いろんな分野で三角圏のBridgeland stabilityが流行りなので、数学を専攻している大学生院生は一度は耳にしたことがあるかもしれません。三角圏のstabilityは、Bridgelandが有名な次の論文で提唱したものです。
かくいう自分の分野(環上の加群を調べる)でも最近stabilityの話がいろいろ出てきているのですが、自分があまり三角圏に慣れていなくて(もちろんアーベル圏のstabilityもありますが)、ちゃんとBridgelandの原論文を読んだことがないので、勉強のメモとして記事を書きます。第1回です。
第2回は こちら 、第3回は こちら 。第4回は こちら 。
三角圏の定義を知っている人、三角の中の射がゼロ射だったときの例の同値条件を知っている人、三角の射が弱核や弱余核になっていることを知っている人くらいです。記事が続くにつれて前提知識を増やすかもしれません。
Bridgelandはstabilityが有名ですが、論文ではslicingというより広い概念が導入されているっぽいです。この三角圏のslicingはt-structureより細かく三角圏を(実数値で!)わけるものらしいですが、実は次の定理が成り立ちます。
三角圏$\TT$と、そのslicing $\PP$を考える。$\R$の長さ$1$未満の区間$I$を考えると、そこからできる$\TT$の部分圏$\PP(I)$は三角圏$\TT$のadmissible完全部分圏であり、さらに完全圏としてquasi-abelian with maximal exact structureである。つまり$\PP(I)$はquasi-abelianであり、$\PP(I)$の中での短完全列はちょうど$\TT$のtriangleで全ての項が$\PP(I)$に入るものと一致する。
個人的にquasi-abelianな完全圏に興味があるので、stabilityというよりもこれを示すことを当面の目標にします。
Bridgelandの論文を読む準備として、三角圏のtorsion pairと$t$-structureについての言葉遣いを用意します。
三角圏$\TT$の部分圏の組$(\XX,\YY)$がtorsion pairであるとは、次が満たされるときをいう。
また1と2だけを満たすとき、pre-torsion pairと呼ぶことにする。
(注意:一般的な用語でなく、この記事の便利のために導入した用語です。)
アーベル圏のtorsion pairの類似ですね。三角圏を$\XX$と$\YY$に分けるものです。導来圏のAR quiverの図を思い出して、それをぶったぎるイメージ。
最後の条件は少し言い換えられます。
三角圏のpre-torsion pair $(\XX,\YY)$について、これがtorsion pairであることと、次が成り立つことは同値:
3'. $\XX = {}^\perp \YY$, $\YY = \XX^\perp$.
とくに、$\XX$と$\YY$は必ず拡大で閉じる。
証明はやればできます。これによりtorsion pairは片側がもう片側を決定します。また次の条件も便利です。
三角圏$\TT$のpre-torsion pair $(\XX,\YY)$について次の二つは同値である。
このときさらに$(\XX,\YY)$はtorsion pairになる。このようなtorsion pairをshift-closedなtorsion pairと呼ぶ(注意:一般的な用語ではありません)。
一般的な用語でないのは、後で見るようにこれは$t$-structureの言い換えだからです。
まず1を仮定して$(\XX,\YY)$がtorsion pairになることを示す。
そのため上の条件3'を示す。それぞれ包含$\XX\subseteq {}^\perp \YY$と$\YY \subseteq \XX^\perp$は明らか。
まず$^\perp \YY \subseteq \XX$を示す。このため$T \in {}^\perp \YY$をとると、$\TT = \XX * \YY$により、三角
$$
X \xrightarrow{f} T \xrightarrow{g} Y \xrightarrow{s} X[1]
$$
がとれるが($X \in \XX$と$Y \in \YY$)、仮定より$g = 0$である。よって$s$はsectionだが、そのretraction $X[1] \to Y$は仮定$\XX[1] \subseteq \XX$によりゼロ射である。よって$Y=0$であり、$T \cong X \in \XX$となる。
次に$\XX^\perp \subseteq\YY$を示す。このため$T \in \XX^\perp$をとると、$\TT = \XX * \YY$により、三角
$$
X \xrightarrow{f} T \xrightarrow{g} Y \xrightarrow{r} X[1]
$$
がとれるが($X \in \XX$と$Y \in \YY$)、仮定より$f = 0$である。よって$r$はretractionだが、そのsection $X[1] \to Y$は仮定$\XX[1] \subseteq \XX$によりゼロ射である。よって$X[1] = 0$であり、ここから$X=0$が従うので、$T \cong Y \in \YY$となる。
よって1から$(\XX,\YY)$がtorsion pairなことが分かった。すると特に$\YY = \XX^\perp$なので、2の$\YY[-1] \subseteq\YY$を示すためには$\XX \perp \YY[-1]$を見ればよいが、これは$\XX[1] \subseteq \XX \perp \YY$により従う。よって2が成り立つ。2については省略。
正直1と2の同値性は、使うというよりは理論上のためのものなのでアレですが一応示せたので書きました。
またアーベル圏の場合には、torsion pairに対してcanonical exact sequenceは一意的に定まりますが、同じことが三角圏の場合にも成り立ちます(と思っていたけどshift-closedを課さないときつそうです):
三角圏$\TT$のshift-closedなtorsion pair $(\XX,\YY)$を考える。任意の対象$T \in \TT$に対し、定義より
$$
X \to T \to Y \to X[1]
$$
という三角で$X \in \XX$と$Y \in \YY$となるものがあるが、三角は$T$を固定すると同型を除いて一意的に定まり、これを$T$の$(\XX,\YY)$に関するcanonical triangleと呼ぶ。
二つあったとする:$X_1 \to T \to Y_1$と$X_2 \to T \to Y_2$。このとき$X_1 \perp Y_2$と$X_2 \perp Y_1$なことから、次の図式に伸ばせる:
\begin{CD}
X_1 @>>> T @>>> Y_1 @>>>\\
@VVV @| @VVV \\
X_2 @>>> T @>>> Y_2 @>>>\\
@VVV @| @VVV \\
X_1 @>>> T @>>> Y_1 @>>>
\end{CD}
ここで$1_{X_1}$と$X_1 \to X_2 \to X_1$との差を考えると、$X_1 \to T$を合成して$0$になるので、$Y_1[-1]$を経由する。がshift-stableなことより$Y_1[-1] \in \YY$であるので、$X_1 \perp Y_1[-1]$となり、その差は$0$なことが分かる。よって$1_X = X_1 \to X_2 \to X_1$が分かる。逆も同様に分かるので、同型となる。
上の証明と全く同様に、次が示されます(これを$t$-structureの場合はtruncation functorとか呼ぶと思う)(自分はアーベル圏のtorsion pairの場合に慣れているので、$t$-structure側ではなくtorsion pair側で用語を揃えます)。
三角圏$\TT$のshift-closedなtorsion pair $(\XX,\YY)$が与えられたとき、任意の対象$T$に対してcanoical triangle $X \to T \to Y \to $が定まるが、この$T$を$X$に対応させることで関手$\TT \to \XX$が定まり、これは埋め込み$\XX \inj \TT$の右随伴を与える(これをtorsion radicalと呼ぶ)。同様に$T$を$Y$に対応させることで関手$\TT \to \YY$が定まり、これは埋め込み$\YY \inj \TT$の左随伴を与える(これをtorsion-free coradicalと呼ぶ)。(注意:これも多分一般的な用語ではない)
関手を定めることは上と同様の議論より。随伴性は、任意に$M \in \XX$を取ると、長完全列
$$
0 = \TT(M,Y[-1]) \to \TT(M,X) \to \TT(M,T) \to \TT(M,Y) = 0
$$
からすぐ分かる。
次に$t$-structureについても軽くまとめます。
三角圏$\TT$の部分圏の組$(\UU, \VV)$が$t$-structureであるとは、次を満たすときをいう。
すなわち、命題3により、これは$(\UU,\VV[-1])$がshift-closedなtorsion pairであることである。
よく使われる記法では、$\TT^{\leq 0}:=\UU$と$\TT^{\geq 0}:= \VV$と書いて、$\TT^{\leq n}:=\TT^{\leq 0}[-n]$と$\TT^{\geq n}:= \TT^{\geq 0}[-n]$と書くものです。どっちがどっちのシフトで閉じたっけ、ということを思い出すにはこの記法は便利です(ちょうど2の条件が$\TT^{\leq -1} \subseteq \TT^{\leq 0}$と$\TT^{\geq 1} \subseteq \TT^{\geq 0}$となる)。
この記法の気持ちは次の標準的な$t$-structureです。
アーベル圏$\AA$の有界導来圏$\DDD^b(\AA)$に対して、$\TT^{\leq 0}$をコホモロジーが次数$0$以下にconcentrateした複体、$\TT^{\geq 0}$をコホモロジーが次数$0$以上にconcentrateした複体とすると、$(\TT^{\leq 0},\TT^{\geq 0})$は$\DDD^b(\AA)$の$t$-structureを与える(これだけなら有界じゃなくて非有界でもいいはずです)。
でもこの記法$\TT^{\leq 0}$ではちょっとslicingの添字とひっくり返っていて混乱したので、この記法は使わないことにします。
ここで、上の定義は少し重複があるので、一応書いておきます。
三角圏$\TT$の部分圏の組$(\UU,\VV)$が$t$-structureであるためには、以下の二つを満たすことが必要十分である:
1'. $(\UU,\VV[-1])$が$\TT$のpre-torsion pairである、すなわち$\UU \perp \VV[-1]$かつ$\TT = \UU * \VV[-1]$である。
2'. $\UU[1] \subseteq\UU$であるかまたは、$\VV[-1] \subseteq\VV$である。
命題3(Shift-closedなtorsion pair)より明らか。
さらに、$t$-structureとtorsion pairの関係は以下です(が定義より明らかです)。よって$t$-structureを考えることと、shift-closedな$t$-structureを考えることは同値です。
三角圏$\TT$に対し、$t$-structure $(\UU,\VV)$が与えられると、$(\UU,\VV[-1])$はshift-closedなtorsion pairである。また逆にshift-closedなtorsion pair $(\XX,\YY)$を与えると、$(\XX,\YY[1])$は$t$-structureである。
また有界導来圏のなかのstandard $t$-structureのように、ある意味で「$t$-structureからもとの圏が作れる(くらい三角圏がでかすぎない)」条件をbounded $t$-structureといいます。
三角圏$\TT$の$t$-structure $(\UU,\VV)$がboundedであるとは、次を満たすときをいう。
$$
\TT = \bigcup_{m \in \Z} \UU[m] = \bigcup_{n \in \Z} \VV[n]
$$
すなわち、上の$\UU = \TT^{\leq 0}, \VV = \TT^{\geq 0}$の記法のもとでは、$\TT$の任意の対象$T$に対しある$m$と$n$があり$T \in \TT^{[m,n]} := \TT^{\leq m} \cap \TT^{\geq n}$となるときをいう。
アーベル圏の有界導来圏のstandard $t$-structureはboundedである。非有界だとboundedでない。
以下の内容は多分Bridgelandの論文を読む上では多分必要ないですが、$t$-structureについての常識っぽい話です。
Verdier商については既知とします。
三角圏$\TT$の三角部分圏$\NN$によるVerdier局所化$Q \colon \TT \to \TT/\NN$が右随伴を持つとき、$Q$をBousfield局所化と呼び、左随伴を持つとき$Q$を**Bousfield余局所化 (colocalization) **と呼ぶ。
Bousfield局所化は次の$t$-structureを考えることと密接に関係します。
三角圏$\TT$の$t$-structure $(\UU,\VV)$が安定$t$-structureであるとは、$\UU$がさらに$[-1]$でも閉じる(これは$\VV$が$[1]$で閉じることと同値)ときをいう。また安定$t$-structureのことも別名半直交分解とも言うらしい。
安定$t$-structure $(\UU,\VV)$があると、$\UU$も$\VV$も三角部分圏になっており直和因子で閉じる、つまりthick部分圏です。
射影的に豊富なアーベル圏$\AA$の上に有界な複体のなすホモトピー圏$\KKK^-(\AA)$を考える。このとき、$\AA$の射影対象のなす圏を$\PP$とすれば、$(\KKK^-(\PP),\KKK_{\text{acy}}^-(\AA))$は$t$-structureを与える。ここで2番めの圏はacyclicな複体のなす圏である。理由は射影分解が取れるので。また、非有界導来圏でも$K$-projectiveを考えれば同じことが成り立つ。
導来圏$\DDD^-(\AA)$はVerdier局所化$\KKK^-(\AA)/\KKK_\text{acy}^-(\AA)$で定義されますが、有名な事実にこれが$\KKK^-(\PP)$と三角同値というものがあります。これは次の特別な場合です。
三角圏$\TT$を考える。
よって、$\TT$のBousfield余局所化を考えることと、安定$t$-structureを考えることは等価である。
証明はVerdier局所化の良い演習問題です。双対的に次も成り立ちます。
三角圏$\TT$の安定$t$-structure $(\UU,\VV)$に対し、torsion-free coradical $\TT \to \VV$は三角同値
$$
\TT/\UU \simeq \VV
$$
を誘導する。よってとくにVerdier局所化$\TT \to \TT/\UU \simeq \VV$は右随伴$\VV \inj \TT$を持つので、Bousfield局所化である。逆に(以下略)
最後の安定$t$-structureとBousfield局所化の話は
加藤希理子, 三角圏とホモロジー代数
の最初が日本語でまとまっていて読みやすいと思います。
またBridgeland安定性の日本語で読める読みやすい文献として
柳田伸太郎, 安定性の話
があります。