導入
Bridgeland安定性の論文のための勉強メモ第4回です:
[B] T. Bridgeland, Stability conditions on triangulated categories, Ann. of Math. (2) 166 (2007), no. 2, 317–345.
第1回は
こちら
。第2回は
こちら
。第3回は
こちら
。
- 勉強メモなので間違っている箇所がある可能性があります(気づいたらご指摘ください)。また続きを書かずに途中でやめる可能性もあります。
- 自分にとって分かりやすいように書くので、原論文と違う概念や違う用語や違う証明や違う道具を用いている箇所があります。
- 自分のメモのために証明を詳しく書いていますが、おそらく定義や命題だけ見て自分で証明を考えたほうがためになるのでそれをおすすめします。
前提とする知識
第1~3回の内容を仮定します。また
t-structureのheartがアーベル圏
の記事を読んだほうが感じがつかみやすいかもです(同様の議論をするので)が、仮定はしません。また今回は完全圏の言葉遣いを仮定します(下の注意のように次回は仮定しません)。
目標
Bridgelandの論文4節を完全に自己流でやります。具体的には、三角圏のslicing と区間から部分圏が作れましたが、この圏がの長さ1未満ならばquasi-ablelianなこと[B, Lemma 4.3]の、完全圏を使った証明をします。がおそらくBridgelandの証明よりもかなり直接的な証明なはずです。
- 今回と次回とでおそらく2種類の証明を与えますが、内容は独立しています。今回は完全圏を使いますが、おそらく次回は使わないので、完全圏を知らない人は次回をお待ち下さい。
- Bridgelandの原論文の証明とは完全に別の証明です。Well-known to expertsかもしれませんが、もしこの証明を使いたいなどの人がいたら一応私に連絡をください。
慣習と記法
第1回
と同様ですが、一応標準的でないかもしれないので書きます。
- 考える部分圏は全てfullで有限直和と同型で閉じることを仮定する(直和因子で閉じることは課さない)。
- 三角圏の部分圏に対して、やで通常の直交部分圏を指す。また二つの部分圏に対して、で、を表す。
- 三角圏の対象の集まりとに対し(部分圏でなくてもよい)、
というtriangleでとを満たすようなものが存在するようなを全て集めたものをと書く(この演算は結合的)。
準備
slicingを一旦忘れて、三角圏とのその完全部分圏について、また完全圏がいつquasi-abelianになるかについての準備をします。
三角圏の完全部分圏
目標へ向かうために、三角圏の内部にある完全圏として自然なクラスである次を定義します。
三角圏の完全部分圏
三角圏の部分圏が**完全部分圏 (exact subcategory) **であるとは、次を満たすときをいう。
- の射の組がconflationであることを、あるの中での三角
が存在することと定義すると、このconflationによりに完全圏の構造が入る。
多分考えている人がいないことはないと思いますが、上の概念は文献で見たことがないので、本記事独自の用語です(適切な用語を知っている人がいたら教えて下さい)。
例えば-structureのheartは完全部分圏なことが知られていますが、次の十分条件が非常に便利です(もっと早く知っておけばよかった)。
完全部分圏の判定
三角圏の拡大で閉じた部分圏が、つまり
を満たすならば、は完全部分圏である、すなわちの三角で最初の3つがに入るものを取り出すとそれは完全圏の構造を持つ。
後で見るように、なぜ「長さ1未満」という仮定が必要かの一つの答えは、長さ1未満だとが保証されて上の判定法が使えるからです。
Quasi-abelian完全圏
まずquasi-abelianの定義を知らない人もいるでしょうので思い出します。
加法圏がquasi-abelianであるとは以下を満たすときである。
- はpre-abelianである、つまり任意の射が核と余核を持つ。
- 余核射のpullbackは自動的に余核射になる。
- 核射のpushoutは自動的に核射になる。
この定義は最近は主流だと思いますが、Bridgelandの論文[B]での定義と若干見かけが異なります。[B]ではpre-abelian圏について「coimからimへの自然な射が同型」な射を「strict」と定義しており、「strict epiのpullbackもstrict epi」かつ「strict monoのpushoutもstrict mono」としています。がなんでこんな書き方をしたのか分からないほど分かりにくいです。
一応気持ち悪いので同値性を見ておきます。上と見比べれば「strict epi」なるものと余核射が一致していれば(monoも同様)いいわけです。
まず余核射を取ると、pre-abelianなのでの核も存在し、このときはの余核になっています。よってがのcoimageです。一方余核射はエピなので、の余核はであり、よってのimageはになります。よってcoimからimへの自然な写像は恒等射として取れるので同型、つまりstrict epiです。
次にがstrict epiだとします。するとのcoimage分解をとると、は余核射ですが、strictという仮定からはのimageでもあり、つまりは核射です。一方がepiなのでもエピですが、「エピかつ核射は同型」がすぐ分かります。よってはと同型なので余核射です。
典型的な例はもちろんアーベル圏です。他にもアーベル圏のtorsion classやtorsion-free classもquasi-abelianになります(多分この事実を次回の別証明で使います)。
ここで我々は完全圏構造も含めて考えるのですが、実はquasi-abelianなら自然に最大な完全圏構造があります。
加法圏に対して次は同値である。
- がquasi-abelianである。
- はpre-abelianであり、の全ての核・余核対をconflationと定めることで完全圏の公理が満たされる。
例えば
Bühlerの完全圏の有名な論文
のProposition 4.4ですが、そんなに長くないのでやってしまいましょう。
2ならば1:まずpre-abelianなので、全ての余核射は、その核射の余核射となるので、核・余核対の右の射と思えるので、2により保証される完全圏構造で全ての余核射はdeflationとなる。よって完全圏の公理によりdeflationのpullbackはdeflationなので、余核射のpullbackは余核射となる。
1ならば2:
1を仮定しているので、非自明な公理は「二つの核射の合成はまた核射になる」こととその双対である。核射の場合のみ示す。なので核射とを取る。これを核・余核対とに補完して、合成の余核を取る操作で次の図式ができる:
(短完全列っぽく書いたのは核・余核対、右完全列っぽく書いたのは余核を表す。)このとき、右のの四角がpushoutであることが簡単な普遍性の演習問題から分かる。よって1より核射のpushoutは核射なのでは核射であり、さらに一般にpushoutは余核を保つので、次の図式が作れる:
ここまで来ると、がの核射であることがchaseして容易にチェックできる。
そもそも完全圏とは核・余核対の集まりを指定することだったので、「全て指定して完全圏になる」ことがちょうどquasi-abelian、と覚えると特徴的で覚えやすいでしょう。そのような完全圏に名前をつけることにします。
完全圏がquasi-abelian完全圏であるとは、加法圏とみてがquasi-abelianであり、任意の核・余核対がconflationになるときをいう。
もちろんquasi-abelianな加法圏に対して、小さめの完全圏構造を入れると全然quasi-abelian完全圏とはならなりません。上の定義は、ちゃんと「conflation=核・余核対」が成り立つことを要求しています。
このクラスの完全圏には次のような便利な特徴づけがあります。
Quasi-abelian完全圏の特徴づけ
完全圏に対して次は同値である。
- はquasi-abelian完全圏である。
- 任意の射が次の二つの分解を持つ:
- でありがデフレーションでがモノ射。
- でありがエピ射でがinflation。
これはwell-known to expertsな気がしますが、やればできます。
1ならば2:
上の方の分解だけ示す(下は双対)。先に言うと、ちょうどcoimage分解がを与える。実際、の核射を取り、その余核射をとする。と余核射の普遍性からとなる射が取れる。
まずは余核射なので、1の仮定によりdeflationである。次にがモノ射をみたい。先に言っておくと単なるdiagram chaseなので自分でやることを勧める。このためがとする。このときでpullbackすることで次の図式が得られる(完全圏のconflationのpullbackもconflationを使う):
ここで横はconflationだが縦は別にそうではない。ここで合成は、と等しいのでゼロ。よってはを経由する。このことからが得られるが、これは上の短完全列が分裂していることを意味するので、はretractionであり、それを用いてがを通ることが分かる。つまりが得られるが、これはさらにしてゼロなので、はを通る。これはがを通ることとなり、よってである。
2ならば1:
まずpre-abelianなことを見る。任意に射を取ると、上の分解を見ると、はdeflationなので核を持ち、がモノなのでの核はの核でもある。よっては核を持つ。同様下の分解からは余核も持つ。よってpre-abelianである。
次に任意の核・余核対がconflationなことを示せば、上の命題2によりはquasi-abelianアーベル圏である。実際に核・余核対をとろう。このときに対して2の上の分解をとると、がとれがdeflationでがモノである。ここでモノ射を合成しても核は変わらないので、はの核でもあるので、下の可換図式が得られ、
上の列はconflationである(なぜならがdeflationなので)。また余核の普遍性によりは同型である。よってconflationが同型で閉じるので、下の列もconflationである。
長さ1未満の区間からできるquasi-abelian完全部分圏
準備が長くなりましたが、本題に戻りましょう。
主定理
三角圏のslicing を取り、また実数の区間をとる。このときの長さが1未満なら(例えばやはOKだがはだめ)、はの拡大で閉じたquasi-abelian完全部分圏である。つまり拡大で閉じた完全部分圏であり、その完全圏はquasi-abelian完全圏である。
すでに準備から察していると思いますが、前節での補題1(完全部分圏の判定)と命題3(quasi-abelian完全圏の特徴づけ)を組合せて示します。
簡単のための場合にのみ示すが、他の形をした区間の場合も同様である。まずである。また証明での対象のことを「に入る」「より大きい」などと言うが、これは前回定義したに入ること、に入ることをそれぞれ表す。つまりは「より大きく以下な対象」からなる部分圏である。
はの拡大で閉じた完全部分圏なこと
第3回によりは拡大で閉じている。よってを示せば補題1により従う。まずの対象はより大きいが、一方よりの対象は以下である。ここで長さ1未満よりであるので、slicingの条件よりより大きいところから以下への射は消える。よって直交が成り立つ。
が完全圏としてquasi-abelian完全圏なこと
命題3のような射の分解を与えればよい。お察しの方もいるかもしれないが、以下作る分解は
t-structureのheartがアーベル圏の記事
で与えた射の分解と同じもの(とその双対)である!
任意にの射を取る。このとき上の分解、つまり「内でがdeflationとモノとの合成で書ける」ことを見る。まずのmapping cocone をとる。
第3回
によりがのtorsion pairなので、三角がとれ、八面体により次ができる:
ネタバレをすると上のが求める分解である。これを落ち着いて大きさをチェックしていく。
はに入る
これは三角と、がに入ること(slicingの定義により)、がに入ることより従う。
はに入る、つまりに属する
これは三角と、は以下なので当然以下、またが上より以下なこと(とはもともとより大きいこと)から従う。
はに入る
これは三角で、上よりはより大きく、はより大きく当然より大きいこと(とはもともと以下)から従う。
はに入る、つまりに属する
まず三角で、は以下なので以下、はよりまずは以下である。次に三角ではより大きく、はより大きいのでより大きいことから、はより大きい。よって従う。
以上によりはきちんとでの分解なことが保証された。よってがでdeflation、がでモノを見ればよい。
がでdeflationなこと
これは縦の左から2番めの三角を見て、最初の3つが全てに入るので、が完全部分圏だったことから従う。
がでモノなこと
ここは-structureの場合はより強くinflationだったが、今はモノにしかならないことに注意。適当にをとりで送ると
が完全だが、はより大きく、は未満なのでとなる。よってはでモノである。
(inflationに必ずしもならない理由は、が今に入ることは言えるが未満が言えないのでに入ると限らないことによる。)
上で省略したことは演習問題としておきます。
- 上の証明で省略した、「の任意の射がエピとinflationの合成で書けること」や、ややという形の区間についても、上の証明を完成させよ。
- 考える区間がのように「ちょうど未満(?)」のときは、すると完全アーベル部分圏が出てくることを確認せよ。
落ち着いて大小を考えればいいわけですが、ケースバイケースで結構面倒な議論が必要ですね。
まとめ・次回
- 三角圏の完全部分圏になるかの判定法(補題1)と、完全圏がquasi-abelian完全圏かの判定法(命題3)は便利
- それらを使えば、落ち着いて射が消えているかとかを考えれば、八面体で自然に射の分解がとれ、「heartがアーベル圏」と全く同じ証明でquasi-abelianなことが示される。
でもこの証明は結構面倒だったので、次回はアーベル圏のtorsion(-free) classを使った別証明を書く予定です。