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大学数学基礎解説
文献あり

ABJ anomaly: 中性パイオンの崩壊率

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$$\newcommand{all}[1]{\left\langle#1\right\rangle} \newcommand{blr}[1]{\left[#1\right]} \newcommand{car}[1]{\left\{#1\right\}} \newcommand{di}[0]{\displaystyle} \newcommand{fr}[2]{\frac{#1}{#2}} \newcommand{lr}[1]{\left(#1\right)} \newcommand{ma}[1]{\(\di{#1}\)} $$

中性パイオン$\pi^0$はその殆どが2つの光子$2\gamma$に崩壊しますPDG。崩壊の寿命は$(8.43\pm 0.13)\times 10^{-17}$秒です。一方、低エネルギーでこの崩壊が強く抑制されるという「Sutherland-Veltmanの定理」が存在しますSutherland1967。これらは矛盾しているように思えます。これを解決したのがABJ anomalyですAdler1969Bell1969。現在ではABJ anomalyは様々な物理の文脈で現れますが、もともとはこの中性パイオンの崩壊において見出されました。量子アノマリーの重要さ、場の量子論の記述能力の深さを物語る最適な例かと思います。

以下Sutherland-Veltmanの定理を概観し、その定理で考慮されていないABJ anomalyの効果を取り入れることで、$\pi^0\to 2\gamma$の崩壊確率が説明できることを示します。ABJ anomalyに関しては既にいくつか記事にしておりMathlog1Mathlog2Mathlog3、アノマリーの計算に関しては基本的にこれらの記事を参照してください。

本記事はRefs.Cheng1982Peskin1995Kawamura2006を参考にして書いています。以下では、対称性を基にして構築された、低エネルギーにおけるハドロンが満たす定理である「低エネルギー定理」、及びハドロン等のカレントの満たす交換関係からその反応を予言する「カレント代数」を用いています。が、それらの説明は割愛し、事実のみ述べることにします。これらに関しては例えばRefs.Cheng1982Kawamura2006を参照してください。

Sutherland-Veltmanの定理

Sutherland-Veltmanの定理とは、低エネルギー定理とカレント代数を用いると、低エネルギー極限で$\pi^0\to 2\gamma$の崩壊確率はゼロになる、という定理です。これを簡単に概観します。

次の量を考えます:
\begin{align} \langle k_1\epsilon_1,k_2\epsilon_2|\pi^0(q)\rangle &=i(2\pi)^4\delta^4(q-k_1-k_2) \epsilon^\mu_1(k_1) \epsilon^\nu_2(k_2)\Gamma_{\mu\nu}(k_1,k_2,q),\\ \Gamma_{\mu\nu}(k_1,k_2,q) &=e^2\int d^4z d^4y e^{ik_1\cdot z+ik_2\cdot y} \langle 0|T(J_\mu^{\rm em}(z)J_\nu^{\rm em}(y)) |\pi^0(q)\rangle\tag{1} \end{align}
$\langle k_1\epsilon_1,k_2\epsilon_2|$は、運動量$k_1$と偏極ベクトル$\epsilon_1$をもつ光子、および$k_2,\epsilon_2$をもつ光子の2光子状態を表します。$|\pi^0(q)\rangle$は運動量$q$をもつ中性パイオン$\pi^0$の状態を表します。$J_\mu^{\rm em}(z)$は電磁カレント
\begin{align} J^{\rm em}_\mu(x)&=\bar\psi(x)\gamma_\mu Q \psi(x), \ \ \ Q=\frac{1}{3} \begin{pmatrix} 2 & 0\\ 0 & -1 \end{pmatrix} \end{align}
です。$Q$はu,dクォークの持つ電荷の行列です。Eq.(1)は中性パイオンが2つの光子に崩壊する確率振幅です。

次にLSZの簡約化公式を用いて、パイオンの状態を真空状態で書き換えます:
\begin{align} \Gamma_{\mu\nu}(k_1,k_2,q) &=e^2\int d^4z d^4y e^{ik_1\cdot z+ik_2\cdot y} \langle 0|T(J_\mu^{\rm em}(z)J_\nu^{\rm em}(y)) |\pi^0(q)\rangle\\ &=e^2(m_\pi^2-q^2)\int d^4z d^4y d^4x e^{ik_1\cdot z+ik_2\cdot y-iq\cdot x} \langle 0|T(J_\mu^{\rm em}(z)J_\nu^{\rm em}(y)\phi^3(x)) |0\rangle\tag{2} \end{align}
ここで$\phi^3(x)$$\pi^0$の場の演算子です。$\phi^a \ (a=1,2,3)$
\begin{align} \langle 0|\phi^a(0)|\pi^b(p)\rangle =\delta^{ab} \end{align}
のように規格化してあるものとします。荷電パイオン$\pi^\pm$$\frac{1}{\sqrt{2}}(\phi^1\pm i\phi^2)$に対応します。Eq.(2)におけるLSZの簡約化公式の使い方を大雑把に言うと、粒子の状態に対応するHeisenberg場をT積の中に入れ、状態を真空に書き換え、さらにその粒子の自由場のプロパゲータの逆をかけるという感じです。

$\phi^3(x)$を軸性ベクトルカレントに書き直すため、PCAC(Partially Conserved Axial Current)を使います。これは以下の関係式です:
\begin{align} \partial^\mu A^a_\mu=f_\pi m_\pi^2\phi^a, \ \ \ A_\mu^a:=\bar\psi\gamma_\mu \gamma_5\frac{\sigma^a}{2}\psi \end{align}
ここで$A_\mu^a$は軸性ベクトルカレント($\sigma^a$はPauli行列)、$f_\pi$はパイオン崩壊定数、$m_\pi$は中性パイオンの質量です。これを使うと、Eq.(2)は以下のように与えられます(※脚注):
\begin{align} {\rm Eq.}(2)&=\frac{e^2(q^2-m_\pi^2)}{f_\pi m_\pi^2}\int d^4z d^4y d^4x e^{ik_1\cdot z+ik_2\cdot y-iq\cdot x} \langle 0|T(J_\mu^{\rm em}(z)J_\nu^{\rm em}(y)\partial^\rho A_\rho^3(x)) |0\rangle\\ &=q^\rho\frac{i e^2(q^2-m_\pi^2)}{f_\pi m_\pi^2} \int d^4z d^4y d^4x e^{ik_1\cdot z+ik_2\cdot y-iq\cdot x} \langle 0|T(J_\mu^{\rm em}(z)J_\nu^{\rm em}(y)A_\rho^3(x)) |0\rangle \end{align}
この量は$q\rightarrow 0$でゼロになります。なぜなら
\begin{align} \Gamma_{\mu\nu\rho}(k_1,k_2,q):= \int d^4z d^4y d^4x e^{ik_1\cdot z+ik_2\cdot y-iq\cdot x} \langle 0|T(J_\mu^{\rm em}(z)J_\nu^{\rm em}(y)A_\rho^3(x)) \tag{3} |0\rangle \end{align}
には、軸性ベクトルカレントと真空の両方に結合するような状態の寄与がないからです。もしもEq.(3)から何らかの状態の寄与により$1/q^2$のファクターが生じれば、2つ上の式は$\lim_{q\to 0}$でもゼロにはなりませんが、そのようなことはこの場合起きません。ということで、以上の考察によれば、低エネルギーでは$\pi^0\to 2\gamma$は強く抑制されることになります。

しかし現実では崩壊の寿命はだいたい$10^{-16}$秒です。これは崩壊が強く抑制されているとは言い難い値です。

ABJ anomalyの$\pi^0\to 2\gamma$への寄与

Sutherland-Veltmanの定理には考慮されていない効果があります。これに関しては既に記事にしてあります:

ABJ anomaly:ループダイアグラムによる計算(1/2)

この記事では、Eq.(3)と本質的に同じ量である
\begin{align} T_{\mu\nu\lambda}&:=i\int d^4x_1 d^4x_2\langle 0| T(V_\mu(x_1)V_\nu(x_2)A_\lambda(0))|0\rangle e^{ik_1x_1+ik_2x_2},\\ & \begin{cases} V_\mu(x)=\bar\psi(x)\gamma_\mu \psi(x),\\ A_\mu(x)=\bar\psi(x)\gamma_\mu\gamma_5 \psi(x), \end{cases} \tag{4} \end{align}
$q^\lambda$をかけた量の1ループダイアグラムの寄与を具体的に計算しています。これは一見($q^\lambda$の値に依らずに)ゼロになるように思えるのですが、線形発散が存在するために計算に不定性が存在し、それを正則化して計算する必要があります。正則化し計算すると、ABJ anomalyの寄与
\begin{align} q^\lambda T_{\mu\nu\lambda}=-\frac{1}{2\pi^2}\epsilon_{\mu\nu\sigma\rho}k_1^\sigma k_2^\rho\tag{5} \end{align}
が生じます(クォーク質量はゼロとした)。軸性ベクトルカレントの発散の形で書けば
\begin{align} \partial^\lambda A_\lambda(x)=\frac{e^2}{(4\pi)^2}\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma} F_{\mu\nu}(x)F_{\rho\sigma}(x)\tag{6} \end{align}
となります。詳しくは上記記事をご参照ください。

ただし$\pi^0\to 2\gamma$へのABJ anomalyの寄与はEq.(5)(6)とは係数が変わります。Eq.(3)ではEq.(4)と比較して、ベクトルカレントに$Q$、軸性ベクトルカレントに$\lambda^3/2$の行列がはさまっています。この違いは${\rm tr}(Q^2\lambda^3/2)$のファクターを生みます。これを$D$とし、計算すると
\begin{align} D={\rm tr}\left(Q^2\frac{\sigma^3}{2}\right)= {\rm tr}\left( \begin{pmatrix} 4/9 & 0 \\ 0 & 1/9 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} 1/2 & 0 \\ 0 & -1/2 \end{pmatrix} \right) =\frac{1}{6} \end{align}
となります。実はもうひとつ考慮すべきファクターがあります。ループを回る粒子はクォークであり、クォークはカラーの自由度 −R, G, Bの3種類− を持ちます。よってさらに3をかけて
\begin{align} D=\frac{1}{6}\times 3=\frac{1}{2} \end{align}
が正しいファクターです。以上から$\pi^0\to 2\gamma$の確率振幅に関わる行列要素$\Gamma_{\mu\nu}(k_1,k_2,q)$は、ABJ anomalyの寄与を加えて
\begin{align} \Gamma_{\mu\nu}(k_1,k_2,q)=\frac{e^2(m_\pi^2-q^2)}{f_\pi m_\pi^2} \left\{ q^\lambda\Gamma_{\mu\nu\lambda}(k_1,k_2,q) -\frac{iD}{2\pi^2}\epsilon_{\mu\nu\sigma\rho}k_1^\sigma k_2^\rho \right\} \end{align}
低エネルギーでは
\begin{align} \lim_{q\to 0}\Gamma_{\mu\nu}(k_1,k_2,q) &=\frac{ie^2D}{2\pi^2 f_\pi}\epsilon_{\mu\nu\sigma\rho}k_1^\sigma k_2^\rho\\ &=\frac{ie^2}{4\pi^2 f_\pi}\epsilon_{\mu\nu\sigma\rho}k_1^\sigma k_2^\rho \end{align}
となります。

Ref.Peskin1995に従い$\pi^0\to 2\gamma$の崩壊幅を計算すると
\begin{align} \Gamma(\pi^0\to 2\gamma)=\frac{\alpha^2}{64\pi^3}\frac{m_\pi^3}{f_\pi^2}\simeq 7.76{\rm eV} \ \ \ \ (\text{自然単位系}) \end{align}
となります。ここで$\alpha$は微細構造定数です。崩壊時間$\tau$$\tau=1/\Gamma$で与えられるので、$\tau\simeq 8.48\times 10^{-17}\text{秒}$となります。これは実際の崩壊時間$(8.43\pm 0.13)\times 10^{-17}$秒と良く合っています。

まとめ

中性パイオンの2光子への崩壊に関するABJ anomalyを説明しました。低エネルギー定理とカレント代数から導かれるSutherland-Veltmanの定理によれば、低エネルギーで$\pi^0\to 2\gamma$の崩壊は強く抑制されます。しかしこれに寄与するクォークの1ループダイアグラムには線形発散が存在します。これを正則化することで生じる量子アノマリーの効果 − ABJ anomaly − を考慮すると、実際の崩壊時間を見事に説明することができます。この例は場の量子論における量子アノマリーの存在と重要性を端的に示す好例だと思います。

おしまい。${}_\blacksquare$


(※脚注)この計算では部分積分を行っています。その際、T積に時間微分がかかる項が生じます。これらは軸性ベクトルカレントと電磁カレントの交換関係$[A^3_0,J^{\rm em}_\mu]$に比例しますが、この交換関係はゼロなので、これらの項も消えます。

参考文献

[2]
Sutherland, D.G., Current algebra and some non-strong mesonic decays, Nucl. Phys. B, 1967, 433-440
[3]
Adler, S. L., Axial-Vector Vertex in Spinor Electrodynamics, Phys. Rev., 1969, 2426-2438
[4]
Bell, J. S., Jackiw, R. A , PCAC puzzle: π0→γγ in the σ-model, Nuovo Cimento C, 1969, 47-61
[8]
Cheng, Ta-Pei, Li, Ling-Fong, Gauge theory of elementary particle physics, Oxford University Press, 1982, 173-
[9]
Peskin, Michel E., Schroeder, Daniel V., An Introduction to Quantum Field Theory, Westview Press, 1995, 672-
[10]
川村嘉春, 例題形式で学ぶ 現代素粒子物理学, SGCライブラリー 48, サイエンス社, 2006, 141-
投稿日:2023718

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