Bridgeland安定性の論文のための勉強メモ第3回です:
第1回は こちら 。第2回は こちら 。第4回は こちら 。
Bridgelandの論文3節を自己流でやります。具体的には、三角圏のslicingを定義し、そこから自然にtorsion pairができることを示し、対象のHN filtrationが同型を除いて一意的なことを見ます。また実数の区間から部分圏を定義します。
第1回 と同様ですが、一応標準的でないかもしれないので書きます。
三角圏$\TT$のslicing $\PP$とは、各実数$\phi \in \R$に対して$\PP(\phi)$という$\TT$の部分圏を定めるもので、以下の条件を満たすものである。
また$\PP(\phi)$のゼロでない対象をphaseが$\phi$である対象とよく呼ぶ。
つまり$T$のHN filtrationとは「$T$をphaseが大なものから小なものの対象の拡大で書く」書き方のことです。
多分HN filtrationと言ったら、より強くstability conditionに対応するものを言ったり、元の代数幾何のものを指すことや、アーベル圏での類似のfiltrationを言うこともあるっぽいです。がこのシリーズでは「三角圏のslicingについてのHN filtration」という言葉遣いをすることにします。
三角圏$\TT$の有界$t$-structureを考え、そのheartを$\HH$とする。このとき、次で$\PP$を定めると$\TT$のslicingになる:
$$
\PP(\varphi) :=
\begin{cases}
0 & \text{($\phi$が整数でないとき)} \\
\HH[\phi] & \text{($\phi$が整数のとき)}
\end{cases}
$$
このことは、まさに
前回の記事
で与えた有界$t$-structureの特徴づけから従う。また同じく前回の記事を使えば、「整数以外ではゼロになるようなslicing」を考えることと有界$t$-structureを与えることは等価である。
非自明なslicingについてはそのうち例を追加するかも。
加群圏のtorsion classのチェインとかから多分作れるはずです。有限表現型な場合は多分非自明なslicingが離散的なことしかなくて、torsion classとかと対応しているという直感があります。Kronecker quiverとかだとあのAR quiverのtubeのとこだったり代数幾何由来だと連続的なものもあるっぽい?
HN filtrationの一意性や、slicingの性質をみるため、この記事ではslicingからtorsion pair(≒$t$-structure)を初めに構成することにします。(これは論文の順序と多分違いますが、自分にとってこのほうが分かりやすいのでそうします。)
まずslicingから部分圏を作りましょう。$t$-structureがあると$\TT^{\leq n}$とかの部分圏が定まりますが、その類似です(があとの例2でみるように、ちょっとひっくり返るので注意)。
三角圏$\TT$のslicing $\PP$と実数$a \in \R$に対して、次で$\TT$の部分圏を定める。
\begin{align}
\PP_{\geq a} &:= \bigcup\{ \PP(\phi_1) * \cdots * \PP(\phi_n)\, | \, \phi_1 > \phi_2 > \cdots > \phi_n \geq a \}\\
\PP_{> a} &:= \bigcup\{ \PP(\phi_1) * \cdots * \PP(\phi_n)\, | \, \phi_1 > \phi_2 > \cdots > \phi_n > a\}\\
\PP_{\leq a} &:= \bigcup\{ \PP(\phi_1) * \cdots * \PP(\phi_n)\, | \, a \geq \phi_1 > \phi_2 > \cdots > \phi_n \}\\
\PP_{< a} &:= \bigcup\{ \PP(\phi_1) * \cdots * \PP(\phi_n)\, | \, a > \phi_1 > \phi_2 > \cdots > \phi_n \}
\end{align}
ここで和は条件を満たす全ての$n \geq 0$と実数列$\phi_1 > \cdots > \phi_n$を走る。
上の4つの部分圏はちゃんと「部分圏」になっている、つまり有限直和では閉じていることがすぐ分かる。これがさらに拡大と直和因子で閉じていることも実は後で分かるが、定義からすぐには従わない(と思う)。
常に$t$-structureから来る例を頭に入れておこう。三角圏$\TT$の有界$t$-structure $(\UU,\VV)$が与えられ、そのheartを$\HH$とすると、よく使う$\UU = \TT^{\leq 0}$とか書く記法だと、整数$n$に対して
\begin{align}
\PP_{\leq n} &= \HH[n] * \HH[n-1] * \cdots &= \TT^{\geq -n}\\
\PP_{\geq n} &= \cdots * \HH[n+1] * \HH[n] &= \TT^{\leq -n}
\end{align}
となる。符号と大小がひっくり返ることに混乱しないようにしたい($\TT^{\leq 0}$と書くとcohomologicalで$\PP_{\geq 0}$はhomologicalだからひっくり返るのが自然、と覚えるといいかも?)(これはBridgelandの論文p328の脚注に``unavoidable crush of notation"と書いてありました)。
後は例えば$\PP_{\leq 2.5} = \PP_{\leq 2}$だったり、$\PP_{<3} = \PP_{\leq 2}$だったりが確認できる。
これらの部分圏が実は$\TT$のshift-closedなtorsion pairになっていることが分かります。
まず忘れてる人も多いし有名な用語ではなさそうなので、
第1回
からshift-closedなtorsion pairについて定義を思い出しましょう。
三角圏$\TT$の部分圏の組$(\XX,\YY)$がshift-closedなtorsion pairであるとは、次を満たすときをいう。
または同値な定義として、$(\XX,\YY[1])$が$t$-structureを与えるとき、といってもよい。
三角圏$\TT$のslicing $\PP$と、実数$\phi \in \R$に対して、次の2つは$\TT$のshift-closedなtorsion pairになっている。
よって、$(\PP_{\geq \phi}, \PP_{<\phi +1})$と$(\PP_{> \phi}, \PP_{\leq \phi +1})$は$\TT$の$t$-structureである。
1のみやる。が明らかです。
まずslicingの定義と、Hom直交は拡大で保たれるので、明らかに$\PP_{\geq \phi} \perp \PP_{< \phi}$が成り立つ(大から小へのHomは消える!)。さらにslicingで保証されるHN filtrationを$\phi$以上と未満に分ければ明らかに$\TT = \PP_{\geq \phi} * \PP_{<\phi}$である。最後に$\PP_{\geq \phi}$は定義より明らかにシフトで閉じる($\PP(\phi)[1] = \PP(\phi + 1)$を使う)。
(Mathlogの仕様で定理1系となっていますが上の命題の系です)
三角圏$\TT$のslicing $\PP$をとると、各実数$\phi \in \R$について次が成り立つ。
1について。
一般にtorsion pairの片割れは直和因子と拡大で閉じるので従う(つまり証明を「shift-closedなpre-torsion pairがあったら実際はtorsion pairであり直和因子と拡大で閉じる」ことへ押し付けている)。
2について。
これはtorsion pairの片割れはもう片割れをHom直交として復元することから従う。
三角圏のslicingのHN filtrationが各対象について一意的なことを、前節で準備したtorsion pairの言葉を使って証明できます。
まずshift-closedなtorsion pairについて 第1回 からcanonical triangleを思い出しましょう。
三角圏$\TT$のshift-closedなtorsion pair $(\XX,\YY)$を考える。各対象$T \in \TT$に対し、$\TT = \XX * \YY$により三角$X \to T \to Y \to X[1]$で$X \in \XX$と$Y \in \YY$となるものが取れるが、この性質を満たす三角は$T$を固定すると同型を除いて一意的であり、これを$T$のcanonical triangleと呼ぶ。
さてHN filtrationの一意性を示しましょう。結局はcanonical triangleの一意性に帰着します。
三角圏$\TT$のslicing $\PP$と対象$T \in \TT$を固定する。このときある実数列$\phi_1 > \cdots > \phi_m$がとれ$T \in \PP(\phi_1) * \cdots * \PP(\phi_m)$となるが、これを実現するfiltrationの列はゼロを取り除いておけば同型を除いて一意的である($\phi_i$たちもゼロを取り除けば自動的に$T$から決まることも主張している)。
$T$が二つHN filtrationを持つとし、一つを$T \in T_{\phi_1} * \cdots * T_{\phi_m}$、もう一つを$T \in T'_{\psi_1} * \cdots * T'_{\psi_n}$を実現するものとする(対象しか気にしていないようだがちゃんとfiltrationに現れる射も考えている)。ここで$T_{\phi_i} = 0$や$T_{\psi_i}=0$となるものは初めから取り除いておく。
まず$\phi_1 = \psi_1$を示す。もし$\phi_1 > \psi_1$なら、次の二つの三角
\begin{align}
T_{\phi_1} &\to T \to (T_{\phi_2} * \cdots * T_{\phi_m} \text{の元}) \to\\
0 &\to T \to T \to \\
\end{align}
を考える(上の三角は1つ目のHN filtrationの一番左の三角、下の三角は2つ目のHN filtrationを意識した自明な三角)。これらはともにtorsion pair $(\PP_{\geq \phi_1},\PP_{<\phi_1})$についてのcanonical triangleとなっているので、canonical triangleの一意性により$T_{\phi_1} = 0$となり矛盾。よって$\phi_1 \leq \psi_1$であり、役割を交換して$\psi_1 \leq \phi_1$、つまり$\phi_1 = \psi_1$である。
よって二つのHN filtrationの一番左の三角を並べて
\begin{align}
T_{\phi_1} &\to T \to (T_{\phi_2} * \cdots * T_{\phi_m} \text{の元}) \to\\
T_{\phi_1} &\to T \to (T_{\psi_2} * \cdots * T_{\psi_n} \text{の元}) \to\\
\end{align}
という二つの三角ができるが、この二つもともにtorsion pair $(\PP_{\geq \phi_1},\PP_{<\phi_1})$についてのcanonical triangleとなっているので、canonical triangleの一意性によりこの二つの三角は同型。あとはこれを繰り返せばHN filtrationに出てくる全ての三角が同型なことが同様に分かる。
とくにゼロでない$T \in \TT$を与えると、そこから$T$を「phaseが大から小への」拡大として書く書き方の一意性が成り立つ、つまり拡大として書く材料とそれが属するphaseは一意的に決まります:
三角圏$\TT$のslicing $\PP$と、ゼロでない対象$T \in \TT$に対して、
$$
T \in T_{\phi_1} * \cdots * T_{\phi_n}
$$
となるような実数列$\phi_1 > \cdots > \phi_n$とゼロでない対象$T_{\phi_i} \in\PP(\phi_i)$は、$T$のみから一意的に定まる。
これを用いて、ゼロでない対象から「最大のphase」と「最小のphase」という不変量が決まることになります。
三角圏$\TT$のslicing $\PP$と、ゼロでない対象$T \in \TT$に対して、ゼロを除いたHN filtration
$$
T \in \PP(\phi_1) * \cdots * \PP(\phi_n)
$$
をとったときの$\phi_1$を$\phi^+_\PP(T)$、$\phi_n$を$\phi^-_\PP(T)$と書く(HN filtrationの一意性によりwell-defined)。よく添え字の$\PP$は省略する。
このシリーズでは実数全体の集合$\R$の区間と行ったら、通常の区間$(a,b)$や$[a,b)$の他に、1点のみからなる$[a,a]$や半区間$(-\infty, b)$や全体$(-\infty,\infty)$なども含むことにします。
すでに定義した$\PP_{\leq \phi}$などの拡張として、実数の区間に対して、拡大と直和因子で閉じた部分圏が定まります。
三角圏$\TT$のslicing $\PP$と、実数の区間$I \subseteq\R$に対して、次で部分圏$\PP(I)$を定義する:
$$
\PP(I):= \{0\} \cup \{T \in \TT \, | \, \phi^+(T), \phi^-(T) \in I \}
$$
また定義(とHN filtrationの一意性)により次とも書ける(このことは各自確かめられたい):
$$
\PP(I):= \bigcup \{ \PP(\phi_1) * \cdots * \PP(\phi_n) \, | \, \phi_1> \cdots > \phi_n \text{ かつ } \phi_1,\phi_n \in I \}
$$
これの基本的な性質は次です。
三角圏$\TT$のslicing $\PP$を固定する。このとき次が成り立つ。
1は$\PP(I)$の二番目の定義から明らか。
2について。$\PP((a,b]) \subseteq \PP_{>a} \cap \PP_{\leq b}$は明らか。逆に$\PP_{>a} \cap \PP_{\leq b} \subseteq\PP((a,b])$は、左から対象を取ると$\phi^+ < b$と$\phi^- > a$がHN filtrationの一意性から従うのでよい。
3について。まず上の系により$\PP_{\geq \phi}$などはtorsion pairの片割れなので直和因子と拡大で閉じている。よって上の1と2により$\PP(I)$は$\PP_{\geq \phi}$などの共通部分で書けるので、それも直和因子と拡大で閉じている。
4について。これは$\PP(I)$の二番目の定義から明らか。後半は3より従う。
つまり直和因子で閉じている系の議論を、全部torsion pairの片割れやHN filtrationの一意性に押し付けた感じです。三角圏のslicing $\PP$に対して各$\PP(\phi)$が直和因子と拡大で閉じていることはもっと早期に直接示せそうな気もしますが……。
次回以降では、いよいよ第1回の目標として上げていた「長さ1未満の区間$I$については$\PP(I)$がquasi-abelianになる」ことを、原論文と違ったやり方でやろうと思います。