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大学数学基礎解説
文献あり

【ストリング図で学ぶ圏論 番外編2】線形代数の圏論的な性質(?)を圏論なしで説明する

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はじめに

圏論の基礎的な概念を学ぶと,その具体例として,「集合と写像」や「ベクトル空間と線形写像」に関する数学的な構造などに関する知見が得られます。この記事では,このような知見のうち,線形代数に関して「知っておいて損はない」と思うものをいくつか紹介します。圏論の知識がなくても理解できることをめざしました(補足では,圏論の話題に触れることがあります)。この記事で紹介する概念は,線形代数の式をストリング図とよばれる図式で表す際にも役立ちます。

補足:
ここで紹介する視点は,線形代数においても基礎的なものばかりだと思います。しかし,これらの視点について述べられている書籍はそれほど多くはないであろう話題であり,かつ個人的に「もっと早く知っておきたかった」と思えるものを集めました。なお,取り上げた話題には主観が多分に入っています。

以降では,集合論と線形代数の共通点と相違点に着目しながら説明します。集合と写像や線形代数に関する基礎知識はあるものとします。この記事では,次の4個の話題について説明します。

  1. ベクトル空間の各要素は線形写像とみなせる
  2. 有限次元の線形代数は自己双対的
  3. 自由ベクトル空間と忘却写像
  4. ベクトル空間の直積とテンソル積

本連載の目次

#1: 圏の定義と具体例
#2: 関手と自然変換
#3: 垂直合成と水平合成
#4: モノイダル圏
#5: モナドとは自己関手の圏におけるモノイド対象のこと
#6: モナドの例
#7: 随伴
#8: 関手を表す線の順序の交換
#9: 普遍射と随伴・極限・カン拡張
#10: ホム関手のストリング図(前編)
#11: ホム関手のストリング図(後編)
#12: 米田の補題
番外編1: 視覚的に理解するクライスリトリプルとモナドの同値性
番外編2: 線形代数の圏論的な性質(?)を圏論なしで説明する(この記事)

準備

集合論

集合の集まりをSetと書きます。また,集合Xから集合Yへの写像全体からなる集合をSet(X,Y)と書きます。1点集合(1個の要素からなる集合)を代表して,{}と書きます(がこの集合の唯一の要素です)。有限個の要素のみをもつ集合X有限集合とよび,その要素数を|X|と書きます。

補足(圏論の基礎知識がある人へ):
Setは集合を対象として写像を射とする圏のことだと考えて構いません。このように考えたとき,Set(X,Y)はホムセットです。

線形代数

実数全体からなる集合をRとおき,実ベクトル空間の集まりをVecRと書きます。また,実ベクトル空間Vから実ベクトル空間Wへの線形写像全体からなる集合をVecR(V,W)と書きます。Rは1次元実ベクトル空間です。なお,話を簡単にするため,この記事では実ベクトル空間に限定して話をしますが,一般の体上のベクトル空間を考えてもこの記事で説明することはほぼ成り立ちます。

補足:
ベクトル空間と線形写像になじみのない人は,有限次元ベクトル空間に限定して,各ベクトル空間VN次元列ベクトル全体からなる集合RNに置き換えて,VからWへの線形写像をMN列の行列全体からなる集合(RM×Nと書きます)に置き換えるとわかりやすいと思います(列ベクトルや行列の各成分は実数です)。RNからRMへの各線形写像はMN列の行列と一対一に対応するため,VecR(RN,RM)RM×Nと同一視できます。

補足(圏論の基礎知識がある人へ):
VecRは実ベクトル空間を対象として線形写像を射とする圏だと考えて構いません。このように考えたとき,VecR(V,W)はホムセットです。

各ベクトル空間V,Wについて,集合VecR(V,W)はベクトル空間とみなせます。以降では,しばしばこの事実を用います。

補足:
集合VecR(V,W)をベクトル空間とみなすためにはVecR(V,W)における和と実数倍を定める必要がありますが,これらは次のように定められます。各f,gVecR(V,W)に対して,「各vVf(v)+g(v)Wに写す写像」をfgの和と定義して,f+gと書きます。また,各rRfVecK(V,W)に対して,「各vVrf(v)Wに写す写像」をfr倍と定義してrfと書きます。これらの定義は,きっと素直だと感じることでしょう。このように定義すれば,VecR(V,W)がベクトル空間であることを容易に確認できます。

要素と写像の同一視

集合論の場合

任意の集合Xの要素は,{}からXへの写像と同一視できることを述べます。この同一視により,集合の要素を「写像の特別な場合」とみなすことができます。

集合の要素と{}からの写像との同一視

任意の集合Xについて,次の同型が成り立つ。
XSet({},X)

補足:
XY」は,XからYへの可逆写像が存在するという意味です。X,Yが有限集合ならば,XY|X|=|Y|と同値です。

xXについて,写像{}xX(つまり,{}の唯一の要素xに写すような写像)をx~とおく。各xXx~Set({},X)に写す写像は,可逆写像である。実際,各fSet({},X)f()Xに写す写像がこの逆写像であることがすぐにわかる。

各集合Xについて,この同型が成り立つことは「Xの各要素は{}からXへの写像とみなせる(かつこの対応は一対一である)」ことを意味しています。この証明から,Set({},X)のすべての要素はx~ (xX)の形で表せます。以降では,xx~を同一視します。

xXの図式表現

xXは次の二通りの図式で表せます。

!FORMULA[84][-890499689][0] xX

左側の図式における長方形のブロックxは,写像x:{}Xのことだとみなせます。なお,ここでは先述のx~xと書いています(これらを同一視しているのでした)。ブロックの下側および上側から伸びた線が,それぞれxの始域{}および終域Xを表しています。このように,ブロックが写像を表し,線が集合を表します。また,1点集合{}を表す線は省略できるものとします。この省略により,左側の図式は右側の図式のように表せます。

要素xXと写像f:XYに対し,f(x)は次の図式で表せます。

!FORMULA[96][1126156845][0] f(x)

ブロックfとブロックxが線Xによりつながっていますが,これは写像としての合成fx(つまり{}xXfYを表すと考えてください。このように,ブロック同士の直列接続は写像としての合成を表します。2個のブロックfxをグループ化して1個のブロックと解釈すれば,写像fx:{}Yを表していることが視覚的に理解できるかと思います。先ほどの同一視により,この写像fxは要素f(x)と同一視されます。

集合論では,上のように写像をブロックで表すような図式を用いるとしばしば便利です。

補足(圏論の基礎知識がある人へ):
この記事では, 記事「ストリング図で学ぶ圏論 #4」 で紹介したモノイダル圏を表すための図式を用いています。

線形代数の場合

集合論の場合と同様に,任意のベクトル空間Vの要素は,RからVへの線形写像と同一視できます。この同一視により,ベクトル空間の要素を「線形写像の特別な場合」とみなすことができます。

ベクトルとRからの線形写像との同一視

線形代数でも,命題1に相当する次の命題が成り立ちます。

任意のベクトル空間Vについて,次の同型が成り立つ。
VVecR(R,V)

この意味で,集合論における{}と線形代数におけるRが対応しています。

補足:
VW」は,VからWへの可逆な線形写像が存在するという意味です。V,Wが有限次元ならば,VWdimV=dimWと同値です。

vVに対し,線形写像RrrvV(つまり,各rRrvVに写すような写像)をvとおく。各vVvVecR(R,V)に写す写像は,可逆な線形写像である。実際,各fVecR(R,V)f(1)Vに写す写像がこの逆写像であることがわかる。

この同型が成り立つことは,「各ベクトル空間Vの各要素はRからVへの線形写像とみなせる(かつこの対応は一対一である)」ことを意味しています。この命題から,VecR(R,V)のすべての要素はv (vV)の形で表せます。以降では,vvを同一視します。

vVの図式表現

集合論の場合と同様に,ブロックが線形写像を表し,線がベクトル空間を表すような図式が考えられます。vVは線形写像v:RVと同一視されますので,二通りの図式で表せます。

!FORMULA[142][1779227773][0] vV

この図式では,右側の図式のように線Rを省略できるものとします。

ブロック同士の直列接続は写像としての合成を表します。たとえば,要素vVと線形写像f:VWに対し,f(x)は次の図式で表せます。

!FORMULA[147][1126154923][0] f(v)

線形代数では,上のように線形写像をブロックで表すような図式がしばしば活躍します。

参考:{}への写像とRへの線形写像との比較

上の議論では,集合論における1点集合{}と線形代数における実数全体Rが対応していました。しかし,{}からの写像(またはRからの線形写像)を考える代わりに,{}への写像(またはRへの写像)について考えると,話が変わってきます。

集合論において{}への写像を考えると,Set({},X)Xに似た式としてSet(X,{}){}が成り立つことがわかります。実際,各集合Xについて,Xから{}への写像は各xX{}に写すものしか存在せず,したがって集合Set(X,{})は1点集合です。つまり,Set(X,{}){}と同型です。

一方,線形代数ではこれに相当する式であるVecR(V,R)Rは成り立ちません(dimV=1の場合は例外)。これらを次の表にまとめておきます。

集合論線形代数
Set({},X)XVecR(R,V)V
Set(X,{}){}VecR(V,R)R

なお,Vが有限次元ならばVecR(V,R)Vが成り立ち,したがってVecR(R,V)VVecR(V,R)のような対称性(自己双対性とよびます)が成り立ちます。自己双対性については,これから説明します。

有限次元に限定した線形代数は自己双対的

有限次元ベクトル空間V,Wを任意に選びます。このとき,ベクトル空間として
VecR(V,W)VecR(W,V)
が成り立ちます。実際,N:=dimVおよびM:=dimWとおくと,VecR(V,W)の各要素はMN列の行列と一対一に対応し,VecR(W,V)の各要素はNM列の行列と一対一に対応します。また,行列の転置によりMN列の行列とNM列の行列は一対一に対応するため,上の同型が成り立ちます(厳密な証明は割愛しますが,この直観的な説明に基づけば容易に示せます)。より端的に述べると,VecR(V,W)VecR(W,V)はどちらもMN次元ベクトル空間ですので,同型です。

補足:
集合論では,同様の式Set(X,Y)Set(Y,X)は(XYが有限集合であっても)一般に成り立ちません。

VecR(V,W)からVecR(W,V)への可逆な線形写像(たとえば,上の例における転置)を一つ選んでとおきます。この写像は次の図式で表せます。

!FORMULA[199][37794][0]とその双対!FORMULA[200][1623859674][0] fとその双対f

ただし,各fVecR(V,W)の写り先(f)fと書き,f双対とよぶことにします。直観的には,この写像は「図式を上下反転させる」ようなはたらきをしているといえます。なお,「上下反転」であることを視覚的に示すために,ブロックの形状を長方形ではなく台形で表しました。

とくに,ベクトル空間VecR(V,R)V双対ベクトル空間とよび,Vと書きます。上の同型においてW=Rの場合を考えれば,VVが同型であることが,次式からわかります。
V=VecR(R,V)VecR(V,R)=V

先ほどの図式と同様に,各vVをその双対vVに写す写像は,次の図式で表されます。

!FORMULA[215][38290][0]とその双対!FORMULA[216][-1520356406][0] vとその双対v

ブロックvの下側から伸びた線Rと,ブロックvの上側から伸びた線Rを,ともに省略しています。直観的には,vvの「上下反転」といえます。f(v)Wは写像により(f(v))Wに写ります。

!FORMULA[226][1126154923][0]とその双対!FORMULA[227][-1522070516][0] f(v)とその双対(f(v))

f(v)fvの写像としての合成fvとみなせるのに対し,(f(v))vfの写像としての合成vfとみなせます。fvではなくvfである理由は,図式が「上下反転」の関係にあることから直観的に理解できるかと思います。

補足:
上では,可逆な線形写像の一例として転置を挙げました。実ベクトル空間ではなく複素ベクトル空間を考えた場合には,に相当する写像として転置ではなく共役転置を考えたほうが都合がよいと思います。詳しくは,拙著Nak-2022をご参照ください。

このような意味で,有限次元ベクトル空間とその間の線形写像は,「双対をとっても数学的な構造は変わらない」といえます。このような性質は,自己双対とよばれます。

より直観的な説明として,NM列の行列Fを考えます。この行列は,次の線形写像
F:RMvFvRN

と一対一に対応しており,通常は行列Fと線形写像Fは同一視されるかと思います。一方で,行列Fは次の線形写像
F:(RN)wwF(RM)
とも一対一に対応しており,これらを同一視しても問題ありません(なお,(RN)=VecR(RN,R)の各要素wは,N次元行ベクトルとみなせます)。このように,行列Fを「列ベクトルを列ベクトルに写す写像」Fと捉えても,「行ベクトルを行ベクトルに写す写像」Fと捉えても,本質的には何も問題ないといえます。大ざっぱには,自己双対とはこのような関係のことだといえます。なお,写像Fは,転置をとると次の線形写像
FT:RNwFTwRM
になります(Tは転置)。つまり,行列Fは写像FTともみなせます。

補足(圏論の基礎知識がある人へ):
ここで述べた自己双対性は,有限次元実ベクトル空間を対象とする圏FinVecRがその双対圏FinVecRと圏同値であることを意味しています。

自由ベクトル空間と忘却写像の関係

集合の集まりSetと実ベクトル空間の集まりVecRの間にある特徴的な性質について述べます。

各集合Xに対して,「Xを基底とするような実ベクトル空間」をX自由ベクトル空間とよび,Free(X)と表すことにします。有限次元ベクトル空間の次元はその基底の要素数に等しいため,各有限集合Xについてベクトル空間Free(X)の次元は|X|です。

N個の要素からなる集合X:={xi}i=1Nについて,Free(X)は形式的に{i=1Nrixir1,,rNR}と表せます(ただし,Xが基底となるように和と実数倍を適切に定めます)。Free(X)の次元は|X|=Nです。

写像SetXFree(X)VecRFreeと書き,自由写像とよぶことにします。

各ベクトル空間Vについて,Vに備わっている和と実数倍という演算を忘れて,Vを単なる集合とみなしたものをUVと書くことにします。このとき,次の命題が成り立つことがわかります。

任意の集合Xとベクトル空間Wについて,次の(集合としての)同型が成り立つ。
VecR(Free(X),W)Set(X,UW) (1)

この同型は,Free(X)からWへの線形写像と,XからUWへの写像が一対一に対応することを意味しています。

V:=Free(X)とおく。VからWへの各線形写像fについて,fの定義域をXに制限したものはXからUWへの写像である。逆に,XからUWへの任意の写像fについて,f(x)=f(x)  (xX)を満たすような線形写像fVecR(V,W)が一意に定まる(fVの基底(つまりX)の写り先により一意に定まるため)。したがって,fVecR(V,W)fSet(X,UW)が一対一に対応する。

写像VecRWUWSetUと書き,(和と実数倍を忘れるという意味で)忘却写像とよぶことにします。自由写像Freeと忘却写像Uは上の意味で密接に関係しており,このような関係は随伴とよばれます。

上の証明より,各fVecR(Free(X),W)を写像f:Xxf(x)UWに写すような写像Ψ:VecR(Free(X),W)Set(X,UW)は可逆です。この写像Ψは,次の図式のように表せます。

同型!FORMULA[318][-577351153][0]を与える写像 同型VecR(Free(X),W)Set(X,UW)を与える写像

ただし,(ブロックfの下側の)線Xの左右にある2本の青線は自由写像Freeを表しており(この2本の線に挟まれたXFreeへの入力です),ブロックfVecR(Free(X),W)の要素です。また,(ブロックfの上側の)線Wの左右にある2本の青線は忘却写像Uを表しており,ブロックfSet(X,UW)の要素です。直観的には,FreeUが随伴の関係にあることは,「ブロックfの下側にある2本の青線のペアFreeを,(可逆写像Ψにより)ブロックの上側にある2本の青線のペアUに置き換えられる」ことといえそうです(このとき,ブロックfはブロックfに置き換えられます)。可逆写像Ψの逆写像は,各ffに写します。

高度な話題:
圏論の用語を用いると,Freeは圏Setから圏VecRへの関手とみなせて,Uは圏VecRから圏Setへの関手とみなせます(関手の知識がない人は,よい性質を満たす写像のようなものだと思ってください)。このとき,各XSetと各WVecRに対して同型VecR(Free(X),W)Set(X,UW)が成り立つ(かつ自然性とよばれるよい性質も成り立つ)ことを確かめられます。FreeU左随伴,またはUFree右随伴とよばれます。

直積とテンソル積

線形代数における直積とテンソル積は,どちらもある意味では「2個の集合X,Yの直積X×Yに相当する概念」といえることを説明します。

補足:
線形代数における直積とテンソル積に慣れていない人は,「直積」という名前の通り,「線形代数における直積」が「集合の直積」と直接的に対応する概念であると解釈すると素直かもしれません。一方,「線形代数におけるテンソル積」は「集合の直積」と(直接的ではないけれど)間接的に対応する概念であると解釈すると,イメージしやすいかもしれません。

線形代数における直積

集合論の場合

集合Xと集合Y直積とは,集合{x,yxX, yY}(つまりXの各要素xYの各要素yの組x,yをすべて集めた集合)のことです。

次の命題は,集合の直積X×Yを特徴付けます。

任意の集合X,Y,Zについて,次の同型が成り立つ。
Set(Z,X×Y)Set(Z,X)×Set(Z,Y) (2)

任意の写像f:ZX×Yに対して,対応する2個の写像f1:ZXf2:ZYが存在して
f:Zzf1(z),f2(z)X×Y
の形で表せることと,写像fと写像の組f1,f2が一対一に対応することからわかる。

写像
copy:Zzz,zZ×Z
を考えて,次の図式で表すことにします。

写像!FORMULA[376][319122839][0] 写像copy

ここで,右辺の黒丸は写像copyを表しています。「特別な写像」であるという雰囲気を出すために,ブロックではなく黒丸として表しました。線Xと線Yを横に並べることで,X×Yを表すことにします。つまり,集合の直積を「2本の線を横に並べる」ことで表すことにします。この図式(左辺および右辺)から,copyZからZ×Zへの写像であることが読み取れます。

fが写像Zzf1(z),f2(z)X×Yの形で表せることは,f=f1,f2copyの形で表せることを意味しています。ただし,写像の組f1,f2を写像
f1,f2:Z×Zz,zf1(z),f2(z)X×Y

とみなします。f=f1,f2copyは,次の図式で表せます。

!FORMULA[390][1348952731][0] f=f1,f2copy

ここで,2個のブロックf1f2を横に並べることで,写像f1,f2を表しています。
(2)の同型は,fSet(Z,X×Y)f1,f2Set(Z,X)×Set(Z,Y)が一対一に対応することを表しています。

線形代数の場合

ベクトル空間の直積V×Wを定義しておきましょう。VW直積とは,「VWの集合としての直積V×W」に対して和と実数倍を適切に定めることでできるベクトル空間のことと定義できます。具体的には,和は,集合V×Wの2個の各要素v,w,v,wに対してv,w+v,w:=v+v,w+wと定めます。また,実数倍は,集合V×Wの要素v,wと実数rに対してrv,w:=rv,rwと定めます。このとき,V×Wがベクトル空間になることが容易に確認できます。

補足:
定義からわかるように,ベクトル空間の直積V×Wは,(和と実数倍という演算を忘れて)単なる集合とみなすと「集合としての直積V×W」と同じです。このことは,先述の忘却写像を用いるとU(V×W)=UV×UWと表せます。

集合論の場合と同様に,線形代数でも次の命題が成り立ちます。

任意のベクトル空間V,W,Xについて,次の(集合としての)同型が成り立つ。
VecR(X,V×W)VecR(X,V)×VecR(X,W) (3)

任意の線形写像f:XV×Wに対して,対応する2個の線形写像f1:XVf2:XWが存在して
f:Xxf1(x),f2(x)V×W
の形で表せて,線形写像fと線形写像の組f1,f2が一対一に対応することからわかる。

上とは別の証明:
Xの基底をBとおくと,式(3)は次のように示すこともできます。
VecR(X,V×W)VecR(B,U(V×W))Set(B,UV×UW)Set(B,UV)×Set(B,UW)VecR(X,V)×VecR(X,W)
ただし,最初と最後の行ではX=Free(B)および式(1)を用いました。また,2行目では直積の定義よりU(V×W)=UV×UWが成り立つことを用い,3行目では式(2)を用いました。

集合論の場合と同様に,線形写像copy:Xxx,xX×Xを用いると,f=f1,f2copyと表せます。図式では,次のように表せます。

!FORMULA[429][1348952731][0] f=f1,f2copy

この図式では,ベクトル空間の直積を「2本の線を横に並べる」ことで表しています。ただし,後で述べるテンソル積の場合と区別するために,背景色を(黄色ではなく)緑色としました。

なお,VecRにおける直積は,直和とよばれるものと同一視できます(直積V×Wと直和VWはベクトル空間として同型です)。

補足1:
有限個のベクトル空間の直積は,直和と同一視できます。一方,無限個のベクトル空間の直積は,一般に直和とは同一視できません。

補足2:
すでに述べたように,有限次元に限定した線形代数は自己双対的ですので,式(3)(つまりVecR(X,V×W)VecR(X,V)×VecR(X,W))の双対として,VecR(V×W,X)VecR(V,X)×VecR(W,X)が成り立ちます。なお,この式はV,W,Xが無限次元であっても成り立ちます。一方,集合論では,同様の式Set(X×Y,Z)Set(X,Z)×Set(Y,Z)は一般に成り立ちません。

高度な話題:
上で述べた集合論や線形代数の直積の概念は,圏論では(二項)直積とよばれます。一般の圏Cでは,Cの任意の対象a,b,cに対して(直積a×bが存在するならば)C(c,a×b)C(c,a)×C(c,b)が成り立ちます。

備考:集合の直積とベクトル空間の直積の比較?

1次元以上の実ベクトル空間は無限集合です。しかし,ある観点では,有限集合に対応する線形代数の概念は,(基底が有限集合という意味で)有限次元ベクトル空間かもしれません。このような対応を考えたとき,集合Xの要素数|X|に相当する線形代数の概念は,ベクトル空間Vの次元dimVといえそうです。

集合の要素数とベクトル空間の次元の間には,次の表のような関係があることがわかります。ただし,要素数Nの集合Xと要素数Mの集合Yを考え,またN次元ベクトル空間VM次元ベクトル空間Wを考えています。

集合論線形代数
|X×Y|=MNdim(V×W)=M+N
|Set(X,Y)|=MNdimVecR(V,W)=MN

このように,集合の要素数の積MNおよびべき乗MNが,ベクトル空間の次元の和M+Nおよび積MNに対応しています。

補足:
関連する話として,有限次元ベクトル空間Vとその部分ベクトル空間Wについて,商空間V/W(定義は割愛します)の次元dimV/WdimVdimWになります。大ざっぱに述べると,ベクトル空間の次元について考えると,積や商が和や差になるような場合があるといえるでしょう。

線形代数におけるテンソル積

集合論の場合(直積)

(2)は「X×Yへの写像」に関する性質といえます。集合の直積は,これに対応する「X×Yからの写像」に関する次の命題も満たします。

任意の集合X,Y,Zについて,次の同型が成り立つ。
Set(X×Y,Z)Set(X,Set(Y,Z)) (4)

左辺Set(X×Y,Z)の各要素fに対して,対応する写像f~:Xxf(x,)Set(Y,Z)が考えられて(ただし,f(x,)は写像Yyf(x,y)Zのこと),これらが一対一に対応することからわかる。

直観的には,fは「xyを同時に入力すると,f(x,y)を出力する」という写像を表しており,f~は「最初にxを入力して次にyを入力すると,f(x,y)を出力する」という写像を表しているといえます。

補足:
とくにX,Y,Zが有限集合の場合を考えると,|Set(X×Y,Z)|=|Z||X||Y|および|Set(X,Set(Y,Z))|=(|Z||Y|)|X|が成り立ち,これらは等しいため,式(4)が成り立つことが確認できます。

集合Set(Y,Z)を次の図式で表すことにします。

集合!FORMULA[489][170176772][0] 集合Set(Y,Z)

このとき,写像gSet(Y,Z)は次の右辺のような図式でも表せます。

!FORMULA[491][1499060700][0]を表す二通りの図式 gSet(Y,Z)を表す二通りの図式

直観的には,下向きの矢印Yはブロックgへの入力だと捉えられます。矢印が付いていない線は上向きの矢印のことだと考えて,この図式は

上向きの矢印を付けた図式 上向きの矢印を付けた図式

のことだと考えると,左辺と右辺はともにYが入力でZが出力であることがイメージしやすいと思います。左辺のようにブロックgの下側に描かれた線Yを,右辺のように下向きの矢印で表してブロックgの上側に描けると考えてください。また,左辺と右辺ではブロックgの形状が異なりますが,これは単なる描画の都合によるもので本質的な違いはありません。

fSet(X×Y,Z)f~Set(X,Set(Y,Z))は,それぞれ次の図式で表されます。

!FORMULA[502][37794][0]と!FORMULA[503][1643964903][0] ff

これらはともに2入力の写像である(具体的には,線Xと線Yが入力でZが出力である)ことから,直観的には「同じようなもの」であることがわかるでしょう。

線形代数の場合

(4)に相当する線形代数の式を考えたいのですが,残念ながらベクトル空間V,W,Xに対して一般に
VecR(V×W,X)VecR(V,VecR(W,X))
です。しかし,直積V×Wをこれから定義するテンソル積VWに置き換えれば,この同型が成り立つことがわかります。

2個のベクトル空間VWテンソル積VWは,Vの基底BV:={ϕi}iWの基底BW:={ψj}jに対して,これらの基底の集合としての直積BV×BW={ϕi,ψj}i,jを基底とするようなベクトル空間,つまりVW:=Free(BV×BW)として定義できます(和と実数倍は素直な方法で定められます)。

次の命題が成り立ちます。

任意のベクトル空間V,W,Xについて,次の(集合としての)同型が成り立つ。
VecR(VW,X)VecR(V,VecR(W,X)) (5)

(5)の左辺は
VecR(VW,X)=VecR(Free(BV×BW),X)Set(BV×BW,UX)
を満たす。ただし,2行目では式(1)を用いた。また,式(5)の右辺は
VecR(V,VecR(W,X))Set(BV,U(VecR(W,X)))Set(BV,Set(BW,UX))
を満たす。ただし,V=Free(BV)およびW=Free(BW)を用い,1行目では式(1)を用いた。一方,式(4)より
Set(BV×BW,UX)Set(BV,Set(BW,UX))
であるため,式(5)が成り立つ。

上では,テンソル積VWの定義(の一つ)を明示的に示して式(5)を導きました。逆に,式(5)を満たすようなVWをテンソル積と定義することもできます。とくに,証明の途中で現れたSet(BV×BW,UX)は「V×WからXへの双線形写像の集合」とみなせますので,「V×WからXへの双線形写像」と「VWからXへの線形写像」が一対一に対応するようにテンソル積VWを定めることもできます。このような定義は,たとえば拙著Nak-2022のA.6節をご参照ください。

補足:
上では,ベクトル空間の直積とテンソル積の定義(の一つ)を明示的に示しました。一方,次元が同じベクトル空間は,同型ですので同一視できます。このため,少なくとも2個のベクトル空間VWが有限次元ならば,任意のdimV+dimW次元ベクトル空間を直積V×Wとみなせます。同様に,任意の(dimV)(dimW)次元ベクトル空間をテンソル積VWとみなせます。集合の直積についても同様です。

ベクトル空間のテンソル積では,集合論の場合と同様の図式が利用できます。集合論では集合Set(Y,Z)を「線Zと下向きの矢印Yを横に並べる」ことで表しました。これと同様に,線形代数ではベクトル空間VecR(W,X)を「線Xと下向きの矢印Wを横に並べる」ことで表すことにします。

ベクトル空間!FORMULA[550][-1720047082][0] ベクトル空間VecR(W,X)

このとき,fVecR(VW,X)f~VecR(V,VecR(W,X))は,それぞれ次の図式で表されます。

!FORMULA[553][37794][0]と!FORMULA[554][1643964903][0] ff

ただし,線Vと線Wを横に並べることでVWを表しています。ff~はともに2入力の写像とみなせる(具体的には,線Vと線Wが入力でXが出力である)ことから,直観的には「同じようなもの」であることがわかるでしょう。

高度な話題1:
(5)は,式(1)(つまりVecR(Free(V),X)Set(V,UX))に似た形をしています(表記を合わせるため,変数名を合わせました)。実際,後者の同型におけるSetVecRに置き換えて,VVに置き換えて,FreeWに(つまりFree(V)VWに)置き換えて,UVecR(W,)(つまりUXVecR(W,X)に)置き換えれば,前者の同型が得られます。このような関係にあるため,FreeUの左随伴であるのと同様に,WVecR(W,)の左随伴になっていることが,圏論の基礎を学ぶとわかります。式(4)も同様です。

高度な話題2(圏論の基礎知識がある人へ):
線形代数の図式のうち,背景が緑色のものはモノイダル圏VecR,×,{0}を表しており,背景が黄色のものはモノイダル圏VecR,,Rを表しています。

(2)(5)をまとめて再掲しておきます。

Set(Z,X×Y)Set(Z,X)×Set(Z,Y)(2)VecR(X,V×W)VecR(X,V)×VecR(X,W)(3)Set(X×Y,Z)Set(X,Set(Y,Z))(4)VecR(VW,X)VecR(V,VecR(W,X))(5)

すでに述べたように,集合論における直積は式(2),(4)をともに満たします。一方,線形代数においては,これらの式に対応する式は(3),(5)となります。この観点では,集合論における直積X×Yに対応する線形代数の概念は,直積V×Wとテンソル積VWの二つといえるでしょう。

まとめ

この記事では,圏論の基礎的な概念と密接な関係にあるいくつかの概念を説明しました。これらの概念は,線形代数を図式で表す際にも活用できます。また,これらの概念を知っていれば,圏論の基礎を学ぶ際にも役立つと思います。

参考文献

[1]
中平健治, 図式と操作的確率論による量子論, 森北出版, 2022
投稿日:12日前
更新日:12日前
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量子論 / 量子情報理論 / 量子測定 の研究者です。

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  1. はじめに
  2. 本連載の目次
  3. 準備
  4. 集合論
  5. 線形代数
  6. 要素と写像の同一視
  7. 集合論の場合
  8. 線形代数の場合
  9. 有限次元に限定した線形代数は自己双対的
  10. 自由ベクトル空間と忘却写像の関係
  11. 直積とテンソル積
  12. 線形代数における直積
  13. 線形代数におけるテンソル積
  14. まとめ
  15. 参考文献