【はじめに】
- 太字は3次元のベクトルを表します: etc.
- 本記事では自然単位系を採用します。
- 行列の次元(何行何列か)は整合的になるように解釈してください。たとえばは数、が行列の場合にと書いたら、それはのことです。
- 本記事は主にHikasaBerestetskiiを参考にしています。両方の本のnotationを参考にしていますが、整合性を保つため符号等に異なる部分があります。間違いではないのでご注意ください。
Dirac方程式を解く
角運動量に関する記事をいくつか書きましたMathlog_01Mathlog_02Mathlog_03Mathlog_04。本記事ではその応用として、Coulomb力による中心力ポテンシャルの下でのDirac方程式を解きます。つまりは水素様原子を相対論的な効果を取り入れて計算します。
出発点は電荷をもつ粒子の相対論的な運動を記述する以下のシュレーディンガー方程式およびHamiltonianです:
Dirac方程式
量子論において、電荷を持つ物体が電磁場と相互作用しながら相対論的運動を行う場合のシュレーディンガー方程式およびHamiltonianは以下である:
ここで。はそれぞれベクトルポテンシャルおよびスカラーポテンシャルと呼ばれ、はLorentz変換の下でベクトル量として変換する。はどちらも4行4列の行列であり、以下の関係を満たす:
ここで4行4列の単位行列やゼロ行列は省略している。
は具体的には例えば以下のように与えられる(一意的ではない)
はパウリ行列である:
上記方程式はDirac方程式と呼ばれます。ここではスカラーポテンシャルは時間に依存せず、にのみ依存することを仮定しています。
原子番号がの水素様原子(電子が1つ、原子核の電荷が)を考えます。磁場は存在せず、電場が存在する状況を考え
とします。
以下エネルギーの固有状態の固有値と固有関数を求めます。ただし電子が原子核の周りに局在する解、すなわち束縛状態の解を求めます。束縛状態はエネルギーがより小さくを満たします。
極座標を変数分離して解を求めるのですが、まずは角度依存性とスピノルの自由度(のもつ4成分に対応する自由度のこと)の波動関数を求めます。そののちに動径部分の波動関数を求めます。
波動関数の角度依存性の決定
まず重要なのは、次の全角運動量演算子
がハミルトニアンと可換であることです(
この記事
の最初の章参照):
は角運動量演算子、はパウリ行列であり、どちらもSO(2)のLie代数の元です:
ゆえにも同じ交換関係を満たします.また次の事実が示せます(
この記事
参照):
これらより、の同時固有状態(同時固有関数)が存在することがわかります。以下の固有値をそれぞれとします。
以下では次の事実を用います:
全角運動量とその第3成分がであるDiracスピノルは
と表せる。は任意のの関数。ここで
である。
まず、Diracスピノルがパリティ変換の固有状態であるなら、上2成分と下2成分は逆のパリティを持たなければならない(★)ことに注意する。
(★)の証明
パリティ変換とは、Lorentz変換をとすると、空間を反転するから
である。またDiracスピノルがで変換するとき
が成立しなければならない(
この記事
の「軌道角運動量とスピン」の"▶注"参照のこと)。よってと(空間成分)に対して上のをこの式に代入すると
よってがユニタリであることを考慮すれば、なので、例えば
とすればよい。ここでは絶対値1の位相である。ここではとする。よってDiracスピノルのパリティ変換性は
である。は下成分の符号を反転する。よってDiracスピノルがパリティの固有状態なら、上2成分と下2成分のパリティ変換性は逆である。
ここで水素原子におけるDiracスピノルは全角運動量とその第3成分が定まった状態、さらにはハミルトニアンがパリティ変換で不変なのでパリティの固有状態である。これは
球面スピノル(公式2)
で記述される。公式2ではを固定しているが、ここではを固定する。を固定したとき可能な軌道角運動量は
の2つである。公式2の上の式で、下の式でとする。さらにとする。このとき
となる。ここでは球面調和関数。Ref.Mathlog_03参照のこと。
球面調和関数はパリティ変換: に対しての符号がつく。すなわちのパリティはである。これはMathlog_03にある球面調和関数の具体的な表示を用いれば確認できる。そしてEq.(1)と(2)は軌道角運動量が1違う状態であるからパリティは逆である。
ところで水素原子におけるDiracスピノルは、ハミルトニアンがパリティ変換で不変であるためパリティの固有状態である。また(★)が成立する。以上から、およびパリティの固有状態である4成分Diracスピノルは、上2成分をEq.(1)、下2成分をEq.(2)にすればよい(またはその逆)。notationをRef.Hikasaと合わせるため
とする。またをそれぞれ上2成分,下2成分の動径方向の波動関数とする。こうしてDiracスピノルは
と書けることがわかる。
次に以下を示します。
ここではを
と定義する。
はエルミートである。またのノルムは1である。さらにはおよびと可換であることが示せる(※Appendix 1参照):
はとの固有状態だから、この事実よりもの固有状態である。ゆえにはの線形結合で書ける。ところでパリティ変換に対しは符号を変える。またはパリティの固有状態なので、のパリティは元と反対になる。ゆえに
しかありえない。
(※これは直接計算でも示せます)
公式1と定理1より、上記Dirac方程式の解は
球対称なHamiltonianの下でのDirac方程式の解
のように書けます。
これで波動関数の角度依存性が確定しました。
動径の波動関数の決定
次に動径方向の波動関数を決定します。Eq.(3)をに代入すると
を得ます。ここで以下の公式を使います:
【上の式】
【下の式】
が全角運動量、角運動量、スピンの状態に作用すると、固有値は
となる。ゆえに
まとめると
となる。
公式3を用いてEq.(4)のDirac方程式を整理すると
となります。これを導く際には、はのみの関数に作用するとゼロになるという事実を用いています。特に下成分の式を導く際には、Eq.(4)の下成分
の第1項のの左側にを挿入します。すると公式3上の式より第1項は
ですが、およびはのみの関数に作用するとゼロになることから、公式3の下の式を用いて書き換えて
となることを用いています。
Eq.(5)(6)より、ノンゼロの解が存在するなら、動径方向の波動関数は
を満たします。
合流型超幾何関数との関係を見るため、を次のようにで書き直します(Ref.Berestetskii):
ここで各変数は以下のように定義されます:
最初に述べたように本記事では束縛状態:の解を求めることに注意してください。
Eq.(7)をで書けば以下のようになります:
ここでプライムは微分のことです。
2式の和と差をとって
を得ます。さらに微分をとることでそれぞれで閉じた式を導くことができ、以下のようになります:
この解は合流型超幾何関数で表せます(Appendix 2参照のこと):
これはEq.(9)の解のうち原点で発散しないものです。
が大きい場合の振る舞いを考えます。Appendix 2にあるように、の級数は一般には無限に続き、このとき解はの大きいところでで振る舞います。するとはで振る舞い、規格化できない解になってしまいます。これを避けるにはAppendix 2にあるようにのがゼロまたは負の整数になればよいです。もしも
なら共に級数は有限項で切れます。
さてはどうでしょうか。この場合になってしまうのでが無限に項をもち一見ダメです。しかし実はの場合はでもよいことが以下のようにしてわかります(※Berestetskiiではとなっていますが、の定義が異なることによります)。Eq.(8)にEq.(10)を代入しの極限をとります。(Appendix 2参照のこと)およびより
でなくてはなりません。ところでより
です。ゆえにの場合Eq.(12)よりとなり、であるから解として採用できます。一方の場合Eq.(12)は自明な式となり条件を与えませんが、Eq.(8)の下の式においてをとると、ならであることがわかります。この場合はなので不適当です。
最後にエネルギー準位を求めます。Eq.(11)をについて解けば以下を得ます:
相対論的量子力学における水素様原子のエネルギー準位
いくつかコメントです:
- は常により小さく、束縛状態であることがわかります。
- Eq.(11)からであり、負のエネルギーの束縛状態は存在しないことがわかります。
- 最も低いエネルギーはのとき実現し、これをとすると
となります。になると、ルートの中が負になり束縛状態が存在しません。の仮想的な原子「ウントリセプチウム」より大きなの原子では電子の束縛状態が存在しないため、ウンセプトリチウムは理論的に最も大きな原子番号の原子と言われることもあります。またウントリセプチウムでは基底状態のエネルギーがゼロになり、束縛エネルギー(=から測ったエネルギー)がになることがわかります。
ちなみに原子核の大きさを考慮するともっと大きなの原子核でも存在できることが知られています(例えばRef.Reinhardtの"2. Theoretical description"の章参照(
こちら
から見られます))。
波動関数の規格化に関して述べませんでしたが、たとえばRef.Berestetskiiでは規格化因子を一般的な形で求めています。
非相対論的な水素原子との対応
Eq.(13)をが小さいとして展開すると
を得ます。ところで非相対論的な水素原子()のエネルギー準位は
です。ここでは主量子数と呼ばれ、動径波動関数の量子数と角運動量によりで表されます。Eq.(14)においてとすれば上の式と対応します(相対論では質量もエネルギーとして考慮するためEq.(14)第1項が存在します)。このを用いてEq.(13)を書き直せば
のようになります。非相対論的な場合主量子数のみでエネルギーを指定できますが、相対論的な場合はだけでなくも必要になります。の展開だとにおいて
となり、エネルギー準位に両方の依存性が現れます。
上の考察から、水素様原子のエネルギーに相対論的効果が重要になるのはが大きいときです。逆に言えば、水素原子を非相対論的に計算しても精度が良いのは、がであり1より十分小さいことによります。
エネルギー準位とその縮退
最後にエネルギー準位とその縮退に関して見てみますHikasa。
以下では主量子数とを固定して考えます。このとき以下のような縮退が存在します:
- の縮退...回転対称性の現れ
- との縮退。違うパリティの縮退。
ただしのときだけ例外で、Eq.(12)の下のあたりで述べたようにこのときのみが許されます。は上成分のに対応する解であるから、ゆえに与えられたに対しのみ許されます。 - 非相対論ではのみでエネルギーが指定できます。ゆえに非相対論では与えられたに対しの計コのが縮退します。一方相対論的にはこの縮退が解けます。
エネルギーの低い方からの値とエネルギーの縮退の状況を表にすると以下のようになります:
表の各行の状態は縮退します。非相対論では同じに属するの状態はすべて縮退します。表の「記号:」は各状態を表す記号であり、その左のコラムのの各々に対応します。ここでは角運動量を表す記号であり、に対してを対応させます。によっての値が定まります。ちなみにの縮退も書きましたが、この縮退は当然なのでふつう書かないと思います。
まとめ
本記事では角運動量代数の表現に関する記事Mathlog_01Mathlog_02Mathlog_03Mathlog_04の応用として、相対論的な量子力学における水素様原子のシュレーディンガー方程式(=Dirac方程式)を解きました。波動関数の角度依存性は球面スピノルで表されます。動径波動関数は原点で有限の値をもつ合流型超幾何関数で表されますが、遠方の波動関数が指数的に減少する条件により動径方向の量子数が限定されます。系のエネルギーは非相対論の場合と異なり、主量子数だけでなく全角運動量(軌道角運動量とスピンの和)にも依存します。微細構造定数と原子番号の積が小さい時、のオーダーで非相対論の場合のエネルギー準位に一致します。まで考慮するとエネルギーはだけでなくの依存性を持つようになります(Ref.Hikasa)。水素原子の場合は小さいため、エネルギー準位の依存性も非常に小さいです。はこのような原子の微細な構造を司るため、「微細構造定数」と呼ばれます。
本記事で考慮されていない効果として、ひとつは量子電磁気学の影響があります。本記事では電磁場を静的な外場として扱いましたが、場の量子論では量子化されたphotonとして扱われます。そしてphotonが伝播する間に仮想的な電子・反電子の対生成・対消滅が起こります。この効果を取り込むことで現れる有名な現象がラムシフト(Lamb shift)です。これはとの間のエネルギー差として現れます。前章の表にあるようにこれらの状態はDirac方程式におけるエネルギー準位では縮退しています。さらに量子電磁気学では電子もその周りにphotonを纏い、その効果でも物理量の値が変化します。このような量子電磁気学の効果は非常に精密に観測されており、理論的予言と観測の一致が最も良い物理現象のひとつです。
もうひとつ、本記事では原子核は何の構造も持たない点粒子としましたが、本来原子核の磁気モーメントもエネルギー準位に影響しますHikasa。これは超微細構造と呼ばれます。さらに前記したように、が大きくなると原子核の大きさを考慮することも重要になります。この効果を取り入れることでの限界がなくなりますReinhardt。
本記事は水素様原子の数学的な側面に焦点を当てて書いたため、物理的な観点に関してはあまり言及しませんでした。
この記事
noteでは原子番号の理論的な限界を題材にして、(相対論的な)量子力学における水素様原子の構造の物理的な描像などに関して述べています。興味あればご参照ください。
おしまい。
Appendix 1: の証明
表題の証明を行います。以下ローカルルールとして、微分演算子(一般にLeipnitz則を満たす演算子)にハットをつけます。そして演算子が対象に作用したあとはハットを取り除くことにします。たとえば演算子がLeipnitz則を満たし、対象の積に作用する場合
と書くことにします。時にのさらに右側にも作用する対象があるがそれを書かない場合があります(例えば演算子の交換関係はその右側に作用する対象が存在します)。このような場合は
と書くことにします。
の証明
をに分解して計算します。
一方
よってはと可換です。
の証明
まず演算子に対し
が成立することを指摘しておきます。
以下の各項ととの交換関係を見ていきます。
の計算
Eq.(A.1)より
です。を代入して
を得ます。
の計算
ここで
より
第1項はとなるので
を得ます。
の計算
Eq.(A.1)より
ここで
であるから
を得ます。
の計算
Eq.(A.4)とEq.(A.5)を比べるとその和がゼロになることがわかるので、最終的に
となり、これらは可換であることがわかります。
Appendix 2: 合流型超幾何関数
以下Ref.Nishimotoより。
次の方程式を合流型超幾何関数微分方程式といいます:
この方程式の解ででゼロでない有限な値をとる基本解は以下のように与えられます:
ただし。 ここでが正のとき、のでの振る舞いはです。
一方がゼロまたは負の整数である場合、は有限項で切れて
となります。