,フィルターに加えフィルター基
フィルター基はフィルターとネット両方の特徴を持っています.それは「大きい集団にいること」と「よく立ち振る舞う」ということですが,それらを合わせると
大きい集団の中で複数人共通して言っていたりできていたりすることは自分もできるように立ち振る舞う
ということになると思います.これがフィルター基の収束に対して僕が抱いているイメージです.
以降の僕の記事ではフィルター基についてあまり触りませんが,フィルター基についてはなすなすなすさんによる
フィルター基による位相空間論
という記事がとても参考になると思います.
最後までフィルターとは何者かを明確に言わないでこの記事を終わるのはどうかと思い,諸定義を与えることにします.
・集合$X\neq\emptyset$とその部分集合族$\mathfrak{F}$をとる.
$\mathfrak{F}$が$X$上のフィルターである
$\overset{\text{def}}{\Longleftrightarrow}\mathfrak{F}$が以下を満たすこと:
$
\left\{
\begin{array}{l}
\emptyset\notin\mathfrak{F},\mathfrak{F}\neq\emptyset\\
\forall F_1,F_2\in\mathfrak{F},F_1\cap F_2\in\mathfrak{F}\\
\forall F\in\mathfrak{F},\;\forall A\subset X,F\subset A\Longrightarrow A\in\mathfrak{F}
\end{array}
\right.$
集合$X\neq\emptyset$と部分集合族$\mathfrak{B}$をとる.
$\mathfrak{B}$が$X$上のフィルター基
$\overset{\text{def}}{\Longleftrightarrow}\mathfrak{B}$が以下を満たすこと:
$
\left\{
\begin{array}{l}
\forall B_1,B_2\in\mathfrak{B},\exists B_3\in\mathfrak{B}\;s.t.\;B_3\subset B_1\cap B_2\\
\mathfrak{B}\neq\emptyset,\;\emptyset\notin\mathfrak{B}
\end{array}
\right.$
全体の集合を含める定義もちらほら見かけたが今回は上記の通りにした.その理由はかそう調べで全体集合を含む定義がさほど採用されておらずその必然性を感じなかったから.
フィルターの例1:$(S,\mathscr{O}):\;$位相空間,点$x\in S$
$\mathscr{F}_x:=\{A\subset S\;|A\text{は}x\text{の近傍}\;i.e.\;\exists U\in\mathscr{O}\;s.t.\;x\in U\subset A\}$
これは点$x$の近傍フィルターと言われる.
フィルターの例2:$\mathbb{N}$の部分集合族で
$\Phi_0:=\{A\subset\mathbb{N}\;|\mathbb{N}\setminus A\text{が有限集合}\}$
これはフレッシェ・フィルターと言われる.
フィルター基の例:数列$c:\mathbb{N}\longrightarrow\mathbb{C}$をとる.このとき$c$によるフレッシェ・フィルターの像
$c(\Phi_0)=\{c(A)\;|A\in\Phi_0\}(\mathbb{C}$の部分集合族!)はフィルター基になる.
位相空間$X$と$X$上のフィルター$\mathfrak{F}$,点$x\in X$をとる.
$\mathfrak{F}$は$x$に収束する
$\overset{\text{def}}{\Longleftrightarrow}$($x$の近傍系)$\subset\mathfrak{F}$のとき
位相空間$X$上のフィルター基$\mathfrak{B}$,点$x\in X$をとる.
$\mathfrak{B}$は$x$に収束する
$\overset{\text{def}}{\Longleftrightarrow}\forall u$の近傍$V,\exists B\in\mathfrak{B}\;s.t.\;B\subset V$
フィルター基の収束の例:数列$c:\mathbb{N}\longrightarrow\mathbb{C}$をとる.点$\gamma\in\mathbb{C}$をとる.
このときフィルター基$c(\Phi_0)=\{c(A)\;|A\in\Phi_0\}$は$\gamma$に収束
$\overset{\text{def}}{\Longleftrightarrow}\forall\gamma$の近傍$V,\exists c(A)\in c(\Phi_0)\;s.t.\;c(A)\subset V$
$\Longleftrightarrow\forall\gamma$の近傍$V,$ある$N_0\in\mathbb{N}$が存在して$N_0$以上の$n\in\mathbb{N}$で$c(n)\in V$
これは数列$\{c(n)\}_{n\in\mathbb{N}}$が点$\gamma\in\mathbb{C}$に収束するということである.
今回は完全にブログでした.次回,ネットの一例としてリーマン積分を扱います.
ここまで読んでいただきありがとうございました.
P.S.
最近TwitterにてMathlog界隈でわちゃわちゃしている様子が見受けられます.僕はのんびり屋さんなので指摘が来てもケセラセラの精神で(いくつかやばいものはすぐ修正するものの!これ大事)大体「自分の中で優先度高くなったらちゃんと直すわ」とやってきているのですが,個人的には数学と適度な距離を置くことが重要だと思います.
数学を自分のアイデンティティに完全に入れてしまうと,将来数学ができなくなったときに(というか年を重ねるといつかいずれ数学ができなくなるタイミングが来ると思います.60過ぎたら集合の概念に苦労するようになるとかならないとか.晩年の小平邦彦先生も繰り上がりがわからないとおっしゃっていたというのをどこかで見た気がします)困ってしまいます.自己と数学をほぼ混合したケースとしてゲーデルが挙げられますが,彼の人生は魅力的だと思う反面(僕はゲーデルにあこがれて最近丸眼鏡を購入しました),もし自分が同じ状況にいたら辛くて耐えられるだろうか?とも思います.
職業としての数学の場合話が変わってくるというか僕が口を出せるレベルではなくなるかもしれませんが,趣味というか人生を楽しくする隠し味としての数学には適度な距離感が成功の秘訣ではと思っています.
この後にリーマン積分がネットの一例である記事を以前書いていたのですが,今見返したらオダブツだったので書き直しました.
ネットからはじめる位相空間論 最終回